功利主義」タグアーカイブ

進捗どうですか (14)

進捗だめです。

しばらくつらくて死にそうでした。国際功利主義学会というところで発表しなければならなかったわけです。ずっと気になってたんですが手をつけられない状態になっていてぜんぜんだめ。プログラムやアブストラクトを見ると海外の大物や、国内の大家か俊英で、私みたいな研究者モドキはいないじゃないの。うわー、怖いー。

最悪の場合は5月にやった発表のスライドをそのまま使おうと思っていたのですが、今開いてみると使いものにならない。そもそも私英語喋れないじゃん。前は少人数の研究会だったからブロークンな英語でも気合でなんとかなるだろう、みたいな感じで発表したのですが、さすがに国際功利主義学会ともなればそれじゃ危険すぎる。原稿書いて読みあげなきゃならん。でも気ばかりあせってなにも進まず。最悪。

発表1週間前のお盆前には完全に煮詰っていて、家から出られない状態に。エクササイズとかもできない。本気でキャンセル考えました。でもキャンセルしたら笑いものになるだろうしねえ。自己評価は最低レベル。っていうか絶望ってやつですなあ。これくらいひどい状態になったのは10年ぶりぐらい。その前となるとやっぱりその10年前。10年に1回のやばさ。

4日ぐらい前に大雨明けの深夜に散歩したらやっと正気に戻る。いや鴨川に飛び込むつもりではなかったですが、それまですごいやばい精神状態だったことに気づきました。やっぱりどんな煮え煮えになっても散歩とかしないとだめですよね。私はそういうのも忘れて部屋や台所は散らかりぱなし、飯はパンやコンビニ弁当、とかになっちゃう。それじゃだめなんですわ。皆さんも困ったら散歩やストレッチしましょう。

資料や昔の勉強メモみたいなのを見直して正気に戻ってくる。

まあ泣きながら書きつづけて、20分ぐらいのトークのため A4 8枚ぐらい書けたのが2日前。
こんなの
先に現地入りしている某偉い先生に送りつけて見てもらって、Google Handoutとかで電話。偉い先生は酔っぱらっていて「だめですね、でももうしょうがないからこれでやったら?」みたいな。泣きながら修正。明け方まで。そのまま移動するつもりだったけど寝てしまって起きたら昼前。やばい。とにかく移動。いくつか発表を聞いて心を落ちつける。みんな賢いなあ。某後輩の立派なキーノートスピーチを聞いて、偉くなったなあ、みたいな。宴会はパスして、チェアやってもらう別の某偉い先生に原稿送りつけてとりあえず仮眠。起きだしてさらに修正しているとその某偉い先生からの駄目出しが届いてうれしい。助かります。ってわけで朝まで。また寝てしまう。

本番。まあ内容はあれとして、発表時間はほぼぴったりだったけど質疑応答の英語ができない。もういい歳して恥ずかしいなあ。やっぱり英会話はいつも練習しておかないとね。若い人びとは本当に語学がんばってください。

夜は晴れて飲み会に軽く参加。若い人びとは勢いがあっていいですね。時代は変わった。


まあ今回は本気で反省しました。余計な学会発表とかするもんじゃないです。半年前の自分が何考えてたのかさっぱりわからない。どうもこの学会は覗いてみたかったんだけど、なにも発表しないのに行くのはいやだなあ、みたいなことを考えてたみたい。しかし自分の実力とかそういうのを把握しておくべきですよね。研修期間で時間があるからなんとかなるだろう、みたいなこと考えてたけど、時間あったって私のようなものはたいしたことはできない。新しいことをするのは無理なんだから、予定どおりこれまで勉強したことをなんとかまとめることを最優先で考えなきゃならない。英語で論文書いたり発表したり、みたいなのもこれまで頻繁にやってきたわけじゃないわけだし。この歳になって新しい技能を身につけるなんて無理。「汝自身を知れ」っていうのはやっぱり「身のほどを知れ」「分相応に生きろ」っていう意味だと思いますね。

まあ研修期間はまだ7ヶ月あります。いろいろやりなおし。人生は続くのです。









Visits: 3

キリスト教とセックス (3) ベンサム先生はイエス先生は同性愛もいけた、と推測している

イエスさん自身は、飲み食いしたりセックスしたりすることを非難したことはない、ってのはベンサム先生が言ってるようです。まあ実際飲んだり食ったり好きな人ですしね。売春とかしている人にも「やめろ」とか言った形跡もない。さらにベンサム先生によれば、イエスさんは同性愛もぜんぜん非難してない。それどころか、イエス先生自身同性愛に積極的だったのではないか、とベンサム先生は考えてます。

「マルコによる福音書」でのイエスさん逮捕のシーンはこんな感じ。

続きを読む

Visits: 42

キリスト教とセックス (2) んじゃイエスさん本人はどうだったのか

んじゃイエスさん本人はセックスどうだったのか。

イエスには妻や子がいたんではないかとか、側近だったマグダラのマリアは売春婦だったみたいだから性的サービスも受けてたのではないか、とかいろいろ言われてますね。でも福音書にはほとんどそういう恋愛・セックスに関するネタがないっぽい。 続きを読む

Visits: 186

不倫はなぜ不道徳か (1)

なんか一日「不倫はなんで悪いか」みたいな論文読んで終ってしまいました。

これは「セックスの哲学」の流れのなかではけっこう議論の蓄積がある問題で、Richard Wasserstrom先生の”Is Adultery Immoral?” (1975)って論文が議論のはじまり。ワッサーストローム先生はセックス哲学以外にもいろんな応用倫理学的な問題で重要論文書いていて、この手の議論のパイオニアです。

続きを読む

Visits: 91

認知の歪みと研究者生活

うつ病とかになるひとには、独特の認知の歪みとかがあるっていう話を聞いたことがあります。有名なのはデビッド・バーンズ先生の歪みリストですね。いろんなページで紹介されてますけどたとえば http://d.hatena.ne.jp/cosmo_sophy/20050119 とか。 続きを読む

Visits: 66

wikipediaはバカな教員より正確なこともあります

前日、うっかり下のようなことを書いてしまった。

Wikipedia (ja)の「自然主義的誤謬」の項。これもぜんぜんだめ。
っていうかなんでこんな奇妙な間違いかたをしたエントリになってしまうのか理解できない。
どうしたらいいんだろう。せめて英語版を超訳すりゃいいのに。うーん。まあ放置、でいいのか。よくないような気がしてきた。

続きを読む

Visits: 14

Wikipediaを添削してみる

何度も書くように、wikipedia(ja)はあんまり信頼してはいけません。
今回はwikipediaの「功利主義」の項を添削してみたいと思います。(うまく添削できたら
反映させてみようかとも思ってる)

まずこの項は、
なにも出典・参考文献があげられておらず、
ガイドラインの「検証可能性」を満たしてません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7
これでもうwikipediaの記事としてアウトね。

功利主義(こうりしゅぎ、英語 Utilitarianism)は、善悪は社会全体の効用(英:utility)あるいは功利(功利性、公益)・機能(有用性)によって決定されるとする基本的に倫理学上の立場であり、それは法学や政治学でも応用される。

  • 「善悪」が気になる。まずなんの評価かわからん。正確には「行為(やルール・制度)の正・不正」。善い(good)/悪い(bad)とright / wrong は違う概念。たとえば good – better -best という比較級はあるが、rightやwrongに比較級はないことからわかるように、善さと正しさは別の概念。功利主義では、善を最大化するのが正しい行為。ここはずすと説明としてはぜんぜんだめになっちゃう。
  • 「あるいは」がどことどこをつないでいるのかわからん。
  • 「倫理学上の立場」もどうか。英語だと”Utilitarianism is an ethical
    doctrine.”のような表現になるわけだけど、これを「倫理学上の」と表現して
    しまうと、「倫理学という学問分野での立場か、んじゃ法学や政治学はどうな
    る?」とかって誤解が生じる。ethical doctrineの “ethical” は「倫理的な」と訳
    した方が誤解をまねきにくいかもしれないが、まあ微妙だな。「倫理的立場」
    ぐらいかなあ。「事実的 factual」とかと対比される意味で、
    それ自体が価値判断・規範判断だということなんだけど。難し
    い。法学や政治学や経済学といった学問分野でもしばしば倫理的判断はするわけでね。

  • (utility)の入る場所がおかしい。効用 – 功利 – 功利性 – 有用性はどれもutilityの訳語のはずだし、「機能」がなにを意味するのか不明。

というわけで、「功利主義(こうりしゅぎ、(英) utilitarianism)は、
行為や制度の正しさは、社会全体の効用(功利、有用さ)によって決まると考える立場である。」ぐらいか。

倫理学説としては私利のみを計る利己主義(エゴイズム、Egoism)とは異なる。現在でも、近代経済学は、基本的にこの立場にあると考えられる。そこでは消費者ないし家計は効用の最大化をもとめる部門とみなされる。また基数的効用と序数的効用が区別される。

  • 「倫理学説としては」という限定が誤解をまねく。不要。政治学でも法学でもそうなわけだから。
  • 「この立場」が功利主義なのか利己主義なのかわかん。
  • 「消費者ないし家計は」も「部門」も意味わからん。「個人は」か?
  • 「また基数的~」もこれだけ書かれてもわからんだろう。

この部分は全部いらないんじゃないだろうか。

もし書くなら、「18世紀イギリスの哲学者ベンサムによって体系化され、
以降19世紀・20世紀を通して倫理学・法学・経済学・政治学などの中心的な学説の一つである。また功利主義は各国の社会制度・政策に大きな影響を与えている。」ぐらいかな。

功利主義の歴史
功利主義はヒュームの思想にもみられるが、立法の原理・法学の基礎として最大多数の最大幸福を置くという着想はベッカリア、エルヴェシウスを経てベンサムにおいて体系として初めて結実した。

うーん、いろいろねじれている。功利主義は法学だけの思想ではないので。
また「最大多数の最大幸福」は「最大多数ってなに?」という誤解をまねきやすく、ベンサム自身はほとんど使ってないはずなので避けたい。「最大幸福」だけなら可。

「社会全体の幸福が重要であるとする発想は、プラトン以来古来から見られる。
しかし道徳・立法・行政の共通の基礎として最大幸福を置くというはっきりし た着想は、ベッカリーア、エルヴェシウス、プリーストリ、ヒュームなどを経て*1
ベンサムにおいて初めて体系として結実した。」ぐらいか。(プラトン~ヒュームらも
功利主義の原型とみることができるという点についての出典が必要。)

功利主義においては幸福は数量で表すことができると仮定される。 ベンサムは快楽・苦痛を量的に勘定できるものであるとする量的快楽主義を考えたが、J.S.ミルは快苦には単なる量には還元できない質的差異があると主張し質的快楽主義を唱えた(が、快楽計算は放棄しなかった)。

  • 「幸福」と「快楽」を同一視するというベンサムの立場が明確にされていない(要出典)。
  • 「(が、~)」とかって書きかたはかっこ悪いので避ける。「~を唱えた。しかし功利主義の基本的立場は放棄しなかった。」

また、J.S.ミルからシジウィックに至る過程で功利主義は立法的・法学的要素を失い、道徳・倫理学の理論としての色彩を強めていく。

これはかなり独自な主張なので、出典が必要。おそらくまちがっている。(安藤馨先生は
そう書いてるが、私はまちがってると思う。)

ここまで、おそら
く大学1、2年生が書いたもののはず。
中~上の下ランクの大学2回生向けの「功利主義とはどんな思想であるかを述べよ」とい
うレポートだと、内容だけだとBマイナス、出典とか考慮にいれるとCだろう。

あれ、なんか面倒になってきた。根気がない。自分で最初から書いた方が早い。
でもこういうのは自分の商売ネタの一部だからwikipediaには書く気にはなれないんだよなあ。

これはけっこう重要な点で、「その情報を売って商売している人びとは、wikipediaには書かない」って
いう傾向があるはず。だからwikipediaは学術情報とかは弱い。
一方、その情報でお金を稼ぐことが難しいこと、書いているだけで楽しいこと(アニメとか
音楽とか軍事とか)は詳しくて良質の記事が多くなる。

あれ、「ベンサム」の項は短かいけどプロかセミプロの仕事だな。ただしwikipediaのライティングスタイルに沿ってないんじゃないか?

もちろん英語版はすばらしくよく書けている。私こんなの書けない。なんというか鍛えの違いを知らされるね。

*1:これらの人物の順番たしかめてない。生年順がよかろう。

Visits: 8

「新卒女子大生がベンチャー企業に就職するのはそれ自体ベンチャーです」っていう夢

以下のような妄想を書いている夢を見た。まったくの妄想。夢。現実とはまったく関係がない。以下の文章での「現実」は現実ではなく私の夢のなかの現実を指す。 続きを読む

Visits: 56

Robert E. Goodin

Utilitarianism as a Public Philosophy (Cambridge Studies in Philosophy and Public Policy)
Robert E. Goodin
Cambridge University Press
売り上げランキング: 7,516

いちおう最初の論文 “utilitarianism as a public philosophy”だけチェック。
気合いが入ってるなー。アジ文のようだ。天下国家を論じる人々はちがうね。http://philrsss.anu.edu.au/people-defaults/goodinb/index.php3
か。重要な人だな。

グッディンは児玉聡先生の博論でも1章使って扱われてるんだよね。博論見せてもらった時点でチェックするべきだよな。モグリ教員はいかん。まあ私はおそらく功利主義者ではないので、それほどあれか。いやいや。

まあこういうのを読むと、児玉先生や安藤先生なんかの国内の若手急進的功利主義者たちが「おまえらのふにゃふにゃした道徳的直観なんかどうでもよろしい」とか言いたくなるのもわかるような(そうは言ってないと思うけど)。

この本は翻訳あってもよさそうだけど、10年も経ってしまえばもう古いか。哲学関係はどの分野もそうなんだけど、功利主義は特に英米でやってることと国内で紹介されていることの時間的距離がありすぎるよね。一部の翻訳パワーというか翻訳エネルギーを功利主義にまわしてほしいな。でも翻訳は自分でやるにはトラブルばっかりで労多くして益少なしな感じがあれだ。

序文冒頭の文章がよい。

This book constitutes my response to a challenge, laid by Peter Singer in the friendliest possible way over drinks one day in 1988, for me to write up my (by implication, eccentric) version of utilitarianism someday.

酒飲んでシンガーにからんで怒られたんだな。超訳すると、

この本はピーター・シンガーと酒飲んだときに、「書けるもんなら、そのうちてめえのヘンチクリンな功利主義の本書いてみたらどうだ」って煽られたのに対する返答である。

みたいな感じか。

最近、英米の思想史が気になるんだよな。19世紀以前のじゃなくて、1950~70年代の。なんで功利主義がちゃんと扱われなくなったのか。一方で共産主義みたいなのが左派の典型としてあり(その一部は全体主義的)、一方に自然権理論とかに依拠した右派みたいなんがいて、功利主義は福祉リベラルの理論的根拠の一番の候補だったはずなんだよな。右からも左からも攻撃されて居場所がなくなったってことなんだろうか。60年代の公民権運動とか新左翼運動とかなんか関係あるはずんなんだよあ。倫理学とかしか勉強してないとそこらへんが見えなくなってしまう。なんにもないところに1971年にいきなりロールズとノージックとドゥオーキンが出現したように紹介されることも少なくないもんなあ。でも1971年にはPhilosophy & Public Affairsの発刊という重大事件もあったのだ。

国内で功利主義批判が左寄りの人から行なわれることが多いのも気になるんだよな。ウィリアムズとかはっきり右より保守ですってば。その意味で、やっぱりこの本は翻訳されるべきなのかもなあ。まあ右とか左とかどうでもいいし、そういう分類はまちがった印象を与えるからつつしもう。

左翼っていうのは。シンガーなんかは「弱い人々の苦しみに共感し世界をベターな方向に変えようとするのがレフトだ」とか書いてたような気がする。本みつからん。

現実的な左翼に進化する 進化論の現在 (シリーズ「進化論の現在」)

現実的な左翼に進化する 進化論の現在 (シリーズ「進化論の現在」)

でも私には天下国家のことはやっぱりよくわからん。関心が薄いんだよな。自分の生存と幸福には興味あるんだけどね。だから倫理学者はだめなのだとかってことはないので注意。ちゃんとした人はたくさんいます。

Goodinの本、いちおう”Government house utilitarianism”も目を通す。特に文句ないです。

Visits: 23