月別アーカイブ: 2018年11月

『犯罪学ハンドブック』を読もう!

やっぱり知らん分野はハンドブックとかから勉強する、っていうのが、私のような素人が他の分野の研究とかを鑑賞する(勉強するんじゃなくて鑑賞ですなあ)ときの王道だと思うのです。

最近『犯罪学ハンドブック』っての出てて、これアメリカのその分野の大学テキストの翻訳ですね。この翻訳は第2版をもとにしたものだけど、英語では第3版まで出てて、おそらく定評あるテキストなんだと思います。

修復的司法とかについてどういうふうに扱われているかというと、そうした話は第8章の「批判理論とフェミニズム理論」というところで扱われてます。あんまり好意的じゃないですね。

おそらく世界中で社会主義社会が崩壊したことが影響したと思われるが、Lilly, Cullen, & Ball (2011)は、至る所で葛藤理論が頓挫し、それが「仲裁犯罪学という形式に変化した」と述べている。仲裁犯罪学とは、近年急増する多数の犯罪学理論のなかでごく最近の理論であり、衰退したマルクス主義が包摂されている。まさにポストモダン様式であると断言できる。(pp.226-227、ちょっと語句いじってる)

とかそんな。

仲裁犯罪学の基本理念とは、1960年代のヒッピーの金言、Make Love, Not Warに共通しているが、性的含意はない。現況の「犯罪との戦争」という表現は考えただけでもぞっとするので、「犯罪における平和」を目指そうとしている。(p.227)

犯罪者を監禁するかわりに、平和構築犯罪学者らは修復的司法を提唱している。これは基本的に調停と紛争解決のシステムである。修復的司法とは主に犯罪によって生じた損害を修復することを目指し、そして基本的に関係する当事者が一堂に会し、被害者と加害者が、犯罪が起こる前の状態に「修復する」ために、双方にとって合意妥当な解決案に到達することである(Champion, 2005) (p.227)

みたいな紹介になる。

Lainier & Hennry (1998)は次のように指摘している。「ポストモダニズムは、次のような理由から主流派の犯罪学者に厳しく批判されてきた。(1)言語の問題ではなく、非常に理解が困難でであり、(2)虚無主義的かつ相対主義的で、善悪を判断する基準がなく、(3)被支配者層から見ると、非現実的で危険でさえある。(p.285) 平和構築犯罪学は、我々に犯罪における平和を構築するよう迫るが、一体これに何の意味があるのだろうか? 多数の評論家が指摘しているように、犯罪者に対して「紳士的である」ことが犯罪を止めさせることに十分効果的とはいえない。人間苦を低減させることや、犯罪を減少させる公正な社会を実現することは明らかに正しい。この立場に立つ主唱者はそこを目指して闘っている。しかしながら彼らは、「他罰的でなく、犯罪者の視点を理解すべきだ」という提言に一歩踏みこんで、どうやってそのような社会を実現できるかについては何の具体策も提供していない。(pp.229-230)

ずいぶん厳しいけど、主流派から見るとこうなのだな、ってところをふまえて、「それでもなお」って感じで話がはじまるのだと思う。だから研究者には実際の実践とか、その結果のデータとかが重要になるわけだし、私のような鑑賞者は、そういうのをどうやってくれるかに注目して鑑賞することになる。

フェミニスト犯罪学についてもおもしろいんですが、こっちはもうすこし好意的ですね。

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『性暴力と修復的司法』第4章の一部チェック(おわります)

もうしわけありませんが、途中だけどもう終ります。デイリー/カズンズ論争の紹介をしたかったのと、全体の構成その他についてちょっと書きたいことがあったのですが、どのページをひらいてもいやなものを見つけてしまって、もう私は心理的に耐えられないです。ずっとあれやこれや重箱の隅をつついているような感じになってしまう。でも本当に重要な箇所もそういうのが起こっていると思います。

たとえば、第5章第1節、p.165。

例えば、性暴力被害者のジョアンナ・ノディングはRJを通して「対話」に参加した。その中で、ノディングは加害者に「あなたを赦す」と宣言した。そして、「対話」の中で次のように語っている。

私は彼がしたことを許容することも、矮小化することも言いませんでした。なぜなら、私は自分自身を恨みの重荷から解放したかったし、彼にとって大事なことは、彼が自分自身について学び、行動し、赦すことを望むことだからです。(p.165, 下線江口)

下線部、なんかおかしいでしょ。この文献が https://restorativejustice.org.uk/resources/jos-story  これのことならば、原文は

“As the meeting was finishing I was asked if there was anything else I wanted to say, and I gave him what I’ve later come to think of as a ‘gift’. I said to him, ‘What I am about to say to you a lot of people would find hard to understand, but I forgive you for what you did to me. Hatred just eats you up and I want you to go on and have a successful life. If you haven’t already forgiven yourself, then I hope in the future you will.’

“I didn’t say it to excuse what he did, or to minimise it, but because I wanted myself to be free of that burden of grievance, and as importantly for me, I hoped Darren could learn, move on, and forgive himself.”

この部分だと思う。「私が「赦す」と言ったのは、彼がしたことについて免責するためでもないし、それを矮小化するためでもない。そうではなく、私自身を恨みの重荷から解放したかったからです。そして私にとって同じくらい重要だったのですが、私は、ダレン〔加害者か〕が学び、先に進み、そして彼自身を赦すことができるようになることを望んでいたのです。」

細かいように見えるけど、そうではないです。これも被害者が加害者に対して「赦します」と言い、それをあとでそれが「ギフト」であったのだ、と理解するという感動的な話ではあります。でもそれがわからん話にされちゃってる。私こういうの見つけるたびに「うっ」となってもう不快になってつらい。大事なことですが、これは英語能力の問題ではないと思う。

最後の章にデリダ先生が大々的に登場するのは象徴的で、ああしたむずかしくてなにを言ってるのかはっきりわからないこと言われてしまえばもう何も言えなくなるし。著者のまわりの人々にもそういうことは起こっていなかったろうか。

あとは専門に近い人や、性暴力やその対策に興味ある人が検討してほしい。でも本気で検討してほしい。特にジェンダー法学会関係者の人は本気で検討して、評価を教えてほしいです。あなたたちは本当にこの本を読みましたか?


(追記)このシリーズでは部分をかなりしぼって、一般読者にもわかりやすいと思われる誤訳の問題を中心にとりあげましたが、この本は事実確認、資料の扱い、そして全体の議論の構成など問題は多く、問題が性暴力とその被害に対する対処という重大な問題であるだけにいろいろ危惧しています。しかしそれらを検討することは私の仕事ではないとも思います。性暴力や性犯罪、その対策などは、各分野の人が協力してオープンな議論することによって改善されることを本当に願っています。(2018/11/12)

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『性暴力と修復的司法』第4章の一部チェック(5)

  • これはちょっと細かいのですが。

私はまさしく彼が「聴くこと」を望んでいます。〔私が〕どんなに無力な状況に置かれ、ひどいトラウマを負ったのかを。彼が完全に〔私の苦しみを〕受けとめて理解すると期待しているわけでもありません。私の口から直接出てくる言葉を確かに彼に聞かせたいから、〔加害者に対して〕「〔私の声を〕聴け」と言いたいのです。私は加害者(すべての加害者)は、表面的なレベルでしか受け止められないとしても、〔性暴力被害者が〕何を感じていたのかを知る必要があると思います。私にとって重要なことは、少なくとも、直接的に私から〔加害者に自分の言葉に対して〕耳を傾けられる経験を得ることです。

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『性暴力と修復的司法』第4章の一部チェック(4)

    • 第4章第3節も見ておきたい。
    • p. 151に出てくる、Nodding (2011)という資料はどういうものかよくわからない。この団体 https://restorativejustice.org.uk  が出している冊子かもしれない。あるいはこれ https://restorativejustice.org.uk/resources/jos-story そのものか。そもそもこの団体がどういう性質のものかよくわからない。怪しい団体ではないとは思うのだが。
    • p.152に出てくるKeenan (2014) も最初見つけられず苦労したのだが、文献リストでは「報告書」として他の「外国語文献」とは別になっていた。「学会報告、講演」も別になっていて、上とあわせてその分類の基準がよくわからない。このKeenan (2014)もURLとかないので探すのけっこう苦労したけど、とりあえずこれ http://irserver.ucd.ie/bitstream/handle/10197/8355/Marie-Keenan-Presentation.pdf?sequence=1
    • この資料は、修復的司法を希望する、参加したい、加害者と対話したい、という人々30人に対するインタビューで、前の節のデイリーvsカズンズ論争が実際に修復的司法は効果があるか、という数字をつかったあるていど実証的なものであるのに対して被害者の願望を聞き取っているもの。話の順番が奇妙に感じられるが、それは問わないことにする。
    • この資料自体は、貴重な被害者の声をきんとひろっていて、非常に迫力があります。こういうの探してくるのは小松原先生すごくえらいと思いますね。
    • ただし小松原先生の参照のページがずれているようで、対応箇所を見つけるのを非常に苦労することが多い。これは多すぎるのであげきれない。
    • また、このKeenanの調査が、さまざまなタイプの被害者の特徴を示す記号がつけられて特定されていることなどにまったく触れられていないのが気になる。家族内レイプと路上レイプなどは経験その他がまったく違うと思われる。それに、小松原先生が同一人物をダブルにカウントしている箇所があるように思える。下では「VSSR」(Victims of stranger rape as an adult)と記述されてる人の発言が何度もでてくるが、これは同一人物である。しかし、小松原本ではどの発言がどの被害者のものかわからなくなっている。
    • p.154で「責任のメカニズムとして」という表現が出てくるが、これは説明しないとわからない。

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『性暴力と修復的司法』第4章の一部チェック(3)

  • デイリー先生の文章の引用

私は〈裁判による性暴力の問題解決〉より〈カンファレンスやそれに類するRJ〉がより一般的に用いられるとは思わない。〔しかしながら〕私は犯罪と被害へ、より洗練された対応をすること、そしてRJがその流れの中に位置づけられることについて考えることは、意義があると思っている。

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『性暴力と修復的司法』第4章の一部チェック(2)

p.149

刑事司法制度の補完として、RJを取り入れる具体策としては、「有罪答弁」の改革をデイリーは挙げている。現行の刑事司法制度にも、加害者が自らの犯行を自白する「有罪答弁」は導入されている。しかしながら、デイリーによれば「有罪答弁」は「被害者の決まりきった質問に、加害者が棒読みで答えるという白々としたもの」である。それを「被害者が自分の経験を思いきり語り尽くし、加害者は率直に事件について吐露する場にする」のである。(p. 149, 強調江口)

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『性暴力と修復的司法』第4章の一部チェック(1)

小松原先生の『性暴力と修復的司法』の第4章は非常に問題が多いと思うので、すこしずつ指摘したいと思います。実は同内容の別の文書を書いてしまって、公開するべきかどうか実はかなり迷ったのですが、やっぱり見てしまった以上は書かざるをえないと思います [1] … Continue reading。ここではなるべく価値判断は避けて、事実だけ記載しなおしたいと思います。ジェンダー法学会の奨励賞を受賞していることからも問題の深刻さを考えさせられました。
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References

References
1この本は以前に読んで、問題があるな、とおもっただけでほうっておいたのですが、ツイッターで「第4章第2節ではエビデンスをもとにした、性暴力における修復的司法の議論を行っている」とおっしゃっていたので、どの程度エビデンスなるものを検討しているのか再読せざるをえなかった。

読書案内:女性のための働き方・立ち回り・そして社会的発言ガイド本

私、正直なところこういうブログ書いてて、ネットの一部ではアンチフェミやらミソジニーやら言われてるかもしれないんですが、それは誤解で、商売がらもあって特に女子の安全・健康と社会進出には強い関心をもっています。むしろ女性応援。女性は神様です(お客様は神様と同じ意味で[1]トレンドは生涯学習なので、若い女性には限りませんよ!)。

最近、女性の声の出しかたがどうのこうの、っていうの見たんですが(そういうのばっかり)、女性も男性も社会でうまくやってくための技術っていうのは、やっぱり学ぶものだと思うんですよね。男性もそういうの学ばないとならんと思うし。下の本は男子が読んでもものすごくおもしろいはずです(私はどこでもうまくやっていけないので日々勉強してます!)。


以前その手のビジネス書をあさってた時期があったんですが、まずはこれが偉い本なんですね。

これは原著は1970年代に出ていて、女性がビジネスの社会で本気で働きはじめたときにぶつかるいろりろな問題(会議での発言、派閥でのたちまわり、セクハラもどきや上司からのお誘いを含め)をいろいろガイドしていて、いまとなっては古い記述もありますが、えらいものです。

この本は影響力があったらしく、その後多くの女性ライターの人々がオマージュしてますね。最近日本でも、私が好きな勝間和代先生が最初に「ハラガン先生に捧ぐ」みたいなの書いてました。

アメリカ国内でもそうした本は多いようで、↓の本とかそれぞれおもしろい。

政治的にはあんまり正しくないかもしれないが、ある種の女性とある種の男性には役に立つかもしれない。男はルールについて議論するのを好むとか。男のルールは(1)できるふりをする、(2)自分を強く見せる、(3)つらくても継続する、(4)感情的にならない、(5)アグレッシブになる、(6)戦う、(7)真のチームプレーヤーになる。女性の欠点は(1)失敗を恐れる、(2)消極的、(3)優先順位をつけられない。

まあこれも男のルールと女のルールの話。『7つのルール』と同じようなものだが、わざわざ買って読むならこっちの方がいい。

ある日のこと、上層部の会議の席で、二人の男性重役が激しい口論を始めました。思わず止めに入りたくなるほど、口汚いやりとりでした。ところが会議が終わると、その重役がもう一人のほうを向いて、親しげな声でこう言ったのです。「ビールでも飲みに行こうか」私はびっくりしました。二人がそんなに早く頭を切り替えて、普通の会話を始めるなんて思いもよろなかったからです。このとき私は、男の世界は私たち女の世界とは違うのだと気づきました。

ほとんどの女性にとって、会社とは男性が先住民である「外国」です。

↓の本は雑誌『ミズ』とかで働いてた人が書いたもので、現代的になってると思います。

最近いちばん感心したのがこの↓の本です。これはビジネスだけでなく、政治の世界とかで活躍するための手引き。話し方だけでなく、服装、表情、ジェスチャー、批判への答え方、SNS対策、テレビでのうつりかたなど、ことこまかに説明してくれていて、やっぱりアメリカさんには勝てないなと思いました。ヒラリー・クリントンになる方法、なんだけど、最後の方に私の好きなエレノア・ルーズベルト先生が出てきてちょっと感動した。ぜひ読んでみてください。

「日本のジェンダーギャップ指数は〜」とか「職場の差別が」「女性の政治参加が少ないのは差別や偏見のせいだ」とかってやるのもいいけど、こうしたプラクティカルな知識と技術を広めていきたいと思います。

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References

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1トレンドは生涯学習なので、若い女性には限りませんよ!