ヨナスには興味はないが。
尾形敬次先生
- 尾形敬次「存在から当為へ:ハンス・ヨナスの未来倫理」 http://ci.nii.ac.jp/naid/110006273675/ 。ほう、これは役に立つ。
ヨナスの思想は一般の人びとや政治家たちには高く評価されている。連邦政府の現政権党である社会民主党は積極的にヨナスの思想を自分たちの政策に導入してきた。一方、大学の哲学研究者の間での評価は必ずしも高いとはいえないらしい。
- なるほど、そうだろうな。
「我々の議論は証明ではない。なぜならそれは証明不可能な公理的前提に結びついているからである。すなわち、第一には責任能力そのものが「善」であること、したがってその存在は非存在よりも優っていること、そして第二には、そもそも存在に根ざす「価値」があること、つまり存在が「客観的」価値を有すること、これらの前提である」(PUMV, S.139)
- あら、こんなこと言ってるのか。まあそりゃそういうことになるわな。しかしこんなもの前提していいんだった、もはや形而上学いらんだろう。最初っから「人間の生には価値がある」だけで十分。なんだかなあ。
- 太田明先生の「責任とその原型」(1)~(4)。「予防原則」とか。なるほど。上の尾形先生の社会民主党との関係の指摘とあわせて、やっとヨナスがなんで重要とされているのかわかってきたような気がする。やっぱりここらへんは政治的状況みたいなんとあわせて理解しないとだめだったわけだ。反省。
- 盛永審一郎先生の「状況的責任から配慮責任へ」。ふむ、だんだんヨナスに魅力を感じている人びとのことがわかってきたような気がする。
- それにしても、環境保護とか「世代間倫理」とかってのがそんな問題だったとは。私にはほとんど自明に見えててから、本気で悩んでいるひとがいるのがよくわからなかった。
- っていうか、私の関心のありかたがなんかおかしいのかね。なんでかな?
- 坪井雅史先生の「ケアの倫理と環境倫理」も重要そうな気がするけど、すぐに入手できん。そうか、坪井先生も品川先生と同じような傾向が好きなんだよな。
ヒューム先生は偉大すぎる
- 超名著『道徳原理の研究』。http://www.anselm.edu/homepage/dbanach/Hume-Enquiry%20Concerning%20Morals.htm#sec3
- 公共の有用性が正義の唯一の起源ですよ。正義の唯一の価値はその帰結にありますよ。
- もし資源がふんだんにあったら正義なんて必要ないのです。 “the cautious, jealous virtue of justice” のjealousってどういう意味なんかな。まあ訳本通り「猜疑心の強い」でいいのか。
- それから、もし人びとが無制限な仁愛もってたらやっぱり正義なんて必要ないですよ。「この場合には、正義の使用は、かくのごとき広大な仁愛によって停止され、所有権および責務の
分割と協会とは決して案出されなかったであろうことは明白と思われる。」 - 家族愛も仁愛の一種です。「人間の心の気質が現在の状態にあっては、かかる広大な愛情の完璧な実例を見出すことは、おそらく困難であろう。しかしそれでもなお、家族の場合がそれに近いこと、そして家族の一人一人の間の相互の仁愛が強ければ強いほど、益々それに近づき、
遂には彼らの間で所有権のあらゆる区分が、大部分失なわれ混同されるに到ることが観察されるであろう。」 - とか。偉大すぎる。っていうかなんでみんなヒューム読まないんだろう。
- でも資源があんまり希少な場合も正義なんて関係ないです。「社会があらゆる日常の必需品の非常な不足状態に落ち入り、極度の節約と勤勉を
もってしても、大多数を死滅から、また全体を極端な悲惨から守ることができないと想定しよう。このような差し迫った非常事態の際には、正義の厳格な法律は停止され、必要と自己保存という一層強力な動機に席を譲ることは容易に承認されると思う。」恐い。そういう状況を経験せずに知ぬまで生きられるといいなあ。 - 上で使わせてもらってる渡辺峻明先生訳の『道徳原理の研究』が出たのは1993年かあ。あれ、入手困難?っていうか3万円も値段ついてるじゃん!こりゃいかんわ。そりゃ誰も読めないわな。いったい国内の倫理学はどうなってんだ。まあヒューム読む人は英語で読むからいいのか。でもそれでいいのかなあ。英米の哲学科だったら哲学だろうが政治学だろうが、2回生ぐらいで誰でもヒュームざくっと読まされるだろう。国内の学生がそんなやつらと戦うのはたいへんだ。なんか国内の翻訳力リソースを有効につかう方法とか考えるべきなのかも。
- なんか秘教的な智恵とされてるのは実はヒュームかもしれんな。(国内の一部ではシジウィックがまさに倫理学の奥義あつかいされているわけだが)
- 『人間知性研究』もなあ。もしかしたら、国内では誰もヒューム読まずに「ケア対正義」の議論やってるかもしれないわけだな。
やっぱりこの状態はまずいですよ。玄白プロジェクト参加するか。一番やらなきゃならないのはここかもなあ。でも古典の翻訳ってのは恐いからやなんだよな。 - 「しかしながら、迷信と正義との間には、前者がつまらなく、無益で、
わずらわしいのに対して、後者は人類の福祉と社会の存続のために絶対的に必要であるという、重大な相違が存するのである」の一文にしびれた。
クーゼ先生はすばらしい
- 作者: ヘルガクーゼ,Helga Kuhse,竹内徹,村上弥生
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- クーゼの邦訳届いたので読む(英語はもってるけどパラパラ見ただけだった)。すばらしすぎる。こんなみっちり哲学している看護系の本はじめて読んだ。
- いちいち確認してないけど、翻訳もしっかりしてると思う(読んだ5~6章は村上弥生先生)。各節に訳者(監訳者?)の要約がついているのもいいなあ。がんばってる。おそらくこのチームっていうかグループっていうか:-)がやった一番よい仕事の一つだと思う。偉い。
- これ倫理学の入門書としても、哲学的批判の入門としてもずば抜けてるな。使おうかな。
- とにかくこれ読んでもらえば「ケア対正義論争」とかについてさらに言うべきことはほとんどないような気がする。
- クーゼには出てくる「献身」などの言葉が品川先生のにはほとんど(一度も?)出てこないのには注意しておく必要がある。
- それにしてもたしかに看護(や介護)ってのはかなり特殊な職業だよなあ。まあ教師もそうかもしれんのだけど。dispositional care 身につけてないとよい職業人じゃない。あ、もちろん医師もカウンセラーもね。人間を直接に扱う職業に共通か。他になにがあるかな。弁護士や宗教者もか。どんな職業もdispositional care必要だと言いたくなるけど、やっぱりちょっと違う感じがあるなあ。
今日の雑感
- ヨナスが注目されるのも、ケアが注目されるのも、やっぱり功利主義が正しく理解されてないからではないかという疑念はさらに強まるなあ。
- 将来世代に配慮する義務、なんて功利主義を採用するなら自明すぎる。
- でもドイツとかでは功利主義は蛇蝎のごとく嫌われてるわけなんだろう。
- そうなると社会民主主義や福祉重視とかをバックアップする理論があんまりないってことなんだろうか?中道左派にはどういう理論が必要か、とか?
- でもこの文脈でヨナスなんか持ちだすのはけっこう危険かもしれん。民主主義あんまり好きそうじゃないもんね。やっぱりアメリカ人が嫌いなんだろうなあ。もちろんナチスも嫌いだったろうけど。
- どうでもいいけど国内で社会民主主義崩壊したってのはほんとに困るよな。日本共産党の方がその立場に近いんだろうな。いまの自民党と民主党じゃ区別がつかんよ。ひどすぎ。不可識別者同一の原理によって、実は一つの政党なんじゃないか。実質一党独裁なのか。
- まああの2回の「牛歩」とか見てる世代はおそらくあの人びとを応援することなんかできんわな [1] … Continue reading 。*1
- ケアの方はやっぱり保守主義に近いような気がするなあ。アメリカでいえば共和党の方を応援しそうだ。ファミリーバリューはアメリカンバリュー。
- なんか政治(国内も外国のも国際も)ぜんぜん知らんのは恥ずかしすぐる。
- やっぱり私がだめだめなのかな。功利主義もヒュームもみんなわかった上でやってんだろうな。ここらへん勘違いするととても恥ずかしいからなあ。
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References
↑1 | あれは少なくとも私にはトラウマ。あら、記憶にあるのは87、88年のやつのはずだけど、92年のと混同してるかも。このころには地獄のサバイバル生活送ってて、外界になにも関心がなかった。子どもの頃のロッキード事件、88年のリクルート事件とあわせて、「政治家はぜんぶ悪い人、政治に関心もつことさえ悪いこと」という私のイメージを作ってしまってる。いかん。 |
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