昨日書いた部分はけっこう気になっているので、もうちょっと。(下では最初、subversiveを「攪乱的」と訳してたけどやっぱりなんかおかしいので「転覆」に一括置換した。よけいにおかしくなったかもしれない。) 続きを読む
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昨日書いた部分はけっこう気になっているので、もうちょっと。(下では最初、subversiveを「攪乱的」と訳してたけどやっぱりなんかおかしいので「転覆」に一括置換した。よけいにおかしくなったかもしれない。) 続きを読む
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ちょっと『新詳日本史―地図資料年表』をながめてた。2007年版、すばらしいでき。なんか日本人の英知な感じ。以前触れた諸星大二郎先生の『失楽園』が引用だらけでできているのは知ってたけど、青木繁先生の『海の幸』って絵は知らなかった。重要文化財。恥ずかしいことなのかもしれん。http://navi.tateyamacity.com/?p=7851
このひとたちは必ずしも「人の定めは苦しむこと……」とは思ってないみたいね。
『失楽園』の引用一覧ないかな。
発見 → 倉田わたる先生が作ってました。
http://www.kurata-wataru.com/ruin/ruina0ab.html#001015
読みなさい。
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何度も書くように、wikipedia(ja)はあんまり信頼してはいけません。
今回はwikipediaの「功利主義」の項を添削してみたいと思います。(うまく添削できたら
反映させてみようかとも思ってる)
まずこの項は、
なにも出典・参考文献があげられておらず、
ガイドラインの「検証可能性」を満たしてません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7
これでもうwikipediaの記事としてアウトね。
功利主義(こうりしゅぎ、英語 Utilitarianism)は、善悪は社会全体の効用(英:utility)あるいは功利(功利性、公益)・機能(有用性)によって決定されるとする基本的に倫理学上の立場であり、それは法学や政治学でも応用される。
というわけで、「功利主義(こうりしゅぎ、(英) utilitarianism)は、
行為や制度の正しさは、社会全体の効用(功利、有用さ)によって決まると考える立場である。」ぐらいか。
倫理学説としては私利のみを計る利己主義(エゴイズム、Egoism)とは異なる。現在でも、近代経済学は、基本的にこの立場にあると考えられる。そこでは消費者ないし家計は効用の最大化をもとめる部門とみなされる。また基数的効用と序数的効用が区別される。
この部分は全部いらないんじゃないだろうか。
もし書くなら、「18世紀イギリスの哲学者ベンサムによって体系化され、
以降19世紀・20世紀を通して倫理学・法学・経済学・政治学などの中心的な学説の一つである。また功利主義は各国の社会制度・政策に大きな影響を与えている。」ぐらいかな。
功利主義の歴史
功利主義はヒュームの思想にもみられるが、立法の原理・法学の基礎として最大多数の最大幸福を置くという着想はベッカリア、エルヴェシウスを経てベンサムにおいて体系として初めて結実した。
うーん、いろいろねじれている。功利主義は法学だけの思想ではないので。
また「最大多数の最大幸福」は「最大多数ってなに?」という誤解をまねきやすく、ベンサム自身はほとんど使ってないはずなので避けたい。「最大幸福」だけなら可。
「社会全体の幸福が重要であるとする発想は、プラトン以来古来から見られる。
しかし道徳・立法・行政の共通の基礎として最大幸福を置くというはっきりし た着想は、ベッカリーア、エルヴェシウス、プリーストリ、ヒュームなどを経て*1、
ベンサムにおいて初めて体系として結実した。」ぐらいか。(プラトン~ヒュームらも
功利主義の原型とみることができるという点についての出典が必要。)
功利主義においては幸福は数量で表すことができると仮定される。 ベンサムは快楽・苦痛を量的に勘定できるものであるとする量的快楽主義を考えたが、J.S.ミルは快苦には単なる量には還元できない質的差異があると主張し質的快楽主義を唱えた(が、快楽計算は放棄しなかった)。
また、J.S.ミルからシジウィックに至る過程で功利主義は立法的・法学的要素を失い、道徳・倫理学の理論としての色彩を強めていく。
これはかなり独自な主張なので、出典が必要。おそらくまちがっている。(安藤馨先生は
そう書いてるが、私はまちがってると思う。)
ここまで、おそら
く大学1、2年生が書いたもののはず。
中~上の下ランクの大学2回生向けの「功利主義とはどんな思想であるかを述べよ」とい
うレポートだと、内容だけだとBマイナス、出典とか考慮にいれるとCだろう。
あれ、なんか面倒になってきた。根気がない。自分で最初から書いた方が早い。
でもこういうのは自分の商売ネタの一部だからwikipediaには書く気にはなれないんだよなあ。
これはけっこう重要な点で、「その情報を売って商売している人びとは、wikipediaには書かない」って
いう傾向があるはず。だからwikipediaは学術情報とかは弱い。
一方、その情報でお金を稼ぐことが難しいこと、書いているだけで楽しいこと(アニメとか
音楽とか軍事とか)は詳しくて良質の記事が多くなる。
あれ、「ベンサム」の項は短かいけどプロかセミプロの仕事だな。ただしwikipediaのライティングスタイルに沿ってないんじゃないか?
もちろん英語版はすばらしくよく書けている。私こんなの書けない。なんというか鍛えの違いを知らされるね。
*1:これらの人物の順番たしかめてない。生年順がよかろう。
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ちょっと興味があって、「知的仕事術」の系譜を見てみたり。
昭和にはやった「知的生産」とかってで流行になったのはどんなもんなのか、とか。 東谷暁先生の『困ったときの情報整理 (文春新書)』を参考に*1。
まずどうもとにかくここからはじまるらしい。未読だと思う。
川喜田先生登場。ブレインストーミングとかも流行る。一応読んだけど理屈っぽいばっかりで。
とんでもない影響力をもった名著なのか怪書なのか。読みやすいのがアレだ。B6カードは大学生のときに1袋だけ買ったことがある。
これも流行したらしい。読んでないと思う。いや、読んだかな?印象にない。
渡部先生のは高校生のときに読んで、ちょっとあこがれたりした。恥ずかしすぎ。まあでも「教養」ってのはいつでもよいものだ。「書斎」なんてばかげたものに男たちがあこがれはじめる→おそらく現在まで続く。ホットミルクはいまだに時々飲んでる。
ここらへんからは同時代。立花先生が川喜田先生批判したりして。「ああいうのは無能な連中がやること。賢い奴は違うぞ」
もっとプラクティカルになって。システム手帳ブームが来たけど私はお金
なくて買えなかった。買っても使えなかった。ここらへんバブル時代の印象と
結びついている。山根先生の下の2冊は読んでないと思うけど、週刊誌ではよく
見かけていた。
傑作シリーズ。失なわれた10年でもがんばる。「整理法」より「ToDoボード」の方が印象強い。
(超整理袋システムはだめ)
続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法 (中公新書)
あと「ワープロ活用」の系譜が80年代後半~90年代前半にあるはずだよな。
んで、梅棹先生の読書論。
田中美知太郎氏は、材料の配合をかんがえてバランスのとれた健康的な
食事を用意する一種の料理法のようなものが、読書についてもかんがえられるであろうとのべている。(p. 98)
ふん、おもしろいね。なんかギリシア的だ。
「本というものは、はじめからおわりまでよむものである。」そうですか。
前の文章もそうだけど、梅棹先生は日本語表記にも一応の影響を与えてるよな。
(第7章でいろいろ提案している。私は賛成できないけど。)
読書記録(確認記録と読書カード)つけなさい。
そうですか。「はてな」でもそういう人は多いですね。
本は「一気に読む」。そうですか。
「傍線をひく」。最初はノートをとらずに「心おぼえの傍線をひくほうがよい。とりあえずこうして印をつけておいて、かきぬきもノートも、すべて一度全部をよみおわってからあと、ということにするのである。」そうですか。
「線をひくのに、赤鉛筆や青鉛筆をつかうひともすくなくないようだ。・・・
わたしは2Bの鉛筆で、かなりふとい線を、くろぐろといれる。」そうですか。
森口先生もそうしているようです。まあボールペンとかのインク類より鉛筆が優秀ですよね。
これは先生のこの本で一番同意できる点です。
他に「読書ノートをつける」「本は二どよむ」「本は二重によむ」とか
まあここらへんは言いたいことはわかります。
全然予想してない文章に出会ったのはここ。
たくさん本をよんで、それから縦横に引用して何かをのべる。いかにも
学問的で、けんらんとしているようにみえるが、じつはあまり生産的なやりかたとは
おもえない。わたしのやりかたでいけば、本は何かを「いうためによむ」のではなくて、
むしろ「いわないためによむ」のである。つまり、どこかの本にかいてあることなら、
それはすでに、だれかがかんがえておいてくれたことであるから、わたしがまたおなじことを
くりかえす必要はない、というわけだ。自分のかんがえがあたらしいものかどうかを
たしかめるために本をよんでいるようなものだから、よんだ本の引用がすくなくなるのは
あたりまえなのである。こういうふうにかんがえると、引用のすくないことをはじる
必要はない。むしろ一般論としては、引用のおおいことのほうが、はずかしいことなのだ。
それだけ他人の言説にたよっているわけで、自分の創造にかかわる部分がすくないということになるからだ。(pp. 116-7)
なるほど、これか!ちょっと目が覚めた。
霊長類研や人文研の気高く美しい伝統。独創性。
ちょっと前の京都新聞で、今西錦司先生あたりを中心にした研究会では
「文献調査はいらん、オリジナルのデータとオリジナルな考察を出せ」とかってのが
標語だったとかいう主旨の記事を読んだのだが、それを思いださせる。
梅棹先生の言うことはわかる。
しかしこれが(志の低い学生には)なんか悪影響を与えていたかもしれないとも思う。けっこう微妙。
梅棹先生たちはそれでOKだったわけだし、非常に創造的な仕事ができた。
でもそれはその前の世代がちまちまいろいろやってたおかげだろう。
そのちまちまが共有されている間はそれでよかったろうが、
梅棹先生たちを読んで育つ人びとは
けっきょく同じ発明を二度三度くりかえさなきゃならなくなったんじゃないかな?
そんなことはないか。私自身は引用が多かったり、他人の言説にたよったりすることはなにも恥ずかしいと思わないし、恥ずかしいと思うべきでもないと思う。さっきの田中美知太郎先生の文章も どこに書いてあるのかわかんないしね*2。まあ新書だからあれだけど。
「京大人文研的なものの功罪」ってのはなんかありそうな気がする。
*1:この本自体はあんまり強い印象を与えるわけではないけど、歴史的概観が役に立つ。
*2:おもしろいと思っても調べようないじゃん。手前の手間はぶいて生産性とやらを上げて、それでどうした?とか言いたくなるところがある。もちろん梅棹先生にそんなこと言う気はない。
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『モーニング』の古いやつが出てきたからスキャン。
家庭内には、娯楽といえるものがほとんどなかったし、外出することもほとんどなかったので、自然セーレンはひとりで思いにふけることが多かった。父は厳格であったが、豊かな想像力の持ち主で、それが年老いても衰えなかった。セーレンが外出を願うと、それを許すかわりに、父は子の手をとって部屋のなかを散歩した。セーレンは行きたいと思うところを言う、するとふたりは想像のなかで、門を出、海岸に出たり、町を歩いたりする。手をとって部屋のなかを歩きながら、父は町や海岸で見るもの聞くものを、実際に見たり聞いたりているように物語ってくれる。知合いに出合って挨拶する、車が音をたてて通り過ぎる、店頭に並んでいる菓子や果物は、かつて味わったこともないほどおいしそうに思われる。父はそれほどあらゆるものを詳しくいきいきと、まのあたりに見るように物語ることができたのである。こうして半時間も部屋のなかを歩くと、まるで一日じゅう外に出て歩きまわったように疲れてしまうのであった。
この「部屋のなかの散歩」は、セーレンに想像の楽しさを教え、こうしてたくましい想像力が養われた。(桝田啓三郎「キルケゴールの生涯と著作活動」、中公世界の名著『キルケゴール』)
キルケゴール幼少期のこのエピソードは非常に強い印象を残すけど、どう見ても虐待。そしてそれを抜けだせないキルケゴール自身に対しては複雑な感情が湧いてくる。キルケゴールはabused child。ミルは父親の死後に父親をつき離して見て、なんとか反抗することができたのに、キルケゴールはついに最後までできなかったようだ [1]この二人はいろんな意味で似ていて、そして対照的。 。桝田先生はどう考えてたのかな。こういうのに無批判なキルケゴール研究者は滅びればいいと思う[2] … Continue reading 。
以下は榎本先生によるキルケゴール幼少期の記録(うそ)。
榎本俊二先生の『ムーたち(1) (モーニング KC)』 [3]ちょうどこの回から『ムーさん』から『ムーたち』にタイトルが変更された。
ジョージ秋山先生は長年にわたって倫理学しているわけだが、2006年に榎本俊二先生ほど「哲学」している漫画家はいなかった。おそらく榎本先生はこのキルケゴールの話を知っていて、それをちゃんとした哲学漫画にしている。
上のキルケゴールの話のうすっぺらさを鋭く描きだしている。われわれの想像力なんてのは榎本先生の描く一枚の立て看板のようなものにすぎない。そう、想像だとあんまり遠くに行けないんだよね。すばらしい。天才。こういう才能を見るともうなんというか、天才として世界を見るってのがどういうことかってのがかいまみえて恐ろしい。次回作どうなるんだろうか。
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References
特に意味ないけど探してた本が見つかったのでスキャン。私のヒーローの毒薬仁先生 [1]「オリはよう、オリは誰なんだよう。」「オリの名前をいってみろ。」「へい、夜雨組若頭毒薬仁様です」 。(ジョージ秋山先生の『くどき屋ジョー』第2巻(小学館))。そのうちなにかに使いたい。
こっちは1回レジュメに使ったことがある(「WHO ARE YOU?」から)。お元気なときはこんな感じ。ばっちりキマったスーツ姿に引いていくコマ割りがすばらしい
「ありだよ、あり」「欲「の」望野郎」、「真実」にふられた「ほんとう」というルビがこれほど効果的なのはすばらしい。見るたびに反省させられますな。これほど強力な倫理学マンガが他にあるだろうか。いやない。手塚先生をも凌駕している。男の人生というのはかくもたいへんなものらしいですよ。
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References
↑1 | 「オリはよう、オリは誰なんだよう。」「オリの名前をいってみろ。」「へい、夜雨組若頭毒薬仁様です」 |
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食事とかね。考え中。これはふつうは完全にアウトね。まともな会社では、そういうのは担当者に対して明示的に禁止しているはず。会社にそれを報告すれば、まともな会社ならその人事担当の人はいろいろ問題にされるはずです。(そうでない会社もかなりあると思いますけどね)最悪でも、いくらでもいいから必ずお金は払っておくこと。もしなんか不快な思いをしたら、泣き寝入りせず、会社に訴え出ること(場合によっては警察の方がよい)。 続きを読む
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「とりあえずエントリーシート出してみる」「とりあえず練習のために面接に」とかってフレーズを時々耳にすることがあって、どうもこれは前から気になっていました。自分でもなんで気になるのかよくわからなかったのですが、学生さんと話をしているうちにだんだんはっきりしてきました。 続きを読む
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っていうか就職活動中にこそ勉強するのじゃ。君らはそのまんまじゃまだ商品になっておらんのじゃ。他人と同じことしてても値打ち上がらんでしょ?就職活動は 半年近い長丁場なので、この期間に勉強しないとむしろ値打ちが下がる*1。 続きを読む
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訳文は読みやすくていいんだけど、ちょっと文学臭が薄くなってしまっているような気がする。まあしょうがないかな。
たとえば
At first I hoped that the cloud would pass away of itself; but it did not. A night’s sleep, the sovereign remedy for the smaller vexations of life, had no effect on it. I awoke to a renewed consciousness of the woful fact. I carried it with me into all companies, into all occupations. Hardly anything had power to cause me even a few minutes oblivion of it. For some months the cloud seemed to grow thicker and thicker.
有名なこの「危機」 [3] … Continue reading の箇所は次のようになってる。
はじめのうち私は、すぐに抜け出せると思っていた。だがそうはならなかった。日々の小さな悩みを忘れさせてくれる一夜の眠りも、このときばかりは効き目がなく、朝になればたちどころに自分の惨めな状態を思い出す。友といるときも、仕事をしているときも、逃れられない。ほんの数分でいいから忘れさせてくれるものがあればよいのに、それもなかった。数か月の間、私はますます深みにはまるように感じられた。
岩波文庫の西本正美先生の訳だとこんな感じ。(戦後の版のやつが見つからないので戦前のやつの表記を変更して引用。みつかったら入れかえる)
最初私は、こうした心の雲はひとりでに消えるだろうとたかをくくっていた。ところが中々そうはいかなかった。人生の些細な煩悶を医するにはこの上もない薬である一夜の安眠も、私の悩みには何の効き目もなかったのである。私は目を覚ますと、新たにこの痛ましい現実に対する意識が更生するのを覚えた。いかなる友と交わるにも、如何なる仕事をするにも、この意識は私に常につきまとっていた。せめて数分間でもそれを私に忘れさすだけの力をもったものはまずなかったのである。数カ月間は、この雲はますます濃くなって行くのみであるように思われた。
この暗い雲 [4]リストに”Nuages gris”っていう曲があるね。あら、International Music Score Library Projectって閉鎖したのか。 っていうイメージは大事だと思うんだけどね。陳腐だけど、陳腐さはミルの魅力の一部文学作品だとやっぱり残さないわけにはいかないだろう。でも村井先生の訳し方もありだな。装丁とか悪くない。このシリーズはけっこう楽しみだ。けど、2000円以内に収めたかった。無理か。
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References
↑1 | 生前は出版されなかったし、養女のヘレン・テイラーがいろいろ手を加えた部分がある。ミルが自分の性生活について書いてるのが残っていればおもしろかったのにね。ハリエットテイラーとはずっとプラトニックでした、とか。 |
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↑2 | そりゃAutobiographyに決まってるけど。 |
↑3 | どうでもいいけど、ミルの「危機」の時代にインターネットがあったらどうだったろうとか考えちゃう。やっぱり2ちゃんねるメンヘル板や半角板に出入りしたかな。 |
↑4 | リストに”Nuages gris”っていう曲があるね。あら、International Music Score Library Projectって閉鎖したのか。 |