キェルケゴール」タグアーカイブ

『不安の概念』(4) 無垢はエロについて無知っす

んで、『不安の概念』の第1章第1節〜第2節では、アダムの最初の罪はよくわからんね、って話をぐだぐだやるわけです。まあここらへんでキリスト教の問題わからん人は読み進められなくなるですね。私も別にキリスト教にそれほど興味あるわけじゃないから読めない。キェルケゴールもよくわからずぐだぐだやってるんだと思う。まあここらへんいろいろ、とりあえず堕罪、原罪の話は大事だよ、ぐらいに読んどいていいんじゃないか。 続きを読む

『不安の概念』(3) キェルケゴールの問いは

んでまあ、もどって、『不安の概念』の最初の2章で扱っているのは、キリスト教では人間はみんな罪人です、ってことになってますが、人間はどうやって罪人になるのですか、という問いだと思うんですわ。これ、つまり原罪の話ね。 続きを読む

『不安の概念』(1) 『不安の概念』はセックス哲学の本、性欲の本かもしれない

この前、年に1回のキェルケゴール研究者の会合に出て、いつものようにみんながなにを話しているのかほとんどわからなくて、絶望しています。まあそもそも私キェルケゴールあたりから勉強をはじめたのに、30年たってもそういう状態で、いろいろ思うところがあるわけです。「キェルケゴールと私」シリーズにも書いたんですけどね。 続きを読む

愛をめぐるモンテーニュさんとパスカル君

最近実存主義はやってるみたいですね。ていうか実存主義はいつも「哲学」に興味ある読書好き学部生の心をひきつけてるんだけど、まあ哲学というよりは文学の領域にはいってるところも多くて、大学で「哲学」や「倫理学」教えてるような人間が授業でいじるにはむずかしいところもある。パスカルやショーペンハウエル、ニーチェあたりはもっぱら文学の人が扱ってますわね。キェルケゴールなんかも本来は北欧文学かなんかやってる人が扱うべき哲学者な気がする。あんまり証拠と論理を使って体系を組み上げていくてんじゃなくて、感覚的・感情的で、「こことここで矛盾してるぞ、整合的に解釈するとすれば〜」みたいな論文書きにくいし、文化や生活や当人の人生に密着しているからそういう文化や伝記的情報集めないと勝負しにくいし。

けっこうイケメン。

けっこうイケメン。

でもそういう人々が書くものっていうのはやっぱり魅力的で、読んでると「ああ、おれはテツガクしてるぅー」みたいな快があります。

恋愛の哲学といえば実存哲学者たちの独壇場ですわね。我々が台風のたびにお世話になっている哲学者・科学者パスカル先生はこんなこと書いてる。

ひとりの男が通行人を見るために窓に向かう。そこを通りかかったならば、彼が私を見るためにそこに向かったと言えるだろうか。否。なぜなら、彼は特に私について考えているのではないからである。ところが、誰かをその美しさのゆえに愛しているのものは、その人を愛しているのだろうか。否。なぜなら、その人を殺さずにその美しさを殺すであろう天然痘は、彼がもはやその人を愛さないようにするだろうからである。

そして、もし人が私の判断、私の記憶のゆえに私を愛しているのなら、その人はこの「私」を愛しているのだろうか。否。なぜなら、私はこれらの性質を、私自身を失わないでも、失いうるからである。このように身体の中にも、魂の中にもないとするなら、この「私」というものは一体どこにあるのだろうか? 滅びるものである以上、「私」そのものを作っているのではないこれらの性質のためではなしに、一体どうやって身体や魂を愛することができるのだろう。なぜなら、人は、ある人の魂の実体を、その中にどんな性質があろうともかまわずに、抽象的に愛するだろうか。そんなことはできないし、また正しくもないからである。だから人は、決して人そのものを愛するのではなく、その性質だけを愛しているのである。

したがって公職や役目のゆえに尊敬される人達をあざけるべきではない。なぜなら、ひとは、だれをもその借り物の性質のゆえにしか愛さないからである。(パスカル『パンセ』323)

これ、いつも人気の「「私ってなんだろう」っていう問いと、恋愛や友情の問題を結びつけたものすごく有名な箇所です。(パスカル先生の『パンセ』はこういう断片のよせあつめ。メモ書いといてあとで本にしようとしてたらしいけど完成する前に死んじゃった)

まあ人を愛するっていうのはどういうことか、ですわね。「〜くんが好き」とかいったって、それになんか理由(東大卒だから)がつくんであれば、そんなものになんの価値があるのか、というわけですわ。美人だからイケメンだから、お金持ちだから東大卒だから三井物産だからフジテレビだから、というその人のもつ属性や肩書を愛しているにすぎない。

ところが「人間は中身だ」とかっていったって、それもまた属性や性質にすぎない。「私そのもの」なんてのはどこにもないんじゃないの、んじゃいったい他人を愛するとかってどういうことなの、そももそも私ってなんなの、ぜんぶ借り物じゃん、みたいな。いいっすねえ。

でもだからどうなの、みたいなのもある。

まあこのパスカル先生の文章は、私の理解では、モンテーニュ先生の『エセー』の「友情について」に対する注釈になってるんよね。

恋愛や友情といった人々を結びつける力は、わしらの生活のなかでものすごく重要で [1]おそらく一番重要。 、人生について考える哲学者たちは皆それについて考えている。ソッソッソクラテスもプラトンもニッニッニーチェもサルトルも、みんなそういうのに悩んで大きくなった。

このブログでも書いてると思うけど、プラトン〜アリストテレスのラインでの問題は、恋愛や友愛ってのにはよい関係と悪い関係があり、われわれは関係を同定しそれをもつようにしなきゃなんてことでしわね。

たとえばアリストテレス先生によれば、ピリア(友愛)には(1) 快楽によるもの、(2) 有用性によるもの、(3) 美徳によるもの、の三種がある。(1)のは美人イケメンとセックスしたり冗談で笑ったりするのは楽しいからおつきあいする、(2)のはお金持ちや家事うまい人といるのは便利だからおつきあいする、ってので、まあアリストテレス先生はそれが悪いとは言わないけけど、そんな価値のあるものではないと言う。優れた人間関係とは(3)のお互いの美徳を認めあい、それがお互いにさらに伸びることを期待しあう関係だ、と。

モンテーニュ先生は、こういう古代哲学に学んだセックス論や友情論を検討して、(3)の関係ってのはやっぱり男どうしだね、お互いのよいところを認め喜ぶのが友情だよ、うまくすれば一心同体ってくらいうまくいくよ、女性とのエッチな恋愛よりも男どうしの友情がいいよね、ぼくにも二十ぐらいのときにすごく仲のよい友達がいたんだよ、そいつの名前はエチエンヌ・ド・ラ・ボエシ [2]ボエシ君は実はちゃんとした先生で、邦訳もこのまえやっと出た。『自発的隷属論』。Wikipedia項目はまだないね。君さ、ほんとうによい友達だったんだ、生涯のベストフレンドだった、好きだったんだよ、でも早死にしちゃったんだってな話をするわけだ。まあ青年期の友情論の最高峰。

要するに、われわれが普通、友人と呼び、友情と呼んでいるものは、何かの機会もしくは利益のために結ばれた知友関係や親交にすぎないものであって、われわれの心もただその点でつながっているにすぎない。ところが私の言う友情においては、二人の心は渾然と溶け合っていて、縫目もわからぬほどである。もしも人から、なぜ彼を愛したのかと問いつめられたら、「それは彼であったから、それは私であったから」と答える以外には、何とも言いようがないように思う。(『エセー』第1巻28章「友情について」)

イケメンとは言えないけど、ボルドーの殿様だからまあ女は自由自在。

イケメンとは言えないけど、ボルドーの殿様だからまあ女は自由自在。艶福家であったのはまちがいないところ。

てなBLラブ好きな女子が鼻血出しそうなところが出てくるわけっすわ。パスカル青年はものすごくかしこかったけど、ぐだぐだ内省ばかりしてそういう友達もてなかった寂しい男。モンテーニュ先生が友情も恋愛もセックスも手に入れて、人生十分に楽しんだのに対して憎しみみたいなものさえもってたかもしれない。モンテーニュの下品なところとか淫らなところとか許せん!なんでそんなに楽しいのだ!みたいなことけっこう書いてる。でもだからこそ、実存主義者の元祖なのだ。ちなみにニーチェ先生は、「パスカルみたいな優れた人間を破滅させたのはキリスト教だ!禁欲的すぎる!許せん!」みたいに怒ってる。実存主義おもしろいっすよね。みんなどんどん読みましょう。

パスカルのパンセは文庫で安いので、適当に買っといて寝る前に一言だけ読み、「どういう意味だろう?」とか考えながら寝る、ぐらいがかっこいい。モンテーニュ先生の『エセー』はどこを読んでもものすごくおもしろいので、もう白水社の赤いやつの抄訳じゃなくて全部読みたい。特に『ウェルギリウスの詩句について』は恋愛とセックスに興味ある人はマスト。「習慣について」もおもしろくて、ああいうの読むとブログ書きたくなるはず。

パンセ (中公文庫)

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エセーの全巻は岩波文庫。どうせだったら大きな版のやつを買いたい。

エセー 6冊セット (岩波文庫)

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エセー〈1〉

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References

References
1 おそらく一番重要。
2 ボエシ君は実はちゃんとした先生で、邦訳もこのまえやっと出た。『自発的隷属論』。Wikipedia項目はまだないね。

ナカニシヤ出版「愛・性・結婚の哲学」を読みましょう (2)

福島知己「恋愛の常識と非常識:シャルル・フーリエの場合」

実は刊行前に目次出たときから一番楽しみにしてたのがこの論文で、フーリエの『愛の新世界』っていう奇怪な大著の翻訳者本人のよる解説っていうか部分的紹介。 続きを読む

いい人・ナンパ師・アリストテレス (4) アリストテレス先生の「高邁な人」はモテそうだ

まあそういうシステマチックな「ナンパ」というのはおそらくあれですわね。ふつうだったら人間の関係っていうのはもっと長い時間かけてゆっくりはじまるわけで、クラスで一番足が早いとか勉強ができるとか、みんなから信頼されているとか、そういうふうにしてどういうひとか知ってからおつきあいしたりセックスしたりするわけですが、高校とか出てしまうともうそういう関係を築くことが難しくなってしまう。自分の価値みたいなのを知ってもらう時間がないんですね。そこで自分に価値がある「かのような」偽装をおこなう。それはちょっとつきあえばすぐにバレてしまうものなので、長くはつきあうことができない。なのであえてその日かぎり、2、3回限りで次にのりかえるってのをくりかえすわけですな。 続きを読む

進捗どうですか (9)

進捗だめです。

びゅんびゅん時間が過ぎてました。

某発表のためにフェルドマンの議論をちゃんとおさえる、という短期的目標をたててWhat is this thing called happiness読んで、2週間以上かかってしまいました。やっぱりこの本おもしろいなあ。時間測ってたんですが、40〜50時間ぐらいかかってる感じですね。14章と付録があって、まあ1章2時間弱みたいな感じ。ちょっとかかりすぎな気もします。もっとさくっと読める人は多いと思います。論述とかは難しくないけど、いろいろ考えさせられて私はそんな速く読むことはできませんでした。

それにしても本を読むのにどれくらいかかるか計測してみるというのはおもしろい経験でした。ぼんやり思ってるより時間がかかるし、1日にそんなに集中できる時間もそんなにはない。それにどんながんばったって飯食ったり寝たりしなきゃならんわけで、人間ができる活動というのは本当に限られていると思います。エクササイズとかもしないと調子悪くなるし。酒飲む時間やネットする時間だって大事だ。本とか、そんなたくさん読めないですよね。なんか時々膨大な「必読書リスト」みたいなのを提出してくる人がいますが、そういうのってどうなんかな。

もう一つ思ったのは、今回はずっと一人で読んでたけど、本当は読書会とかするべきですよね。読みまちがいとかにも気づくし、おかしいと思ったことを相談したり議論したりもできる。大学院とか進学を考えてる人は、そういう読書会や研究会が盛んなところを目指すのがよいと思います。私も大学院生のころはいろいろ読書会に参加して勉強になりました。オヤジになると、研究者志望の大学院生かかえているような大学の教員にでもならなければそういうのに参加しにくくなってどんどん知識も読解力も劣化してしまう。まあこれはしょうがないです。勉強は一人ではできないな、と思いましたし、そういう意味で私の勉強人生は終りに近づいている気がします。まだ終らんけど。ははは。

あとは国内の文献見直したりして。実はこの分野はあんまり文献ないんですよね。このフェルドマン先生とか、ヘイブロン先生とか、大学院生レベルではけっこう読んでいる人がいると思うんですが、みんなここらへんに言及して論文書けるようになるまでにはもうちょっとかかりますかね。パーフィットの名前を見かけるようになったのも90年代後半ぐらいだったし。サムナー先生の名前を見かけるようになった、ぐらいですか。

倫理学の根本問題の一つなんだけど、倫理学者が直接あつかっている文献は少ない。法哲学の人とかの方が盛んで、これは法哲の人はいきなりコンテンポラリーな文献見るけど倫理学専攻だと古典読まなきゃなんないっていうジレンマがあるからだと思いますね。大学院生からODの間に古典と格闘して、運よく大学教員とかになれたら今度は授業や業務が忙しくて勉強できないままに時間が過ぎて、たちまち白髪のおじいさん、みたいな感じ。私みたいに五十近くになるともう理解力が落ちてて新しいことは学ぶのに苦労する。多くの倫理学研究者がそういう経験をしてきたんだと思います。若い人びとは好きなことやってほしいですね。たいていの人は、いきなりカントやキェルケゴール勉強したい、って思って倫理学はじめたんじゃなくて、道徳なり幸福なりについて考えたいと思ってはじめて、カントやキェルケゴールはそのなかで出会った哲学者の一人に過ぎないだろうから。

それにしてもフェルドマン先生、一つの問題について本当によく考えているな、とか思います。スペシャリストは違うわ。途中でいろいろ幸福な人や不幸な人びとの仮想事例みたいなの出てくるんですが、私「論文書けない大学院生」みたいなのの典型例だなあとか思って読んだり。フェルドマン先生のまわりにもそういう人はたくさんいると思うんですが、どういう目で見てるんだろうなあとか。ははは。

What Is This Thing Called Happiness?
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OUP Oxford (2010-03-18)
The Pursuit of Unhappiness: The Elusive Psychology of Well-Being
Oxford University Press, USA (2008-11-15)

Welfare, Happiness, and Ethics
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Oxford University Press, USA (1996-08-31)

進捗どうですか (8)

進捗だめです。

短期的には19日のあれの準備をしなければならず、そのための文献調べている段階です。遅すぎる。ネタは「幸福」なわけだけど、どの程度の話にするべきなのかよくわからないので過去の『哲学の探求』読んだり。まあなんにしても私はエレメンタリーな話しかできないわけですが。お客さんがどういう人びとか予想するっていうのは私は一番大事な作業だと思ってます。関東の哲学関係の院生とかの雰囲気というのはもうひとつ知らないし、研究の雰囲気なんかも違う気がする。あそこらの倫理学に対する関心もどれくらいあるのか、とか。私はどうも他のちゃんとした院生や研究者の人がいろんなことを知っていると勝手に想定して勝手に圧迫感じたりする悪い癖がある。

Huppert & Linley eds. Happiness and Well-beingっていう心理学系の有名論文のアンソロジーめくったり。4巻本だけど1巻目のコンセプト中心のだけ。概念的な話はまあ哲学者がやってるよりはやっぱり甘いところがあるみたいだけど私には十分啓発的なところがある。

ネットで青山拓央先生の「幸福の規範化と、私的な逸脱」とか見て、ずいぶん考えてることがちがうのがうーんとなってそれのターゲット論文になってる柏端達也先生の「幸福の形式」読んだり。ほんとぜんぜん考えてることが違う。どちらも日本の分析系の哲学を代表する先生ですが、倫理学の方はあんまり文献見たりする気はないのかな、とか。なにもないところからオリジナルに考えるというのもそれはそれで意味があるとは思います。

一番の大物はFred FeldmanのWhat is this thing called happinessを1冊読むことで、これは3日ぐらい集中的に読んでもうすこしかかる感じ。議論は非常に明晰でわかりやすいです。英語もやさしい。学部3回生ぐらいでも読めるのではないだろうか。哲学ってこういうものだよな、みたいな独特の感じがあって楽しめます。でもこの本読んでなにを議論しているか理解するためには、一回自分で幸福とかハピネスとかそういうものについて考えてみないとならんのよね。とりあえずおすすめなので哲学・倫理学系の院生の方とかはぜひ読みましょう。フェルドマン先生は「心理学者たちはコンセプトの話ちゃんとしてないのにいきなり計量とかしはじめやがって許せん」みたいな立場。私はもうちょっと学ぶところがある気はしてます。

日曜はキェルケゴール協会の年1回の大会。キェルケゴール研究している人は今ではすごく少なくなってしまいましたが、8人ぐらい個人発表で盛況。がんばってほしいです。まあ正直なところ私自身はもうキェルケゴール研究を真正面からする余裕がないのですが、重要な哲学者であることはまちがいがないので、若い人びとにはチャレンジしてほしい。

この協会はいったん(諸般の私の知らない事情で)活動停止したところをなんとかもう一回動かして細々とつなげているので、うまく若い人びとにバトンタッチしたい。

まあしかしキェルケゴールをキリスト教抜きに語ることはできないし、それだけでなくデンマーク語やったりヘーゲルっぽい思考の方法みたいなのにもなじまなきゃならなくて、正面からやるのはすごくたいへんですね。他の主流の哲学者、デカルトだのロックだのヒュームだのカントだのっていうのを研究するのに比べてすごく不利だとは思います。特に最初からキェルケゴール一本だと「哲学的な思考」みたいなのの訓練ができないところがあってやばい。

もし私自身けっきょくペーペーのまま倫理学研究者としては「モドキ」以上のものにはなれなかったわけですが、キェルケゴール研究したいという学生院生様がいたらアドバイスしたいことは、

  • デンマーク語は勉強しなければならないけど、そればっかりやるわけにはいかないので翻訳や英語とか使ってもかまわんだろう。
  • 二次文献はちゃんと見るべきだ。っていうか、ざっとキェルケゴール本人の読んだらすぐに二次文献集めてどういう解釈がありえるか考えてみて、そっから研究はじめる方がよいのではないかと思うです。キェルケゴールを素手で解釈に行くのはちょっとおすすめできない、というかそれの謎考えてるだけで一生が終ってしまう。
  • 二次文献を読めば、キェルケゴールの著作のどこがポイントなのかとか、どこに研究者の解釈の違いがあるのかとか、どこ引用すればいいのか、どこ読めばいいのか、みたいなのがわかる。もちろんそれらとあえて違う解釈、みんなが引用しないところ、読まないところ、とかを強調する手もある。でもそれはやっぱり二次文献ある程度読んだからこそできる話ではないのかな。国内では「虚心坦懐に原典を読む」みたいなのが推奨され、へたすると「二次文献に頼るな」みたいな雰囲気させあった時代がありましたが、わたしはおすすめできない。
  • 二次文献はネットでもたくさん手に入るし、有名書籍もあるし。日本の大学でふつうの教育受けてたらドイツ語までいくのは無理だろうからとりあえず英語論文見たらいいだろう。Kierkegaard Studies Yearbookとかで世界の研究動向がわかる。これはデンマークのキェルケゴール協会中心で、各年ターゲットの本を決めてけっこうな人数でつついている。英語圏のモノグラフみたいなのはもっとよい。Google Scholarとか使えばPDFでもいろいろ手に入る。
  • キェルケゴール内在的にやるのはおもしろくなりにくい。キェルケゴールがある本でなにを言ったか、ってのをだらだら書いておわり、ってことになってしまう。これは他の哲学研究者から見ると、「それのどこがおもしろいの?」みたいなことになっちゃう。やはり他の言語哲学なり倫理学なりキリスト教神学なり、自分のバックボーンになるものを作りつつキェルケゴールにあたらないとならんと思う。
  • 時間論でも存在論でもなんでも、伝記的事実としてキェルケゴールは哲学をまともに勉強したわけではない(っていうかなにもまじめに勉強しなかった)わけなので、彼の哲学が伝統的な哲学の文脈にそのまんまのっかるわけでなあいことは意識しておく必要がある。だからもしアカデミックな世界で生き残れるような形でキェルケゴールを研究したいのなら、キェルケゴール以外の正統派も勉強するべきだ。その上でキェルケゴールがどの程度魅力あるのかを考えたい。
  • 二十世紀のビッグな思想家がキェルケゴールを読んでどう言ったか、というのはやっぱり大事だしおもしろいけど、これもそのビッグな哲学者や神学者の解釈がキェルケゴール解釈として正しいとかそういうんではない。ビッグな思想家ほど他人の思想は自分に関心あるかぎりでつまみぐいして好きなことを言うわけだからして。そういうタイプの研究もけっこう負担が大きい。
  • なんにしても、哲学史上の人を扱う場合には、他の研究者の解釈と自分の解釈のどこが同じでどこが違うかを論じる必要があると思う。昭和の先生たちはまあキェルケゴールを自分なりに紹介すればそれだけで飯の種になったけど平成の諸君はそういうのは無理だと思うです。「おける論文」批判みたいなのもずいぶん強くなってるしねえ。

とかそういう感じかなあ。ほんと偉そうというかなまいきというかごめんなさい。これからも陰ながら応援してます。がんばってください。

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「愛と性の西洋思想史」読書案内

最初にブラックバーン先生の『哲人たちはいかにして色欲と闘ってきたのか』読むとよいと思う。

古代ギリシア・ローマ

サッフォーの恋愛詩は岩波文庫の呉茂一訳『ギリシア・ローマ抒情詩選』にはいってます。

プラトンは『饗宴』だけでなく『パイドロス』も読みましょう。どちらも岩波文庫にあります。

アリストテレスの『ニコマコス倫理学』は京都大学出版会の朴先生の訳で読んだ方がよい。ちょっとむずかしい。

ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』は古代ギリシアの哲学者たちの言動の記録、ゴシップも多くて楽しめる。哲学者たちの性生活もかいま見える。とくに享楽的な生活を送っていたとされるアリスティッポスに注意。

オウィディウスの『アルス・アマトリア』はぜひ読みましょう。いくつか邦訳がありますが、とりあえず岩波文庫の沓掛先生の『恋愛指南』で。古代ローマ人たちの愛欲生活は木村凌二先生の『愛欲のローマ史』がおもしろい。アルベルト・アンジェラっていう先生の『古代ローマ人の愛と性』もよい。

アウグスティヌスの『神の国』で、神様「知恵の木の実を食べてはならん」って言ってんのにアダムとイブが食べちゃったせいで、セックスについて知り性欲に悩まされてつ生殖するようになったのだ、みたいな話がある。『告白』もおもしろいので読みたい。最初の告白文学。「性欲に困った僕は、神様に「性欲をなくしてください」とお願いしたんですが、「でもいますぐじゃなくて」ってつけ足しちゃいました」みたいな。ははは。

(告白文学というくくりはおもしろくて、ピコ・デラミランデラの『告白』、ルソーの『告白』、トルストイの『懺悔』も読みたい。)

中世

中世はよくわからない。カペルラーヌスの『宮廷風恋愛の技法』ぐらい。

トリスタンとイゾルデ神話については、ドニ・ド・ルージュモンの『愛について』が名著とされているけどどうなのか。

哲学者のアベラールとその愛人エロイーズの話が中世的な熱烈な恋愛の話として有名なんですが、これってどうなんかな、みたいな。岩波文庫の『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』読んでみてください。私はアベラール先生はだめな奴だと思うです。

近世

モンテーニュの『エセー』の第3巻第5章の恋愛・セックス論「ウェルギリウスの詩句について」は岩波文庫の5巻本のやつか、最近出た白水社の宮下志郎先生の訳でないと読めません。腐女子傾向のある人は第1巻28章『友情について』も読みましょう。

哲学でも思想でもなんでもないけど『サミュエル・ピープスの日記』おもしろいので読みましょう。ニュートン先生ともつきあいのあった公務員の性的生活。でもいきなりは読めないので、とりあえず臼田先生の『ピープス氏の秘められた日記』(岩波新書)で。

ルソーは『エミール』『告白』。『新エロイーズ』は入手困難。

カントの女性論・男性論は『人間学』にあります。『倫理学講義』(『コリンズ道徳哲学』)には性的関係についての考察が含まれています。婚外交渉や売買春だけでなくマスターベーションもたいへんな悪徳らしいです。

「サドマゾ」の語源のマルキ・ド・サド。『悪徳の栄え』など。岩波文庫に『美徳の不幸』入ってますが、エッチというよりは哲学的です。カントあたりの哲学とすごく関係があるんですわね。

ウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』は女子教育運動や女性解放運動の原点ですので必ず読みましょう。

スタンダールの『恋愛論』は読みにくいですが、非常に有名なので「結晶作用」のところだけは読みましょう。

キェルケゴールの『あれか/これか』。「誘惑者の日記」だけでまあいいでしょう。ドンファン論とかもおもしろいんですけどね。一般読者がキェルケゴールを読むのは無理でです。

エンゲルの『家族、私有財産、国家の起源』はそれ以降の女性解放運動などにも影響を与えています。ただし中身の歴史的事実に関する話はほとんどぜんぶ間違いということになっています。

20世紀になると

フロイトの『性欲論』とラッセルの『結婚論』は影響力があったのでぜひ読みましょう。

古典小説

ラファイエット夫人『クレーブの奥方』。ラクロ『危険な関係』。ゲーテ『若きウェルテルの悩み』、スタンダール『赤と黒』『感情教育』、ジェーン・オースティン『高慢と偏見』、トルストイ『アンナ・カレーニナ』、シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』、D.H.ロレンス『チャタレー夫人の恋人』。

こうした小説の案内は木原武一『恋愛小説を愉しむ』(PHP新書)など。

社会心理学、進化心理学

最近の心理学研究は、とりあえず麻生一枝『科学でわかる男と女の心と脳』と金政他『史上最強図解 よくわかる恋愛心理学』あたり。斉藤勇先生とかもたくさん出してますが、ちょっと古いし一般向けすぎます。松井豊『恋ごころの科学』は立派な本でしたが、もう20年前なので情報が古いです。

進化心理学ではデヴィッド・バスがとにかく大物です。『女と男のだましあい』『一度なら許してしまう女 一度でも許せない男』は重複するネタが多いですが必読。ミラーの『恋人選びの心』あたりまでいけばだいたい恋愛とかそういうのについて進化心理学がどういうことを考えているのかがわかる。

認知の歪みと研究者生活

うつ病とかになるひとには、独特の認知の歪みとかがあるっていう話を聞いたことがあります。有名なのはデビッド・バーンズ先生の歪みリストですね。いろんなページで紹介されてますけどたとえば http://d.hatena.ne.jp/cosmo_sophy/20050119 とか。 続きを読む

オペラを勉強してモテるようになろう!

「セックスの哲学」といえば、面倒なことせずにモテる方法とかってのを期待している人も多いんじゃないかと思うので、おそらくモテるために学んでおくべきことを示唆しておきたいですね。まああくまでおそらくなんですけど。あとに述べるように哲学者や哲学研究者自身はモテることはむずかしい。

モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』の主人公はドン・ジョヴァンには伝説的女たらしで、もうどんな女性でもオトせます。

まずはドン・ジョヴァンニの従僕レポレロによるカタログの歌。スペインでは1003人。
歌詞はこれで見てください。「旦那様に泣かされたのはあなた様でけではありません。イタリアでは640人、ドイツでは231人、しかしここスペインでは何と1003人!」舞台だとこんな感じ。女性はジョヴァンニとあれして「妻」のつもりでいるエルヴィーラ。ところがジョヴァンニ先生はそんな人ではない。
ちなみにこの演奏は歴史的名演。配役もドンピシャだし。指揮は伝説のフルトヴェンクラー先生。

「シャンパンの歌」って有名なところ。ドン・ジョヴァンニの快活さが魅力です。酒もいくらでも飲めるよ。

訳詩書いときますか。

みんな、葡萄酒(ワイン)で
頭がかあっとなるほどに
大宴会を
準備させろ
もし広場で見つけたら、
これという娘を、
それもそなたが自分で
うまく連れてこい。
なんでもいいから
踊りでありさえすれば
あっちはメヌエット、
こっちはフォリア、
そっちはアルマンドと
おまえが踊らせるのだ。
で、わたしはその間に
そっち別に
あれやこれや相手にして
愛のお楽しみといきたい。
ああ、わたしのリストに
明日の朝には
十人がほどの女を
おまえは加えねばならないぞ。
(オペラ対訳ライブラリー『ドン・ジョヴァンニ』、小瀬村幸子訳、音楽之友社、2003、pp.67-68)

まあとにかく快活さ、これがセクシーなのです。貴族というのはもうなんか意味のない自信をもってなきゃならん。そしてなんといっても強い性欲をもつことがモテの最大の秘密です。モテない人間ってのは欲望がそれほど強くないんよね。

口説くときはこういう感じです。相手は本日結婚式の花嫁さんツェルリーナ。結婚式ななのにこんなことしてるとはドンジョバンニ様もひどいけどツェルリーナ(ヅェルリーナ)さんひどいですね。

(ドン・ジョヴァンニ)やっとわたしたちは解き放たれましたよ、
愛らしいヅェルネッタ、あの馬鹿者から、
どうです、我が想い人、わたしは見事にやるものでしょう?
(ヅェルリーナ) 殿様、あたしの夫です……
(ド)誰が?あいつが?
あなたには思えるのだろうか、立派な男に、
わたしほどの自らを誇りとしている気高い騎士に
我慢できると、その優美な可愛い顔が
その砂糖ほどに甘い顔が
粗野な田舎者に手荒く扱われるなど?
(ヅ)でも、殿様、あたしは彼にいたしました、
彼と結婚する約束を
(ド)そんな約束
なんの意味もない、あなたは生れついていあにのですよ、
農婦になるようには、もっと別の運命を
あなたにもたらしてくれるのですよ、その生き生きした目、
そのそんなに美しいちいちゃな唇、
その真っ白く芳しい華奢な指は、
それにしてもできたてチーズにふれ、バラをかぐようんだ
(ヅ)ああ、あたしは望ましくないと
(ド)何が望ましくないと?
(ヅ)シマイニ
騙されるのがです、あたしは知ってます、ほんのまれに
あなた様がた騎士は女たちに
正直に、そして本気になられるのだと。
(ド)うむ、それは虚言、
平民たちの!貴族というのは
眼に誠実を映し出しておる。
さあもう、時間を無駄にすまい、今すぐ
わたしはおまえと結婚したい。
(ヅ)あなた様が?
(ド)もちろん、わたしが。
あの別荘はわたしのだ、ふたりきりになろう、
そしてあそこで、わたしの宝よ、結婚するとしよう。
(二重唱)
(ド)じゃそこで我らは手を取り合おう、
あそこでおまえは「ハイ」というのだ。
見てごらん、遠くはないぞ、
行くとしよう、愛しいおまえ、ここを離れ。
(ヅ)そうしたくもあり、でもそうしたくもなし、
心臓がちょっと震えるわ、
あたしは幸せになる、ほんと、もしかしたら、
けど弄ぶってことだってあるし。
(ド)おいで、わたしの可愛い恋人
(ヅ)マゼットが可哀想になるし、
(ド)わたしがおまえの運命、変えてやろう。
(ヅ)もうすぐ、これ以上、頑張れないわ。
(ド)行こう!……
(ヅ)行きましょう!……
(二人)言こう、行きましょう、愛しのひと、
苦しみを和らげるために、
罪などない清らかな愛の。

もうなにがなんでもするぞ、という欲望がいいですね。女というものはその欲望を欲望するのです。歌うまいやつは磨きをかけておいてカラオケでがんばるとあれかもしれんぞ。ははは。

もう歌詞だけ見るとビートルズとかそういうとぜんぜん違わないっすね。歌うまい人はみなこうして口説いてるらしいです。

ぜんぜん反省しない自信と欲望のかたまりとしてのドン・ジョヴァンニ、っていうのは多くの哲学者をひきつけてきたと思います。一番有名なのはキェルケゴール。『あれかこれか』って本で、「直接的・エロス的な諸段階、あるいは音楽的=エロス的なもの」なんてタイトルで「ドンジョヴァンニ論」やってます。とにかく音楽はエロいことに気づいた男。

ニーチェが『道徳の系譜学』書いたときもあそこで描かれる「貴族的」な人間のありかたってのはドンジョヴァンニ的だったんちゃうかな。ウソをつくのは平民のやることであって、貴族ってのは誇り高くそんなことはしないのだ。実際自分ではウソついてる気ないんじゃないですかね。

まあとにかく「反省しない」っていうのが大事です。「哲学ってのは反省だ」みたいなことを最初のエントリに書いたわけですが、そういうんでは哲学なんかに興味をもつ人は最初からモテの世界から放逐されておりますわね。実際キェルケゴールもニーチェもモテなかった。ははは。

キェルケゴールやニーチェはそのまま読んでもすぐにはわからんですが、岡田先生のこの本はおもしろいですよ。

恋愛哲学者モーツァルト (新潮選書)

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岡田 暁生
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セックスの哲学史

最初のエントリに書き忘れてましたが、セックスの哲学があるので、当然セックスの哲学史もあるです。ソーブル先生とかはあんまり得意じゃない感じだけど、この分野もかなりおもしろい。実はほとんどの有名哲学者は、なんからの仕方で愛やセックスについて語っているのです。セックスなり愛なりエロスなりを軸にして哲学史を見ていくと意外なものが見えてくるかもしれないです。まあ私キェルケゴールから勉強はじめたので、特にそう思えたりする。

まあそもそも哲学超古典であるプラトンの『饗宴』はエロース賛美なわけで、『国家』や『法律』とかでもセックスの問題は議論されている。

アリストテレスもニコマコス倫理学の「友愛」の議論のなかで夫婦関係について触れているし、『問題集』では医学的・自然科学的立場からセックスネタをいろいろいじくっている。この『問題集』雑談ネタとしておもしろいので読んでみるとよい。「なぜ性的行為はもっとも快いものであるか?」とかって問いに対して、「本来の目的に向かう場合道程はそれが知覚されるときにはいつも快いから、そして、生きものの生産という目的に向かっているから。生物は快楽を通して行なわれることによって生殖に向かう。」とか答えたり。「目的」の扱いがあれとはいえ、現代の進化心理学と同じ地点にいるではないですか。

他にも「若者が初めて性交を経験した場合に、行為の後で自分が交わった当の女性を嫌うのはなぜか」「なぜ毛深い男は好色なのか」「空腹時は性交が早く済む」「乗馬は性欲を亢進させる」「睫毛の下っているものは好色である」「男と女は欲情の時期が異なる」「憂鬱症の人は性欲的」(以上第4巻)「なぜ酔うと性交不能になるのか」(第3巻)なんて話が満載。

こういうのも少しずつ書いてみたいと思います。

実はこれは「セックスの西洋思想史」みたいにして(女子大の!)教養科目の授業でやっていて、授業資料みたいなのは公開してしまってたり。まああんまりやばいことは教えてないことを示しておかないと立場が危うくなるから恥ずかしいし、著作権とか問題あるんだけど公開しております。

アリストテレス先生の『ニコマコス』は岩波は避けて、高いけど朴先生訳のを読みましょう。ぜんぜん違うよ。朴先生偉大すぎる。『饗宴』はまあどれがいいか知らん。朴先生のはもちろん立派。美知太郎先生の解説本も読みましょう。中公バックスは安いのが出ていたら誰のものでも必ず買いましょう。