月別アーカイブ: 2013年2月

性表現と表現規制(7) ポルノ批判と会田先生の答え

まあ米国での規制の法制度づくりは失敗したわけですが、その後もポルノは性差別だというマッキノンとドウォーキンのラインの議論はけっこう魅力を感じる人もいるようです。

表現そのものが性差別だとかってのに疑問を感じる人がいると思いますが、人種差別的なヘイトスピーチのこととかを考えると、ポルノも女性に対するヘイトスピーチなのだ、みたいな言われ方をしたりします。わかりにくいって言えばわかりにくいんですけどね。

まあもうちょっとだけこのタイプの人々の言い分を聞いておくことにしましょう。

まずポルノってやっぱり言論だから言論の自由の方が大事なんちゃうか、言論だとしたら規制するのはおかしいだろう、という批判に対して、ラジフェミ(まあラジカルフェミニストにもいろいろいますが、今回はとりあえずこう呼んでおきます)の人々は、ポルノはそもそも言論なんかいな、言います。正直言論ってよりはマスターベーションの道具みたいなもんだろう、と。なにも新しいアイディアとか含んでないじゃないか、とりあえずたんなるオナニーの「おかず」ではないか、と。

それに仮に言論だと認めたとしても、言論の自由は絶対的なものではない、虚偽の広告とか規制しているのだから、女はいじめられて喜ぶものだとかって女性についての虚偽をばらまいているポルノを規制しても良いだろう、とか。

ポルノとか芸術とかは既成の道徳概念とかをひっくり返すものだ、みたいな見方に対しては、ポルノのいったいどこが既成の概念をひっくり返してるんだ、男が主体で女は受け身っていう旧来の考え方を繰り返しているだけじゃないか、とか。

まあもっといろいろあるんですが面倒だから途中で。とにかくこの系統の人々はいまだにポルノに対して反対しているし、法規制を求める人も少なくありません。とにかく性表現の規制をめぐる議論は、「猥褻」ではなく「性差別」が中心になってるわけですね。(もちろん性差別反対派と猥褻反対・保守派が手を結んだりしている部分もあります。)

んでまあ一番最初の会田誠先生と森美術館に対する抗議とそれへの返事の話にもどると、「ポルノ被害を考える会」とかはこういうマッキノンたちのラインでポルノを考えているわけですね。特に児童ポルノってのは、年端もいかない少女を邪悪な欲望の対象とするおぞましいものだ、と。んでおそらく会田先生なんかの作品では虐待されている少女が微笑んだりしているこそ気にくわん、女はいじめられて喜ぶというポルノ的幻想の最たるものではないか、みたいな感じだと思うんです。さらに、森美術館という一流美術館がそういう作品を堂々と展示することによって、そうした作品の作り方や欲望のあり方にお墨付きを与え、男性的な性欲とファンタジー中心社会をさらに盛り上げようとしている、と。彼らがよく使う比喩に「黒人が首輪付けられて犬扱いされて喜んでいる絵とかOKだっていうのか?」みたいなのがあるんですが、まあそういうものとしてポルノを見ているわけですね。

というわけでまあ会田先生の法律上の「児童ポルノ」や「わいせつ物」にはなりようがないですが、そういうものだとして展示を中止させようとしたってところだと思います。この戦略が正しいかどうかはわからんですね。私自身はぜんぜんだめだと思うんですが、まあ運動というのはいろいろあるんでしょう。

で、問題はこれに対する会田先生の「発表する場所や方法は法律に則ります」ですな。「考える会」などは法律は不十分だと考え、法が要求する以上のことをもとめているわけです。これに対して「法律に則ります」ってのはぜんぜん会の要求にそうつもりはありません、ってことですわね。「「万人に愛されること」「人を不快な気分にさせないこと」という制限を芸術に課してはいけない」とかってのは嫌いな人や不快な人や腹をたてる人がいてもアッシはやらせていただきますよ、ってことなんで、まあ「考える会」の主張にはまったく従うつもりがないってことですわ。

というわけで、さいど一番最初にもどると、こうしたポルノ批判の文脈で芸術家が「法に則って」とか「法の範囲内で」とか発言することはぜんぜん保守的でもなんでもないわけです。

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性表現と表現規制(6) エロチカとポルノ

キャサリン・マッキノンとアンドレア・ドウォーキンのラインの考え方では、性表現はよい性表現と悪い性表現がある、と。それを分けましょう。たんに友好的で平等で自発的で楽しいセックスを描いた「エロチカ」と、女性をものみたいに扱ったりいじめたり差別したり男性に従属させている「ポルノグラフィ」に分ける、と。
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春の祭典100周年を祝いましょう

今このまえ紹介したストラヴィンスキー先生の自作自演のCDをiTunesにApple Losslessで読み込み直して聞き直しているんですが、やっぱりストラヴィンスキー先生はすばらしすぎますね。これまた前に紹介した「結婚」とか「兵士の物語」とかいろいろ好きな曲はあるんですが、やっぱり「春の祭典」は特別にすばらしい。この前寝ながら聞いていて最終曲の「生贄の踊り」のドチャッドチャーチャチャチャ、で目が覚める思いをしました。

今年は春の祭典が初演されて100年目なんすね。ぜひこの機会にこの名曲を味わいつくしましょう。おすすめは一応ブーレーズですが、聞いてるうちにCDがどんどん増えていくタイプの曲です。この曲はまあ誰のCDを買ってもハズレはないですし、それぞれよいものです。

今日スコアを入手して見ながら聞いてたんですが、ほんとにどうやって演奏しているかわからないし、こんな曲を100年前に思いつく頭がおかしい。まあ拍子がおかしい難曲として知られてるんですが、バレエみながらだと自然に見えますね。

春が来て原始人みたいなのが儀式して 、女の子の中から一人選んで生贄にして殺す、みたいな筋なんですね。女の子がショック受けて暴れたり悲しんだり、ってのを描写しているんだと思うですがよくわからんです。

いくつかYoutubeで見てみました。

まず現代の標準的なのはこんな感じの振り付けなんすかね。誰だか知りません。おっぱい丸出しなのが現代な感じ。

ベジャール先生だとこんな感じ。セクロスセクロス。駅弁なんとかとかみんなでキメて楽しそうですが、サタデーナイトフィーバーみたいなのであんまり好きじゃないです。私がこのバレエをはじめて見たのはこのベジャール版じゃないかな。

今日はじめてオリジナルのニジンスキー先生の振付のやつを見たんですが、これいいですね。気が狂ってる感じがよく出てる。

聞き所は、やっぱり冒頭、なかば、最後と3回でてくるどちゃ!ちゃーらららのところの凄みを聞くところっすね。

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性表現と表現規制(5) 性差別としての性表現

しかし1980年代からは、「猥褻」としてではなく「性差別」や「性暴力」として性表現を見る考え方が現れて注目をあびるわけです。この一連のエントリの始まりに書いた「ポルノ被害を考える会」なんかの思想的背景はこういうところにあるはずです。

1960年代に米国あたりでは黒人の公民権運動とかがあって人種差別に対してみんなが非常に敏感になったわけです。でももう一つ大きな差別があるんではないか、それは性差別だ、と。ジョン・レノン先生はオノ・ヨーコ先生に教えられて「女は世界中でニガーだ」みたいな曲を歌ったりして。まあ女性は経済的な差別だけじゃなくて、痴漢強姦その他の性暴力にもさらされているのに放って置かれているじゃないか、それは黒人に対する暴力や差別が放置されていたのとおんなじだ、ってわけです。(同じ意識から「動物も食べられたり毛皮剥がれたり実験に使われたりして差別されている!種差別だ!」って発想も出てきます。)

まあそうして第二波フェミニズムって呼ばれる動きが出てくる。70年代前半とかに女性が集まって、「こんなことに苦労している」みたいな話をすると、旦那やボーイフレンドや上司から侮辱されたり無理やりセックスされたりしているわけです。強姦・レイプっていうと道を歩いているといきなり暗がりに連れて行かれて「あれー、きゃー!」みたいなを連想してしまうけれども、実際に無理やりやられるのはデートとか夫婦関係とか職場の権力関係のなかでなんだ、ってんでデートレイプだのドメスティックバイオレンスだのセクシャルハラスメントだのってのが問題に上がってくる。今となっては、3、40年前にはそういうのが問題にされてなかった、って方が驚きですけどね。人々の意識は変わるものですね。

まあそういう性差別や性暴力を考えて、なんでそういうのがそれほど社会に蔓延しているかっていったら、それはポルノが悪いんではないか、ポルノが男たちが性差別したり性暴力振るったりする教科書になっているのではないか、ってのが基本的な発想ですわ。

まあ性表現とかエロとか、やっぱり圧倒的に女性が描かれる対象になってるし、男が無理やり嫌がる女をあれする、とかってのが典型的な表現だし。雑誌のグラビアなんか見ても女の子はちゃんとにこやかに笑っておっぱいを強調してなきゃならん、ベッドに横たわってなきゃならん、みたいな。背筋伸ばしてしっかり前を見ている姿とかあんまりエロくないっすからね。SMとか好きな人は縛られたりするのはだいたい女性だしねえ。まあ中年男性が縛られたりするのもいいのかもしれないですが、体の緩んだ中年男性が縛られてるだけだとなんかちゃんとエロにならないので女王様も同時に描かないとならんわけです。

まあとにかく性表現では男性と女性は別の扱いを受けていて、女性はだいたい受け身でいじめられたり暴力振るわれたりする側になってる、と。ケイト・ミレットって評論家が『性の政治学』って本書いたり、アンドレア・ドウォーキンっていう作家・評論家が『インターコース』って本買いたりして、フェミニズム批評みたいなのが流行するわけです。それまでの性表現なんてのはぜんぶ男の視点から男の都合の良いセックスを描いているだけだ、みたいな話になる。1960年代に超大物だったノーマン・メイラー先生とかが槍玉に挙げられたり。猥褻で問題になったヘンリー・ミラー先生も。まあでも今回は「猥褻」っていう切り口ではなく、「性差別」なわけです。

こういう動きの中で、セクハラ訴訟とかですごい成果を上げたキャサリン・マッキノン先生がドウォーキン先生と組んで性差別的な性表現を問題化しようって運動を立ち上げるわけです。

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性表現と表現規制(4) 猥褻規制の問題点

しかしまあ猥褻だから規制してしまえ、って考え方は多くの批判にさらされていて、一般にうまくいかないと思われています。

まずはなにが猥褻なのかが常に曖昧なことですわね。

まず定義そのものが曖昧。「いたずらに性欲を刺激する」の「いたずらに」ってのがどういう意味か。無駄に、ってことなのか。無駄に性欲を刺激するってんだったら、どういう場合に無駄じゃない性欲の刺激なのかとか。まあ他にも。

さらに判断の基準が曖昧。「いたずらに性欲を刺激する」とか「性的羞恥心を害する」とか言われたってどういうものが性欲を刺激するのかは人によって違うだろうし、どの程度刺激したら猥褻なのかとか謎。まあ人間のやることはある程度「だいたい」でいかなきゃらんので裁判官がだいたいで判断するしかないわけですが、まあこういうのはちょっと困りますよね。

性欲を刺激する度合いとか性的羞恥心とかが時代によって変化するってのを気にする人もいます。1970年ごろの日本だったら性器が丸出しになっている写真とかすごく入手しにくかったからいたずらにひどく性欲を刺激されたり性的羞恥心をひどく害される人もいたでしょうが、いまとなってはネットとかでそういう画像は嫌ってほど見てるのでなかなかそんなに刺激されませんね。残念なことです。

まあ欧米では1960年代後半から1970年頃に「セックス革命」が起こって、(一部の)若者がばんばん見境なくセックスするようになって、セックスの話をオープンにするようにもなったんでそういうのの影響もあります。セックス革命については立花隆先生の『アメリカ性革命報告』なんかが時代を感じさせて楽しいです。

「善良な性道徳」みたいなのも問題ですよね。いったいどういうのが善良な性道徳なのかわからん。まあそりゃ強姦とか平気でしてしまう人は道徳的にだめなわけですが、性的に活動的だったりセックスを楽しんでたりエロが好きだったりするのが特に道徳に反しているとは思えないし。セックスとか性欲とかそういう個人的なことに政府権力みたいなのが絡んでくるってのも問題がある気がします。公の感知しないプライベートな領域があるべきだ、って考え方が1950年代ぐらいには一般的になってました。

芸術か猥褻か、みたいなのも問題です。日本の判例でどうなっているのか知りませんが、米国のミラー判決とかでは「芸術的価値がないもの」が猥褻ってことになってるわけですが、芸術的な価値とかってのがどうやって判断されるのかわからない。やっぱりエロは芸術の基本なので、優れた芸術にエロは入り込んでくる。っていうか画集とか見てると、もう優れた芸術家はみんなエロいんではないかと思わされますね。私も画家になればよかった。まあこれは優れた芸術作品だから猥褻じゃないけど、これは下手くそだから猥褻、とか困ります。猥褻だけど芸術なものがあってもいい。

一番大きな問題として、それにそもそもなんで猥褻なものだから規制していいということになるかがさっぱりわからない。たしかに街中にそういう猥褻なものがあったら羞恥心を害されたり不快になったりする人もいるでしょうから困りますが、閉鎖された店からこっそり買ってきて家でこっそり見る分には誰もこまらない、っていうか制作者と本屋さんは本が売れて嬉しいし読者もエッチな楽しみを得ることができる。

だからまあ「猥褻だから規制しよう」ってのはよくわからない考え方ですし、憲法第21条で「表現の自由は保障する」っていってんだから刑法175条みたいなのは違憲なんちゃうか、すくなくともあんまり必要ないもんではないのか、みたいなのが憲法学者たちの主流の意見なんじゃないですかね。つまり、「猥褻」の議論は古いし、ほとんど終わった議論かもしれない。

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性表現と表現規制(3) 猥褻猥褻

ええと、んで猥褻なんですが、どういうわけかエロい表現は国家が規制してもかまわん、とみんな思いこんでた時代があるみたいなんですね。いまもそうかもしれないですけど。とにかくある種の表現はわいせつでいやらしくてけしからんので流通させないようにしよう。ロック先生やミル先生がそういうについてどう考えていたかはしりません。とにかくちょっとエロいのは許しますが、猥褻なのはいかんです。いかんエロい表現、それが猥褻。

まあ文学の話でいけば、19世紀半ば以降の自然主義とかってのが人間の本当の姿を描こう、みたいにしていろいろやばいことを書いたりして。でもまあそんなエロいわけではなく、人間ってこうだよね、みたいな感じで表現を拡張したわけですわね。でもふつうの人間っていろいろエロいことばっかり考えてるから、ふつうの人間を描こうとするとどうしてもエロくなったり、エロいと喜ばれるので芸術家もどんどんエロ描いたり。20世紀ぐらいにはもう露骨にエロを目指すものも多かったし、D. H. ロレンス先生やヘンリー・ミラー先生みたいに「エロこそ人間性」みたいな描き方をする人も出てきたりしてもうたいへんです。なんていうか、20世紀前半は芸術家みたいなキレてる人ががいろんなタイプのエロに挑戦し、半ば以降は中流の人もみんな性の解放を目指した、みたいな感じですかね。もちろん階級がもっと下の人はいろいろしてたでしょうなあ。実際は19世紀末〜20世紀前半の人たちはみんないろんなことしてたんでしょうけどね。

えーと、んで猥褻猥褻。

誤解されやすいんですが、「猥褻」obsceneっていう概念は、たんに「エロい」という意味ではないです。単にエロじゃなくて、プラスアルファがある。それはだいたい不快なものです。

日本だと、「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」が猥褻なもので、こういうものは頒布とか規制しても憲法第21条に反しないってことになってます。おもしろいですね。ふうつの人が見て恥ずかしくならないものは猥褻じゃないし、善良な性的同義観念に合ってればいい。普通の夫婦が「同衾した」ぐらいの文章だったら大丈夫なんでしょうが、善良な人は性器のアップ写真とか見たらなんか羞恥心を害されたり道義観念に反していると思うかもしれませんね。当然のことながら、医学写真とか「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ」ないので猥褻ではないです。

米国だと猥褻ってのは(1)平均的な人が、今日の地域社会の基準を用いて考えた場合、全体的に見て、好色な興味に訴えるものであり、(2)その作品は、当該の州法によって具体的に定義された性的行為を、明白に不快な仕方で、描写あるいは記述しており、(3) その作品は、全体的に見て、重要な文学的、芸術的、政治的、あるいは科学的な価値を欠くものである、みたいな感じです。猥褻は「不快」じゃないとならんのですが、まあなにが深いかってのは平均的な人が判断するってのでよい。

英国だと「当該物件が、それを入手する可能性のある者でその種の不道徳な影響に心を閉ざしてはいないものに対して、これを堕落、腐敗させる傾向を持つもの」とか。

まあ猥褻というのはこういうふうに、とりあえずは性的な関心を喚起するものであって、かつ、不快なものなのですね。そういうのは政府が規制してもかまわんのである、ってのが1970年ごろまでの話。

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性表現と表現規制(2) エロな表現

んでやっと猥褻の話なんですが。猥褻って字は難しいですね。私は書けません。猥褻猥褻。

言論の自由ってのはまあ政治的にはとても重要なので、民主的な先進国の市民ならほとんど誰でもその重要性を認めるわけですが、それでも言論の自由や表現の自由ってのは絶対的なものではないです。前にも書いたように、誰かについて嘘だとわかっていることを言いふらすとか、嘘の宣伝をするとか、誰かを面と向かって侮辱するとか、誰かの私的な生活を暴き立てるとか、暴動やリンチを扇動するとか、不快な話を聞きたくない人々の前で大声で話すとかなんでも自由です、ってなことになると具合が悪いです。そういうわけで日本の法律と判例でも表現の自由は公共の福祉に反しない限りで保護されるとかそういう限定がついているわけです。

ところでこれまで言論の自由と表現の自由を区別しないで使ってきましたが、まあ面倒なのであんまり区別しませんが、言論の自由ってfreedom of speechでやっぱり言語的な表現なわけで、なんからの思想の表現なわけですが、表現の自由でfreedom of expressionで図像とか動画とかはいってもっと複雑ですわね。

んで、18〜19世紀的な言論の自由ってのはやっぱり思想の自由なわけでありまして、あんまり画像のこととか考えられてなかったはずです。実際にあるアイディアを伝えるために絵を印刷するのが難しかったからでしょうね。いまなら本にイラストとかはいっているのはふつうというか、私はマンガ大好きなわけですが、図像を印刷するのはけっこう大変みたいですね。19世紀はじめの新聞とか線画みたいなのか銅版画見たいなのしかなくて、あんまりエロくない。絵画は一品物でカラー印刷とかできないですしね。エロが活躍するのは写真の技術ができてから……あ、まだエロの話じゃなかった。

いやまあエロの話にしますか。まあ表現の自由に関する議論のなかでも、エロ表現に関する規制は非常に面白いですね。人間のかなり多くはエロなことをしたりするだけでなく見たり読んだりするのもすごく好きなので、昔からいろんなエロが制作されているわけです。まあ芸術家も人間なのでエロが好きだし、人々がエロが好きなのでエロい作品を作ったりするのでまああれです。おもしろいことに、政府とかお堅い方々というのはあんまりエロが好きじゃないのですね。どうもエロには風紀を乱す力があるようで、文化が栄えるとエロが栄えて為政者がそれを作る人を処罰する、ってのが繰り返されるわけです。

特にエロい部分をあれしているのがエロいです

これたとえば古代ローマ時代のオウィディウスとかエロい詩を書いてたらアウグストゥス皇帝からローマ追放されたりしている。ギリシアやローマのエロチックな絵画や彫塑がどの程度エロいものとして見られていたかってのはよくわからんですが、少なくともルネッサンスとかのあの美術作品とか文学作品とかってのは当時の人にはとにかくエロくてすばらしかったでしょうなあ。中世のとは全然違いますしね。まあいま読むとボッカチオの『デカメロン』なんてそんなエロい感じはしないですが、それでもまあ当時はかなり赤裸々な感じだったろうし、ボッティチェリの絵とかもエロいですよね。とにかくエロはいい。まあそういうのは禁書になったり。18世紀イギリスでのクレランドの『ファニーヒル』とかいま読んでもエロいかもしれません。あと19世紀後半の匿名筆者による『わが秘密の生涯』とかすばらしい。むかしの富士見ロマン文庫はすばらしいです。

なかなか猥褻にならんですね。

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性表現と表現規制(1)

会田誠先生の森美術館というところでの展覧会に、ポルノ被害と性暴力を考える会(http://paps-jp.org/ 以下「考える会」)という団体が抗議をしたのをきっかけに、ネット界隈では芸術と表現の自由とかについての議論が盛んになっているようです。まあ性表現と表現の自由の問題は愛好者も多いし、もしかしたら深刻な問題を含んでいるかもしれないので興味深いですね。

私自身は「芸術」みたいなもの全般はとにかく、造形美術の方はまったくダメというかよくわかんなくて、造形美術とかについて語る資格はまったくないし、芸術一般というくくりを超えてはそんな興味があるわけでもない。造形とかで興味があるのはアートではなくむしろずばりエロ。でもまあ性表現と表現の自由の問題はセックス哲学の問題として興味深いし、本物の問題があるように思っていますので少しずつ書いてみたいと思います。

「考える会」の抗議に対しては森美術館と会田先生本人から声明が出ていて、そのなかで会田先生は

僕の作品群の中には、性的なテーマとは限りませんが、人によってショッキングと受け取られる表現があると思います。そういう場合、僕は必ず、芸術における屈折表現――僕はそれをアイロニーと呼んでいますが――として使用しています(あるいは、僕個人はこの言葉をあまり使いませんが、『批評的に使用しています』と言い直してもいいのかもしれません)。けして単線的に、性的嗜好の満足、あるいは悪意の発露などを目的とすることはありません。また「万人に愛されること」「人を不快な気分にさせないこと」という制限を芸術に課してはいけないとも考えています。発表する場所や方法は法律に則ります。 http://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto_main/message.html

てなことを言ってる。

ちょっと前にツイッターで、この「発表する場所や方法は法律に則ります」について、芸術家がそうした宣言をすることは危険だという趣旨のつぶやきがリツイートされて流れていました。その一人にお話を聞いてみると、そうした宣言は刑法175条のわいせつ物頒布罪という悪法を承認することであり、国家権力が表現に介入することを是認することであって、また会田先生という有力な芸術家がそうした宣言を行うことによって他の芸術家や表現者たちが萎縮してしまう(萎縮効果)という危険がある、ということのようでした。(誤解があるかもしれません)

しかし私の理解では上の会田先生の宣言をそう読むのはあまりよい解釈じゃない気がしたんですね。それを説明するには、まずは考える会の主張をちゃんと理解してあげる必要があるように思います。

考える会や、おそらくこの団体と近い関係にあるポルノ・買春問題研究会 http://www.app-jp.org/ の背景になっている理論はそれなりにおもしろいんですよね。基本的には1980年代にキャサリン・マッキノンやアンドレア・ドウォーキンといったラジカルフェミニストたちが生み出した物の見方。これらの人々は、ある種の性的な表現「わいせつ」だから規制するべきだってんではなくて、ある種の性表現はそれ自体が性暴力や性差別や性虐待であり、またそうした暴力や差別を生み出す社会を生み出している原動力だから規制するべきだ、ってな議論をしているわけです。とりあえず古臭い「猥褻」は直接には関係ないんですわ。

まあ長くなるんですこしずついきます。

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ストラヴィンスキー先生は全身音楽家

ストラヴィンスキーの音楽っていうのは本当に多彩で何回聞いてもよいものです。この人は演奏家に勝手に色付けされるのがイヤだとかっていって自分で作品のほとんどを録音しているんですが、それのリハーサル模様もyoutubeにはありますね。

こう、全身音楽家だっていうのがわかる。指揮の様子はただ棒振ってるだけだけど、指示出してる時の声の出し方とかもう音楽的でねえ。

この「コンプリート・ストラヴィンスキー22枚組」っていうのは安いしお勧めです。

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無調音楽入門(16) フリージャズとの関係

んでまあここらへんまで来るともうジャズのフリーインプロビゼーションとかと変わらんところにあるわけですなあ。

セシルテイラー先生とかまあもう完全に1950年代の現代音楽の音だし。

現代音楽より肉体的で素敵ですよね。コルトレーン先生の系統のフリージャズってのはなんかとにかく吹きまくって力で押す、みたいなところがあるですが、セシルテイラー先生の系統のはもっとなんか知的に構成されてる感じ。
ジャズ喫茶で働いてたときはテイラーのソロピアノってのがなぜか人気盤でしたね。私も好きでした。
セシル・テイラー
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テイラー先生が50年代おわりぐらいにこういうの演奏してたら、デイブ・ブルーベック先生がやってきて、「ああ、君の演奏コンセプトはこういうことだろう〜」みたいに言ってきて、それがずばりだったのでテイラー先生が驚いた、とかって話があります。何をしゃべったかってことまではわかんないんですが、まあブーレーズやらシュトックハウゼンやらクセナキスやら、誰それの現代音楽のコンセプトをあれしてるんだろう、みたいな感じだったんじゃないですかね。

キースジャレット先生とかのフリーの独自魅力がある。

あとチックコリア先生なんかもフリーにやってたりもする。

まあ60〜70年代のジャズの一つの音ですわね。

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無調音楽入門(15) 吉松隆先生のニューロマン主義

まあ現代音楽はもうほんとうになんでもありなわけですが、吉松隆先生の「朱鷺によせる哀歌」(1981)とか名曲だと思いますね。「もう無調は古いぜ、調性の時代だぜ」みたいな。

現代音楽のマンガっていうと巨匠さそうあきら先生の『ミュジコフィリア』がまんま現代音楽作家・演奏家たちの世界を描いてますね。舞台が京都であちこち知った場所が出てくる。

さそう あきら
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いまんとこさそう先生の作品としてはもうひとつもりあがってない気はしますが、きっと大展開してくれるでしょう。

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無調音楽入門(14) まああとはなんでもあり

まあケージ以降はもうなんでもありっすな。

五線譜に書かないで図形見せて「これで適当に弾け」とか、断片だけ並べて「目にとまった順に弾け」とかもう滅茶苦茶。現代音楽とかやっぱりケージあたりで終ってる、というかはじまってる、というか、もうみんなアイディア勝負だし耳の勝負。ただうるさいだけのやつもあれば、なんか素敵な音が鳴ったり奇妙な手触りがしたりするものもある。まあどれもメロディーっていうか音の並びをおぼえたりするのは難しいけどねえ。

実際にはけっきょくどう聞こえるか、ってのが勝負なんで、裏でどういうこと考えてるのかはわからないし聞いてる方にはどうでもいいことですなあ。

日本人作曲家のもいくつかあれしますかね。

武満先生のギター音楽はいいですよね。ベルクみたいなロマンチックなものも感じるし、メシアンやブーレーズの響きもする。武満先生は文章もうまいので人気ありましたね。正直なところ、私が現代音楽とか聞きはじめたのは武満先生の文章のせいです。

近藤譲先生好きなんですが、このひとはもうなにも考えずに五線譜に音置いてくって主張してます。ほんとかどうかはわからん。NHK FMで「現代の音楽」っていう番組やってて、それでエアチャックした「時の形」っていう曲が好きでねえ。一昨年ぐらいにライブ録音したとかって情報が流れてたけど、CD出ないのかな。

もう一人、八村義夫先生っていう人紹介しますか。この「錯乱の論理」って曲はすごい名曲だと思うんすけどね。ヒステリー体質の女性(ピアノ)が錯乱してる感じ。

まあもっといろいろあるけど、入門編はこういうのでおしまいっすね。私は中級の下ぐらいで上級の人がなにを考えて音楽聞いてるのかはよくわからんです。

あとまあバルトークの方向性を追求してみたルストワフスキ先生とかベリオ先生とか、ペンデレツキだクセナキスだとまあいろんな方がいらっしゃいますが、そういうのは本でも読みつつ楽しんでください。youtubeはたいていの人のが手にはいってすばらしいですね。PCのスピーカーで鳴らしてももうひとつですがヘッドホンならなんとか聞けますからハブファンしてください。

福田進一
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音、沈黙と測りあえるほどに

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無調音楽入門(13) でもそれじゃでたらめやっても同じじゃないですか

しかしこうなってくるとあれですわね。リスナーにはどうやって曲つくってんのかわかるわけもないわけだし、ちゃんとした構造みたいなものはもう聞こえなくなってる。サウンドがすべて、というか。

んじゃ、わざわざ音並べてセリーだなんて言わなくてもいいじゃん、ていう発想が出てきますなあ。

現代音楽といえばジョン・ケージ、ケージといえば現代音楽な先生は、「もうそういうのやめてサイコロ振って音置いてっても同じじゃん」と言ったのか言わないのか。

とりあえずこんな音楽を作ってみる。中国の易を利用して偶然性を導入したのじゃ、あらかじめ音の高さ、長さなどを設定しておいて、それをサイコロで決定したのじゃ、みたいな。

まあしかしですね、ケージ先生がこの曲を本当にサイコロ振って作ったのかどうかは疑わしいんじゃないですかね。思ったように鳴らないと「あ、いまのサイコロなし。こんどが本当のサイコロだし」とかやってたんじゃないかと思いますわ。

ケージ先生はこういうやる前にすでにプリペアドピアノで有名になってて、まあピアノの内部に消しゴムやピンつめたりして打楽器にしちゃって鳴らす。インドネシアのガムランとかの影響だとか。けっこういいです。

ガムラン(gamelan)はドビュッシーなんかもすごく気にいったっていう話だけどたとえばこんな音。

ケージ先生は他にもいい曲がたくさんある。4:33とかのアイディア一発の人ではないです。ちゃんとした耳をもった音楽家。

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無調音楽入門(12) ブーレーズ先生とかのセリー音楽

指揮者として超有名なブーレーズ先生ですが、この人もともとはキレキレの作曲家だったわけっす。メシアン先生とかとつきあいがあったりして。評論家でもあって、「シェーンベルクは死んだ、これからはウェーベルンの時代だ」みたいなのを1951年ごろに論文書いて大ウケしたりして。

メシアン先生は音の高さ(音階)に加え、音の長さや音の強さも並べてそっから音をチョイスするっていう方法を考えだした。でもメシアン先生がそのなかのどの音を選ぶかっていうのは、まあよくわからんというかメシアン先生のセンス。

でもこれでもヌルい、と。シェーンベルク〜ウェーベルンたちの12音技法ってのは音の「順番」を決めて、それを前から鳴らしたり後ろから鳴らしたりひっくりかえしたりしてた。んじゃ、これとメシアン先生のやりかたをミックスしたらどうだろう。あらかじめ音の高さ(音階)だけじゃなくて強さや長さも順番決めた列(セリー)にしておいて、それを操作して曲作ったらかっこいいんちゃうか、と。

まあそんなん聞いてる方にはなんだかわからんですけどね。私も特に好きじゃないです。

でもこのやり方で名曲ができるんですな。「ルマルトーサンメートル」「主なき槌」ですか。どういう詩なのかは知らんです。

どこが名曲なんですかっ!って聞かれるとうまく答えられないけど、なんか独特のヒリヒリする感じがかっこいい。楽器の選択とかね。女性ボーカルなんかも入っていて、シェーンベルク先生の「ピエロ」を40年後にやってみた、感じなんですかね。

この技法でシュトックハウゼン先生なんかも有名になるんですが、私この先生のは好きな曲ないから飛ばします。ははは。

Le Marteau San Maitre

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P. Boulez
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無調音楽入門(11) メシアン先生の実験

メシアン先生というのはなんとというかへんな方で、ドビュッシーとかラヴェルとかストラヴィンスキーとかの系列なんでしょがなにやってるのかわかならない、みたいな。

ドレミファソラシドじゃない並びを勝手に作って、それにしたがって曲つくってたりしたいたいですね。サティーやドビュッシーやラベルはドレミファだとどうしてもドイツ音楽っぽくなっちゃうから、ミファソラシドレミでスペイン音楽っぽくしてみたり。ドビュッシーは前に書いた「前奏曲集」のVoilesでは人工的なC D E Gb Ab Bbなんて並びの音階で曲作ってみたりしたわけです。こんな人工的な音階でも音楽になるのであれば、もっと人工的にしてもかまわんのではないか、というのがアイディアらしいです。

戦争でドイツ軍につかまって収容所で書いたっていう「世の終りのための四重奏」は名曲っすね。8曲からなる組曲だけど、一番印象が強いのはこの第6曲かなあ。ユニゾンで延々へんな音階を鳴らす。どうもなんか天使がラッパ吹いたりしているのかもしれんです。

あとリズムがおかしくて、これもなんていうか前から弾いても後ろから弾いても同じリズムだよ、みたいなので構成してたりするらしいっす。ベートーベンとかロマン派の音楽ってのは基本的に「こうするとよい音が鳴る」っていう経験則みたいなののかたまりが理論になってんですが、ドビュッシー〜ウェーベルンのあたりから、音楽ってのはもう勝手に「理論」というか音の規則を作って、それを鳴らしてみる形になっていくわけです。もちろん作曲家の「耳」がさらに重要になるわけなんだけど。

ここらへんの曲はもうベートーベンやワーグナーみたいな調性の感じはなくなってますが、音の並びがある程度限定されているので聞きやすいですね。名曲。

好きなのは第5曲とか第8曲の映画音楽みたいなのとか、第3曲のクラリネット無伴奏ソロとか。まあ聞いてみてください。TASHIっていう音楽集団のやつがいいです。

んで、このメシアン先生が戦後に「音の高さを並べてそっから曲を作っているのであれば、音の長さとか強さとかも決めて並べてしまえばよいのではないか」とか言いだして作ってみたのがこの「音価と強度のモード」。音階の一つの音は必ずこの長さ(8分音符だとか付点2分音符だとか)でこの強さ(フォルテだとかピアノだとか)を決めておいて、その並びから音をチョイスして作ったらしい。

ウェーベルンのあの無機的な感じに近い音楽ができてる。あれよりもさらに無機的というか、不思議な美しさがありますね。このころになると、無調だとか12音だとかっていう響きにみんな慣れちゃってたんでしょうな。調性のあのひっぱられる感じは感じられない。

Quartet for the End of Time

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