なんか一日「不倫はなんで悪いか」みたいな論文読んで終ってしまいました。
これは「セックスの哲学」の流れのなかではけっこう議論の蓄積がある問題で、Richard Wasserstrom先生の”Is Adultery Immoral?” (1975)って論文が議論のはじまり。ワッサーストローム先生はセックス哲学以外にもいろんな応用倫理学的な問題で重要論文書いていて、この手の議論のパイオニアです。
W先生が言うには、不倫というか婚外セックスはいかんということになってるけど、「いかんからいかん」ではだめでちゃんとした理由を提出しなきゃならなん、なぜ婚外セックスが不道徳なのかを考えようぜ、ってな感じ。婚外セックスが不道徳なのはセックス自体が不道徳なんじゃなくて、裏切りや欺瞞や騙しがともなうからだめなんだろう、ってな感じ。だから婚外セックスするにしても、配偶者に対して嘘や騙しをしなきゃいいんじゃないか、みたいな議論をします。当時っていうかそのちょっと前から「オープンマリッジ」とかはやってたんですね。サルトルとボーヴォワールの関係が有名ですが、バートランド・ラッセル先生ぐらいから歴史がある。とにかく浮気とか隠さないで「今日は〜とやってきたよ」みたいなのをお互いに報告したりする結婚・カップル関係。それなら婚外セックスはぜんぜん悪くないんではないか、みたいな。時代を感じますね。まあここらへんから議論がはじまる。
これに噛み付いたのがMichael Wreen先生の”What’s Really Wrong with Adultery”って論文で、「結婚」という概念には性的に排他的であることが含まれておるのじゃ、みたいな。「結婚とは性的能力の排他的使用を認めあう契約である」みたいなカント先生が好きなんですね。婚外セックスしたらもう「結婚」の概念がなりたたたなくなるからだめです、みたいな。カント先生とかヒューム先生とか貞操についておもしろい話をしているのでそのうち紹介したいです。
んでまあ現代に戻ると、Mike Martin先生ってのはそこらへん見て、いやカント的な「嘘はいかん」とかだめだろう、と。
フェミニストっぽいBonnie Steinbock先生は”Adultery”で、結婚における貞操みたいなのは実際には人々はそんなに実現してないにしても理想として意味があるんだわ、みたいな。
Mike Martin先生の”Adultery and Fidelity”で、婚外セックスはやっぱり一応悪いことなんだけど、自尊心を高めるためだったら許される場合もあるんちゃうか、みたいなことを書いて顰蹙買ったりしてるみたい。
中絶反対論文で有名なDon Marquis先生も重要な貢献をしています。結婚は契約であって、たいていの結婚はそれぞれがより幸せになるためにおこなう結婚だ、と。結婚でもとめるものには愛情とか性的満足とかがはいってて、そういうのが充足されない結婚だったら婚外セックスとかも(いくつか条件あるけど)しょうがないんちゃうか、みたいな。
私が注目してるのはRaja Halwani先生の”Virtue Ethics and Adultery”で、この人はカントみたいな義務だの契約だのの話や、軽薄な効用計算する功利主義みたいなんじゃなくて、徳倫理学で不倫の問題を考えよう、みたいな話をする。やっぱりこういう問題を考えるときは契約や効用云々ではなく、人間の生活のなかで愛とか結婚とかがどういう意味をもってるか、とか、有徳な人はどう行動するかを考えるのがよいのだ、みたいな。
まあおもしろいかっていうと全体としてはそれほどおもしろくはないような気がします。なんかぜんたいに常識的なラインにおさまっちゃうことが多いみたいで。でもまあセックスの哲学というのはそういうのももちろんやっております。
国内でこういう問題についてどういう議論がおこなわれているか調査してるんですが、なんかおもわしいのがないですね。倫理学の人々が議論してないのはしょうがないのですが、フェミニストたちもほとんど議論してない感じ。これは「あんまりない、ほとんどない」ってことが考察するべき問題であるような気はしています。
まあここらへんも議論を紹介するとそれなりに有益なのかなあ、みたいな。でも正直なところ、婚外セックスについての(進化)心理学や社会学その他の実証的な研究入れないと今の私にはそんなおもしろくないなあ。「どうあるべきか」ってよりまずは「みんなどうしてるんだろう?」ってのが知りたいですよね。
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