- 作者: 安藤馨
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2007/05/30
- メディア: 単行本
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さて、困ってきました。焦る。
- p.123第1パラ最後の方の「我々の態度や関心に依存せず、我々を動機づける力をもつ個人的な非道徳的価値」の「個人的な」はこれでいいのかな。「非個人的」ではないのかな。・・・下の注でも「客観説多くは非道徳的個人的価値としての福利を論じ~」となってるからこれでいいのか。「個人的」は「個人の福利としての」とかって意味だな。社会的価値とかと区別される意味での価値か。もしかしたら章によって用語法がちょっとぶれてるかもしれない。
- p.124 第2パラ「何かを訪ねるなら」。これはさすがにタイポだろう。この本は第1刷なのにほとんど誤植を発見できない*1が、やっと1個発見。
- 安藤の欲求。「未だ達成されざる対象に向けての未来志向的な肯定的態度」p.135。シジウィックとの違いに注意。微妙だけど「欲求の対象は基本的にはある種の命題やその相当物であると考えてよいだろう。」そうなんだろうなあ。「私は水が欲しい」は「私は私が水を飲むことを欲求する」なわけだ。
- やっぱり態度的快楽気になる。わからん。5.2.4。安藤先生によれば、態度的快楽説は感覚的快楽説を適切に説明できる。ある感覚的快楽について、われわれが間違うことはありえない。私がある感覚的快楽を抱いている場合、私がその感覚をいだいているということについて私は態度的快楽をもっている(この場合はさらに世界でその事態が実際に成立しているので歓楽でもある)。ううむ。
- 態度的快楽説とパーフィットの選好快楽説はそんなに違ったものかな?注の41はポイントよくわからない*2。
- 態度的快楽説とシジウィックの快楽説の違いも結局よくわからなかった。よくわかるようになるとも思えん。本人に質問しよう。
- それにしても1970年代以降の哲学の専門家・精密化ってのはとんでもないよな。ついていけません。 ついて行こうと努力する気にも実はあんまりなれない。
*1:自分でTeXで組版したとかって話なのに。それだけでもすげーよな。哲学者にしてTeXnician。
*2:まあ私は安藤先生の本のほとんどわかってないかもしれないのだが。
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