月別アーカイブ: 2007年1月

なるほど

さらにいろいろ教えてもらう。

  • シューモン先生の論文はもっと真面目に共感的に読む必要がある。
  • シューモン先生は臓器移植反対派ではない。2004年の論文ではむしろDead Donor Ruleを考えなおす方向に進んでいるようだ。要チェック。
  • 4歳で「脳死」になり21年行きた T.K. は脊髄反射以外は何の反応もなかったということだ。Repertinger, S., Fitzgibbons, WP, Omojola MF, Brumback RA, “Long Survival Following Bacterial Meningitis-Associated Brain Destruction,” J Child Neurol 2006; 21: 591-595)という論文に詳しい症例があるらしい。

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シューモン先生の「水頭無能児」論文

アラン・シューモン先生の「水頭無能児」の論文はPDFで手に入るということを教えてもらった。

“Consciousness in congenitally decorticate children: developmental vegetative state as self-fulfilling prophecy”. Dev Med Child Neurol. 1999 Jun;41(6):364-74. http://journals.cambridge.org/article_S0012162299000821

インフォーマントによれば、水頭無脳症とは

水無脳症というようです(hydranencephaly)。原因・病態の点では医学的に水頭症とも無脳症とも異なり、大脳の部分に穴があいていて水がつまっているようです。大脳の「ほとんど」がないようですが、薄い層やわずかな皮質組織ぐらいは残っていることもあるようです。

ということらしい。とりあえず脳死状態でも無脳症でもない。

If these children had been kept in institutions or treated at home as ‘vegetables’, there can be little doubt that they would have turned out exactly as predicted. What surely made all the difference was that their parents ignored the prognoses and advice, and instead followed their instinct to shower the children with loving stimulation and affection. Such children and their families have much to teach about not only the neurophysiology of consciousness.

シューモンの原論文 (“Chronic Brain Death”)も高く評価されているとのこと。ちなみにNeurology誌のインパクトファクターは4.947、超一流の6には届かないがかなり信頼のおける雑誌ということだ。インパクトファクター3以下は信頼できないとか言われてしまうらしい。へえ、理系の雑誌ってたいへんだ。まあ日本の哲学の雑誌や出版社の信頼性とか考えはじめるとよくわからんようになってしまうから考えないようにしよう。

いろいろ感謝感謝。

インパクトファクターって本当はなんだろう、とか。
http://en.wikipedia.org/wiki/Impact_factor

http://scientific.thomson.com/free/essays/journalcitationreports/impactfactor/
へえ、なるほど。勉強になりました。

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まだまだ小松美彦先生の『脳死・臓器移植の本当の話』(4)

ISBN:4569626157

Alan Shewmon先生のもとの論文とかNeurologyに掲載された批判とか入手してみた。シューモン先生の論文は、新聞記事とかまでメタ分析のソースにしていてあやうい。

前節のようなシューモンの衝撃的な論文を掲載したNeurology誌は、翌99年の10月号で小特集を組み、4組の第一線の医学者による反批判と、シューモンによる再批判を掲載した。(p.116)

正確にはこれらのシューモン批判は”To the editor:”ではじまるcorrespondence。統計的手法についてかなり厳しく批判されている。特に、4組のなかでもEelco Wijdicks/ James L. Bernat先生たちによるものはかなり調査に力を入れていて説得的な批判になってる。

特に小松先生の本を読んで強い印象を受けるであろう脳死のまま14年以上心臓が動きつづけている男子(症例”T.K.”)について、Wijdicks先生たちは

Even the macabre case of child “T.K.” seems suspect, with no full BD assessment (no apnea test) and the presence of septations on MRI. Septations suggest tissue organization, and tissue organization requires intracranial blood flow. MR angiography may not be as sensitive or specific as conventional cerebral angiography.

とおっしゃっている。後の方がわかりにくいと思うが、これはMRIで見たらこの子の脳はばらばらっていうか分裂(septations)しているように見えたとシューモンは原論文で言うわけだが、MRIで組織が組織として見えるためには組織としてなりたってなきゃだめで、組織の形を維持しているためには血流の存在が前提で、だからまだ脳に血流あるんじゃないの、というわけだ(ここらへん私詳しくないのでまちがってるかもしれん)。つまりこのケースはいんちきかもしれない「脳死判定」を受けただけで、ふつうの意味での脳死かどうかわからんようだ。

シューモン先生はanswer (小松先生のいうところの「再批判」)で

I share Wijdicks’ and Bernat’s concern for diagnostic accuracy. Where we seem to differ is in the evidentiary standard that should obtain for such a study. They seem unwilling to consider a case unless every detail be handed to them, including final pCO2 of the apnea test. Either we take what information we can get and try to learn from it what we can, or we continue to actively ignore a very interesting and conceptually important phenomenon.

(意訳)私も、WijdickとBernatたちと同様に診断の正確さについては懸念している。彼らと私の意見が違っているのは、このような研究においてどの程度の証拠が入手されるべきかという基準である。彼らは、無呼吸検査での炭酸ガス分圧まで含めて、あらゆる詳細なデータまで入手できなければ、そのケースを考察したくないと考えているようだ。とにかく手に入れられる情報を集めてそこから学べるだけのものを学ぼうとするか、あるいは、非常に興味深く概念的に重要な現象をあえて無視しつづけるのか。

とそこらへんを認めてなんか情けないことを書いてるように見える。苦しい。興味深い題材だからこそ、ちゃんとした証拠が欲しいやんねえ。

小松先生は、シューモンがそのあとで書いた”The Brain and Somatic Integration”論文で「それは論敵を完膚なきまでに打ちのめした決定的な批判といえよう」と言ってるが、そりゃどうかな。それに小松先生の記述からは誤解しやすいと思うけど、ここでのシューモン先生の「論敵」っていうのは「有機的統合説」論者で、「脳死」論者全体じゃないからね。まして、Neurology誌で編集者に批判の手紙を出した4人のことではない。ここ小松先生の記述はミスリーディングだと思う。(意図的ではないことを望む)

まあ脳死についての「有機的統合」説がだめなのはその通りだしその点ではShewmon先生にも小松先生にも文句はないんだけどね。

かくして、シューモンはこう結論する。

脳の統合機能は健康の維持や精神活動には重要ではあっても、全体としての有機体に必須なものでもそれを創り出すものでもない。身体の統合性はどこか単一の中枢器官に局在するものではなく、すべての部分の相互作用による全体的な現象である。通常の条件下ではこの相互作用への脳の緊密な関与は重要ではあるが、それは有機的統合体の必須条件ではない。たしかに、脳が機能しなければ身体の状態は非常に悪化してその能力は衰えるが、死ぬわけではない。[・・・]要は、脳死を死とする生理学的根拠は、生理学的見地からすればまったく薄弱だということだ。(pp. 473-474)

ISBN:4569626157 (pp.124-5)

これはShewmon先生の”The Brain an Somatic Integration”という論文の結論conclusionのほぼ全訳になっているのだが、小松先生が中略したところに何が書いてあるのかというと、私の訳だとこうなる。

それゆえ、もし脳死が死と同一視されるべきであるとしたら、それは本質的に非・身体的non-somatic、非・生物学的non-biologicalな死の概念にもとづかなければならない(たとえば意識をもつ能力の不可逆的な喪失にもとづく人格性の喪失)ということである。これについて議論するのはこの論文の範囲を超えている。

If BD is to be equated with death, therefore, it must be on the basis of an essentially non-somatic, non-biological concept of death (e.g., loss of personhood on the basis of irreversible loss of capacity for consciousness), discussion of which is beyond the present scope.

なんでこんな重要なところを略すかなあ。シューモン先生は有機的統合体説がだめだといっているのであって、脳死の概念がだめだと言っているわけではない。これも意図的ではないといいな。

あとちょっと細かいけど「脳の統合機能は健康の維持や精神活動には重要ではあっても、全体としての有機体に必須なものでもそれを創り出すものでもない。」 “The integrative functions of the brain, important as they are for health and mental activity, are not strictly necessary for, much less constitute, the life of the organism as a whole.” は「全体としての有機体の厳密には必須ではなく、いわんやそれを構成constituteするものではない。」

もうひとつ「たしかに、脳が機能しなければ身体の状態は非常に悪化してその能力は衰えるが、死ぬわけではない。」の部分は正確には「・・・は衰えるが、死んではいない」って感じ。”the body without brain function is surely very sick and disabled, but not dead.”

最後のところは、”The point is simply that the orthodox, physiological rationale for BD is precisely physiologically untenable.” 「要は、オーソドックスな生理学にもとづく脳死の根拠は、まさに 生理学的に支持できないということだ。」*1

シューモン先生の論文が専門家集団でどの程度認められているかも知りたいのだが、ちょっと私の能力では無理。引用された数とかインパクトファクターとかは、やっぱり専門の人じゃないとわからん。Neurologyは権威ある専門医学誌の一つなんじゃないかと思うが、Journal of Medicine and Philosophyがどの程度のランクなのかは私にはちょっとわからん。無念。

まあ「本当の話」とかタイトルについているような本は、特にそのまま「本当の話」と思ってはいかんような気がする。日常生活だって、「これは本当の話なんだけど」と最初についたら疑うもんな。

気になっている音楽聞いたり笑ったりする「水頭無脳児」のケースについては調査中。数日後に結果が出ることになりそう。

*1:あとで気づいたけど、この小松先生の訳文はかなり問題がある。あたかもシューモンが生理学者として脳死の概念すべてを否定しているかのように読めてしまう。シューモンが否定しているのは、脳死の「オーソドックスな生理学的な根拠」。「オーソドックスな」を訳出しないことで、別の印象が生まれてしまう。これも意図的でないと言えるのかどうか怪しくなってきた。

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ウィトゲンシュタイン問題

正月は時間があるので、哲学のことを考えたりもした。

国内でもウィトゲンシュタイン[1]ヴィトゲンシュタイン(前期も後期も)が好きな人ってのは私のような哲学ファン[2]私は哲学ファンだがウィトゲンシュタインファンではなかった。のなかでも多いようだが、『論理哲学論考』を読んだ人のなかに、一番最初の

1 世界は事実の総体である。 (訳によっては「世界は事態の総体である」「世界は成りたっていることがらの総体である」とかのはず)

っていう命題について、これをぱっと見て他の選択肢がどういうのがあるのかを理解しているひとはどれくらいの割合なのだろうか(つまり、これとは違う考え方にどんなのがあるか、もっと簡単に書くと、「世界は~の総体である」の~に他になにが入りうるか。それを即座に思いつくか。そして他の候補を出している典型的な哲学者はそれぞれ誰か。)。 実は私も元日まで理解していなかった[3]「おまえはそんなこともわからなかったのか」と責めないでください。「腑に落ちる形で」ってことで勘弁。

勉強不足で、この点について解説もまともなもの読んだことない。っていうか読んでも理解できてなかったのだろう。正直なにがポイントなのかさっぱりわかってなかったようだ。もう正月休みが終りで調査できないけど、いずれ日本語web上の最善の解説を探してみたい。(あらかじめ、おそらく三浦俊彦先生の本読んだ人が一番的確なことを書いているのではないかと予想する。)いや、私が勉強不足なだけだろう。おそらく優秀な20%ぐらいはすぐに答えがでるのだろう(ほんとにもっと高い?50%ぐらい?70%はいないだろう。)。また、この1と人気の「6 語りえないにことついては沈黙しなければならない」の関係がどうなっているか説明できるひとはどれくらいいるんだろう。それにしても哲学ってなんだろうな。趣味として楽しむには敷居が高すぎる。そして私は信じられないほどの超スロウラーナー。ほんとにもっと丈夫な頭と疑う体力が欲しかったなあ。

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References

References
1ヴィトゲンシュタイン
2私は哲学ファンだがウィトゲンシュタインファンではなかった。
3「おまえはそんなこともわからなかったのか」と責めないでください。「腑に落ちる形で」ってことで勘弁。

養老先生と毎日新聞はだいじょうぶか

毎日新聞はいろいろやってくれる。今日の16面。宮脇昭先生と養老孟司先生の対談。
(養老先生にはまったく興味ないけど、毎日新聞の編集方針や社員教育には俄然興味がある。)
全体にひどいが、さすがにこれはどうかという部分。

養老さん:大阪教育大付属小学校では、容疑者は8人を殺した。
驚いたのは、容疑者が警官に囲まれて出てきたでしょ。昔だったら、
あんなことをしたら先生方から2階の窓から落とされてましたよ。先生方が
預っている子供と自分の子供と同じと見ていないということです。8人も殺されたという感情的
な反応がないんですよ。

  • そのひともう容疑者じゃないし。「犯人」にしてください。ちゃんと国家で殺しました(と報道されてます)。
  • 教師はリンチするべきだったということか。
  • 親は自分の子供を殺されたらリンチしても当然か。
  • 子供を殺された親は容疑者が警察に囲まれて出ることを許さないのか。
  • 「昔だったら」はいつのことか。それは本当か。
  • 教師は教えている子供と自分の子供を同じと見るべきのか。それは可能か。
  • 養老先生はそれだけで人の感情的な反応を読むことができるのか。
  • いまだにこういう形であの先生たちを責めるというのがどういうことかわかっているのか。養老先生はともかく、毎日新聞はどう考えているのか。
  • たしかに「疑問をもつことには体力がいるんです。頭が丈夫でなければいけない。丈夫な頭こそ大事です。」(17面)これだけは認める。
  • でも養老先生は、あんまり頭が丈夫でないひとや、頭が丈夫でなくなったひとはどうすればいいかも頭が丈夫なうちに考えた方がよいと思う。正直わたしはそっちの方が興味がある。

養老先生が悪いのか、毎日新聞が悪いのか。年末進行でいろいろたいへんだったのか。
新聞記事っていうのは発行されるまでどの程度の人数の目が通っているのかな。興味がある。

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