もう歯が立たないのであきらめつつあるのだが。
こんな表紙でそんな重要だとは思わんよな。(Frans Hals, Three Children with a Goat Cart) どういう寓意があるのだろう。
この人か。ハーレー・ダビッドソンに乗り趣味に木工する男。ふーむ、けっこうな年だね。1968にPh.Dとってるから、1940年代生まれだよな。知らないでいたのはモグリ倫理学教員と呼ばれそうだな。どうもこの本ではシジウィックもパーフィットも2回ずつしか索引にあがってない。うーむ、それがアメリカ。・・・いや、さすがにそんなことはないわな。重要なところだけ索引に入れてるだけだ。
Feldmanが言うところのWhole Life Satisfaction説を捨てるってのは、なんというかあれすぎるよなあ。それに耐えられる人がいるのかなあ。
Happiness ~ is a warm gun, yes it is~ (やけになってる)あれ、iTunesにはいってないわ。いや、そもそもWhite Album CDでは持ってないのか。まあいらんけど。
- ぱらぱらめくってみると、この本はたしかにいろいろ興味深い。Shape of a Life Objection (リア王の人生は、最初の50年がいくら幸福でも悲劇的でだめな人生だ)の裏には(道徳的というよりは)美的な直観があるんちゃうかとか。ありそう。
- 実存的には、単純な快楽説やパーフィットのPは、とても若いとき(18~25才)と、歳とってから(60才以降)のどちらかで採用するべきだ、とかって直観はどうなのかな。なんかありそう。私の年代は特に採用できない。まあ倫理学は倫理的実践とは関係ないらしいから。まあそれもCPにしたがうなら説明できるか。部分的に自己消去的な理論。
- いや、人生はアップヒルであるべきだ。やっぱり『紀ノ川』でもそうじゃん。
- 安藤先生の態度的快楽説は規範的な理論なのか説明的な理論なのか。ここが微妙なんだよな。これは安藤先生の本全体と難しい関係がある。Feldmanの場合は説明的な理論に傾いているみたい。快楽説が整合的であるには態度的快楽説のバラエティその他の選択肢がある、とかそういう感じか。わからんけど。
- なんでアップヒルであるべきだと思うんだろうな。
「歳とるにつれていろいろと経験をつんで成長して、なにが本当によいかがわかるようになっているはずだ」ってのもありそうな気がするな。あ、でもこれミルも気になってる話だよな(「発展とか言うけど、歳とってだめになるひともいるじゃん」反論)。 - あれ、これは中年になると人々に説教したくなるのとなんか関係があるぞ。
- FeldmanのfavoriteのIAH (Intrinsic Attitudinal Hedonism)
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- i. Every episode of intrinsic attitudinal pleasure is intrinsically good; every episode of intrinsic attitudinal pain is intrinsically bad.
- The intrinsic value of an episode of intrinsic attitudinal pleasure is equal to the amount of pleasure contained in that episode; the intrinsic value of an episode of intrinsic attitudinal pain is equal to –
- The intrinsic value of a life is equal to the sum of the intrinsic values of the minimal episodes of intrinsic attitudinal pleasure and pain contained in the life.
- (p. 129から)
“episode”がはいっているのがちょっとしたミソのようだ。人生を極小エピソードで輪切りに。許せん!人生は尾頭つきの魚であってカマボコやチクワではない!とか。無理か。レトリックじゃだめですかそうですか。
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