月別アーカイブ: 2018年12月

学術論文における言及とクレジット (2) 河野有理先生のエントリーへの疑問

んで、このクレジットの問題を考える上でのとっかかりになった笹倉秀夫先生の書評と、それに対するネット民(ネット人士?)、そして専門家の河野有理先生の「初期消火」論説についてやっぱりどうしても触れないとならない。このシリーズの予定では、この問題に直接関係はない、って書いたんですが、やっぱりどうしても触れないわけにはいかないですよね。正直、私は河野先生の文章がよくわからない。 続きを読む

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学術論文における言及とクレジット (1) 迷ったら参照せよ

ちょっとだけクレジットの問題ついて書いておきたいことがあるのです。最近ツイッタでちょっと怒られが発生したようようなんで[1] … Continue reading、その件と関係してはいるけど、その件自体には直接は関係しない[2] … Continue reading。学問の世界での引用や参照、クレジットや「剽窃」の問題には前から興味があるので、ちょっと思うところだらだら書いてみたいと思っています。

学生様にレポートや卒論を書いてもらうとき、やっぱりコピペや剽窃といったクレジットの問題については頭を悩まさざるをえない。自分で論文やブログ記事を書くときはさすがにコピペはしないものの、やっぱりクレジットについてはずいぶん悩むものです。そういうのは大学で授業してレポート書いてもらいはじめてすぐに悩みはじめたことだし、20年以上ずーっと悩んでることですわね。これは大学教員はみんな同じだと思う。

10年以上前に昔なつかしの「ホームページ」に「レポートの書き方」とか「剽窃を避ける」みたいな文章書いて、ずいぶんリンクしてもらったりして、まあ最初はネットもそういう話を直接にあつかったページは少なかったように思う。いまではたくさんあるのでよい時代になった。私のページとかもう価値なくなってる。「レポートの書き方」系のよい本もたくさんあるし。

私自身は「コピペ問題」とかはもうあんまり悩んでないわけですが、難しいと思ってるのは学生様にクレジットのつけかたをどう教えるか、みたいなことで、基本的には「迷ったときはなんでもクレジットつけろ、ページまで」みたいな指導になってるのです。それだといわゆるコモンノレッジ、共有知、あたりまえのものまでクレジットつけるようになって、まあ安全ではあるけどうざいというか。

「剽窃を避ける」https://yonosuke.net/eguchi/archives/2878 を書いたときも、「多くの人が共通に知ってること」を説明するのにずいぶん苦労して、まあ「5冊以上の本で出典なしに挙げられてるのは共有知」みたいな説明になってるけど、これでいいのかどうかわかららない。

マクミランの学生向けのページだとこんなになってる 。https://www.macmillanihe.com/studentstudyskills/page/Referencing-and-Avoiding-Plagiarism/

「特定の分野の人が(当然)知ってることが期待されるような知識」みたいな感じっすか。でもこれじゃ学生はわからんわけですわね。

このマクミランのページでは「授業に参加する前にその情報知ってましたか」「自分の脳味噌から出てきましたか」とかたずねてみて、どちらも「ノー」なら、少なくともあなたにとっては共有知ではない、だったらリファレンスつけましょう、みたいな感じになってますね。

ちなみに引用・参照しなければならないのは、(1) 独特distinctiveなアイディア。これはまあ当然か。これおそらく、他のソースと違う、ってことよね。国内ではわりと軽視されているのが、(2) 特徴的な構成あるいは構成手法。ある問題にとりくむにあたっての問いの立てかた、問題を検討するにあたっての文献や論者の選択、こうしたものも広い意味でアイディアなので、これにもクレジットつけないとならんと考えるのだと思います。(3) 特定のソースからの情報、データ、(4) 逐語的フレーズ、パッセージ、(5) 共有知でない情報とか。

(3)や(4)は当然で、特に(4)の逐語的フレーズ/パッセージはクレジットなしに他人の文章を使ったら著作権法違反ってことになる。ただし著作権で保護されているのはアイディア(思想・発想)ではなく「表現」でしかないので、特定のアイディアを他人から借りてもなにも著作権法に反することはない、と私は理解しています。(5)はさっきの「共有知」問題にかかわるやつ。

まあどれもいろいろ面倒で、だからこのページでは、実践的な指針として、(6)「 迷ったら、言及せよ!」というのが主張されている。このページでは、そうしていちいち引用・参照して言及する一番の利点はトラブルを避けることだとはっきり言われていると思う。 “good referencing is essential to avoid any possible accusation of plagiarism.” ちゃんとした参照は、剽窃の疑いをかけられるのを避けるために重要です、とのこと。おそらく、あるアイディアの使用が盗用だとか剽窃だとかという疑いはあまりにも簡単にかけられてしまうので、疑いをかけたりかけられたり、弁明したり、証明したり、他の人々が検討したりしなければなかったりするトラブルとコストを避けるためにはやはり参考にしたものはいちいち言及しておきましょう、という話だと思います。これはたしかにうざい。

まあそういうのは、場合によっては、あるいは手法によっては書くのも読むのも非常に煩雑になるので時に有害でもあるかもしれないけど、でもトラブル避けるためには多めに言及しとくっていうのは英語圏の流れだと思う。だから自己啓発本みたいなのもリファレンスだらけになる。

ワシントン大のだとこんな感じ。 https://depts.washington.edu/psych/files/writing_center/howtocite.pdf

Even if you arrived at the same judgment on your own, you need to acknowledge that the writer you consulted also came up the idea.

先行研究と同じようなやりかたや結論になったとしても、他の人の研究にコンサルトしたら、つまり論文読んで参考にしたのなら、ちゃんと名前あげなさいよ、みたいな指導がされている。

しかしこのレベルを実践しようとすると、新書のような日本の主流の出版形態が維持できない、っていう問題があるのだと思う。そういうのをどう考えるか、っていうのが私が関心があることなのです。

どういうわけか私年配の先生はわりと苦手なのに、なぜか話あいてになることは多くて(なぜだろう?)、名なり功を遂げた先生たちでもそうしたこまかいことを気にしているのはよく耳にしている。「偉くなったんだからそれくらいいのではないか」とか言いたくなったりもするんだけど、そうして偉くなる先生はむしろそうした功名心が背景にあってこそ偉くなれたのだ、みたいなのを感じることもある。

我々が勉強したり研究したり論文書いたりする一番大きな動機はおそらく功名心あるいはクレジットなので、「たった一行でも私の名前を入れてくれ」みたいなのは非常によくわかる欲求だからわたしはそっちがわに立ちたい。これはそんな簡単に却下できる望みではないと思う。

んじゃ具体的にどうするか、っていうのはまあみんなで話あうのがよいのではないかと思うわけです。というわけで続きます。

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References

References
1ちなみに、怒られの対象になったのははっきりしないけどおそらくここらへん。最初はなんか怒られてるっぽいけど誰から何を怒られているのかよくわからなかった。まあ書きかたよくなかったような気もするし、特に簡単に笹倉先生を「信頼できる」とか書いたのはたしかによくなかった。
2もともとは笹倉秀夫先生という方が書いた苅部直先生の本の書評。現行のわれわれの世界での意味では苅部先生が剽窃だの盗用だの研究不正だのをしているとかは最初から思ってはいませんが、笹倉先生がこういうものを書いた「気持ち」みたいなのは、その書き方のよしあしとは別に、わかるような気がする、という立場です。笹倉先生の言い分にどのていど理があるのか、ということは私には判断できないし、判断するべきでもないと思います。それはこのシリーズが続けばなぜそうなのか書けるかもしれない。

MeToo本家の「はじまり」と「歴史とヴィジョン」を訳してみました

MeToo運動が一部で話題になっていて、まあ話題になるべきだと思うのですが、その運動の創始者たちがどういうことを考えているのか日本語で読めるものが少なかったので、おそらく元祖・本家であるところの https://metoomvmt.orgの文章を訳してみました。著作権とかクリアしていませんが、運動の宣言文なのであんまり文句は出ないだろうと判断しています。もちろん私はなんのクレジットも主張しませんので、誰か手を加えてまずいところ修正するなりして彼女たちに送ってもらえれば、日本語ページを作るときに役に立つかもしれませんし、立たないかもしれません。

まず創始者ダラナ・バーク先生による「そのはじまり」。力がある文章で正直感動しました。やはりかざりのない実感のこもった言葉には力があると思います。ぜひ読んでほしい。 https://metoomvmt.org/the-inception/

MeToo、そのはじまり

「Me Too運動」™[1]TMついてるんですね。は、私の魂のもっとも深く暗いところからはじまりました。

ユースワーカーとして、おもに黒人と非白人(of color)の子供たちを世話をするなかで、私は胸が引き裂かれるような物語を私なりに見聞きしてきました──崩壊家庭から、子供を虐待的する、あるいはネグレクトする親まで──そういうなかで、私は少女ヘブンに出会ったのです。

ユースキャンプでの女子だけのセッションのあいだ、クラスに参加した少女たちが、自分の人生についてごく内密な話をわかちあいました。その一部はごくふつうのティーンの不安についての話でしたが、なかにはとてもつらいものもありました。それ以前に何度もやっていたのと同じように、私は座ってその物語に耳を傾けました。そして、必要とするように少女たちをなだめました。そのセッションがおわったあと、大人たちが若い女子たちに、もし話すことが必要だったら、あるいはもし他のことが必要だったら連絡するように、とアドバイスしました──そして私たちはまた別々のことをしはじめたのです。

次の日、ヘブンは──ヘブンは前夜のセッションに参加していました──私にプライベートに話したいと言ってきました。ヘブンはかわいい顔をした少女で、キャンプのあいだ中私にまとわりついていました。しかし、ハイパーアクティブで時々怒りに満ちた彼女の振る舞いは、彼女の名前にも軽くてハイピッチの彼女の声にもふさわしくないもので、私はある種の場面ではよく彼女をふりはらってしまっていました。

その日彼女が私に話をしようとしたとき、彼女の目から、その会話はいつもとはちがったものになることがわかりました。彼女は深い悲しみをかかえていて告白したいと思っていて、私はそれをすぐによみとれたので、かかわりあいになりたくないと思いました。

しまいには、その日遅くに彼女は私をつかまえて、聞いてほしいとほとんど懇願するかのようでした。私はしぶしぶそれを認めました。そのあと数分間、このこども、ヘブンは、なんとかして私に「ステップダディ(義理のパパ)」──正確にいえば母親のボーイフレンド──が彼女の発育途中の体にあらゆるひどいことをしている、と伝えようとしたのです。私は彼女の言葉がこわくなり、私のなかの感情はあれくるいました。

私はもう聞くことができなくなるまで耳を傾けました/それは5分にも足りていませんでした。そして、彼女のそばで痛みをわかちあっているとき、私は彼女をつきはなしてしまい、すぐに、「もっとうまく助けることのできる」女性カウンセラーのところに行くように言ったのです。


私は彼女の表情を忘れることはぜったいにできないでしょう。

私は彼女の顔の表情を忘れることができないでしょう、それはずっと私につきまとっているのですから。私は彼女のことをいつも考えています。拒絶されたことのショック、傷を開いても突然むりやりそれをまた閉じられることの痛み──それが彼女の顔に表われていました。私は子どもたちをとても愛していて、子どもだちをとても気づかっているのですが、私は彼女がもっていた勇気をもつことができなかったのです。

私が彼女を愛していたのですが、私は、私が理解していること、私は彼女とつながっていること、私も彼女の痛みを感じることを使えるエネルギーをふるい起こすことができなかったのです。私は彼女の恥の感覚を解放することもできず、起こったことはなにも彼女のせいではないことを彼女に納得させることもできなかったのです。私は自分の頭のなかで何回も何回も鳴りひびいている言葉を声に出して言う強さをもっていなかったのです。彼女は自分が耐えていることを私に伝えようとしたのに。

私は彼女が私から歩き去るのをみました。彼女は自分の秘密を拾いなおして、またそれを隠れた場所にもどそうとしました。私は彼女がまた仮面を被りなおし、ひとりぼっちの世界に戻るのを見ました。そして私は一人でつぶやくことさえできなかったのです。「私もなのよ」と。

– Tarana Burke
Founder, The ‘me too.’ Movement

歴史とヴィジョン。https://metoomvmt.org/about/#history

歴史と展望

「MeToo」運動は、2006年に性暴力の被害者(サバイバー)、特に黒人女性と少女たち、そして他の恵まれないコミュウニティの非白人の若い女性たちが、回復への道を見つけるのを支援するためにはじめられました。そもそもののはじまりから、私たちのヴィジョンが向けられているのは、性暴力の被害者のためのリソース不足と、被害者自身たちによって主導される支援者のコミュニティを建設することでした。支援者たちは、いずれ自分たちのコミュニティでの性暴力を阻止する解決策を作りあげる最前衛で働くようになるでしょう。

6ヶ月にも満たないうちに、ウィルスのように広がった #metoo ハッシュタグのおかげで、性暴力についての活発な談論が、国をあげての対話へ入り込んでいきました。地元の草の根作業としてはじめられたこおが、被害者たちのあらゆる界隈でのグローバルなコミュニティへと届くまでに広がり、世界中でおこなわれている性的暴力の広範さと衝撃を表に出すことで、性暴力被害をサバイブするという行為のスティグマをとりはらう助けとなりました。

私たちの課題は、それを必要とする人々に、個人個人の回復のための入口を見つけること、そして、性暴力の世界的な増殖を生みだしているシステムを打破するために、サバイバーのための大規模基地にエネルギーを供給することに向けられています。

私たちのゴールは、幅広いスペクトラムのサバイバーたちの必要に答えるために、性暴力にまつわるグローバルな会話を再編成しつつ拡大することです。少年少女、クィア、トランス、障害者、黒人女性・少女、そしてすべての非白人(of color)コミュニティ。私たちは、加害者の責任が問われることを求めており、長期的な体系的な変化を維持できるような戦略を求めています。

「MeToo」運動は、性暴力の被害者とその連帯者を支援します。それは、被害者をリソースに結びつけ、コミュニティに組織化のためのリソースを提供し、「MeToo」政策のプラットフォーム建設に従事し、性暴力の研究者およびその研究を集積します。「MeToo」運動の作業は、性暴力を阻止する草の根の組織化と、被害者をリソースに結びつけるデジタルコミュニティーをブレンドしたものになります。

「MeToo」運動は、共感とコミュニティベースの行動を肯定するものであり、その作業は被害者主導によるもであり、各種のコミュニティの必要に応じて特定されたものになります。

タラナ・バークは「MeToo」運動を、貧困コミュニティー出身の黒人女性・少女とともにはじめました。彼女は、黒人コミュニティおよび広い範囲の社会のなかで性暴力についてディスカッションするため、その文化をふまえたカリキュラムを開発しました。同じように「MeToo」運動はそれぞれのコミュニティーで、そのコミュニティの特定の必要を満たそうと運動している人々を支援しようとします。たとえば、非白人で障害をもつトランスのサバイバーが、他の障害をもつトランスのサバイバーとのイベントをもったり、ツールキットを作ったり、そうしたことをするのを支援します。いっしょになれば、私たちは性暴力を阻止するグローバルな運動を強化するため、おたがいを励ましサポートすることができるのです。


こうして読んでみると、もちろんよく読めばコメントしたいことも出てくるのですが、がんばってほしいとも思います。また、現在日本のネットで流通している#MeTooの発想とのあるていどの距離も感じてしまうわけですが、それは専門家の人々がいろいろ検討しているところでしょうから、私がここでコメントするのはさしひかえたいと思います。

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References

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1TMついてるんですね。

学会司会学が必要だ

秋から年末は学会シーズンで、あんまりそういうの出席せずさぼってる私も行かざるをえないのですが、司会、特にシンポジウムなど大人数が参加するディスカッションの司会は難しいですね。私経験が浅いので、いまだにどうしたらいいのかわからない。 続きを読む

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