月別アーカイブ: 2007年11月

女子大生のおごられ方について

女子大生がそれほど親しくない人(びと)とコンパやデートをするときの金勘定というのは非常に難しいものがあると思います。

女子大生の一部には、「勘定は男性が払って当然」という意識を持っている人がいるようですが、これは非常に危険です。(あまり政治的に正しくありませんが、私自身は各種の男性による性暴力の一因になっているのではないかと疑っています。)
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アルバイトに注意

新聞の折込広告にこんなのがはいってました。

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すごいですね。女子大生がこういうのに応募しちゃうとたいへんなことになるかもしれません。 「ラフなお仕事」ってのはどういう仕事なんだかな。世の中に、うまい話、おいしい話はありません。

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久しぶりに小松美彦先生

粘着しはじめてはや1年になろうとしている。まだ心の目は得られないまま。

・・・ある二人の患者の紛う方なき現実を見ておきたい。一人は医師から全臓器提供を勧められる程の状態から社会復帰を遂げた日本人女性であり、(略)前者の女性については、脳外科医の山口研一郎らが、「『全臓器提供』より奇跡的に 生還した女性」(山口他[2002] [1]kallikles注。山口研一郎、西口嘉和、中出幸子、和田志乃「『全臓器提供』より奇跡的に生還した女性」、『月刊総合ケア』、Vol.12 No. 8, 2002、pp. 84-7 )という論文で詳細にレポートしている。

取りよせてみた。これ、「詳細にレポート」ということなので、小松先生の2ページにわたる記述は要約だと思ってたんだけど、どうも違うね。詳細なのはハワイから帰ってきてからの社会復帰への道のり。4ページある原論文のうちハワイでの出来事を記述したのは2列分ほど、小松先生の文章の分量とさほど変わらない。重要な情報はすべて小松先生の方で記述されている。もうちょっと詳しい情報があるかと思ったのだが。また、原論文で家族が「臓器提供を勧められた」のかどうかははっきりしてない。

それに遺書 [2]山口先生によれば「ドナーカードのことと思われる」。 持ってるか確認するとか、費用が1日30万かかる、とかってことを伝え説明するのは米国の医師の義務のような気がするなあ。その時点でいろいろ説明しないとあとで訴えられるだろう。娘が脳挫傷で意識不明なんてことになってショック受けてる家族に臓器移植の話するのはたしかにアレだと感じるひとは多いだろうなあ。アレだろう。医者が説明したという記述のあとで、「第三章第二節で見たように、アメリカの病院では脳死に至る以前にモルヒネを投与して臓器を摘出できるという規定をもっているところが少なからずあるのだ」と小松先生が挿入しているのだが、これは小松先生の文章。このハワイの病院がそうかどうかは原論文ではわからん。またこのモルヒネ投与の話はありそうな話だけど、ソースがTBS(米CBS?)のテレビ番組で、検証しにくくて困る。でもまあ小松先生はそういう情報源にこそ、隠されている重要な情報があるのだと考えているんだろうからある程度しょうがない。

論文の残りはこのケースのリハビリ実践の報告で、山口先生たちにはがんばってほしい。

げ。

サン=テグジュペリ作『星の王子さま』(略)を繙いてみたい。この”童話”は、主人公の少年と王子さまとの出会いから別離までを描いた物語である。二人が地球を出発して宇宙の星々を旅する過程でさまざまな人間や動植物にめぐりあい、再び地球に帰ってくるといった構成をとっている、と読みうる。(p. 34)

ぎゃー  [3]こういう装飾は嫌いでいままで使ったことなかったけど、驚きを示すため一生に一回使ってみよう  、こんな話だった?

と、Amazonの書評を見るとさすがに指摘している人がいる。よかった。誰も指摘してなかったらどうしようかと思った。しかし、さすがにこれはどうなのよ・・・心の目をもってると、そういうふうに「読みうる」のか・・・まあ「物語全体に対する筆者の解釈は別稿にゆずる」ということなので、そういう読みを可能にしたり必然にしたりするなにかがあるのだろう。でも本当に驚いたですよ。心臓がドクっていうのを感じた。本読んでそんなのは久しぶりだ。

あ、もしかしたらそういう情報をちゃんと選別できるのかが重要だってことをすでにこのページで逆説的に指摘しているのだろうか。「この本は信用できませんよ」「心の目で読まないとこの本は読めませんよ」ってことを最初の方で宣言しているのかもしれない。それだったらイジワルな仕掛けだなあ。わけわからんようになってきたぞ。

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References

References
1kallikles注。山口研一郎、西口嘉和、中出幸子、和田志乃「『全臓器提供』より奇跡的に生還した女性」、『月刊総合ケア』、Vol.12 No. 8, 2002、pp. 84-7
2山口先生によれば「ドナーカードのことと思われる」。
3こういう装飾は嫌いでいままで使ったことなかったけど、驚きを示すため一生に一回使ってみよう

ストロッセン『ポルノグラフィ防衛論』

やっと出た。翻訳ごくろうさん。3400円におさめたのも偉い。これから読もう。

重要な本なので一応宣伝しておこう。

オビに「松沢呉一発掘」とか。うーん、そうか。

ポット出版からこのタイトルだと、なんだかアレな本ではないかと思われてしまいそうだが、ちゃんとした人のちゃんとした本。これちゃんと紹介してないフェミニスト/非フェミスト学者どっちも怠慢だよな。松沢先生偉い。ポット出版をおとしめるつもりはないけどこれがポット出版からしか出ないってのも問題な気がする。もちろん、ポット出版はいろいろ勇気ある本を出してて偉い出版社だ。これから硬軟とりまぜて伸びてほしい。がんばれー。

追記

上でポット出版について余計なこと書いたけど、この出版社のセクシュアリティ関係の本は(リベラルではあるけど)むしろどれも硬派なんだよね。なんか誤解をまねく書きかたしてごめんなさい。

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角田由紀子先生の強姦事件判決批判

(3エントリに分けていたものを統合しました。)


これはよい本だなあ、と思っていたのだが。

次に詳しく紹介する1994年の東京地方裁判所の判決は、強姦罪の被害者になりうるには、貞操観念が強固であることを求めているといってよい。「被害者資格」と呼んでもよい。(p.189)

判決は無罪の理由の一つに被害者の証言が信用できないことをあげている。信用できない理由の一つとして、この女性に大きな落ち度があったこと、「貞操観念」に乏しいことを指摘した。(p.190)

A子のように、「淑女ぶって」いながら、実は性的に奔放で慎しやかでないと烙印を押された女性の被害はなかなか信用されないことを、この判決は示している。(p.193)

こういうのを読んで、先週まで私は「90年代になっても法曹関係者はだめな人ばっかりなのだなあ」と思っていた。のだが。

でも判例時報 1562号「強姦致傷事件、東京地裁平5(合わ)167号、平成6・12・16刑八部判決、無罪(確定)」ってやつ読むとずいぶん印象違うよ。困ってしまう。これで有罪にするのは無理だろう。

うーん、比べて読んでほしいのだが、裁判所の判例データベースhttp://www.courts.go.jp/search/jhsp0010?action_id=first&hanreiSrchKbn=01 は使えん。だめか。

とりあえず角田先生が引用している判決の一部再掲。

(A子は)「甲野[ディスコ]で声を掛けられた初対面の被告らと「乙山[スナック]」で夜中の3時過ぎまで飲み、その際にはゲーム[エロ系王様ゲーム]をしてセックスの話をしたり、A子自身は野球拳で負けてパンストまで脱ぎ、同店を出るときには一緒にいたD子、E子と別れて被告人の車に一人で乗ったというのであるから、その後被告人から強姦されたことが真実であったとしても、A子に大きな落ち度があったことは明らかである。(角田p.190。[]内はkalliklesの補。)

A子については、慎重で貞操観念があるという人物像は似つかわしくないし、その証言には虚偽・誇張が含まれていると疑うべき兆候がある。(角田p.193)

たしかにここだけ読めば「これはひどい」だよなあ。この本読んでから5年近くずっとそう思ってた。なぜ被害者の「落ち度」や「貞操観念」や(面倒だから引用しないけど)過去の職業歴が強姦致傷の裁判で問題にされる必要があるのだ!男権主義的司法制度粉砕!ってのが正しい態度だろう。

しかし(面倒なので今日はやめ。続く。)


の続き。

しかし判例時報 1562号の「強姦致傷被告事件において、被害者の信用性が乏しく、和姦であるとの被告人の弁解を排斥できないとして、無罪を言い渡した事例」を読むと、ずいぶん印象が違う。

事件は物証とかがないので、「証言の信用性」が問題とされたらしい。被告人の言い分は「乙山からA子を送っていく途中、同女がワゴン車内で嘔吐したことからトラブルになった」ってことらしい。

そもそも受傷状況についてもいろいろ問題があるようだ。

結局、アないしケの証拠を総合しても、本件の直後にA子が左下腿部・両側大腿部の諸々に皮下出血の傷害(全治約1週間)を負っていたことが確認できるだけであって、それ以上にA子に本件に起因する受傷が存在したと認定することはできない。

ってことらしい。それくらいは酩酊状態でもどっかにぶつけてもできるだろう、ということらしい。問題は、A子さん側がどうも傷を大き目に訴えていたらしく、

逆に、これらの傷害に関する証拠を比較検討しただけでも、A子やD子らA子側の者の証言等に客観的事実に反する部分やことさらに誇張した部分が含まれている疑いが濃厚であるということができる。

ここらへんで裁判官の心証がかなりわるくなっている。

さて、問題の箇所。

このようにA子は、自分は一応慎重に行動していたという主旨の証言をしている(特に、第12回公判では「セックスすることを承諾したと受け取られるような言動は全然していない」と証言する)。しかしながら、A子証言によっても、「甲野」で声を掛けられた初対面の被告人らと「乙山」で夜中の3時すぎまで飲み、その際にはゲームをしてセックスの話をしたり、A子自身は野球拳で負けてパンストまで脱ぎ、同店を出るときには一緒にいたD子、E子と別れて被告人の車に一人で乗ったというのであるから、その後被告人から強姦されたことが真実であったとしても、A子にも大きな落ち度があったことは明らかである。

やっぱりこの判決文はどうかって感じだ。ちなみに被告人側の証言なんか考慮に入れた裁判官の推測では、「A子はパンティーまで脱いで振り回したのではないかとも疑われる」らしい。

以上のようにA子は、初対面の被告人らの前で、ゲームとはいえセックスに関する話を抵抗なくしている上、少なくともパンストまで脱いでこれを手に持って振り上げるという大胆かつ刺激的な行動をとっているのであるから、かなり節操に欠ける女性であると言わざるをえない。

と判決文は結論しているのだが、これも「節操に欠ける」とはなんだかなあという感じもある。大酒飲んで王様ゲームして、露骨なセックスの話をしてさらにパンツ脱いで振りまわして一人で男の車に乗ってしまったら、強姦されても当然とはとても思えないし。「落ち度」と呼ぶのはたしかにあれなんだけどね。うーん。

でもまあそういう判決文の書き方はともかくとして、問題はA子さんやその友人のD子さんの証言がどの程度信用できるかってところなのね。んでかなりそれが疑わしいというのが裁判官の判断。そっちがポイントで、A子さんのセルフイメージや、彼女自身の裁判での主張と、A子さんを「客観的」に見た場合の評価との食い違いを、A子さんが十分に認識できてないんじゃないかとか、そういう感じ。「落ち度」があったから強姦されても当然とか、派手な生活をしていたから信用できないとか、そういう判決ではない(おそらく一応のところは)。

うーん。んで、

A子は、「乙山」における言動及び同店を出発する際の状況に関し、和姦の可能性を曲げて証言していると認められるから、A子証言のうち被害状況に関する分(すなわち核心部分)についても慎重に判断する必要がある。そこで、被害状況に関するA子証言を子細に検討すると、次のとおり、不自然、不合理な点が多く見られるのである。

(略)

以上のとおり、A子証言の確信部分というべき被害状況自体に関する部分にも、不自然、不合理な点が数多く存するのである。

とされちゃってる。まあ判決文を読むかぎりでは、これで有罪にしちゃうとやっぱりまずいだろうという感じ。うーん。

判決文から私が推測したのは、おそらく、被告とA子さんはセクースするまではなかよしだったけど、セクース終ったあとでA子さんが車のなかでゲロを吐くことになり、セクース終ってしまえば女性よりも車が大事な鬼畜被告が怒ってA子さんに対してひどい扱いをして、さらにA子さんにとってはあんまり仲のよくない(一応)ボーイフレンドFさんとの関係もあって、D子さんと口裏あわせて訴え出たのだろう、鬼畜な被告人にはなんか罰を与えてもよいような気もしないではないが、でもこれを有罪にするのは「疑わしきは罰せず」の原則からしても無理だと裁判官は思っているようだ、ってことかなあ。なんだかなあ。なんか気分が落ちる。

まああんまりおもしろくならなかったけど、角田先生のこの本のこの部分に関しては?マークがついちゃう感じ。角田先生の本読んでこの部分に優れたものがあると思っていた人は、判例時報の記事を入手してみてください。まあ角田先生の主張にとって、あんまり適切な判例ではないような気がする。「落ち度」とか「節操」とかって表現がアレなのはそうなんだけどね。正直なところ、私はどう考えたらいいのか困ってしまった。

もちろんこういう事件が重大であるし、スーザン・エストリッチの『リアル・レイプ』その他多くの文献をひきあいに出すまでもなく実際に被害を受けた人が訴えたり裁判で勝ったりするのはほんとうに難しいのだろうし、それはなんとかしなきゃならん(被害の発生を防ぐのはもちろんのこと)のはそうなんんだけど、角田先生が主張しているように貞操観念が薄い女はそれだけで信用ならんとか強姦されて当然だとかってことを司法関係者が思っているだろうってことではないような気がする。わからん。

ちなみに書いておくと(あんまり書きたくないけど目にしちゃって書かないのも あれだ [1]この件書きはじめたときは岩国の事件についてはほとんど考えてなかった。本当。 )、岩国の米兵レイプ事件不起訴についてで署名活動をしようということらしいけど、大丈夫なのかな。

広島地方検察庁は、「本件の事案の性質」を理由として、不起訴とした根拠の説明を拒みましたが、被害者のプライバシーに配慮しながらも、説明責任を果たすことは可能なはずです。

というけど、上のような判決文を読んでしまうと、そんな簡単ではないように思う。どうもセカンドレイプというか被害者バッシングや、「夜中まで遊んでいる」女性一般に対する社会的な非難感情を引き起こしてしまいそうな気がする。上のA子さんの事件について判決文写経しているだけでさえ、いろいろ気になる。この記事消すかもしれん。

もちろんアジア女性センターが被害者側と連絡がとれてたり裏が取れてればそれでいいんだと思うけど、そうなのかな。そうじゃなくて「とにかく情報を出せ」と主張しているのなら、なんか心配。そういの、どうなんだろうなあ。困り。


続き。

p. 194からの事例。

角田先生は、現在の法廷で、性暴力の被害者としてみとめられるには、貞操観念がしっかりした女性であることが要求されるという意味のことを主張している。貞操観念がしっかりしていることが、「被害者資格要件」であり、それにあわない女性は性暴力の被害を認めないという風潮が法曹関係者のあいだに根強いってわけだ。

「被害者資格要件」がもっともらしく議論されるのは、性暴力犯罪の場合だけである。できるだけ、この犯罪の成立を認めたくないという暗黙の願望がその根底にあるのではないだろうか。・・・女性に対する人権侵害を温存することで、利益を得るのは、あるいは、既得権を守りたいのは誰なのか。(p. 194)

疑問文でおわっているが、答はおそらく「集団としての男性」なんだろう。

で、今回見たのは角田先生がそういう事例の典型としてあげてる『判例タイムス』No. 796 (1992.12.1)の「事前共謀による強姦致傷の訴因に対し、被害者が少なくともホテルへの同行を承諾していたとして、現場共謀のみを認定した事例」

この事件は、居酒屋で「ナンパ」した男二人が家出女子大生をラブホテルに連れこんでセックスしようとして失敗して殴ってオーラルセックスさせたという事例。財布から金も抜いている。最悪。強姦致傷や窃盗なんかが認められて、一人は懲役3年執行猶予4年、一人は懲役1年6月、失効猶予3年。もっと重くてよいと思うが、いくつか情状酌量され執行猶予がついている。

角田先生が批判しているのは、この判決文で「貞操」という言葉が無批判に使われてしまっているところ。先生が引用しているのはこんな感じ。

右(角田注:救助を求めなかた行動)は、意に反して男性二人にホテルへ連れ込まれ、まさに貞操の危機に瀕していた(kallikles注:強調は角田による)という若い女性の態度としては、にわかに理解しがたいものと思われる。」(角田p. 196)

同女が、軽率な行動により、ホテル内で危うく貞操を侵されそうになったのが事実であるとすれば(角田 p. 196)

んで、角田先生はそのあと「貞操」とかって「黴の生えたような」言葉が残っているのは、森喜朗元総理の「神の国」と同じような無意識のなにかが影響してるんだろう、ってなことを議論している。

でもこの議論はなんかミスリーディングだし、その前に出している

で議論したディスコナンパ強姦事件で使われている「貞操」ともずいぶん意味が違う。ディスコ事件では、貞操観念という言葉は、「あんまり多くの人とセックスしないほうがよいと思う」 という内容なのに対して、この居酒屋事件判決文での「貞操」はおそらく「処女性」[2]それも単なる肉体的な処女性。くだらんけど。。で、「貞操の危機」は「やられる危機」にすぎないし、被害者の女子大生の行動はたしかになんだか軽率には見える。ナンパされてラブホに二人で入り、ベッドで受け入れ体制をとるが処女で挿入できなかったので「小っちゃくなっちゃんだったからやめようよ」とか。そのあとは主犯の男が殴ったり殴りかえしたりしていて、私は強姦だと思し、判決文もそれを認めている。(主犯の男は前歴もあって、もっと重い罰を与えていいやんね。)でも、「貞操」が全体に大きな意味を持っているわけではないようだ。

まあ判決文は被害者の「落ち度」について述べている。

被害者Aの側にも、自らの意思により、初対面の若い男性二人の誘いに乗って、その車に乗り込んだだけでなく、しつこく誘われた結果とはいえ、 こともあろうに、ラブホテルの一室に一緒に入り、全裸になって入浴の上((kallikles注:男といっしょに入浴している。))、寝室のベッド上で、右男性の一人との性交を受け容れる態度を示すという、軽率極まりない行動をとった重大な落ち度があるという点である。(判例タイムズ p. 251)

これが「落ち度」なのかどうかは私にはよくわからん。事件全体からすれば、おそらくそれは「落ち度」と呼ばれるようなものではないのではないかと思う。だからここを批判するのはわかるのだが、判決文の「貞操の危機」とかを批判するのは無理矢理で、ポイントがはずれていると思う。まあ少なくとも、強姦の被害者であるには「貞操観念がしっかりした上品な女性」であることは要求されていないように見える。

あ、やっぱりこれもうまく書けなかった。難しいんだな。とにかくこの件も角田先生の主張と、判決文を引き比べて読んでほしい。私は角田先生を非常に高く評価していたのだが、この二つの判決を読むかぎり、まさに彼女の専門に近いと思われる裁判の事例において、角田先生の書き方は信用できないという心証を得てしまった。どうするかなあ。でも角田先生は民事の方の専門で、刑事事件はあれなのかもなあ。次は先生の本当の専門であるセクハラ関係の判決文を見てみるべきなのか。

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References

References
1この件書きはじめたときは岩国の事件についてはほとんど考えてなかった。本当。
2それも単なる肉体的な処女性。くだらんけど。

思想史はむずかしい

橋本努『自由に生きるとはどういうことか―戦後日本社会編 (ちくま新書) 』。前半、知らないことが多くて楽しんで読める。

この手のでは一番のおすすめのような気がする。後半のジョー→尾崎→オウム→エヴァってのはどうなんかな。よくわからん。でもそういう話はみんな好きなのね。

全体にとってははどうでもいい細かいことだが、イギリスのパブリックスクールのところ。

食事は、朝は、オートミール少量、燻製鰊、またはソーセージ一片など、この他に、三寸角のパン二切れと紅茶がつく。日曜日には卵一個が追加されるが、これが最大のご馳走となる。昼食は、ジャガイモを主とした肉少量の一皿で、これに人参、キャベツのたぐいがすこしつくこともある。この他に、菓子一皿と、パン一片がつく。午後のお茶[おやつ]の時間は、パン三片とマーガリン少量、そして紅茶である。夕食というものはない。池田潔によれば、「質から言えば、この食事はイギリスのもっとも貧しい家庭の一歩手前のそれであり、量の点では、夜食[夕食]が全然ないことからいっても、その標準すら及んでいない」という。(p.47)

これは池田潔先生の言いぶんを橋本先生がそのまま書いているだけなのだが、とても信じることができない。質はともかく量がこれってことはないだろう。まあ戦争とかで社会全体に物資が極端に不足しているときとか、イスラムのラマダンのように一年のうち一ヶ月ぐらいなら可能だとは思うけど。

十代男子に対して恒常的にこういう食事が続けば、食いものをめぐる搾取や暴力、脱走と暴動が恒常的に起こるんじゃないだろうか。人間腹減るとなにするかわからん。

学校としては危険すぎる。武装した看守やガードマンみたいなのが10人対1ぐらいで必要になりそうだ。寄宿舎生活する学期が短かかったのかな?2ヶ月ならOKか?それとも「パン一切れ」「ソーセージ一片」「ジャガイモ肉料理」はかなり大きいのかな?それともこれは最初の1年で、上回生になるともっと食えるとかか。まあともかく実態とはぜんぜん違うだろう。買い食いは実は黙認されてたとか。まあ池田先生がなんかインチキしているのだろう。いや、1949年の本らしいから、

こんなものなのかな。戦後すぐにイギリス見に行ったのなら、たしかにそんなもんだったかもしれん。でもそれじゃ「パブリックスクールってのはこういうところ」って話にはだめな一般化だよね(それに最後の最貧層の人びととの比較があれになる)。

こういう文章を使うのなら実際にちょっと調べてほしい、あるいは少なくともこれが信じにくいねってことぐらいは指摘してほしいところ(っていうかそういう留保や指摘が見あたらないのでショックだった)。われわれはどうしても紙に書いてあることを信じるわけだけど、紙に書いてあることはやっぱり実態とは異なることが多いわけでねえ。思想史とか社会歴史学とか言説分析とかってのはむずかしいなあ。

ところでまあ、みんな自由って気にしてるのね。そんなに自由じゃないって感覚に悩まされているのかな。そうだろうなあ。あと、いまの30代後半~40代前半の世代にとって、尾崎豊ってのは踏み絵みたいなもんだね。そういう意味で偉大だったんだろう。

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