wikipediaはバカな教員より正確なこともあります

前日、うっかり下のようなことを書いてしまった。

Wikipedia (ja)の「自然主義的誤謬」の項。これもぜんぜんだめ。
っていうかなんでこんな奇妙な間違いかたをしたエントリになってしまうのか理解できない。
どうしたらいいんだろう。せめて英語版を超訳すりゃいいのに。うーん。まあ放置、でいいのか。よくないような気がしてきた。

しかしこのエントリは正しいのではないかという
つっこみがあり、私の勉強不足の可能性がある。よい機会なので今日勉強しよう。

問題は§24のあたりだわね。あ、自分で読んで線引いた形跡がある。’

なるほど、

・・・あまりにも多くの哲学者たちが、あらゆるよいものに属している(「よさ」とは)なにか別の
特性を名指すことによって、「善い」を定義していると思いこんでしまっている。そして、また、こ
れらの特性が、事実として、「別の」ものではなく、よさと絶対的にまた完全に同じものだと思いこ
んできた。こうした見解を私は「自然主義的誤謬」と呼びたい。そして、これから、この誤謬を
排除するよう努力してみたい。(§10末尾)

この章と次の章で、私は善が自然的対象に言及することによって定義できるという
仮定にもとづくことによって流行している諸理論を扱う。これらの理論が、この章のタイトルにして
いる「自然主義的倫理学」と私が呼ぶものである。私が「形而上学的倫理学」を規定するために用い
る誤謬は、種類において同一ものであることが理解されるべきである。したがって私はその誤謬に、
「自然主義的誤謬」というたったひとつの名前を与えることにする。(It should be observed that
the fallacy, by reference to which I define “Metaphysical Ethics,” is the same in kind;
and I give it but one name, the naturalistic fallacy.) (§25、原書p. 39、邦訳p.50)

なるほど。
そして§67あたりでも実際にスピノザやカントみたいな人びとも「自然主義的誤謬」を
犯していると非難してるわね。ここもなんと赤線引いてある。なにかの折りに確認してんだわ。ぐは。

うーむ、ムアの用語の選択はムア独特の筋の悪さを示しているが、これは歴史的にはしょうがないねえ。
だからwikipediaの記述は一応正しい。私の勉強不足、理解不足。
でも記述の方法にはやっぱり文句があるような気がするなあ。
あとでどういう記述なら文句ないのか考えてみよう。

・・・うーん、まあ最初に一般的な用法を提示してくれないからか。
いわゆる「独自研究」に近くなってるからかもしれない。日本のwikipediaで
気になる「一般に認められている~はまちがい」とかっていう否定的な記述が気になったのかもしれない。
小谷野敦先生なんかが編集した奴に多いんだけど、そういうのってなんか百科事典にしては
「我」が立ってていやなのかもなあ。

Blackburnの The Oxford Dictionary of Philosophy だと

ムアの『倫理学原理』で指摘された誤謬。倫理的観念を、「自然的」観念や、事物をよい/悪いもの
にする特性の記述と同一視すること。したがって、もしあるひとの基準が功利主義的であれば、ある
行為をよいと述べることは、それが他の行為よりもより多くの幸福を生み出すと述べることと同じで
ある。このようにして語の意味を同一とみなすことが誤りであることはほとんど確実であるが、
ムア以降の研究においても、ムアの論敵(特にミル)がこのようなものにもとづいた推論の
エラーを犯しているかどうかは確かめられていない。「未決の議論」も見よ。

あ、これは辞書だった。まあStanfordのあれでもいいけど、最初はふつうに「よさ、悪さなどの倫
理的観念を、自然的性質によって定義しようとすること。ムアによって誤謬であるとされたが、その
後誤謬であるかをはじめとしてさまざまな議論がある。」ぐらいに書いておいてほしい。んで微妙に
詳しくなってほしい。英語版でも最初はいちおう「「よい」を自然的性質によって定義しようとする
こと」って書いてるわけで。まあここらへんお前が書けってことか。

wikipedia触ってみるよい機会なので、ちょっとドラフト作ってみる。

Visits: 14

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です