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品川哲彦『倫理学の話』書評

(『週刊読書人』第3124号 2016年1月22日掲載の草稿)

倫理学の話

倫理学の話

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品川 哲彦
ナカニシヤ出版
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本書は、読みやすい倫理学概論および学説史である。叙述は歴史的順序には従わず、著者独自の観点からの配列となっているが、しっかりした索引、注および相互参照が付記されているため、事典的に読むことも可能である。

全体の四分の三は、近年の英語圏の標準的なテキストで頻繁に扱われている諸倫理学説の紹介と検討である。第一部でまず、倫理学は、他人を教導しようとする「倫理」ではなく、むしろ自分自身の倫理観を反省する哲学であるとする筆者の立場が明確にされる。第二部では倫理の基礎づけとして、倫理を自己利益にもとづいて説明しようとするプラトンとホッブズ、人々との共感を重視するヒューム、理性にもとづいた義務と尊厳を説くカント、社会全体の幸福の促進を目指す功利主義者たちの理論が説明される。第三部は、特に「正義」をめぐって、ロックの社会契約説、ロールズのリベラリズム、ノージックのリバタリアニズム、サンデルらの共同体主義およびその源流としてのアリストテレスとヘーゲルがとりあげられる。

紹介と解説は総じて平明であり、どの章でも初学者が疑問を感じやすい箇所、誤解しやすい箇所に対して相当の配慮がなされていることは特筆に値する。たとえば、功利主義の考え方を論じる上で、「功利主義は多数の人々の幸福のためならば、少数の罪のない人を殺すことを認めてしまう」といった安直な批判に対しては、ヘアの「道徳的思考のレベル」の区別を紹介し、そうした批判は安直な思考実験と道徳的な直観にもとづいたものであって、現代のエレガントな形の功利主義に対しては十分な批判にはならないという考え方を紹介している。こうした細心な叙述は随所に見られ、基本的学説の正確な理解を必要としている読者に有用なはずである。

「正義」に関する議論の後半部分では、ケアの倫理、ヨナスの責任論、レオポルドの土地倫理、レヴィナスの他者論やデリダの正義の脱構築といった、伝統的な正義論の枠組み自体を疑い問いなおそうとする思想の概略とその魅力が紹介されており、これが本書の特徴的な部分となっている。もちろん、こうした思想群にはわかりにくい部分がある。たとえば、ギリガンらによる「ケアの倫理」は、男女の心理学的な発達に関する事実的主張にすぎないのか、あるいはそれを越えて規範的主張としての説得力を持つのか、ヨナスらが主張する「将来世代に対する責任」の根拠は何か、レヴィナスの言う「他者の無条件な歓待」はどのような内容をもつのか、デリダによって脱構築された「正義」観念は我々の道徳的生活にどのような関係をもつのか等々、読者は多くの疑問を抱くことになるだろう。

しかし、こうした思想を紹介することで「正義」を問いなおそうとする著者の試みは理解できないものではない。我々は往々にして、自分のふるまいや考え方は正しく、自分たちは正義にかなっていると思いこみがちである。歴史的に見てこうした思いこみは、「我々」と見なされる人々以外の存在者に対する政治的抑圧や暴力につなってしまう。アカデミックな倫理学研究でさえ、独善的な取組みをすればそうした側面をもちえる。筆者が「正義」についての標準的とされる倫理学説の検討にとどまらず、上述のような思想家たちの紹介によって「正義とは異なる基礎」や「正義概念の脱構築」の可能性を探るのは、そうした政治的意識の反映でもある。

「あと書き」では、ユダヤ人芸術家メナシェ・カディシュマンのインスタレーションが発する「ノイズ」を聞き「自分は苦しんでいる人々の呼び声もあたかもたんなるノイズのように聞き流してしまっているのではないか?」と自問する筆者の姿が描かれる。多彩な倫理学的な立場それぞれの見解に耳を傾けつつ「じっくり考えなくてはならない問題」について誠実に「ゆっくり話す」という手法は、倫理学という営みへ誘いとして適切な方法であることはまちがいがない。


ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学
ジョナサン・ハイト
紀伊國屋書店
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ツイッタで訳者の先生が「売れない売れない」と嘆いておられるのでamazonに紹介文書いてみた。春先には、「よい本を紹介するレビューをamazonとブログにどんどん書こう」とか妄想してたのに時間がとれない。「書評」だと思うとどうしてもかまえちゃうからねえ。shorebird先生のとか理想的だけど、ああいうのは学識に裏打ちされてできるもなのだし、かなり時間と労力もかかっている。そういうわけで今回は本を見ないで記憶だけで書いた。30分ちょっと。ははは。でもそのあといじっちゃったりしてやっぱり1時間ちょっとは使ってしまう。人生は短い。

amazonにレビュー書いてもアフィリエイト収入入らないし。あれなんとかしてほしいですよね。

大学教員にとって書評というのはけっこうむずかしくて、書いてもたいして評価されないのに読みまちがえてたり誤解してたりするとプゲラってやられちゃうし。否定的な評価すると憎まれちゃう可能性もある。翻訳もそうですね。あれは理解力が試されてる感じですごく恐い。そういうんで、amazonレビュー程度でも本の内容に触れたものは書きにくいです。

私にできるのは、せいぜいツイッタで1行コメントつけて紹介する程度。

でも書評はすごく大事なのに国内では軽視されているところがあると思うので、将来的にはいろいろやりたい。

まあしかし翻訳書というのは非常に重要なものなので、積極的に買って翻訳文化を支えたいですね。高橋洋先生は他にも重要なのを訳していて注目しています。

—————————————————————————————

ジョナサン・ハイト先生はいま世界で一番注目されている社会心理学者・道徳心理学者の一人で、国内では『しあわせ仮説』に続く書籍ということになります。

この先生が有名になったのは”The Emotional Dog and its Rational Tail” 「感情的な犬とその合理的な尻尾」 (2000年)っていう論文で、これは人間ってのは道徳判断をするときに、いろんなことをよく考えて答を出すというよりは、まずぱっと感情的に判断して、それにいろんな理由をあとづけでくっつけるようだ、って話でした。この論文のあとに道徳心理学が爆発的に流行することになります。例の「トロッコが暴走して、スイッチを押せば5人助かるけど〜」みたいな話も、とりあえず直感や感情で判断してそのあとで理屈をいろいろひねったりしているようだ、とかそういう研究とかが盛んになったり。

前著の『しあわせ仮説』では、人間てのは象さん(感情)とその乗り手(理性)の組みたいなもんで、乗り手の方は象のパワーをよく知ってうまくコントロールしないとしあわせになるのは難しい、もっとよく自分たちの心理を研究しよう、みたいな話だったわけですが、この『左と右』では政治的な運動をする上でも人間の心理をよく知っておくことは大事だ、みたいな話になります。

ここ数年ネトウヨとか保守派とか国粋主義者のような人びとが力をつけて、ネットインテリの人たちは困っているようですが、それはアメリカとかも同じようなもので、いまはオバマの民主党政権だけど保守派の共和党も強い。米国民主党に代表される政治的な立場は、貧乏人とか弱い者にもっとやさしくしよう、もっと人びとのそれぞれの価値観を尊重しましょう、みたいな立場なわけで、インテリの多くはそっちを選ぶ。まあふつう文句ないですよね。でも実際に選挙したりすると保守派が勝ってしまったりする。なぜなの? ネットインテリの人とか見てると、保守的な立場の人は馬鹿だからそうなっているのだ、みたいなことをほのめかす人もいますが、馬鹿がそんな多いというわけでもないですよね。保守派は保守派の魅力があるから多数派なわけで。保守的な人もリベラルな人も、自分は正義だと思ってる。この「自分は正義だ」っていう「正義心」がテーマです。

ハイト先生がいろいろ心理学的調査をして考えた結論は、そういうリベラル派は人の苦しみとかそれに対する「ケア」や援助、防衛とか、「自由 liberty」だとか、あとはせいぜい「公正さ fairness」ぐらいが道徳のすべてだって思いこむ傾向があるけど、実は人間が気にしている軸はもっとある。

まず「忠誠心 loyalty」。これは仲間意識とかそういうやつですね。家族は大事だ、俺たちは仲間だ、他人を助ける前にまず仲間を助けよう、裏切り者には罰を与えろ、なんで自分たちの仲間をくそみそにけなすんだ、みたいな感情です。それに「権威 authority」。ちゃんと権威にはしたがうべきで、権威を認めないとか軽視するとか、権威をおとしめるようなことを言ったりやったりする奴は許せない、みたいな感情。そして、「神聖さ sanctity」。汚れたものには触りたくない、清浄でなければならない場所や時間や行為がある、など。こういうのが神聖さとか信心深さとか、共同体を大事にするとか、社会秩序や階層をしっかりするとか、伝統を重視するとか、ご先祖様や戦没者をちゃんとうやまうとか、あるいは(宗教的な)罪にあたることをしないようにっていう意識につながってるというわけです。

保守派はリベラルが重視しない忠誠心や権威の尊重や神聖さっていう価値にうまく訴えていて、それがなかなか米国社会でリベラルな価値観が普及しない理由だ、とかって話になるわけです。リベラルな人は、保守派が馬鹿だから保守なのだとか考えるんじゃなく、ちゃんとその理由みたいなものを考えて、そのうえで政治運動しないといつまでも勝てませんよ、ということだそうです。

ハイト先生ははっきり述べてないですが、政治だけじゃなくて、たとえば生命倫理(脳死や尊厳死や中絶など)にもおそらく関係があると思います。(ただし生命倫理などに関する議論では、日本の右/左と米国のリベラル/保守がうまく対応してません。)

いろいろな実証的な調査や哲学的な考察が入っていておもしろいです。ただグループ進化の部分は生物学の専門家から非常に評判が悪いのでそのまんま信じるのはやめた方がよさそうです。

翻訳はきれいで読みやすいです。

どういう人物か見たい人は、このプレゼンテーションとかもどうぞ。
http://digitalcast.jp/v/12397/

しあわせ仮説
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ジョナサン・ハイト
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魚は痛みを感じるか?
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〈選択〉の神話――自由の国アメリカの不自由
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赤川学先生の『子どもが減って何が悪いか!』

ゼミとかではいろんな本のおもしろいところを紹介してもらったりするのですが、最近赤川学先生の『子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書、2005)ってのを紹介してもらいました。10年近く前でかなり古い感じですが、「データをちゃんと見よう、自分で分析してみよう」みたいな感じでよい本だと思ってました。

子どもが減って何が悪いか! (ちくま新書)
赤川 学
筑摩書房
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でもその発表ではなんかへんなところがあって、気になるのでメモ。

p.81から赤川先生は「産みたくても産めない仮説」に疑問を呈しているのですがここの議論どうなんですかね。女は産みたくても経済的理由や仕事と子育ての両立の困難さから産めないのだ、という議論というか仮説というか通念があるけれども、この本の執筆時の2004年ごろにはそれを直接検証するデータはない、と(p.82)。そこでまあ岡山市の調査を使ってみていている。何年の調査かわからないんだけど、 これかなあ。 http://www.city.okayama.jp/contents/000053197.pdf ……あ、注を見ると2000年の調査ってことです。(岡山市はその後も調査継続してみるみたいですね http://www.city.okayama.jp/shimin/danjo/danjo_s00092.html

この調査の質問のなかに、「最近、女性が一生の間に産む子どもの数が少なくなっていると言われていますが、あなたはその原因をなんだと思いますか」っていうのが含まれてるのね。学生様はこれを紹介してくれた。

私それ聞いて、これってひどい調査だなと思いましたね。「その原因をなんだと思いますか」って聞いていったい何がわかるんだろう?少子化の原因がわかるんではなく、一般の人が少子化の原因について「どう思いこんでいるか」ってのがわかるだけですよね。そんな調査してどうすんだ、と思いました。もしそういう調査をしたいのであれば、希望する子どもの数を聞いて、実際の子どもの数を答えてもらって、もし少なかったら「なんでもっと産まないんですか?」って聞けばいい。これならちゃんとした答が得られそう。んで学生様にはそこらへんどう考えてるのかつっこんでしまったんですが。

赤川先生の本を読んでみると「これらの質問は、回答者に「少子化の原因を何と考えるか」をたずねたにすぎず、「少子化の原因」を直接検証するものではない」(p.82)ってちゃんと書いてる。偉い。まあ社会学者だったらもちろんこう書きますわよね。安心しました。「このような調査結果をもとに、「少子化の原因はかくかくで、だから、しかじかの対策が必要だ」と主張することは、大衆迎合的なポピュリズムではあるかもしれないが、社会政策設計としては邪道である」とおっしゃっておられます。正しい。

しかしこっから先がわたしわからんのよね。回答では「経済的負担がでかいから」みたいなタイプのがかなりの数を集めてるんだけど、赤川先生によれば、こう答えた人がどういう人かをちゃんと分析しみると、既婚者や子どもが多い人の方が、未婚者や子どもがいない・少ない人よりも統計的に有意に多い、ってことになる。こっから赤川先生は次のように推論するわけです。

仮に「産みたくても産めない」仮説が正しいとするならば、子育ての経済的負担や、仕事と子育て両立難を感じる女性は、既婚者よりも未婚者に、子どもが多い人よりも少ない(ないしいない)人に多いはずである。なぜならそれが、結婚や出産をためらわせる理由だからである。しかし事態は、まったく逆である。未婚者よりも既婚者が、子どもがいない人よりいる人が、子育ての経済的困難をより感じている。育児ネットワークの多い有配偶女性のほうが、両立難を感じている。」(pp. 85-86)

あれ、なんかおかしいですよ。質問は「(一般の)少子化の原因は何だと思いますか」ってな感じなんだから、自分が経済的負担や両立難を感じているかどうかではなく、一般の人はどう感じていると思ってるかを答えているはずなので、こういうことは言えないんじゃないかな。

赤川先生はここからさらに、子育て支援したり両立支援しても、「子どもがいない人が出産を選択するっていう効果をもつとは言い難い」(p.86)、みたいな結論にもってっちゃってる。なんだかなあ。

これを言うためには、たとえば「もし経済負担が問題なのであれば、子なしの人の方が子ありの人よりも「社会全体の少子化の原因を経済的負担と答える傾向が高いはずだ」ってことが言えなきゃならんけど、これはどっから出てくるんだろう?

既婚者子ありの方が経済的負担や両立難を感じているからといって、未婚者や子なしの人々が未婚や子なしでいる理由の大きなものの一つに経済的負担や両立難が入ってないともいえない。まあだめな調査からはなんもわからん、としか言いようがないんではないか。

私これわからんですよ。おかしな調査をもとに勝手な推論をしてしまってるんじゃないんかな。まあ細かいところだけど、慎重なよい本だと思ってたのに残念です。余計なこと書かないで、「こういう調査じゃまともなことわからんよ」ぐらいにしておいてほしかったです。赤川先生ぐらい大物になると、学生様が読んでいろいろ信用しちゃうので困ります。(っていうか私が「赤川先生だったら安心だよ」みたいなん言ってしまったのがいかんかったです。)

まあ私こういう社会調査やデータ扱うのはぜんぜん勉強したことないのでおかしいこと考えちゃってるのかもしれないので、まちがってたら教えてください。


2012年のおすすめ本

叶恭子の知のジュエリー12ヵ月 (よりみちパン!セ)
叶 恭子
理論社
売り上げランキング: 62,722

この本が一番衝撃的だったかなあ。「わたくしは自分の価値観で生きています。いろいろなことを言われているのは知っていますけれども、それによってわたくしの価値観や生き方を変えるつもりはありません。たとえ、そのことによって誰からも好かれないとしても、かまわないのです。」という最初の文章にぶっとばされて鼻血出そうでした。わたくしは、とにかく、自己肯定がなによりたいせつなのだということを、まなんだのです。

風雲児たち (20) (SPコミックス)
みなもと 太郎
リイド社

非常に勉強になりました。世のため人のために生きることは大事。1冊読むのがとんでもなく時間がかかります。日本史で習ったことが「こういうことなのか」と理解できるようになるので、高校生は受験のためにも大志を抱くためにもぜひ読みましょう。そして学問は大事。

遺伝子の不都合な真実: すべての能力は遺伝である (ちくま新書)
安藤 寿康
筑摩書房
売り上げランキング: 5,941

タイトルは刺激的だけど、現在までの人間の形質や行動についての遺伝学研究を慎重にコンパクトにまとめた良書。この先生のは他のも「そうなのか」って感じでおもしろい。『心はどのように遺伝するか―双生児が語る新しい遺伝観』』 はもう古いんですが、遺伝とかについてひっかかっていた疑問に答えてもらって有用でした。『遺伝マインド –遺伝子が織り成す行動と文化』 も。

ワインバーグの文章読本
Gerald M. Weinberg ジェラルド・M・ワインバーグ G.M.ワインバーグ
翔泳社
売り上げランキング: 229,315

なにか書いたりするためには石を拾って歩いてつみあげて壁を作るのだそうだ。私はまだできないけど勉強にはなった。大学院生は必読だと思う。あと『英文翻訳術』も勉強になりました。

よいこの君主論 (ちくま文庫)
架神 恭介 辰巳 一世
筑摩書房
売り上げランキング: 7,972

マキアベッリ先生の『君主論』を小学生にも読めるようにしたもの。生徒様はこれで勉強してクラスを制圧し愚民をおさえこみ、いじめのない善政をしきましょう。教授会でも使えないだろうか。

ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか
ピアーズ・スティール
阪急コミュニケーションズ
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先延ばしは私の宿病。同じようなものを数冊読んだけど、これはおもしろかった。克服できないまでも症状を軽くするためになんとかがんばります。 『自滅する選択―先延ばしで後悔しないための新しい経済学』も堅くてすごい本でした。

貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える
アビジット・V・バナジー エスター・デュフロ
みすず書房
売り上げランキング: 1,992

これもきっちり経済学の立場から貧困を真面目に考えている。倫理学とかよりこういうのの方が重要なんではないか、みたいな。『幸せのための経済学――効率と衡平の考え方 (岩波ジュニア新書 〈知の航海〉シリーズ)』もとてもよかった。あと『この世で一番おもしろいミクロ経済学――誰もが「合理的な人間」になれるかもしれない16講』『この世で一番おもしろいマクロ経済学――みんながもっと豊かになれるかもしれない16講』の2冊はとてもわかりやすい。

人間仮免中
人間仮免中

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卯月 妙子
イースト・プレス

統合失調症の闘病記なわけだけど、読むドラッグとしか言いようがない。そして人間ってのは豊かなものだな、みたいな。でもこういうのに弱い人は多いだろう。うなされます。

隠れた脳
隠れた脳

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シャンカール・ヴェダンタム
インターシフト
売り上げランキング: 130,826

これは恐い本。適応的無意識とか認知バイアスとか。各種の偏見、集団的無行動、カルトとかがどうやって発生するのか。とにかく「自分を知る」ことは難しい。同種の本もけっこう読みました。

FBI捜査官が教える「第一印象」の心理学
ジョー・ナヴァロ トニ・シアラ・ポインター
河出書房新社
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第一印象とかしぐさとか。細かいことがいろいろ勉強になる。 『FBI捜査官が教える「しぐさ」の心理学』もよい。学生様に一部読ませたらたちふるまいが美しくなりました。学生様は『論理的に話す技術 相手にわかりやすく説明するための極意 (サイエンス・アイ新書)』ぐらい読んどくといいと思う。話し方だけでなく、聞き方や態度についても触れている。


セックス哲学アンソロジー The Philosophy of Sexの第6版が出たよ

Alan Sobleが編集していたアンソロジー The Philosophy of Sexの第6版が出てました。

中身がずいぶん変わって、1.(セックス概念の)分析と倒錯、2.クィア問題、3.(性的)モノ化と同意の理論的問題、4.モノ化と同意の具体的問題、という構成になってます。ずいぶん大きな変更です。

The Philosophy of Sex: Comtemporary Readings
Rowman & Littlefield Pub Inc
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ソーブル先生はあんまりLGBTとか詳しくなくて第5版までの扱いは小さかったのですが、今度のは大々的。Raja Halwani先生がトップ編集者になってます。「今回は、比較的安全なセックスそのものの領域を離れて、ジェンダーの問題につっこんでみた。実は5年前(第5版で)はそうする気にはなれなかったのだが、それは編者のニコラス・パワーとアラン・ソーブルがあんまりクィアの問題扱う気になれなかったからだ。というのも、あんまりアカデミック哲学的にたいしたことないように思えたからだ。でもそれから学界も発展してより論文も出たから、今回はハルワニも加えて充実したよ」みたいなことを序文に書いてます。みんな買って読みましょう。

実はアンソロジーにどういう論文が収録されているかリスト作ろうとしたんだけど挫折。もうばらばらで「これは絶対」みたいなのはまだ存在してない感じ。

https://docs.google.com/spreadsheet/ccc?key=0Al25GTQ1cYTtdFlHNWRtTklaaDFYX3lINmJadm5BYWc

こうして見ると論文の栄枯盛衰みたいなんも感じる。ネーゲル先生強い。

生命倫理のアンソロジーなんかだともっとはっきり「これが大事」みたいなんが決まってる気がするけど、セックス哲学ではそういうのはまだまだ。それに生命倫理なんかだとハンドブックみたいな形でとりあえず定説と基本的批判みたいなんを提示することができるけど、セックス哲学はそういうのもあんまりない。どういう問題を中心的だとみなすか、どう編集するかってのも試行錯誤中。まだ未開拓の領域ですわね。


ミル自伝

ミル自伝 (大人の本棚)

ミル自伝 (大人の本棚)

みすず書房から出た村井章子訳の『ミル自伝』(「大人の本棚」とかってシリーズ)。解説のたぐいがまったくない。訳注もないみたい。人名ぐらい注つけてもいいのに。 『自伝』原稿出版の経緯*1や実際に訳出した版や原題*2すらもわからんのだが、みすず大丈夫か?光文社の例のシリーズの対抗なんだろうけど、ミルが誰かもわからず、人名も誰が誰やらわからんという状態でだいじょうぶなんだろうか。学生に勧めたいような勧めたくないような。微妙。

訳文は読みやすくていいんだけど、ちょっと文学臭が薄くなってしまっているような気がする。まあしょうがないかな。

たとえば

At first I hoped that the cloud would pass away of itself; but it did not. A night’s sleep, the sovereign remedy for the smaller vexations of life, had no effect on it. I awoke to a renewed consciousness of the woful fact. I carried it with me into all companies, into all occupations. Hardly anything had power to cause me even a few minutes oblivion of it. For some months the cloud seemed to grow thicker and thicker.

有名なこの「危機」*3の箇所は次のようになってる。

はじめのうち私は、すぐに抜け出せると思っていた。だがそうはならなかった。日々の小さな悩みを忘れさせてくれる一夜の眠りも、このときばかりは効き目がなく、朝になればたちどころに自分の惨めな状態を思い出す。友といるときも、仕事をしているときも、逃れられない。ほんの数分でいいから忘れさせてくれるものがあればよいのに、それもなかった。数か月の間、私はますます深みにはまるように感じられた。

岩波文庫の西本正美先生の訳だとこんな感じ。(戦後の版のやつが見つからないので戦前のやつの表記を変更して引用。みつかったら入れかえる)

最初私は、こうした心の雲はひとりでに消えるだろうとたかをくくっていた。ところが中々そうはいかなかった。人生の些細な煩悶を医するにはこの上もない薬である一夜の安眠も、私の悩みには何の効き目もなかったのである。私は目を覚ますと、新たにこの痛ましい現実に対する意識が更生するのを覚えた。いかなる友と交わるにも、如何なる仕事をするにも、この意識は私に常につきまとっていた。せめて数分間でもそれを私に忘れさすだけの力をもったものはまずなかったのである。数カ月間は、この雲はますます濃くなって行くのみであるように思われた。

この暗い雲*4 っていうイメージは(陳腐だけど*5)大事だと思うんだけどね。文学作品だとやっぱり残さないわけにはいかないだろう。でも村井先生の訳し方もありだな。装丁とか悪くない。このシリーズはけっこう楽しみだ。けど、2000円以内に収めたかった。無理か。

*1:生前は出版されなかったし、養女のヘレン・テイラーがいろいろ手を加えた部分がある。ミルが自分の性生活について書いてるのが残っていればおもしろかったのにね。ハリエットテイラーとはずっとプラトニックでした、とか。

*2:そりゃAutobiographyに決まってるけど。

*3:どうでもいいけど、ミルの「危機」の時代にインターネットがあったらどうだったろうとか考えちゃう。やっぱり2ちゃんねるメンヘル板や半角板に出入りしたかな。

*4:リストに”Nuages gris”っていう曲があるね。あら、International Music Score Library Projectって閉鎖したのか。

*5:陳腐さはミルの魅力の一部。


読書『女が男を厳しく選ぶ理由』

だいたい同じような話だろうと思っていると、ちょっとづつ進んでるのね。この手の学問やってる人はたいへんだろうけどやりがいもあるだろうなあ。ただ、たしかにこの本はかなり誤解されやすような気がする。
的確な書評は http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080116#1200490717 。もう私は shorebird さんが紹介してくれたものを順に読んで生きていくわけだ。

個人的におもしろかったのは、この人たちが金髪碧眼嗜好をわりと普遍的なものと考えている様子なところ。私自身の内観ではそういう嗜好をさっぱり見つけられないのでなんか愉快。さすがにバイキングたちの息子は違う。風に飛ばされてきた髪の毛一本から、「金髪のメリザンドよ」とやっちゃうに違いない。きっとわたしのご先祖にはそういう淘汰がかからなかったのだろう。南方系? カナザワ先生もブロンド好きなのかなあ。あ、ブロンドの女は馬鹿偏見の説明 1)それは若いから。 もよかった。 でもニキビ面馬鹿 2)若いから 仮説とか背の低いのは馬鹿 3)若いから 仮説が成立しなかったのはなぜか?他のところも、この人々独自の説明はなんかちょっと甘いんだよな。


References   [ + ]

1. それは若いから。
2, 3. 若いから

角田由紀子先生の強姦事件判決批判

性差別と暴力―続・性の法律学 (有斐閣選書)

性差別と暴力―続・性の法律学 (有斐閣選書)

これはよい本だなあ、と思っていたのだが。

次に詳しく紹介する1994年の東京地方裁判所の判決は、
強姦罪の被害者になりうるには、貞操観念が強固であることを求めているといってよい。
「被害者資格」と呼んでもよい。(p.189)

判決は無罪の理由の一つに被害者の証言が信用できないことをあげている。
信用できない理由の一つとして、この女性に大きな落ち度があったこと、
「貞操観念」に乏しいことを指摘した。(p.190)

A子のように、「淑女ぶって」いながら、実は性的に奔放で
慎しやかでないと烙印を押された女性の被害はなかなか信用されないことを、
この判決は示している。(p.193)

こういうのを読んで、先週まで私は「90年代になっても法曹関係者はだめな
人ばっかりなのだなあ」と思っていた。のだが。

でも判例時報 1562号「強姦致傷事件、東京地裁平5(合わ)167号、平成6・12・16刑八部判決、無罪(確定)」ってやつ読むとずいぶん印象違うよ。困ってしまう。これで
有罪にするのは無理だろう。

うーん、比べて読んでほしいのだが、裁判所の判例データベース
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0010?action_id=first&hanreiSrchKbn=01
は使えん。だめか。

とりあえず角田先生が引用している判決の一部再掲。

(A子は)「甲野[ディスコ]で声を掛けられた初対面の被告らと
「乙山[スナック]」で夜中の3時過ぎまで飲み、その際には
ゲーム[エロ系王様ゲーム]をしてセックスの話をしたり、
A子自身は野球拳で負けてパンストまで脱ぎ、同店を出るときには
一緒にいたD子、E子と別れて被告人の車に一人で乗ったというのであるから、
その後被告人から強姦されたことが真実であったとしても、A子に大きな落ち度が
あったことは明らかである。(角田p.190。[]内はkalliklesの補。)

A子については、慎重で貞操観念があるという人物像は似つかわしくないし、
その証言には虚偽・誇張が含まれていると疑うべき兆候がある。(角田p.193)

たしかにここだけ読めば「これはひどい」だよなあ。この本読んでから5年
近くずっとそう思ってた。なぜ被害者の「落ち度」や「貞操観念」や(面倒だから
引用しないけど)過去の職業歴が強姦致傷
の裁判で問題にされる必要があるのだ!男権主義的司法制度粉砕!ってのが正
しい態度だろう。

しかし(面倒なので今日はやめ。続く。)


角田由紀子先生の強姦事件判決批判(2)

http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20071118/p3 の続き。

性差別と暴力―続・性の法律学 (有斐閣選書)

性差別と暴力―続・性の法律学 (有斐閣選書)

しかし判例時報 1562号の「強姦致傷被告事件において、
被害者の信用性が乏しく、和姦であるとの被告人の弁解を排斥できないとして、
無罪を言い渡した事例」を読むと、ずいぶん印象が違う。

事件は物証とかがないので、「証言の信用性」が問題とされたらしい。
被告人の言い分は「乙山からA子を送っていく途中、同女がワゴン車内で
嘔吐したことからトラブルになった」ってことらしい。

そもそも受傷状況についてもいろいろ問題があるようだ。

結局、アないしケの証拠を総合しても、本件の直後にA子が
左下腿部・両側大腿部の諸々に皮下出血の傷害(全治約1週間)を負っていたことが
確認できるだけであって、それ以上にA子に本件に起因する受傷が存在したと認定することはできない。

ってことらしい。それくらいは酩酊状態でもどっかにぶつけてもできるだろ
う、ということらしい。問題は、A子さん側がどうも傷を大き目に訴えていたらしく、

逆に、これらの傷害に関する証拠を比較検討しただけでも、A子やD子らA子側の者の証言
等に客観的事実に反する部分やことさらに誇張した部分が含まれている疑いが濃厚であるということができる。

ここらへんで裁判官の心証がかなりわるくなっている。

さて、問題の箇所。

このようにA子は、自分は一応慎重に行動していたという主旨の証言を
している(特に、第12回公判では「セックスすることを承諾したと
受け取られるような言動は全然していない」と証言する)。しかしながら、
A子証言によっても、「甲野」で声を掛けられた初対面の被告人らと
「乙山」で夜中の3時すぎまで飲み、その際にはゲームをして
セックスの話をしたり、A子自身は野球拳で負けてパンストまで脱ぎ、
同店を出るときには一緒にいたD子、E子と別れて被告人の車に一人で乗った
というのであるから、その後被告人から強姦されたことが真実であったとしても、
A子にも大きな落ち度があったことは明らかである。

やっぱりこの判決文はどうかって感じだ。ちなみに被告人側の証言なんか考慮に入れた
裁判官の推測では、「A子はパンティーまで脱いで振り回したのではないかとも疑われる」らしい。

以上のようにA子は、初対面の被告人らの前で、
ゲームとはいえセックスに関する話を抵抗なくしている上、
少なくともパンストまで脱いでこれを手に持って振り上げるという
大胆かつ刺激的な行動をとっているのであるから、かなり節操に
欠ける女性であると言わざるをえない。

と判決文は結論しているのだが、これも「節操に欠ける」とはなんだかなあ
という感じもある。大酒飲んで王様ゲームして、露骨なセックスの話をしてさ
らにパンツ脱いで振りまわして一人で男の車に乗ってしまったら、強姦されても
当然とはとても思えないし。「落ち度」と呼ぶのはたしかにあれなんだけどね。うーん。

でもまあそういう判決文の書き方はともかくとして、問題はA子さんやその
友人のD子さんの証言がどの程度信用できるかってところなのね。んでかなりそ
れが疑わしいというのが裁判官の判断。そっちがポイントで、A子さんのセルフ
イメージや、彼女自身の裁判での主張と、A子さんを「客観的」に見た場合の評
価との食い違いを、A子さんが十分に認識できてないんじゃないかとか、そうい
う感じ。「落ち度」があったから強姦されても当然とか、派手な生活をしてい
たから信用できないとか、そういう判決ではない(おそらく一応のところは)。

うーん。んで、

A子は、「乙山」における言動及び同店を出発する際の状況に関し、
和姦の可能性を曲げて証言していると認められるから、A子証言のうち
被害状況に関する分(すなわち核心部分)についても慎重に判断する
必要がある。そこで、被害状況に関するA子証言を子細に検討すると、
次のとおり、不自然、不合理な点が多く見られるのである。

(略)

以上のとおり、A子証言の確信部分というべき被害状況自体に関する部分にも、
不自然、不合理な点が数多く存するのである。

とされちゃってる。まあ判決文を読むかぎりでは、これで有罪にしちゃうと
やっぱりまずいだろうという感じ。うーん。

判決文から私が推測したのは、おそらく、被告とA子さんはセクースするま
ではなかよしだったけど、セクース終ったあとでA子さんが車のなかでゲロを吐
くことになり、セクース終ってしまえば女性よりも車が大事な鬼畜被告が怒っ
てA子さんに対してひどい扱いをして、さらにA子さんにとってはあんまり仲の
よくない(一応)ボーイフレンドFさんとの関係もあって、D子さんと口裏あわ
せて訴え出たのだろう、鬼畜な被告人にはなんか罰を与えてもよいような気もしないではないが、
でもこれを有罪にするのは「疑わしきは罰せず」の原則からしても
無理だと裁判官は思っているようだ、ってことかなあ。なんだかなあ。なんか
気分が落ちる。

まああんまりおもしろくならなかったけど、角田先生のこの本のこの部分に関しては
?マークがついちゃう感じ。角田先生の本読んでこの部分に優れたものがあると
思っていた人は、判例時報の記事を入手してみてください。まあ角田先生の主張にとって、
あんまり適切な判例ではないような気がする。「落ち度」とか「節操」とかって表現がアレなのはそうなんだけどね。
正直なところ、私はどう考えたらいいのか困ってしまった。

もちろんこういう事件が重大であるし、
スーザン・エストリッチの『リアル・レイプ』その他多くの文献をひきあいに出すまでもなく
実際に被害を受けた人が訴えたり裁判で勝ったりするのはほんとうに難しいのだろうし、それはなんとかしなきゃならん
(被害の発生を防ぐのはもちろんのこと)のはそうなんんだけど、
角田先生が主張しているように貞操観念が薄い女はそれだけで信用ならんとか強姦されて当然だとかってことを
司法関係者が思っているだろうってことではないような気がする。わからん。

ちなみに書いておくと(あんまり書きたくないけど目にしちゃって書かないのも あれだ*1)、
岩国の米兵レイプ事件不起訴について

で署名活動をしようということらしいけど、大丈夫なのかな。

広島地方検察庁は、「本件の事案の性質」を理由として、不起訴とした根拠の説明を拒みましたが、被害者のプライバシーに配慮しながらも、説明責任を果たすことは可能なはずです。

というけど、上のような判決文を読んでしまうと、そんな簡単ではないように
思う。どうもセカンドレイプというか被害者バッシングや、「夜中まで遊んでいる」女性一般に対する社会的な非難感情を
引き起こしてしまいそうな気がする。
上のA子さんの事件について判決文写経しているだけでさえ、いろいろ気になる。この
記事消すかもしれん。

もちろんアジア女性センターが被害者側と連絡がとれてたり裏が取れてればそれでいいん
だと思うけど、そうなのかな。そうじゃなくて「とにかく情報を出せ」と主張
しているのなら、なんか心配。そういの、どうなんだろうなあ。困り。

*1:この件書きはじめたときは岩国の事件についてはほとんど考えてなかった。本当。


遺伝学の基礎を誰か教えてあげてください

http://d.hatena.ne.jp/desdel/20071002

 遺伝病(=相続病)とされる病気において、孤発例が観察されることがある。例えば、遺伝病の典型と思われている血友病(X染色体連鎖遺伝)では、稀に女児の発病例が報告されるだけでなく、何と三分の一が孤発例とされている。これは、どういうことだろうか。教科書的な説明は二つある。新生突然変異の故にとする説明と、家系の種々の事情(追跡不能、病歴記録欠如、他病による早世など)の故に孤発に見えるだけと示唆する説明である。しかし、それで説明が付くことになるだろうか。そこに嘘はないにしても、何ごとかが解明されずに曖昧にされてはいないだろうか。

孤発例の人間が子孫を残すなら、家系を創出することで、いわゆる創始者効果を発揮することになる。そのまま進行するなら、孤発例は消失して、すべてが通例の遺伝様式に従うことになるだろうか。孤発例が突然変異によるなら、それでも孤発例は出現するはずである。ところで、孤発例の人間が<優生>によって(殆ど)子孫を残せずに歴史が推移してきたとするなら、どうなるだろうか。孤発例が突然変異によるなら、やはり孤発例は出現するはずである。以上を勘案しながら、(発病に<都合のよい>)突然変異率や遺伝子分布均衡などについて語るにはどうすればいいのだろうか。ここでも明らかなのは、<優生>には如何なる集団的合理性も無いということだが、それ以上に気にかかるのは、例えば、<三分の一もの孤発例を伴う遺伝病>が起こるようなポピュレーションとは何なのかということである。他の人びとは、<孤発例を必ず伴う遺伝病>なる概念に理論的不安を感じていないのだろうか。その不安をめぐる問いを正しく定式化する力は私には無いので、識者に教示を願いたい。

なんにも曖昧なところはないし、「孤発例を必ず伴う遺伝病」という概念になにもおかしいことはない。これからも運悪く血友病になる変異遺伝子をもつ人が出てくるだろう。宇宙線とか化学物質とかいろんな作用で遺伝子に影響があるのは避けられないのだから。

もしかしたらdesdel先生は、実体として特定のDNA配列の「血友病の遺伝子」ってのがなんか一種類ある、さらには一種類しかないと思ってるかもしれない・・・いやいくらなんでもそんなことはないだろう。あれ、私自身最初は「血友病の遺伝子」って書いちゃってるけど、まあこれは実体としてそういうのがあるってんじゃなくて、ある部分に異常があると血友病になっちゃうってことで。なるほどこういう書き方が誤解をまねくんだな。失敗失敗。

識者に教示してもらうまえにそこらへんの遺伝学や遺伝病の本でも読んだらどうか。木村資生先生の『生物進化を考える (岩波新書)』ぐらいでもいいじゃんね。木村先生がわりと単純な優生主義者だから読むのがいやだというわけでもあるまい。コメント欄あけておけば誰か生物学の基本を知ってる人が教えてくれるんじゃないかと思う。はてな人力検索で質問してもいいじゃん。「孤発例を必ず伴う遺伝病という概念はおかしくないですか?」とかけば、たくさんの人が答えてくれるはずだ。100はてなポイントで十分だろう。

まあブログで出版原稿を書く試み(これはかっこいい)で、「識者に教示を請う」のはただの飾りなのだろう。

追記

まあ好意的に読めば、よくわからない劣性の遺伝病因子とかきっととんでもなくたくさんあるね、とか、変異もっちゃうことってけっこうあるんだな、とか、血友病は伴性遺伝だから目立つんだな、とかそういうことなのかな。哲学者とかは「どんな病気も遺伝病である」とかっていいたくなるのかもしれない。実際、われわれがもっとよい免疫システムもってれば感染症さえかからないかもしれないわけだし。もっと生物として優秀ならガンも糖尿病にもならないかも。人間じゃなければ老化もないかもしれん。でもこういうのって「遺伝病」ってのを医学的な文脈とは違う使い方しちゃってるよね。

そういや上の木村先生の岩波新書のちゃんとした批判て見たことないような気がするな。先生はたしか(手元にないので正確じゃないけど)「現代の福祉社会では変異が淘汰されずに蓄積されて有害だから、ある程度優生考えないと」とな感じの主張してたはず。なんかそこのところは根拠があやふやで議論がおかしかった記憶があるんだけどね。ビッグネームで岩波新書だから一般読者には影響力大きいんじゃないだろうか。だいじょうぶなのかな。もう古いからどうでもいいのかな。お亡くなりになってるらしいから改版もしないだろうし。