中里見博先生のポルノグラフィ論 (2)

最近児童ポルノの単純所持の違法化の議論あたりの影響か、「中里見博」で検索してたどりつく人が増えているような。http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20060313/p1 にひっかかって来訪していただいているらしい。

新しい本を出してらっしゃるのでじっくり読んでみる。(前にも書いたが政治的にはまったく違う立場に立つけど、やっていること自体や立派な学者的態度は応援している。)

ソフトからハードまでグラデーションとして存在するポルノグラフィを共通して貫いている原理は、女性を性的に客体物化する(objectify)ことである。(中略)女性の性的客体物化の究極的な形態は、女性の死であるといってよい。つまり、女性の性的客体物化の行き着く果ては、セックス殺人(セックスを目的に女性を殺すこと)である。女性を性的客体物化することを快楽とする男性のセクシュアリティは、究極的にはセックスと死を結びつける — 女性の死こそ男性の最大の性的快楽とする — 権力にほかならない。つまり、女性を性的客体物化する男性のセクシュアリティそのものが、一つの権力なのである。女性の性的客体物化(sexual objectification)、これがジェンダーとしての男性が女性に行使する共通の性的権力である。(pp. 26-7)

うーん、どうなんだろうな。ポルノが女性を客体物化(objectify)しているってのまではわかるのだが、それがセックス殺人と結びつくってのはとっぴもない主張に見える。まあそういうのが好きな人がいるってのはありそうな話だが、ポルノ好きを極めると殺人ポルノに行きつくってことはどれくらいありそうな話なのかな。私はほとんどありそうにないと思うのだが。レイプもの好きなのもそれほど多くないような気がするし。「行き着く果て」ってのは、「一部の人の嗜好が行き着く果て」ということでよいのだろうか。

まあじっくり読んでみよう。衝撃的だったのはあとがき。

七年にわたるAPP研究会での活動をつうじて、多くの同志と出会い、少なくない同志を失った。この活動は幸福よりも不幸を、喜びよりも苦悩を、より多くもたらしたかもしれない。(p. 238)

うーん、いろいろたいへんだったんだな。やっぱり不幸になる研究活動とかって のは凡人には難しい。研究や勉強は、相応の快楽や喜びをもたらさねばならない [1]私は功名心や名声心だけでなく、敵意の満足でさえよろこびの一部をなすならそれでもよいかもしれないと思うようになってきている。 。訴訟とかもあったしなあ。あの会の活動のしかたが、ちょっと無防備というかvulnerableな感じがあって心配していたのだが。(この研究会も、webの使い方がヘタな団体の一例なんだよな。http://www.app-jp.org/

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1 私は功名心や名声心だけでなく、敵意の満足でさえよろこびの一部をなすならそれでもよいかもしれないと思うようになってきている。

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