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ジョージマイケル先生とわたし

ちょっと前に「ワム!の「ラストクリスマス」は失恋の歌ではない」とかかいたばっかりなのに、ジョージ・マイケル先生も突然死んでしまって、しばらくそれを認められずに苦しんでいたのですが、まあやっぱり死んでるみたいですね。ジョージマイケルについてはボウイ先生よりさらに親しみを感じていて、つらい。でもいつまでも死んでません、って言い張るわけにもいかなですわね。デヴィッドボウイ、プリンス、ジョージマイケルと死んで、もう私のアイドルは誰も生きてないです。死んで悲しい、って思う人はおらんだろう。ポールやミックがなむなむしてもまあ寿命。ジョージマイケルはまだわかかったからねえ。

ワム!を初めて聞いたのはやっぱりラジオ、1983年の夏ね。

1982年5月28日 Roxy MusicのAvalon
1982年7月? Tracy ThornのDistant Shore
1983年4月14日 ボウイのレッツダンス
1983年7月9日 Wham!のFantastic

とか私にとって重要。

まあワムのファンタスティックは、ほんとに驚きましたわ。若干20歳、とかでデビューしてきたんだもんよ。とにかくまずカバーのLove Machineに驚いた。

 

オリジナルはミラクルズのはず。ワムのはけっこう忠実なカバーなんだけど、ドラムがクリック聞いて叩いてて、ぴったりスクエアな感じがなんか暴力的でいいわよね。

 

Bad BoysA Ray of SunshineClub Tropicanaもものすごい完成度で、最初はこれって誰か有能なプロデューサーみたいなのが作ってて、この二人はただのアイドルなんだろうな、とか思ってたんですわ。(ちなみにトロピカーナに出てくる女性の片方はD. C. Leeという歌手で、あとでスタイルカウンシルのポールウェラー先生と結婚します。アルバム好きなんよね。)

大学にはいった年にCareless Whisper聞いて、これ17歳のときにジョージが作ったん店で本気で天才なのだと気づいた。とにかくすごい。Last Christmasもね。

Make it BigもカバーのIf you were thereとかもいいし。(これはアイズレーの曲

Faithもよく聞いたけど、その後、ずっと鬱な曲を作り続けるんよね。
なんといってもOlderのFastloveがすごくていまだに何回も聞いてる。まあここらは最近書いたばっかりね。

あと好きな2曲だけ紹介しておくと、1曲はクィーンのSomebody to Love、もう1曲はボニー・レイットのI can’t Make You Love Me。こう、モテてセックスなんかしまくりなのに満たされないみたいな感じが鬱で魅力的。

フレディーのバージョンより好きなくらい。

こっちはプリンス版のカバーも好き。オリジナルもよいし、キャンディ・ダルファー先生のもいい。名曲。
まあ、作る曲もすごいけどカバー歌手としてもすばらしいですわね。寡作な人だったんがなんともかんとも。もともと鬱傾向の人だったんだろうけど 1)母方のおじさんもゲイで自殺してたはず。 、薬も良くないんだろうな、みたいな。

まあほんとにショックでした。まだ受け入れられないけどねえ。

 


References   [ + ]

1. 母方のおじさんもゲイで自殺してたはず。

デヴィッドボウイ先生とわたし(下)

→ デヴィッドボウイ先生とわたし(上)から

 

んでまあベスト盤とかで過去の曲も勉強したわけですが、ボウイ先生はえらいっすわね。まさにロック。

70年代を振り返って、ボウイ先生とかT-REXあたりっていうのは、「グラムロック」とかってくくりで、なんか女子ウケを狙ってるって感じで、男子にはあれだったんですわ。これ、いまとなってはわかりにくいかもしれないけど、中性的なイケメンがあんまり難しくないことをする、ってんでとにかく少女マンガの世界だったんよ。

でも曲はいいんよね。

こう、ものすごくシンプルなのに力がある。パンクロックとか先取りしてるっすね。でもそんな年がら年中叫んでなきゃならないわけではないし、テンポだてゆったりとってかまわん。

それにリズム的にもおもしろい、っていうか、このまえ、ジョージ・クリントン先生の自伝読んでたんですよ。『ファンクはつらいよ』っていうの。ジョージ・クリントン先生はパーラメントとかファンカデリックとか、P-Funkと呼ばれる黒人音楽の総本山の中枢というかプロデューサーというか、とにかくご本尊なわけよ。

クリントン先生はとにかく黒人音楽コミュニティではものすごく偉いんだけど、若いときは実は黒人音楽じゃなくてイギリスのロック聞いてたらしいんですわ。ビートルズとかストーンズとかエリック・クラプトンとか。これおかしいっしょ。んでラジオでクラプトンがブルースについて喋ってるの聞いて黒人音楽について学んだ、とか言ってんの。おどろいた。

んで、パーラメント(P-Funk)がブレークした1曲であるGive Up the Funkって曲があるんすわ。

 

まあものすごくファンクでかっこいい。ところがこの曲、ボウイ先生のFameのパクリだったと。

Mothership Connection第三の主要楽曲は、デヴィッド・ボウイのFameを聞いたときに閃いた。この曲がラジオから流れてきたとき、俺はチェンバーズ・ブラザーズからバンドに加入した新ドラマー、ジェローム・ブレイリーと一緒だった。これがGive Up the Fuunkに彼が共作者としてクレジットされている理由の一つだ。スタジオに戻ると、俺たちはビートをアレンジし、Gie up the Funkの中で再構築した。(p.174)

なるほど!っていうかたまげましたね。普通、ポップ音楽では、黒人→白人っていう影響関係ってことになってて、いつも黒人のほうが偉いんだけど、そうじゃないんよね。

 

ていうか、そういうことを知ると、ジョージ・クリントン先生が名盤マザーシップコネクションでやってる「宇宙からスターチャイルドが地球にやってきて」とかってお話は、ボウイ先生がジギー・スターダストでやってることなわけよね。

 

ボウイ先生のジギースターダスト

クリントン先生のスターチャイルド

とかなんとかってんで、ボウイ先生は偉大だなあ、みたいなの感じてましたわ。

あとまあ歌詞の面についていえば、HerosとかAbsolute Begginersとかもう最高すぎるわよねえ。君も僕も、1日だけヒーロになれますよ。1日だけだけど。でも誰でもヒーローになれる。シンプルで、これぞロックという歌詞。訳詞はたくさんあるから探してみてください。

 

というんで、ボウイ先生には本当にお世話になりました。さよならボウイ先生。

 


 

これものすごく面白いから黒人音楽ファンは必読。


デヴィッドボウイ先生とわたし(上)

デヴィッド・ボウイ先生の名前を知ったのはいつだったかわかりません。高校生のころには存在は知ってたと思うし、そもそも70年代の少女漫画に出てくる主人公はみんなボウイ先生だったし。

私自身がボウイ先生を本気でミュージシャンとして意識したときは覚えていて、まず、渋谷陽一先生のラジオで聞いたんですね。そしておそらくその数ヶ月後に、なんか受験雑誌か英語雑誌でLet’s Danceの歌詞についてのエッセイっていうか英語の説明みたいなのを読んだ。まあシリアスムーンライトがどうのこうの、レッドシューズがどうのこうの、とかそんな面倒なことは書いてなかったと思う。でもそういうの読んで興味をもって、レコード買ったんちゃうかな。6月か7月のはず。

そういう、歌詞の鑑賞の手引ってけっこう大事なんよね。音楽なんか大量にあるから、なんかひっかかるところがないと興味をもつってことは難しい。「へえ、そういう歌詞なのか、んじゃ意識を集中して聞いてみよう」みたいにしないと、心に響かないことは多い。そういうきっかけは、他人のごく個人的な話でもいいんよね。「へえ、この人そういう事情でこの曲好きなのか」「そんなふうに聞いてるのか、キモい」みたいなのでも趣味は広がることがある。私自身こういうのいろいろ書いてるのは、そういう文章を書いてくれた人々への恩返しみたいなところがあるんよね。

まあ当時は田舎の高校生で、田舎ではまだMTVとかやってなかったから、ラジオと文章はとても大事だったってのもある。いまはなんでもありすぎてよくわからんわよね。

んでレコード聞いてみて、とにかくLet’s Danceより、最初の曲であるModern Loveのドラムにしびれましたね。こんなかっこいいのがあるのか!オマー・ハキム先生ね。Let’s Danceの方はトニー・トンプソン先生。それにしてもドラムよすぎる。いろいろ細かいゴーストノートとか入れてこういう感じになってるんだろうけど、私の耳では聞き取れないですね。それにしてもかっこいい。

まあ「ナイル・ロジャースがプロデュースして」ってよく言われてたけど、私自身はロジャース先生が誰だか知らなかったし、当時の多くのリスナーは実はChicとか知らなかったと思うね。むしろこのアルバムでは、当時のロック系一般リスナーには、「スティーブ・レイ・ヴォーンがテキサスブルースギター弾いてる」の方が話題になってはず。まあテクニカルじゃないけどかっこいいですわね。

このアルバム、高校3年の春のやつで、大学入ってからも「モダンラブのドラムいいよなあ」とかしゃべってたのを覚えてる。しかし私にとってのボウイ先生はレッツダンスではないのですわ。大学1年の秋に「トゥナイト」が出て、これはすぐ買った。これはいかれた。

最初のLoving the Alienはロマンチックだし、Don’t Look Downのなんか下向いてる感じが、みんなきれいな服着て木屋町で遊んでるのに私はゲームセンターでバイトなんかしてる、みたいなのにあれしてね。

 

私のレゲエ好きはここらへんからも来てるんよね。

Tonightのポジティブさもいいし、God Only Knowsはビーチボーイズのおりじなるよりよい。もうこれのA面は最高。

聞いてください。

この1回生から2回生にかけての時期は、まだ外で酒飲む習慣とかもなくて、自分や友達の部屋でごろごろしていることが多かったんよね。1回生の冬はゲームセンターのバイトずっとしていて、大学の友達よりそっちの知り合いといるときが多くて、このアルバムとかも衣笠大学のやつと酒飲みながら聞いた記憶がある。まあ酒飲みながらだらだら話するっていうのは大事よね。大人になるとなかなか難しい。

 

(→ デヴィッドボウイ先生とわたし(下) へ)


私とコンピュータ

小学5年生
TK-80発売。親にねだるが買ってもらえなかった。『ラジオの製作』の記事を
読んで、ライフゲームもどきのプログラム書いてみて書いて手でアセンブルして
山形市の電器店で入力してみたり。
中学生ごろ
APPLE II 発売。親にねだる気もしないほど高かった。秋葉原の
電器店で触ったり。
大学生
PC欲しいと思いつつ貧乏で買えなかった。
1988年(大学5回生)
卒論〆切直前の12月、シャープのワープロ「書院」を買う。日記を書きはじめる。
1989年(M1)
奨学金を頭金にしてEPSON PC-286V + 20MB HD 購入。PASCALでプログラム組んだりする。

1990年(M2)
修論直前の12月、モデム(2400bps)を買う。ASCII PCSと草の根を
中心にネットワーカーになる。大学の計算機センターでUNIXに触れ、fjを読みはじめる。
1991年(D1)
奨学金を頭金にしてMac SE/30を買う。
MacWrite IIとか。
社会学研究室のSUNワークステーションを使わせてもらうようになり、
UNIXが中心に。SE/30はまさにNinjaTermを動かすための端末になる。
Emacsにはまる。
1984年(OD1)
SE/30のフロッピードライブがつぶれてしまい、
Mac 475LCを購入。 NISUS Writerとか。
1996年
社会学研究室のワークステーション上でHTMLを書きはじめる。
www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp 立ちあげたりする。 
1997年
某君からもらった古いPC98にFreeBSDを入れてうちでも
UNIXを使うようになる。
1988〜2001
なんかバブルで色んなコンピュータを触る。
Sun Ultra 10 (Solaris 2.6)の世話したり。
www.fine.bun.kyoto-u.ac.jp立ちあげ。
2000年
メインはFreeBSD。ThinkPadでWindowsって感じ。
いろんなマシンにFreeBSDいれてサーバーに。
2002年
OS Xの普及を期に、久しぶりにMacを使いはじめる。
2003年
光ファイバーにして
ドメインもらって自宅サーバ yonosuke.net を開設する。FreeBSD。
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2019
2011
2012
2013年
WordPressを導入する。
2014年
使っているのはメインマシンがiMac 21、Macbook Air 11インチ、研究室ではMacbook Air 13インチ。

現在使っているアプリケーション・ウェブサービス (2014年11月)

最近1回生向けの大学での勉強ガイドみたいなものを書いたのですが、パソコン・ネット周りを書くことができなかったので、今私が実際に利用しているアプリケーションやサービスを書いておきます。ごく普通の誰でも使っているものばかりですが、学生様は知らない人がいるかもしれない。

Evernote

メモはEvernoteです。ChromeにEvernote Clipper入れて気になるページはクリップしてます。iPhoneでも使う。便利。

Dropbox

Dropboxを利用して、ファイルを研究室と自宅で動機させています。USBメモリなどでファイルを持ち歩くのは危険です。あれは非常に壊れやすいものです。いまはだいたいどこでもネットが使えるので、クラウド(オンライン)を使いましょう。Webからでもファイルが取り出せます。iPhoneなどでも見たりできます。

Google Drive

Dropboxと同じ。それにオンラインでファイルの編集ができます。他の人に見せたりするのも楽。

Remember the Milk

ToDo管理はRTMでやってます。iPhoneにも入れてます。他にもToodledoとかよさそう。でもiPhoneのアプリでもいいし、Google Tasksとかでもいい。

Google Calendar

カレンダーもGoogle。iPhoneのカレンダーと同期できます。

Gmail

メールもGoogle。迷惑メールをほぼ完全にシャットアウトしてくれます。

Mendeley

PDFの論文はMendeleyで管理してます。iPapersってのもよさそうだけど。

MediaMarker

蔵書管理等はMediaMarker。amazonと連携して便利。欲しい本もamazonからこれにクリップしてます。

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Google Chrome

ウェブはChromeで読んでます。速いし、これも研究室と自宅で同じ環境が使えるので便利。

PasswordBox

Chromeの機能拡張。パスワードを覚えてくれるだけじゃなくて(それならChromeだけでもできる)、自動的にログインしてくれたりもします。

AdBlock Plus

Chromeの機能拡張。うざい広告を消してくれる。

FormatMatch

コピペするときに、ウェブ→Wordとかだとなんかへんなスタイルがついてくるので、テキストだけにしてくれる。


yonosuke昔話(9) 2ちゃんねる赤の他人バンドでステージに出る

んで、このときのジャムセッションの感じがとてもよかったので、このままライブしてしまえ、ってことに。

その場で「こういう企画があって」って説明して2回ぐらいリハして出よう、みたいな感じ。実際に練習したのは2回だったか3回だったか。ギター3、キーボード1、ベース、私ボーカル、みたいな。

時間なかったけどみんな腕利きだから「こういう感じにしたい」っていうとやってくれるすばらしい状態でした。でも全員そろって練習できたときはなかったんだったかな。特にハンター・Kさんは私と同じくらいの年齢で実質的にバンマスというか方向性教えてくれてよかた。

2003年11月3日の学園祭。雨ふってたけど強行。

ハンター・K、蔵土、ふりっぷ教授(以上ギター)、べーかも(ベース)、でほ(ドラム)、やや(キーボード)。

ステージの1番手だったのでサウンドチェックがあったのですが、みんなパープルのBurnを弾きはじめてすごかった。はじめてやってるのに完コピ。なにごとかと人集ってきておかしかったです。

客寄せファンク  http://yonosuke.net/yonosuke/20031103-1.mp3 かっこいい。
J-A-S-RAC ← http://yonosuke.net/yonosuke/20031103-2.mp3 まあこんな感じか
ちょっと待って ← http://yonosuke.net/yonosuke/20031103-3.mp3 リズムギターがうらがえってしまってうまくいかなかった。私が求めてるノリみたいなのもリハでうまく伝わらなかったのが残念。ハンターKとふりっぷ教授のギターバトルさせよう、っていうのは成功。
みのむし(←夏はボサボサから進化した) ← http://yonosuke.net/yonosuke/20031103-4.mp3 いまでも好き。歌詞その他気にいってる。ソロはもうひとりのギターの蔵土さん。
ラチラチ ← http://yonosuke.net/yonosuke/20031103-5.mp3 まあ最後はこういう感じでおわろう。

まあリハ不足でちょっとあれだけど、私としては満足。次はきちっとやろう、みたいな。


yonosuke昔話 (8) 自分で人を集める

「ジャムセッション」から半年、くだらない音源を作りつつ、いろいろ想を練ったわけです。とりあえず前年コピバンで学園祭に出たから、こんどは自分のバンドで出たい。しかし友達バンドは技術が足りない。

てんでやっぱり楽器板の連中とやりたい。

というわけで、夏に今度は自分でジャムセッションを企画しました。前は大阪だったけど、京都でやる。んでそこに集まった連中をバンドにして学園祭に出てしまおう、というそういう邪悪な計画。

このセッションはおもしろかったですね。集まった人はみんな腕がいいし、「こうしたい」っていうとやってくれる。

私がスタジオ代出してるから王様。「しゃべってるとき音出すのやめよーぜー」とか。

その場で曲を作ることさえできました。まあアイディアはもっていったんだけど。

1曲は、そのころJASRACがネットで話題になってたので、ビートルズのTaxmanを替え歌にしてJASRACの歌にしたらおもしろいだろう、みたいな。アイディアだけだったんだけど、その場で録音までできた。ベースの人がTaxmanをよく知ってたんよね。

http://yonosuke.net/yonosuke/jasrac.mp3

尊敬する毒薬仁先生

その場で書いた歌詞。「俺の名前を知ってるか」はジョージ秋山先生の『くどき屋ジョー』『WHO ARE YOU?』から。

俺の名前を知ってるかい
俺の名前を知ってるかい
俺はJASRAC、泣く子も黙るJASRAC

歌歌うんなら金払え
ギター弾くなら金払え
俺はJASRAC、泣く子も黙るJASRAC

この時点で、ライブでふりつけしようと決めた。

その場で歌詞書いたりしたんよね。最初のギターソロは私。

だんだん皆帰ってしまって人が少なくなってから、ドラムとギターと私だけになったんだけど、ギターの人がジャズの勉強しているってんで、私がピアノ弾いてこれもできた。

http://yonosuke.net/yonosuke/201308bosa.mp3

このセッションは自分にとって非常に実りがありましたね。私はコンポーザー/バンドリーダーとしてやってけるかもしれない。


yonosuke昔話(7) 2ちゃんねる楽器板の「ジャムセッション」に参加してみる

えーと、2002年の夏に共作にチャレンジしたところまでね。

そのあと秋から冬にかけて、ネット上ではかなりいろいろやってたんですが、ちょっと飛ばして生身の活動を。2002年の秋には、友達の哲学者バンドで学園祭出たんですわ。ビートルズとかのコピバン。これ音源がなくてあんまり語れない。演奏もまあそういう感じであんまり語るべきものもない。まあふつうのコピバン。

でもだんだん自信がついてきて、2002年の12月に2ちゃんねる楽器板で、大阪でジャムセッションオフミするぞってんで賑やかしに参加したんですね。オフミとか出ることはめったにないのでいろいろ緊張しました。ベースがいないってんでベースもってくことにしたんだけど、もってるベースは中学生がヘビメタすご飯るのに使うような8000円の先っちょが尖ったやつしかないので中古楽器屋でもうすこしまともなやつを入手。あとパーカッションちょっともってたかな。

んで参加してみると、これがなかなか厳しい場だったんですね。

9人か10人ぐらいいたと思うんだけど、20代男子中心。10代もいた。ドラム2人、キーボード1人、ベース1人(私)、ギター5人? 雑談とかもせずすぐに「んじゃやりますか」ってんで誰か弾きだしてそれにあわせる、みたいな。しかしキーも構成も決まってなくてどうしたらいいかわからない。ギターの人たちが4人ぐらいいて大音量で鳴らすもんだからなにやってるかわかんない。ジャムセッションというのはこういうのものなのか!みたいな。まあおかしいですよね。困りました。

とりあえずワンコードでなんかしたいのかな、とか。でもギタラーは自分しか聞いてないからどうにもこうにも。いやすごい困りました。その後知ることになったのですが、ギターの人というのはどこでもそうなんですよね。打ちあわせとか相談としかしているときもピロピロ弾く。あれなんなんでしょうね。

んで、まあ私が一番年嵩みたいだったら、「とりあえずAのブルースやりましょうよ」「誰がソロとるかはっきりしましょう」「ソロのあいだはバッキング控えめに」とか声かけたんだったかなあ。まあブルース進行やってたらなんとかなります。とりあえず司会係を決めて、手のあいてる人は他に指示して、みたいな。でも技術的にはいちばん下なのであんまり指導的なことはできない。

こんな感じ。カオス。まあでもベースは権力がある。
http://yonosuke.net/yonosuke/200212jam1.mp3

ベースが私。とにかくギターの人は弾きたいんよね。でも3人も4人もいるならバッキングする必要はないと思うのだが。

クリスマスシーズンだったので、赤鼻のトナカイとかいろいろやってみたり。とにかくカオス。

http://yonosuke.net/yonosuke/201212rock.mp3
http://yonosuke.net/yonosuke/201212samba.mp3

まあこの時の経験については、いろいろ考えましたねえ。とにかく音楽はコミュニケーションであり、お互いを聞きあわないとならん。あと、バンドするには、とにかくギタラーを支配しなければならんということを意識するようになりました。強力なリーダーシップが必要だ。


yonosuke昔話(6) 音楽制作猿状態

ええと、2002年の夏に初の共作を経験したところまでかな。ここらへんに来るとなんか音楽作るのが楽しくてしょうがない状態。

ちょうど2ちゃんねるに「夏限定 なんでもうpスレ!」とか立ったのでもうなんでもうp。音源用の掲示板立てたのはその前だよな。このころの2ちゃんねるはほんとうにおもしろかった。もう12年前かー。それまで聞くことができなかったヘタクソ素人たちの音源を聞いて楽しい。このスレを立てた「激厨房」またの名を「黒豹」はほんとに素敵な奴だった。おそらく大学関係者だと思うんだけど、どこでなにしてるんだろう。あれほどの創造性と文章力があるんだから、ツイッタとかで見かけてるんじゃないかという気がする。

あ、そうか。音源用の掲示板を立てたのは2002年の9月10日ぐらい。 

それまでは数メガバイトの巨大ファイル(当時は数MBのMP3音源でさえ巨大だった)を長期間置いとける掲示板がなかったんよね。んで最初は無料ウェブサーバを使ってCGI動かして、すぐに足りなくなるから自宅サーバーを立てたのであった。けっこうみんなに重宝してもらってうれしかった。

アドリブ用のオケを用意してくれる人とかいて、フルート吹いてみたり。http://yonosuke.net/yonosuke/jazz.mp3 

まあそんな感じで、とりあえず録音してはアップする、みたいん。9月はじめにはこんなの録音している。 http://yonosuke.net/yonosuke/sep.mp3 ははは。恥とかそういうのがなくなっていて、ウケを狙う。でもなんというか、人生で本当に自由っていうのを感じたのはこの頃なんちゃうかな。このころになるとコード進行やベースラインとかも、簡単なものなら耳コピちょっとはできるようになっててそういうのもうれしかった。それまではどうやって作ってるかわからない、ただすごいなーって聞くだけの音楽ってものが、なんとかすれば手の届くところまで来た感じ。

まあこういうのはやっぱり機材買ったりするお給料をもらえるようになってこそできたわけだけど、その職場はいろいろ問題があったんよね。とにかく会議が長いし、おじさんおばさんがモメていて、これが社会なのだなあ、みたいな。この曲「難曲ペンギン」はそういう会議を歌ったもの。 http://yonosuke.net/yonosuke/penguin3.mp3 歌詞とかよくできてて、今でも気にいっている。自分で作ってみてから、怒りとかいらだちとかてのも音楽になるのだ、とか、むしろそういう音楽もけっこうあるのだということに気づいて聞き方が変わった。やっぱり実作してみないとわからないことっていうのがあることに気づいた。

自信がついてきたから、ライブバンドもやろうってことになった。ビートルズとかのコピーをして遊ぶってのは2001年にはすでにやってたんだよな。メンバーは全部自分の業界人。


プリンス様と私 (1)

最近ふたたびプリンス様にはまっていて、延々聞いております。プリンス様はyoutubeにあんまり音源ないから残念。

プリンス様を知ったのは大学1年生のときですわね。パーポーレインの大ヒットの時ですな。1984年。

ゲームセンターでバイトしているときには館内には自分の趣味で洋楽流していて、特にプリンスとスタイルカウンシル(のMy ever changing moods)は大音量にしておりました。

曲としてはPurple Rainよりも、それをきっかけに流れていたLittle Red Corvetteの方が好きだった気がする。Purple Rainもそうだけど、コード進行とかは基本はごく普通なんすよね。

パープルレインは | Bb (add 9)| Gm7 | F | Eb |  (I – VIm7- V – IV)だけだし、
コルヴェットの方は | Gb | Ab | Bm7 | 、サビは | Bb | Ab | Db | だけのはず。

しかしああいうギター弾きまくりっていうのはポップ界隈ではあんまりなかったし、コルヴェットの方はコードが進行しないのがなんというか黒人音楽をかいまみた感じ。映画も楽しんだな。パーポーレインより、最後のI would die for youとBaby, I’m a Starがいいんよね。アルバム1999だとLady Cab Driveが好きだった。ドラムがいい。あの暴れるドラムはなんかプリンス様本人じゃないかなあ。

チャカカーンがカバーしたI feel for youもよく流れてました。これは1984年ですか。「あの曲もプリンスらしいよ」「へー」みたいな。まあまだよく知らん。ダンスがダサかっこいいです。



Purple Rainはビニール盤買った。ピクチュア盤だから今売ったらお金にならないだろうか。でもその次に買ったAround the world in a dayはああいう実験的な音だったんでよくわからん、みたいな感じ。

まわりでも人気があって、知り合いの軽音コピバンがLet’s go crazyとかやってたな。下手だたけどうらやましかった。

Paradeも買ってたと思うけど、これもよくわかってなかったんじゃないかな。1986年のParade Tourは大阪城ホールにはじめていったんだよな。3回生かな。友人男と2人で。最上段の席で、まわりは空席だらけだった記憶がある。そういうコンサートはあんまり行ったことなくて、途中まであんまり楽しめなかったり。パープルレインじゃなくてファンク大会になってたんよね。20分ぐらいやってる曲もあった気がする。おそらくErotic Cityあたり。まわりはみんな座ってて、国内でのああいう音楽の受容はまだまだだったんではないかな。プリンス様遠くてちっちゃくてよく見えない。でも最後はまわりを気にせず立って踊ってた気がする。

まあ学部時代はもっぱらジャズ喫茶でジャズの勉強してて、買うのもそっち系統だったんで、そっち系統のはおっかけてなかった。本当にプリンス様にはまったのは1988年のLovesexy。これは本当にはまった。おそらく5回生の6月だわね。


当時ジャズ喫茶のバイトしているときに親しくさせてもらっている先輩がいて(今大学教員している)、彼の車に乗る機会があったんだな。んで「プリンスの新譜でたで」っていって聞かせてもらった。最初の曲のEye Knowはやっぱりよくわからん複雑な曲だったわけだけど、2曲目のAlphabet Streetにはまった。ギターのカッティングの音がすごい新鮮でたまらん。この音なんだ?みたいな。ギターってだいたい歪んでたりするわけだったけど、この曲のギターはクリーンサウンド。いまおもえばふつうのシングルコイルをコンソールに直結かなんかだろうけど、すごい音がしてた。しびれた。

すぐさまLovesexyをCDで買って、もうエンドレスで何十回も聞きましたね。このころに知りあった某もこのCDをもっていて、話があうことを確認するきっかけになったり。まあそこらへん個人的な追憶もけっこうあったり。

今ひろってみると、 G | C | A7 | D | と |G | Bb | C | みたいな感じですか。しかしとにかくリズムアレンジがすごくて、もうとんでもないアルバムだと思いますね。

Lovesexyツアーも行きました。これはよかった。すばらしい。ステージに自動車動かして登場したりして。席もよかったし、遠くてもプリンス様ぜんぜん小さく見えない。っていうかむしろ巨人。生涯最高のコンサートですね。

関係ないけど、ミシェル・ンデゲオチェロ先生がプロデュースしたチャカカーンのNever Miss the Waterいいすよね。


途中のベースのパートで引用しているのはChicのRebels are Weって曲。