キェルケゴールについて書いたもの(キェルケゴールとわたし、D進学後編)

この前、キェルケゴール協会っていうところでちょっと発表してきたんですが、そのときに私はキェルケゴールとどうつきあってきたのかっていうの見直してみたりしました。

の続きか。

D1で書いたのがこれ。

これは修論(原稿用紙70枚ちょっとしかなかった)をもうすこし発展させたもの。修士論文の原稿データなくしちゃったのよね。M2で勉強したヘアの指令主義を使った解釈。いまだに「恐れとおののきを感じるのは誰か」っていう節タイトルはおもしろいと思う。実はこの論点思いついたときに、「もしかしたら私この世界で生きていけるかもしれないなあ」みたいなのは思ったのです。いちおうオリジナルだから。キェルケゴールとヘア結びつけようっていうのもオリジナルではある。

それから「おそれとおののき」の聖書の出典についての推測がけっこうおもしろいと今だに思うんだけど、まあ誰も相手にしてくれなかったですね。当然ではある。でもこれ、当時のデンマーク語の聖書とか調べなきゃならなくてたいへんだったんです。最近の勉強で、えっぱりキェルケゴールはエペソ書けっこう好きだったみたいで、いまだに十分ありえるんじゃないかと思うんよね。

これは上の論文をもとに、(旧)キェルケゴール協会っていうところで発表させてもらったもの。まったく同じネタで、書き直しのさらに書き直しっていう感じ。まあキェルケゴールの専門家にも見てもらいましょう、っていう感じ。でももちろん反応はない。

私はよくわかってないんだけど、キェルケゴール協会っていうのは戦前からのキェルケゴール研究者の大谷長先生とその御弟子さんたちの私的団体だったんじゃないかな。学会というよりはファンクラブというか、キェルケゴール信者たちの集まりというか……大谷先生には執筆料延滞したりしてほんとうにご迷惑をおかけしました。1993年にはもう生活がグズグズだったのです。許してください。

  • (1993) (研究報告) 「キェルケゴールの宗教・倫理思想における公開性の問題」

某学会で。『恐れとおののき』使ったやつだと思うけど、原稿残ってないのよね。

  • (1994) (研究報告)「キェルケゴールは反哲学者か」

これも原稿残ってない。まあこの時期本当にいろいろ苦しんでた。ちょっと書きたいことあるんだけど書けず。

これは同じように指令主義としてキェルケゴールを読むっていうアイディアを、『哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき』ってやつに応用してみたやつ。あんまりおもしろくない。この時期にはもうかなり弱っていて、大学教員になるのあきらめそうだった。

その後ひょんなことからなんとか生活していけるようになる。仕事が情報技術だとかメディアだとかなんで、キェルケゴールもそういう面から見るようになる。

これは2000年に、キェルケゴール協会と関西倫理学会で発表したものを紀要に載せたんだな。『現代の批判』っていうタイトルで知られているやつをとりあげたもので、1998-2000年の1年半、某プロジェクトで雇ってもらった副産物みたいなところがある。今見てもすこしおもしろい。「キェルケゴールのSNS批判」って形で書くべきだったね。SNSなんて言葉なかったけど。

上で書いた大谷先生の「キェルケゴール協会」は、私が発表して論文載せてもらった次の年あたりで活動を休止してしまうのよね。なんかメンバーのあいだでなにかあったのかもしれないけど、よくわからない。それが大谷長先生が1999年におなくなりになって、2000年から、新「キェルケゴール協会」として再発足したわけです。

雑誌はタイトルを変えて『新キェルケゴール研究』として第1号からはじめることにに。私がしばらく事務局というか雑用係をしたり。まあそういう会を維持するっていうのは私いろいろやってる、というかやらせられり。苦手なんですけどね。でも業績残せないからそういうの人様の役に立つならそれなりかなあ[1] … Continue reading

これはデンマーク行かせてもらったときに1993年のやつを英語にしたもの。

これは今の職場にいれてもらって、フェミニズムとか勉強する必要があり、そっからキェルケゴールはそういうに対してどういう態度とってたか、っていうの調べた結果。方向性はおもしろいけど調査不足。

これは「キェルケゴールの女性観」とかで書きなおしたい気がするけど、そういう論文はけっこう多いのでねえ。私が書くとまたちがった感じにできるんじゃないかという気はするんだけど。

これは2001年のを英語にしたものよね。何に使ったんだったかな?いちおう日本語のを英語にするときもある程度なにか新しいものをつけ加えようとしたと思うんだけど、もう見直す気力もない。

まだこのころはキェルケゴールをちゃんと勉強しようと思っていたわけだが。

これは『あれか/これか』とかそこらキェルケゴールのネガティブな心理学みたいなのをあつかったもので、まあそれなりにおもしろい。10年ぶりにキェルケゴールに戻ってきたもので、うつ病やポジティブ心理学や認知行動療法に関心もったのでそっちからキェルケゴールを見てみたというわけです。まあこういうキェルケゴールの外の関心からキェルケゴールを読みなおす、っていうのが私のやりかた。

藤野先生と、キェルケゴール研究業界に喧嘩を売ってしまう。

今回のやつ。やっとキェルケゴールをどう扱ったらいいか自分で納得いくかたちになりつつある。

まあこれしか書いてないのね。大学院生ぐらいだったら「おもしろいこと考えてるね」ってな感じだけど、キェルケゴールの専門的研究者ではない。まあそういうものになりたいとも思わなかったし。

おまけ。卒業論文「キェルケゴール『死に至る病』における倫理思想」(1989)。いまの卒論水準では考えられないほどだめでおかしい。まあなにも指導されてないし、こういう時代だったのです。ワープロ(シャープ書院)で提出したんだけど、実はそのころワープロ提出の可否は決まってなかったとかっていう話も聞いたことあります。なにも考えずに出した。ははは。それも5回生の締め切り一月前になってから、「これじゃ書けないな、きっとワープロがあれば書けるだろう」ってんで無理してワープロ買って、2、3日キータイピングの訓練したりして。ははは。

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References

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1そういや、1980〜90年代ごろにはキェルケゴール関係の団体って京都と東京と神戸に三つぐらいあって、私は「キェルケゴール三国志だな」って思ってた。どういうわけか人間関係がそれほどうまくいってなかったのかもしれないけどよくわからない。「このキェルケゴール/キルケゴール三国志を解消して日本統一するまではこの協会維持しようかな」とか考えてました。ははは。10年ぐらいしてだいたい統一されたんじゃないかな。まあ上の世代の人間関係とかよくわかりません。

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