キェルケゴールとわたし(死ねないこと、それこそが絶望である編)

  • 諸般の事情で情報倫理とか勉強するチャンスをもらえる。どもありがとうございます。少し生き返る。
  • まあそういう意識でキェルケゴールのことを考えると、内心の秘密とか、コミュニケーションとか、プライバシーとか、大衆社会とか、キェルケゴールってけっこう現代社会を哲学的に考えるときのヒントになるかもなあ、みたいなことは考えたり。まあこの方針はいまだにいろいろありそうだという気がしている。
  • 超ラッキーなことに就職させもらう。ありがたいありがたい。
  • キェルケゴールが著作していた年齢を自分がどんどん越えていくと、キェルケゴールが考えていたことがどんなことかなんかわかるようになってくる。
  • あんな短期間に大量の文章を書いたひとが、そんな勉強してたはずがない。それに論理的な思考というか哲学的な思考が得意なわけではない、と思いはじめる。他の哲学の巨人たちとは別のタイプの人だわね。
  • まあとにかくキェルケゴールより年上になってしまえば、どんなろくでもないやつだったのかがよくわかるようになる。ははは。
  • 大谷先生のキェルケゴール協会ってのは発表させてもらった次の年ぐらいで活動停止していた。どうもお歳だったかなのか、なんか先生がおもしろくないことがあったのかよくわからない。
  • 2000年に先生がお亡くなりになって、そのお葬式にも参列させてもらう。その席で偉い先生たちが大谷先生の意思をついで全集の翻訳したりキェルケゴール協会の活動を再開させたりしよう、って話になったみたい。
  • 事務局やらされる。しかし学会事務なんてできませんがね。ひどく苦労する。雑誌の編集とかも。まあでも若い人々の発表の場を作るためにやるべきかなあ、みたいな。
  • キェルケゴールのメディア批判とか女性運動批判とかで発表したりゴミ論文書いたり。
  • 「キェルケゴールの大衆メディア批判」 http://www.kierkegaard.jp/studies1/eguchi.pdf とか。 https://yonosuke.net/eguchi/papers/kierkegaard-women.pdf とか。
  • 就職してからも研究会もなんとかしたいと思って、のちに大谷大学に行くF君とかと細々開いたりするけど、自分の関心がちょっと遠くなっていてエネルギーを割けない。
  • ちょっと海外の様子も覗いてみたり。昔の論文英語にして発表させてもらったり。
  • 1月暮させてもらったセントオラフ大学キェルケゴール研究センターの人々はよい人だ。(コペンハーゲンの人達が悪い人だというわけではないのだが……キェルケゴール全集4版のために若い人が集まっていて元気そうだった。)
  • キェルケゴール協会はとりあえずなんとか動いて軌道にのったあたりでF君にバトンタッチさせてもらう。よろしくおねがいします。
  • その後事務局は関東に移動。日本統一か。
  • Joachim GarfのS.A.K. (Søren Kierkegaard)っていう評伝が出て、本気でろくでもない奴であることを確信したり。偉人じゃなくて人生に苦しみぬいた実物大の人物として見るのがいいんちゃうか、みたいな。
  • Peter KremerのAgainst Depressionって本でもキェルケゴールがけっこう大きく取り上げられてておもしろい。
  • まあ興味が拡散してしまってキェルケゴール1本で勉強する気はぜんぜんないけど、少しずつ読んだり考えたりはしたいと思っているです。
  • 倫理学の資源としてのキェルケゴールを考えた場合、やっぱり広い意味での道徳心理学のリソースとしてってのが一番でかいだろうなってな気がする。あとやっぱりプライバシーとかコミュニケーションとかそういうのの分析とか。国内の人は形而上学的な側面に魅力を感じてたみたいだけど、そっちはあんまり実りなさそうな気がする。
  • 評論みたいなスタイルで書けないかと「うつ」とかについても書いてみたり。 https://yonosuke.net/eguchi/papers/depression2012.pdf
  • あとなんといってもセックスやエロスの哲学、愛や結婚に関する倫理学みたいなそういうのね。
まあ私自身、研究者としては成功しなかったので若い人々にお説教する資格はないのですが、キェルケゴールみたいな難解な哲学者のものを読もうとするときは、やっぱりあらかじめある程度、〜ハンドブックみたいな地図みたいなものをもっておいた方がよいのではないかと思います。どろどろになってわからない自分の自己評価が下ってしまって生活もできなくなっちゃう。実際キェルケゴール関係の研究者はあんまり生産性が高くないです。
早めに哲学の本でも「これはわかる」っていう経験をする必要があるんじゃないですかね。
私はキェルケゴールはかなり混乱した著作家だと思ってますが、それでもその混乱にさえなんか見るべきところはけっこうあると思っていて、そういう読み方をするにはいっかいそういう思想家から離れてみて、ぜんぜん違う分野のものを読んでみるのもよいのではないかという気がします。キェルケゴールからヘーゲルに行ったりシェリングに行ったり、あるいはポストモダーンに進んだりするのはあんまりおすすめできない。自信なくなって行き止まり。やっぱり自分がわかならないことはわからない、と認めてしまうべきだと思うです。

勉強する上で二次文献は大事です。もちろん二次文献読んでるだけじゃだめですけどね。
とりあえずこれからキェルケゴールを研究したいってのであれば、200周年で出版されたOxford Handbook of Kierkegaardを一読しておきたいですね。でも高い。図書館に入れてもらいましょう。

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まあもちろんキェルケゴールみたいな思想家に全身でタックルする、ってのはありかもしれないですが、それに一生を賭ける情熱と覚悟があるのかどうか。昭和にはそういう研究スタイルもあったんだと思いますが、私はとれませんでした。だから失敗するんすね。ははは。

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