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酒飲みセックス問題 (11) 同意というのはプロセスだ

前のエントリで書いたように、ワートハイマー先生のは私にはちょっと不安があっていろいろ考えるところです。

ところで、(8) 「セックスする気があるとき女性は酔っ払うか」で紹介したDavis & Loftus先生たちの論文の後半は法政策に対する提言になっていて、サーヴェーの結論として次のようなことを言おうとしています。

  1. 性的な同意というのはある時点での行為ではなく、時間をかけて展開されるプロセスだ
  2. 酔っ払った相手とのセックスは禁じられるべきでは*ない*。酔っ払うほど飲むっていう決断が性的な意図を含意していることはありえる
  3. 意思が途中で変わることはありえるものの、アルコールを摂取したということは被害者の強制されたという主張の信頼性に影響する
  4. reasonableな人にとって、相手のアルコール使用は、相手の同意と同意能力の蓋然的証拠になる
  5. アルコール使用はレイプや強制の虚偽申告の要因になる
  6. 酔っ払っての性的行動に対する規制は、危害の防止と自由の制限という諸刃の剣になる

どれも政治的にちょっとあれで、けっこう論争を呼びそうな主張ではありますね。うしろの方はいろいろ検討しなければならないものを含んでますが、最初の「同意は時間をかけて展開されるプロセスだ」っていう主張は鋭いことを言うな、と思いました。つまりふつうのセックスとかでは「やりますか」「やりましょう」「はっけよい、のこった!」みたいにはならんわけですね。相撲じゃないんだから。

実際のセックスでは、少なからぬ場合最初は女性は(いろんな事情から)ノーと言う場合が多い。これはけっこう研究の蓄積があります。古いのだと、Muehlenhard, Charlene L., and Lisa C. Hollabaugh. “Do women sometimes say no when they mean yes? The prevalence and correlates of women’s token resistance to sex.” Journal of personality and social psychology 54.5 (1988): 872.とか。まあそういうのは女性の弱い立場や抑圧があれだ、みたいな議論もあるのですが、そうでなくてもとりあえず軽く見られないように最初はノーっていう、みたいなのもある。ここはいろいろ議論あるところです。

Davis先生たちは、まあ最初は実際そういうもんだけど、同意しているかどうかっていうのはその最初の返事がどうかってことよりは、そのあとで、いっしょにどの程度酒飲むかとか、遠まわしに誘いかけられたらどうするかとか、手を握られれたらどうするか、耳もとで口説かれたらどうするか、他から隔てられた場所に移動するよう誘われたときについていくかとか、いろんな部分触られたときにどうするかとか、まあそういう時間的に発展していくいろんな合図によって示されるものだ、って主張したいわけですね。ここらへんの見方はワートハイマー先生より女性らしい分析を感じました。なんかよくわからんけど、セックスの同意なんてそんなもんな気がしますね。商売の契約とかギャンブルの賭けとかとは違うです。

Davis先生たちの他の主張は今やるのはちょっと時節がら具合悪いのでしばらくほうっておきます。興味ある人は読んでみてください。


酒飲みセックス問題 (10) 同意の文脈・文化

未成年女子に酒飲ませて公然わいせつした警官が女子から損害賠償訴訟起こされたようですね。このシリーズ、そういう実際の話のことは考えていますが、実際の事件についてなんか言おうというつもりはないです。

えーと、話は酔っ払った行為にも責任がないとはいえない、でも酔っ払ってした同意が、「有効な」同意なのかっていうのはすぐにはわからん、という話まで。

この問題はおそらく、その社会的文脈による、みたいな話になっちゃうんですよね。

まあたとえば私がけっこう酔っ払って木屋町を歩いているとして、「おにーさん、1杯だけどうですか?」みたいな呼び込みされることがあります。あれは数年前に条例かなにかで禁止したはずなのにまたたくさん出てますよね。うざい。「おっぱい、好きでしょ」とか。放っておいてください。ていうか酔っ払ってるときには家帰るのがせいいっぱい。

まあ酔っ払った人がそういう呼び込みに同意して呼びこまれちゃって「〜万円です」とか言われちゃったりしても、ふつうはお金払わなくていいってことにはならんですわね。酔っ払って道端で寝てるのを運びこまれてお金請求されたらこまるけど、飲み屋街のルールでは酔っ払っての同意はぜんぜん有効。むしろどんどん飲ませてどんどんお金をつかわせよう、みたいな感じじゃないでしょうか。おそろしいです。

一方、喉頭癌を手術で切るか放射線治療にするか、みたいな判断は酔っ払っている人の同意は無効ですわね。事故や急病とかの緊急のときでなければ、まともな判断して同意ができる状態の同意じゃなければ有効じゃないし、もしそういう判断ができなければ誰かが替わりに判断してあげないとならん。入れ墨とかもそういうもののはずです。

興味深いのはギャンブルですね。ギャンブルと酒は相性が悪い。あれはほんとうに悪いようです。ギャンブル本当に好きな人は酒飲まないみたいですね。私はパチンコとか麻雀とかはまったことないとは言いませんが、お酒飲んでる方がいいや。でもカジノは一回行ってみたいですね。アムステルダムの空港とかでは後ろで見学してます。本当はポーカーやってみたい。この前『ラウンダーズ』っていう映画のDVD見ました。youtubeとかでも大金かけたポーカー(テキサスホールデム)やってて、つい見てしまいます。ああいう心理の読みあいみたいなのは魅力あるなあ。豪華客船みたいなところでイケメン俳優がポーカートーナメントする、っていう映画があったと思うんですがタイトルわからなくて困ってます。知ってる人はおしえてください。

そういや京都でも裏カジノみたいなのが摘発されてますが、違法なことはやめましょう。こわいです。

話がそれましたが、カジノなんかではきれいなおねえさんがお酒とか運んできて無料で飲めたりするようですね。あれで「俺は酔っ払って判断力がなかったから賭けは無効だ」と言えるかどうか。どうも言えないようです。

一方には手術とかの飲酒の判断は無効だと考える文脈があり、一方には酔っ払ってても払うものは払えという文脈がある。ここらへんどう考えるべきか。ハートハイマー先生は、それはけっきょく我々がどういう制度を望むかってことに依存するのだ、っていうわけです。

酒飲みギャンブルを禁止して、酔っ払いギャンブルは無効だってことにするっていうのは不可能ではないわけです。カジノに入店する際に飲酒しているかどうか確かめたり誓約書書かせたり、カジノ内ではアルコール禁止したり。そういや、競馬場や競輪場ではアルコール不可みたいですね。競輪場は雰囲気が好きで昔何度か行ったことがあるのですが、あの魅力的な食べ物屋ではアルコール売ってなかった。まあ暴動その他のトラブルを避けるためだと思いますけど。

それじゃ、酒ありのカジノと酒なしのカジノのどちらに客が入るだろうか、ってことを考えてみようというわけです。まあ酒なしのカジノにするためにはお客さんをモニタしたり手間はかかるけどできないわけではない。でも酒飲めるカジノと酒飲めないカジノだったら、酒飲めるカジノの方にお客さんは行くだろう、ってワートハイマー先生は考えます。そっちの方が楽しいし、酒飲むかどうかは自分で決められる。自己責任ってやつですか。先生はそういうのが好きなのかもしれない。

セックスについてはどうか。セックスは手術や入れ墨のようにあとで後悔する可能性が高いものだから飲酒禁止にするか、あるいは人びとが酒飲んでセックスするのが好きだからOKにするか、みたいなことになる、のかもしれない。ワートハイマー先生自身は、けっきょくこれは人びとの行動と選好についての実証的な問題が大きいのだと主張します。人びと(特に女性)が酒飲んで酔っ払ってセックスするのが好きなのであればそれはそれで尊重するべきだろう。酔っ払ってセックスしたことに対する被害とか後悔とかがどの程度大きいか、とかってのはまああんまりセックスしてない人びとが頭で考えるよりは、広く調査してその結果を見るべきだ、みたいな感じです。そういうんで、この前紹介したDavis & Loftus先生たちの研究とか出てくるわけですね。

私自身は、こういうワートハイマー先生の立場は理解できるのですが、疑問もいろいろあるとは思いますね。まあ世の中にはいろんな「ルール」や「慣習」があって、男性や女性が酒飲んでどうふるまうことが許されるかとか、どういう意図を推定するかとかってのもそういう慣習とかの結果ですわね。たしかに合コンして酔っ払ってセックスする文化や慣習というのは一部には存在しているのかもしれない。私の思弁では、セックスにまつわるトラブルの多くっていうのは、そういう慣習を知らない新人がとそういう世界に入ってきたときや、文化や慣習が違う人びとが出会ってしまうことによって起こるわけですね。そしてその被害も小さくないかもしれない。人びとが飲酒とセックスにまつわる慣習についてどういう考えをもっているかという実証調査が必要だというのはその通りだと思うし、ひとびとがどのようなことをしているかを人びとに知らせることも重要かもしれない。でもセックスとかはじめるのがまだ判断力が十分に発達していない若い人びとだったりすることから考えれば、大学レベルとかではもう少し保護的な政策をとるというのは十分ありえるんではないかとういう気もします。若い人びとは酒の飲み方も知らんしね。でもここらへんまだよく考えないからわかんないや。ははは。

続くかもしれないしこれで終りかもしれない。いや、もうちょっと続き気がする。


酒飲みセックス問題 (9) 同意したことに責任があっても同意は有効じゃないかもしれない

まあというわけで、酒を飲んで酔っ払ったからといって、行動の責任がなくなるわけではないような感じです。(場合によっては)同意したことや酔っ払ったことは非難に値するという意味で「責任がある」ということになりそうです。

しかし、んじゃ酔っ払ってした同意はぜんぶ有効validなのか、というとそうでもないかもしれない。同意の責任はあるけど同意は有効じゃないよ、だからそういう同意をした人とセックスした人を非難したり罰したりすることは可能かもしれない。

ここはわかりにくいかもしれませんね。くりかえしになりますが、まずまあ基本的に同意してない人とセックスするのは非難されるべきことなわけです。それはたとえば相手の身体の統合性bodily integrityとかを毀損する行為かもしれない。デフォルトではダメだってことです。そういうデフォルトではダメな行為が、本人の同意があることによって非難の必要がない行為になる。医者が患者にメスを入れたりするのもそういうもんですわね。セックスも手術も、ひょっとすると非道徳的にも道徳的にもすばらしい行為になるかもしれない。同意にはこんなふうにある行為の道徳性を変更する効力がある。これがHeidi Hurd先生なんかはこういうのを「同意の道徳的魔法」moral magic of consentとかって呼んでます。

で、強迫されてした同意とかはそういう同意の魔力をもってない無効な同意です。酔っ払ってした同意もそういう類のものかもしれない。つまり、行為の責任と、同意の効力は別のことなわけです。同意に「責任」があるからといってその同意が有効だということには直接にはならない。まあふつうに考えれば同意に責任があるなら同意は有効だろうと言いたくなりますが、ここで考えてみるのが哲学ですわね。

別の言い方をすると、無効かもしれない同意した責任というのは当人にあるわけで、それを非難されたり(おそらく可能性はほとんどないですが)法的に罰されたりすることはあるかもしれない。しかし、その同意をもとにして、その相手とセックスすることはまた道徳的に非難したり罰したりすることが可能かもしれないわけです。こっちの「酔っ払いとセックスしたら罰する」ってのは十分ありえる考え方です。

スーザンエストリッチ先生というレイプまわりで非常に有名なフェミニスト法学者は、車に鍵をかけわすれたからといって、車を盗む許可を与えたわけではない、って言ってます。鍵をかけわすれたことは非難できるかもしれませんが、だからといって、車盗んだ人が悪くないってことにはならんですよね。車盗むのはほとんど常に悪い。酔っ払ってしたことに責任があるからといって、酔っ払った人とセックスすることが悪くないってことにはならんのんです。

車泥棒の例を続ければ、AさんがBさんに車を貸して、Bさんが鍵をかけわすれてCが車泥棒したとき、AさんがBさんに「なんで鍵かけなかったんだ!」って非難するのは理にかなっているけど、だからといって車盗まれた責任がぜんぶBさんにあるわけではないし、Cの車泥棒が非難できなくなるわけでもない、ということです。

んじゃ、酔っ払っての同意は有効なのか、酔っ払った相手とセックスするのは問題ないのかどうか。ワートハイマー先生なんかに言わせると、これはけっきょくわれわれの社会でおこなわれているさまざまな「同意」のコンテクストによるのだ、ってことになります。

たとえば酔っ払ってした商業契約とかどうなるか、みたいなのはおもしろい例ですわね。日本の民法ではどうなってるしょうか。

米国の法律だと、古くは酔っ払った人がおこなった契約は、「ひどく薬物の影響を受けて取引の性質や帰結を理解できなかった場合」には無効にすることができたみたいすが、現在はもっと緩くて「契約の相手方が、酔った人物が取引について合理的な仕方で行為することができないと知る理由があった」ときのみ無効にすることができる、みたいな感じらしいです。これは相手がぐでんぐでんになってるな、ってことがわからないとだめだってことですわね。セックスでいえば、相手がもうなにがなにやらわからん状態だろう、ぐらいに思える程度に酔っ払ってないとならんということになりそうで、自発的に服脱いだり脱がせたりいろんなあれやこれやとかしてたら「そういうひとなんだろうなあ」とか思ってしまいそうですね。よくわかりませんけど。

でもこういう商取引をセックスまわりに適用してだいじょうぶなのかな、とかって不安は残りますね。セックスは商取引とは違うのではないか。セックスはセックスとしての同意のありかたがあるんではないのかな、という話になります。


酒飲みセックス問題 (8) セックスする気があるとき女性は酔っ払うか

Deborah Davis先生とElizabeth Loftus先生の共著で、”What’s good for the goose cooks the gander: Inconsistencies between the law and psychology of voluntary intoxication and sexual assault.” Handbook of forensic psychology: Resources for mental health and legal professionals (2004): 997-1032. っていう論文があるんですわ。酒飲み行動と性的な意図はどういう関係があるか、みたいな話のサーヴェー論文。

Davis先生はよく知りませんが、Loftus先生は、一時期流行した性的トラウマの記憶回復とかの研究をおもいっきりひっぱたいた人ですね。心理学会では超重要人物のはずです。この論文は、学則や法律で酔っ払った女性とのセックスを性的暴行に推定しようとか、そういう動きに対する反応でなんかそっち系の運動をしている人びとがいやがるようなことを書いてる。

  • アルコールは性的な動機や興奮や快感を高めると信じられてるとか
  • 酔った女性は性的活動に同意しやすくなると認知されているとか
  • 男性は酔った女性の不同意を認知するのが遅くなるとか
  • アルコールは両性にとって誘惑の手段として認知されてるとか
  • アルコールは、通常は受けいれられない性的行動をする言い訳になると考えられてる

とかそういうのをサーベーで示して、んじゃ実際に女性はどういうふうに酒を飲むのか。

Davis, Follette, and Merlino (1999)っていう研究では大学生に、セックスするつもりのときにデート相手といっしょに酒飲んで酔っ払ったりドラッグ使ったりするか、みたいなことをたずねる、と。ドラッグとかこういうのですぐに出てくるのがアメリカやばい。ドラッグはやめましょう。酒もやめたほうがいいと思う。Davis先生はネバダの大学、ロフタス先生はカリフォルニア。危険だ。

結果は、セックスするつもりがないときに比べ、女性がセックスするつもりがあるときはドラッグを使う可能性がある(33%)、飲む(46%)、酔っ払う(61%)だそうな。男性もそれを予想していて、女性がセックスするつもりのときはそれぞれ57%、61%、75%ぐらいがそう信じているらしい。

んじゃ、セックスするつもりのとき*だけ*酔っ払うのか

84%の女性はセックスするつもりのないときにもデート相手と飲む。セックスするつもりのないときに酔っ払うのは71%。だから酔っ払ったからといって女性はセックスつもりはないと思うべし。ちなみにセックスするつもりのないときにドラッグを使うのは31%。
男性は女性が少し飲んだときにセックスするつもりがあると思うのは8%、酔っ払ったら19%、ドラッグ使ったら28%。まあまともな男性ならば、女性が飲んだからといってセックスするつもりだとは簡単には思わないそうです。

ただまあこういう調査からすれば、女性が飲んで酔っ払ったからといって不同意だ、というのもやりすぎだというのが彼女たちの見解。アルコール使用と性的な意図の間にははっきりした関係がある。アルコールとセックスの間には関係があるということは広く信じられているので、ある程度の経験ある人がそういう行動をとるならば、ある程度そういう意図があるかもしれないということがいえる。当然同意のdefinitive evidenceにはならんけどprobative evidenceにはなるかもしれない、って話。飲んでよっぱらってる方が酔っ払ってないときよりも同意している可能性はある、みたいな。なのでよっぱらった上でのセックスは同意あっても性的暴行と推定して、即罰則、みたいなのはやりすぎだろうという話です。

まあ女性が酔っ払ったらセックスするつもりだとは思わない方がいいです。もしかしたらそういう可能性もないではない、ぐらい。やめといた方がいいです。もちろんあきらかに酔っ払って判断おかしくなってたり、意識なくなるほど酔ってたら性的暴行なのはまちがいないところです。もちろん無理矢理飲ませてなんとかしようとかもだめです。

しかしまあこういうネタっていうのは国内ではかなりやりにくい気がしますが、真理っていうか本当のところをある程度実証的に探求しようっていう努力は偉いですね。

これは見てない → Davis, D., Follette, W. C., & Merlino, M. L. (1999). Seeds of Rape: Female behavior is probative for females, definitive for males. Psychological Expertise and Criminal Justice, 101-140. Washington, D. C.: American Psychological Association.

ロフタス先生の有名な本はこんなの。

抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって
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酒飲みセックス問題 (7) 酔っ払い行為の責任続き

酔っ払っての行為の責任というのはけっこう難しいんですよね。こういうのは責任とかにまつわる「自由意志」とかコントロール(制御)とかの複雑な哲学的議論を必要としている。

前のエントリではHurd先生の「酔っ払ってても必ずしも善悪の区別がつかなくなるわけじゃない」「酔っ払ってした行為を許すと酔っ払わないインセンティブが低下する」っていう二つの議論を紹介しましたが、これだけではうまくいかないかもしれない。

前のエントリでも書いたように、私自身は酔ってなにもわからなくなったという経験はないのですが、どうも世の中には酔っ払ってしたこととか忘れてしまう人とかいるようだし、本気で人格変わってしまうように見える人びともいますわね。そういうのどう扱ったものか。

インセンティブの方にしても、この手の議論は事実としてインセンティブが低下するかどうかってところに依存する議論で、私自身は嫌いじゃないけど、そういうのを認めない人びともいる。

ワートハイマー先生はここでFischer & Ravizza (1998) _Responsibility and Control_っていう本の議論をもってきます。この本は「責任」や「自由意志」を巡る哲学的議論のなかで、最近の成果として非常に高く評価されている本です。前からもってたけどぱらぱらめくってみてもおもしろい議論を提出している本で、誰か翻訳してくれないですかね。この本で議論されている責任の話は、私が興味をもっている性的な同意なんかについても非常におもしろい洞察をあたえてくれるので、自由とか責任とかに興味のある哲学系の院生の人は必読ですね。

フィッシャー先生たちの本の全体の問題はこうです。我々は基本的に決定論的な世界に住んでいて、物事は自然法則にしたがって推移する。我々人間も基本的には物理学的・心理学的な法則にほぼしたがって行動しているわけで、そういうのを離れて「自由な意志」みたいなものは持つことができないかもしれない。そういう見方をしたときに道徳的な責任とかっていったいどうなるの? まさに哲学の主要問題の一つである「自由意志と責任」の問題ですね。

フィッシャー先生たちの答は、「いや、わしらがだいたい法則にしたがって行動しているといっても、道徳的な責任を問うことはできる。ある行為者が、そのひとが自分の行為の「理由」とみなすものにしたがって行為できれば責任を問うのに十分なのじゃ」ってな感じ。

たとえば、私が立ちションする場合に、「立ちションしてはいかん、法律で禁止されているし、女子大生に目撃されたら恥ずかしいし女子大生はショックを受けるだろうから」という理由に応じて立ちションしないという行動をとれるならば、それで立ちションした責任を問う、つまり非難したり、交番に引っ張っていったりするのに十分だ、というわけです。こういう「理由」に反応できない状態になった場合は責任はない。この責任と「理由」に応じて行為する能力というのはすごく重要ですね。セックスの同意に関する議論でも重要。ある人とセックスしない理由があるのに、セックスしてしまう、っていうのケースがあるのが問題なわけなのでね。

フィッシャー先生たちが心配しているのは、こういう形で責任とコントロールの関係を考えると、んじゃ「性格的にどうしても〜してしまう」「性格的に〜できない」みたいなのはどうなるの?ってことなんだけど、その答は、「性格とかによってどうしてもしてしまう/できない行為についても、行為に先立つある適切な時点でガイダンスコントロール(理由に応じて行為する能力)があると言えれば十分」って感じのものです。つまり、いま私は怠惰でちゃんと原稿とか書けないわけですが、いままでの50年の人生のなかで合理的に考えて「ちゃんと計画どおりに原稿書ける」とかそういう癖や習慣や性格をつくるチャンスはあったわけで、だから今私が性格的な欠点によって今原稿書けないことについて責任があるわけです。

ワートハイマー先生はフィッシャー先生たちのこの性格についての議論を酔っ払いについて応用する。酔っ払いがちゃん理由に応じて行為できないことはたしかにある。酔っ払って、その人にとってセックスしない理由がある人とセックスしてしまう、ということはありえる。でも、その行為に先だって、酔っ払って判断力をなくす前の時点で、自発的に酒飲んで酔っ払っであり、そういうことがあるから酔っ払わないような理由があるのに酔っ払ったのであれば、その人の責任を問うのは理にかなっている。

つまり自分でわかってて酒飲んで酔っ払ったのであれば、酔っ払ってしたことに責任がある。まあこりゃあたりまえですがね。でもたったこれだけの常識的な判断を哲学的に正当化するっていうのはけっこうたいへんなんすわ。

ワートハイマー先生はもう一つ議論を提出しているけど面倒だからもうやめ。

とりあえず、いろいろ議論があって、「酔っ払ってした行為には責任がない」ってことにはならんだろう。しかし、それでは、「酔っ払ってした行為には責任があるのだらから、酔っ払ってした同意は有効だ」ということになるかどうか。慣れてない人はこういう問いが異常なものに見えるかもしれませんが、これはそんな簡単じゃないかもしれない。こういう細かい分析が哲学っぽいですよね。

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酒飲みセックス問題 (6) 酔っ払い行為の責任

まず、「我々は酔っ払ってしたことについて責任があるか」というのがけっこう難しい。

まあこういう形で問いを作ることに問題があるかもしない。だって、たいていの人は「責任がある」っていうのがどういうことかはっきりとした考えをもってないからです。「責任」っていうのはほんとうに複雑で曖昧な概念ですわ。こういう形で問いをつくってしまったら、まず「責任がある」っていう表現でどういうことを言おうとしているのかはっきりさせないとならん。そのいうことをした上で、「どういう場合に責任があるか」とか「酔っ払ってしたことに責任があるか」とかって話になる。

んでまあ「行為に責任がある」っていう表現で一般の人が言うことはほんとうにさまざまなんですが、有望だと思われてて私もわりと好きなのは、「我々の道徳的態度や道徳的感情、特に非難や賞賛、罰や報酬に値する」みたいな意味で解釈するやりかたですね。「酔っ払ってしたことに責任があるか」と問うことは、「ある人が酔っ払ってしたことに対して我々が非難や賞賛をすることは正当化されるか」みたいな問いだってことになる。

この「責任」ってのがそもそも非難や賞賛と結びついていることは大事だと思いますね。日本はかなり酔っ払いに対して甘い国で、「酒の上でのことだから許してあげなよ」みたいな話になることもけっこうあるようですが、これは「酔っ払ってしたことにたいしてはシラフでしたことよりも非難を控えてやるべきだ」みたいなことを言ってるわけだ。

さて、この「酔ってたから許して」っていうのは、私も使うことがありますが、基本的にはやばいですよね。酔っ払いセックスではたいてい両方酔っ払っているわけだし。もしそれが正しいのなら、痴漢とか強姦とかしたいときはぜひ酒を飲んでよっぱらってからするべきだ、ってことになりそう。(小学生を大量殺人した犯人が、犯行前に向精神薬飲んでたとかっていやな話を思い出しました。許せん。)

もし酔っ払った女性と(酔っ払い同意の上で)セックスするのはだめだ、なぜなら酔っ払った人は同意したことについて責任がないからだ、と言おうとすれば、酔っ払ってセックスした男性にも責任はないことになってしまう。

しかし一方で、酔っ払ったことが強制的であった場合には責任はない、と言いたくなりますわね。たとえばアルコールを静脈注射されたり、こっそり飲み物に強いアルコール入れられたりした場合には、その酔っ払いは自発的じゃない。だから

【アルコール混入】 Bははじめてコンパに参加した。部屋には、ビールの樽と、「ノンアルコール」と書いてはいるが実はウォッカで「スパイク(混入)」されているパンチ飲料が置かれていた。Bはパンチを数杯飲んで、とてもハイになった。Aが自分の部屋に行くかと聞くと、Bは合意した。

こういう例ではBには責任はないと考えるのがまあまともな方向でしょうな。酔っ払ったのが自発的かどうか、っていうのは重要だ。

Heidi Hurd先生っていう人が”The Moral Magic of Consent” (1996)っていう有名な論文を書いてるんですが、これでは、我々が自発的に酔った場合にも法的な責任を回避できないとする理由として二つの見方がある、と分析してます。(1) 自発的に酔ったからといって、必ずしもなにをしてはいけないのかという義務に関する推論の能力が損われるわけではない。(2) 自発的に酔った場合にも法的な責任を免責するということになれば、悪行をしないように酔っぱらわないようにするという我々のインセンティブが損なわれる。

酔っ払った経験のある人はわかると思うのですが、(1)はその通りなんですよね。酔っ払って自分がなにをしているのかわかなくなる、という経験はあんまりない。たとえば酔っ払って立ちションするときも、「これはやばいなあ」とか思いつつそういうことをするわけですわね。アルコールが抑制を弱めてはいるものの、立ちションが悪いことで見つかったら非難されるに値することだということ自体はちゃんとわかっているわけです。私は基本的にはしませんよ。

(2)は酒癖悪い人はちゃんと意識しておくべきですね。酒癖悪い人は飲んだらいかんのです。許しませんよ。


酒飲みセックス問題 (5) エロス、ルダス、そして誘惑

ちょっと戻ってさらにだらだらと横道にそれると、まあ相手の欲望を引き起こし抑制を解除する、っていうのはこれはもう恋愛とかの一番重要な局面ですわね。そりゃ世間の正しい人びとっていうのは「恋愛やセックスというのは、長い時間をかけてお互いをよく知りあい、人間的に尊敬しあえる関係をつくり、おたがいの理解の上で一対一のコミットをした上でセックスするべきだ」みたいな美しいことを言ったりするわけですが、それってなんというか理想的すぎるし、そもそも我々が思いえがいている「熱愛」みたいなのの理想でさえないかもしれない。

前に「恋愛の類型学」みたいなのちょっと書きましたね。
http://sexphilosophy.blogspot.jp/2012/12/blog-post_17.html
リー先生におれば、情熱的なエロス、遊びのルダス、友達みたいなストルゲ、損得感情のプラグマ、偏執的なマニア、利他的なアガペみたいな類型がある。どうも正しい人びとというのはアガペみたいなのかそうでなければストルゲみたいなのを正しい恋愛だって言おうとする傾向があるけど、そういうもんでもないっしょ。恋愛とセックスはおそらくもっと多様だし、その道徳的に正しい恋愛みたいなのは信じられないっていう人もけっこういるですわね。

「正しい恋愛」みたいなのの対極にあるっぽいのがエロス的ルダスとかルダス的エロスみたいなやつで、もう美人、イケメン、ナイスバティ、ガチムチとお互いにその場で一体になりたいと熱望する、みたいな恋愛独特の強力さがあって、人生ではあんまり関係もってないけど理念としてはこっちの方がかっこいい。小谷野敦先生という私が非常に評価している先生がいるんですが、この先生は「恋愛は誰にでもできるものではない」みたいなことを言っていて、ここで言われているのはそういうエロス的な恋愛やルダス的な恋愛はできないっていう意味でしょうなあ。ストルゲやプラグマだったら努力すりゃなんとかなるかもしれない。

んでまあそういうエロスやルダスのためにがんばる人びともいるわけです。そういう男性像としては、ドン・ジョヴァンニが最高ですよね。もう見境なく手をだしまくり、女たちもそれを憎からず思ったり。ドンジョヴァンニは殿様なので地位もお金ももっててイケメンですが、その最大の武器は歌と酒だ。もうお金つかってパーっとパーティーして盛り上って、一人静かなところへ連れだして口説くわけです。楽しそうだ。

前にも「オペラを勉強してモテよう」みたいなの書きましたが、 http://sexphilosophy.blogspot.jp/2013/01/blog-post_9.html もう1回見ましょう。

すごい腕ですね。ツェルビーナはこのときそんな飲んでなかったと思いますが、ちょっとは入ってたかも。ドンジョヴァンニは他の人にもセレナーデ歌ったりします。「歌で酔わせる」みたいな表現があるわけですが、まさに歌にも人びとの思考や感情を変更する力があるってのは昔から多くの人が指摘していることですね。

学生様たちと話をしていたときに、「合コンでカラオケに行ったらすごい歌のうまい人がいて、その日だけめちゃくちゃ素敵に見えて好きになりそうだった」みたいな話をしているのを聞いたことがあります。そういうことってありそうで、そういう人はカラオケや歌を人びとの性欲を刺激するために使うことができるのかもしれない。

【桜坂】歌のうまいAは、セックスをしぶっていたBとカラオケに行って「桜坂」を歌い、その後めちゃくちゃセックスした。

これとかどうですかね。まあありそうにないし、別に道徳的な問題はないですか。私は禁止したいですね。まあこれや【香水】みたいなのはOKだとしたら、やはり酒飲みセックスに問題があるとすれば、それは薬物をもちいて判断力を奪うからで、歌や香水をもちいて判断力を奪うのはOKであるということになりそうですなあ。

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酒飲みセックス問題 (4) 薬物の影響そのものは問題ではないかも

セックスにおける同意が問題になるのは恋愛とかセックスとかそういうのには医療行為とか商売上の契約とかとはまったく違う面があるからですね。

お医者が患者を手術したくてしょうがない、みたいなことはないわけです。「手術させろー、シリツシリツ」みたいなのは困るっしょ。それに患者さんに、本人に病気とかがなくても切られたいと思ってほしいとも思わない。まあ「手術受けるならこの先生」ぐらに信頼しててほしいことはあるかもしれませんが、「あの先生に切ってほしいから盲腸になりたい」と思ってほしいとは思ってないだろう。ははは。

でもセックスやもっと広く恋愛っていうのはそういうもんではない。上で「思ってほしいと思う」みたいな表現を使いましたが、ネーゲル先生は超有名な「性的倒錯」っていう論文(『コウモリであることはどのようなことか』に入ってます)で、おおまかに(典型的な)性的欲望や性的興奮ってのは、相手から性的欲望を向けられることに対する欲望だ、みたいな話をしているんですが、たしかにそういうところがある。ジョンレノン先生もLove is wainting to be lovedとか歌ってますね。

そういう相互性とか再帰性みたいなのが恋愛やセックスにつきまとっている。相手の欲求や心理的・生理的反応とまったく関係なくセックスしたい、というのは異常とはいえないかもしれないけれどもかなりおかしなところがあるように思える。

まあそういう恋愛っぽい恋愛抜きでも、とりあえずセックスにもちこむために(おそらく)男も女も相手の判断を変更しようとする。なんとかして相手の欲求をかきたて性的に興奮させ、あるいは相手の抑制をはずそうとするところがある。これがおもしろいところですね。アルコールはそういうことをするツールとして使用されることがある。(もっとも、今話題になっているように、相手を昏睡させて心理的反応とまったく関係なくセックスするために使う人もいるようですが、これは私には気持ち悪いです)

とかだらだら書いてしまいましたが、そういうツールとしての各種物質、はやい話が惚れ薬、媚薬とかってのはまあ人類の昔からのあこがれですよね。

ぜんぜんそういう薬物関係については知らないのですが、薬物と一言で言ってもいろんな効き方をするわけでしょうなあ。

セックスに対する同意みたいなのを中心に考えると、セックスしてもらいたい相手の (1) 欲求を刺激するのと、(2)抑制を取り去るの二つの道がある。これは我々がセックスするかどうか迷ったりするときに欲求とそれに反する抑制の二つがあることを反映してますね。セックスしたくてたまらなくても抑制が強ければ同意しないだろうし、抑制がなにもなくてもこの相手とはしたいと思わないとか、今はとくにしたくないとかそういうことがありそう。

【媚薬】媚薬が開発されたとする(現在のところ存在していない)。AはBの飲み物に薬を入れた。それまでセックスに関心を示さなかったBは興奮して、セックスしようと提案した。

上のような薬はまだないと思いますが、それが開発されたら問題になるでしょうなあ。【媚薬】は私の直観ではアウトです。そういう薬物をこっそり飲まされたくないし。詳しい話はまたあとでやります。でもこれって、Bにこっそり飲ますからですよね。ワートハイマー先生にならって私もオリジナルの例を作ってみたいと思います。

【エックス】AはBに覚醒剤の一種を渡した。それを飲むと楽しくなり相手に性的魅力を感じ、また性的に興奮する。Bはそれを他の人と飲んだことがあり効果を知っていたが、Bとともに飲むことに合意した。

違法薬物、脱法薬物はやってはいけません。しかしこれ合法薬物だったらどうですかね。あんまりうまくないな。

もうひとついってみよう。

【香水】効果的なフェロモン入り香水が開発されたとする(現在のところ存在していない)。Aはそれを体にふりかけてBとデートした。BはAとのセックスに同意した。

そんな香水があったらどうですかねえ。ふつうの香水ってそういうのにどの程度役だつんでしょうか。私は基本的に香水は使いませんが、それが原因であれなのでしょうか。遺伝子型に応じたオーダーメイド医療とかってのが発達してくると、オーダーメイド香水とかってのも開発されるかもしれませんね。ターゲットと自分の遺伝型に応じてなんか特に好かれるような香水をオーダーメイドする、みたいな。夢の世界だけどそんな遠い先の夢ではないかもしれない。まあよくわからないけど、【香水】が道徳的に問題あるかどうかはよくわからんです。

まあとにかく【媚薬】や【エックス】は欲求をかきたてる方の物質なんでしょうな。思弁だと特定の欲求をブーストするっていうのはかなり難しそう。

これに対して、抑制をとる方に効果がある物質もある。思弁だとおそらくアルコールはまさにこっち系の薬物なのではないかと思ってます(あんまり自信ありませんが)。アルコールってセックスだけじゃなくていろんな抑制を取りさってしまうじゃないですか。だからひどいこと言ったり暴力ふるったりする人も少なくない。アルコール恐いです。しかし抑制をとりさることが求められる場合もある。

【】AとBはデートする仲だった。Bはまだセックスの経験がなく、セックスについて恐れや罪悪感を抱いていた。シラフではいつまでも同意できないと思ったBは、1時間に4杯飲んだ。キスとペッティングしてからAが「ほんとうにOK?」と聞くと、Bはグラスを掲げてにっこり笑って「今なら!」と答えた。

アルコールの力を借りて告白する、みたいなのも多いでしょうね。この【空元気】【オランダの大学】(原題はDutch Collegeなんですがなぜそういうタイトルがついているかわからない)ケースでは、AはもとからBとセックスしてみたいとは思っていたが、抑制が強すぎてその勇気がなかった、程度だと解釈すると、これはOKだろう、って言うひとは少なくないんじゃないかと思うわけです。同意能力のあるBはいろいろ自分の利益について合理的に考えたうえで、自発的に酔っ払ってセックスすることを選択した、というケースですね。

次のは誰も問題ないと考えると思います。

【ラクトエイド】Bは、お腹が痛いという理由でAとのセックスを拒んでいた。乳糖不耐症が原因であることが判明したので、Bは乳糖不耐症用錠剤を飲んだ。この「薬」のおかげでBは気分よくなり、セックスに合意した。

おなかの具合悪いのはいやなものですからね。薬があってよかったよかった。でもこれを次のように変更したらどうでしょうか。これも勝手に作ってみました。

【不同意ラクトエイド】Bは、お腹が痛いという理由でAとのセックスを拒んでいた。Bに乳糖不耐症が原因であることが判明したので、AはこっそりBの食事に乳糖不耐症用薬剤を入れた。この薬のおかげでBは気分よくなり、セックスに合意した。

なんでそんなのをこっそり食事に入れるんだとか考えちゃいますが、まあそういうこともある。性欲を昂進させるという食品を食事にたくさん入れて食事つくる人、みたいなのはまあ考えられるし。男性ホルモンや女性ホルモンが盛んにでるような食材を料理に入れる人なんかもいるような気がする。この【不同意ラクトエイド】では、食い物にそういうの入れるのがどうかっていう話は別にすると、Bの同意は無効だと考える必要はない感じがします。まあ【ラクトエイド】や【不同意ラクトエイド】とかを見ると、問題は単に薬物の影響下にあることではなく、薬物の影響によってシラフのときとは判断が変ってしまうという点にあるように思えます。

あれれ、適当に書いてたら話がよれた。やりなおし。ジョンレノン先生でも聞いて心を清めますか。

コウモリであるとはどのようなことか

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酒飲みセックス問題 (3) 「インフォームドコンセント」で考えると

医療におけるインフォームドコンセントだと、おおまかに(1) 同意能力、(2) 十分な情報、(3) 自発性・自律、の三つのポイントが有効な同意のために重要だってされてます。(1)同意能力はちゃんと判断して責任を負う能力があるってことですね。まともな判断できない人は(有効な)同意ができない。(2)の十分な情報ってのは、病気やその予想予後、薬の作用や副作用とか手術の危険性とかそういうのは患者は知らないことが多いので、情報を与えてもらわないとまともな判断できないし、それゆえ有効な同意もできない。(3)強制されてたり他からの圧力がかかってたりすると本人の意にそった同意ができないので同意が有効でなくなってしまう、というわけです。

この医療のインフォームドコンセントというモデルがセックスに適用できるかっていうのは、実は私自身はちょっと疑っていますが、それで考えてみる。

(1)の同意能力がセックスでも必要なのはふつう考えればその通りですわね。子供は自分の利益とかちゃんと判断できないから同意できない。だから日本の法律だと13歳未満の女子とセックスすると問答無用で強姦です。これはおそらく13歳未満の女子は同意する能力がないと考えられているからですね。しかし男子はOKっていうのはへんな気がしますね。まあ根拠はあるんでしょうが。こうした法定レイプを定めている国は多いです。一般には男女共通の場合が多いみたい。ただ「法定レイプ」statutory rapeの年齢を何才にするかっていうのは国によってまちまち。米国とかだと州によって違うと思う。

(3)はまあ当然。強迫してセックスというのはこれは強姦に他ならないわけです。っていうか(3)の自発性こそが性暴力とそうでないものを分けると考えられる。

これに対して、(2)の十分な情報っていうのが私が気になっている点で、セックスにおける十分な情報っていったいなんなんだ、みたいなことは思います。「私とセックスするとこういう感覚を味わいます」みたいな情報を提示する必要があるかとか。結婚してるかどうかとか性体験の数とかを秘密にしたりするのは許されるかとか。まあこれはまたあとで議論したい。

酒飲みセックスが問題になるのは、とりあえずお酒の影響で(1)の同意能力が損なわれている可能性があるからですね。まあちゃんと考えられなくなりますからね。前の記事でのアンチオク大学やブラウン大学は、アルコールがそうした能力を損うためにそういうセックスはいかん、と言いたいようです。

あと実は(3)の自発性もあやしい。お酒を飲んだのが完全に自発的だとしても、そのあとのセックスに対する同意みたいなのが本当に自発的といえるものなのかどうか。「お酒が私をそうさせたのだ」みたいな表現がありますが、酒を飲んでやった行動が自発的なものなのかっていうのはかなり疑問の余地がある。

まあこういうわけでインフォームドコンセントのモデルを使って酒飲みセックスを考えると、その条件を満してない場合がたくさんありそうで、ここらへんが倫理学者や法学者の関心をひくわけです。

そういやツイッタでは紹介しておいたけどこのビデオおかしい。私は何言ってるかまではちゃんと聞きとれないのでトランスクライブほしいな。途中でライトで酔っぱらってるかどうか確認してますね。用心深い弁護士だ。私も万が一のため、この女性弁護士雇ってみたいです。


酒飲みセックス問題 (2) 有効な同意ってなんだろう

酒飲みセックス問題がおもしろいのは、あれですわ。フェミニストの皆さんの正しい活動のおかげで、女性のノーがノーを意味する、いやだっていったらいやだし、それを無視してセックスしたりするのは不道徳なのはもちろん犯罪だってことがまあ一般的になってよかったよかった。実際には日本の刑法では強姦はいまだに暴行や強迫をもって姦淫しないと強姦罪にならないわけですが、同意がなければ実質的に強姦だろうという意見が強くなっているようです。一方、女性が寝てたりアルコールその他で心身喪失や抵抗ができない状態になっているのに姦淫したら準強姦で、刑罰の重さは同じです。酔っ払って寝てたら同意できませんからね。まあここらへんは一応問題がない。女の子のノーはノーです。これ読んでる男の子、いいですね。みんなでいっしょに大声で「ノーはノーを意味する」と唱えておきましょう。ワートハイマー先生が挙げてるシナリオだと次のようなやつ。(ワートハイマー先生はこういうシナリオを数かぎりなく作ってます。一部は実際に裁判になってたケースとかもある)

【ロヒプノール】AはBの飲み物に睡眠薬のロヒプノールを入れた。Bは気を失った。

【意識喪失】Bはコンパに出席し、大量のビールを飲んだ。Bは気を失った。

【朦朧】AとBは何度かデートしていたが、BはAが迫ってくるのを拒絶していた。今回、Bはかなり酔っ払ったが、気を失うほどではなかった。AがBの服を脱がせて迫ってききても、Bはなにも言わなかったが、弱って抵抗することができないのはあきらかだった。

【麻酔薬】歯医者のAは、Bが麻酔で意識を失なっているあいだに性交した。

ここらへんはもちろん不道徳だし、全部犯罪ですね。【朦朧】は日本の裁判でけっこう微妙な判断されちゃうことがあるかもしれないけど、裁判所の意識も変わっているでしょう。

しかし、時代は進んでいます。フェミニスト的精神が一般的になった今、「ノーはノー」ぐらいじゃヌルい。んじゃイエスだったら問題はないのか? イエスでも実はあんまり有効な同意じゃない場合があるんちゃうのか、というのが問題です。つまり意識失なわない程度に酔っ払っている相手とセックスするのはどうなのか、って話です。なんかいやな匂いがしますね。ギクっていう人はいませんか。

どうしてこういう話になるかというと、セックスは勝手にやると犯罪ですよね。相手の同意があってはじめて道徳的にも法的にも許容されるものになる。デフォルトではダメな行為。医療行為なんかと同じわけです。お医者がメスで人の体を切ったりすることが許されるのは、基本的には患者がそれに同意しているから。実際にお医者は患者さんを無理矢理治療することできません。ちゃんと「これこれこういう目的のためにこういう処置をしますよ」って説明して同意してもらう。インフォームドコンセント。

でもこのときお医者がとりつける同意は、有効な同意じゃなきゃだめなわけです。1歳児に「虫歯ペンチで抜くよ」「ばぶー(イエス)」とかやってもだめですわね。赤ちゃんには同意能力がない。なぜなら赤ちゃんは理性的に自分の利益とかを判断することができないから。入れ墨(タトゥー)なんかも酔っ払ってやってきたお客に「んじゃさっさとやりましょう」とか入れちゃったら罰されちゃうんじゃないすかね。知らんですけど。少なくとも道徳的には許されんだろう。お酒飲んだときっていうのは、いろいろ判断がおかしくなっちゃう人っているじゃないですか。私はわりと飲んでもそんな変わらない方だと思いますが、それでも説教くさくなったりします。そして世の中にはお酒飲んで酔っ払ってセックスしちゃう人びともいる。しかし(特に女性にとって)危険なことだと考えられています。まあ性病や(女性は特に)妊娠の可能性とかありますしね。

酒や各種の薬物の影響下で「イエス」っていっても、それは赤ちゃんが「ばぶー(イエス)」って言ってるのと同じようなものなんではないか。

数年前、「京都の大学生がコンパで集団強姦」みたいなネタがネットや新聞をさわがせたことがありました。なんかどうも卒業コンパかなんかで飲み屋で宴会して、そのまんま空き部屋で集団セックスしてとか(集団じゃなくて順番だったかもしれません)。その事件が実際にどうだったのかというのはさておいて、「下級生の女の子に酒飲ませてみんなでセックスするとは破廉恥!犯罪だ!少なくともすぐに退学にしろ!退学にしない大学は許せない!」みたいな論調が支配的だったことがあります。まあこの件は私もハレンチであると思うわけですが、酔っ払ってセックスするってことはそんな悪いことなのかどうか。そして悪いことだとしたら、それを法律とかで規制するべきなのかどうか。前回の記事に載せたブラウン大学なんかは学則でそういうの禁じているわけだけど、そういうのを各大学ももつようにするべきだとか、法で定めるべきだとかそういうことになるのかどうか。前に書いたアンチオク大学なんかもそういう学則をもってたわけです(12番「すべての参加者の判断力が損なわれていてはならない。(アルコール、ドラッグ、心理的健康状態、身体的健康状態などが判断力を損なう例であるが、これに限られるものではない)」)

刑法はよく知らんけど、酔っ払っている相手とセックスしたら性暴力だと言われると困るひとがたくさんいるんじゃないでしょうか。だいたい、デートしたりすると(飲める人どうしの場合は)お酒飲んだりするみたいですしね。サークルのコンパや合コンとかして「お持ち帰り」とかってのをする人びととかもいるとかって話を聞いたことがあります。都市伝説かと思ってたらそうでもないんですかね。昔高校生のころに村上春樹の『1973年のピンボール』っての読んで、バー(「ジェイズバー」だったかな)のトイレに女の子が落ちてたのでそれ拾って帰る、みたいな話があって、都会というのはそういうところなのか、すごいなあ、大学入ったら都会でバーに通っているとそういう経験をするのかしらと思ってたけどそういうのは見たことないですね。(ちなみに『ピンボール』の筋については斉藤美奈子先生の『妊娠小説』読んでおいた方がいいです)

あとお酒以外にも、彼氏と別れたとか、彼氏が浮気したとか、飼っていた犬が死んだとかで不安定になっている状態の人とセックスするのなんかもなんか少なくとも道徳的にはやばい感じがしますね。