酒飲みセックス問題 (6) 酔っ払い行為の責任

まず、「我々は酔っ払ってしたことについて責任があるか」というのがけっこう難しい。

まあこういう形で問いを作ることに問題があるかもしない。だって、たいていの人は「責任がある」っていうのがどういうことかはっきりとした考えをもってないからです。「責任」っていうのはほんとうに複雑で曖昧な概念ですわ。こういう形で問いをつくってしまったら、まず「責任がある」っていう表現でどういうことを言おうとしているのかはっきりさせないとならん。そのいうことをした上で、「どういう場合に責任があるか」とか「酔っ払ってしたことに責任があるか」とかって話になる。

んでまあ「行為に責任がある」っていう表現で一般の人が言うことはほんとうにさまざまなんですが、有望だと思われてて私もわりと好きなのは、「我々の道徳的態度や道徳的感情、特に非難や賞賛、罰や報酬に値する」みたいな意味で解釈するやりかたですね。「酔っ払ってしたことに責任があるか」と問うことは、「ある人が酔っ払ってしたことに対して我々が非難や賞賛をすることは正当化されるか」みたいな問いだってことになる。

この「責任」ってのがそもそも非難や賞賛と結びついていることは大事だと思いますね。日本はかなり酔っ払いに対して甘い国で、「酒の上でのことだから許してあげなよ」みたいな話になることもけっこうあるようですが、これは「酔っ払ってしたことにたいしてはシラフでしたことよりも非難を控えてやるべきだ」みたいなことを言ってるわけだ。

さて、この「酔ってたから許して」っていうのは、私も使うことがありますが、基本的にはやばいですよね。酔っ払いセックスではたいてい両方酔っ払っているわけだし。もしそれが正しいのなら、痴漢とか強姦とかしたいときはぜひ酒を飲んでよっぱらってからするべきだ、ってことになりそう。(小学生を大量殺人した犯人が、犯行前に向精神薬飲んでたとかっていやな話を思い出しました。許せん。)

もし酔っ払った女性と(酔っ払い同意の上で)セックスするのはだめだ、なぜなら酔っ払った人は同意したことについて責任がないからだ、と言おうとすれば、酔っ払ってセックスした男性にも責任はないことになってしまう。

しかし一方で、酔っ払ったことが強制的であった場合には責任はない、と言いたくなりますわね。たとえばアルコールを静脈注射されたり、こっそり飲み物に強いアルコール入れられたりした場合には、その酔っ払いは自発的じゃない。だから

【アルコール混入】 Bははじめてコンパに参加した。部屋には、ビールの樽と、「ノンアルコール」と書いてはいるが実はウォッカで「スパイク(混入)」されているパンチ飲料が置かれていた。Bはパンチを数杯飲んで、とてもハイになった。Aが自分の部屋に行くかと聞くと、Bは合意した。

こういう例ではBには責任はないと考えるのがまあまともな方向でしょうな。酔っ払ったのが自発的かどうか、っていうのは重要だ。

Heidi Hurd先生っていう人が”The Moral Magic of Consent” (1996)っていう有名な論文を書いてるんですが、これでは、我々が自発的に酔った場合にも法的な責任を回避できないとする理由として二つの見方がある、と分析してます。(1) 自発的に酔ったからといって、必ずしもなにをしてはいけないのかという義務に関する推論の能力が損われるわけではない。(2) 自発的に酔った場合にも法的な責任を免責するということになれば、悪行をしないように酔っぱらわないようにするという我々のインセンティブが損なわれる。

酔っ払った経験のある人はわかると思うのですが、(1)はその通りなんですよね。酔っ払って自分がなにをしているのかわかなくなる、という経験はあんまりない。たとえば酔っ払って立ちションするときも、「これはやばいなあ」とか思いつつそういうことをするわけですわね。アルコールが抑制を弱めてはいるものの、立ちションが悪いことで見つかったら非難されるに値することだということ自体はちゃんとわかっているわけです。私は基本的にはしませんよ。

(2)は酒癖悪い人はちゃんと意識しておくべきですね。酒癖悪い人は飲んだらいかんのです。許しませんよ。

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