酔っ払っての行為の責任というのはけっこう難しいんですよね。こういうのは責任とかにまつわる「自由意志」とかコントロール(制御)とかの複雑な哲学的議論を必要としている。
前のエントリではHurd先生の「酔っ払ってても必ずしも善悪の区別がつかなくなるわけじゃない」「酔っ払ってした行為を許すと酔っ払わないインセンティブが低下する」っていう二つの議論を紹介しましたが、これだけではうまくいかないかもしれない。
前のエントリでも書いたように、私自身は酔ってなにもわからなくなったという経験はないのですが、どうも世の中には酔っ払ってしたこととか忘れてしまう人とかいるようだし、本気で人格変わってしまうように見える人びともいますわね。そういうのどう扱ったものか。
インセンティブの方にしても、この手の議論は事実としてインセンティブが低下するかどうかってところに依存する議論で、私自身は嫌いじゃないけど、そういうのを認めない人びともいる。
ワートハイマー先生はここでFischer & Ravizza (1998) Responsibility and Controlっていう本の議論をもってきます。この本は「責任」や「自由意志」を巡る哲学的議論のなかで、最近の成果として非常に高く評価されている本です。前からもってたけどぱらぱらめくってみてもおもしろい議論を提出している本で、誰か翻訳してくれないですかね。この本で議論されている責任の話は、私が興味をもっている性的な同意なんかについても非常におもしろい洞察をあたえてくれるので、自由とか責任とかに興味のある哲学系の院生の人は必読ですね。
フィッシャー先生たちの本の全体の問題はこうです。我々は基本的に決定論的な世界に住んでいて、物事は自然法則にしたがって推移する。我々人間も基本的には物理学的・心理学的な法則にほぼしたがって行動しているわけで、そういうのを離れて「自由な意志」みたいなものは持つことができないかもしれない。そういう見方をしたときに道徳的な責任とかっていったいどうなるの? まさに哲学の主要問題の一つである「自由意志と責任」の問題ですね。
フィッシャー先生たちの答は、「いや、わしらがだいたい法則にしたがって行動しているといっても、道徳的な責任を問うことはできる。ある行為者が、そのひとが自分の行為の「理由」とみなすものにしたがって行為できれば責任を問うのに十分なのじゃ」ってな感じ。
たとえば、私が立ちションする場合に、「立ちションしてはいかん、法律で禁止されているし、女子大生に目撃されたら恥ずかしいし女子大生はショックを受けるだろうから」という理由に応じて立ちションしないという行動をとれるならば、それで立ちションした責任を問う、つまり非難したり、交番に引っ張っていったりするのに十分だ、というわけです。こういう「理由」に反応できない状態になった場合は責任はない。この責任と「理由」に応じて行為する能力というのはすごく重要ですね。セックスの同意に関する議論でも重要。ある人とセックスしない理由があるのに、セックスしてしまう、っていうのケースがあるのが問題なわけなのでね。
フィッシャー先生たちが心配しているのは、こういう形で責任とコントロールの関係を考えると、んじゃ「性格的にどうしても〜してしまう」「性格的に〜できない」みたいなのはどうなるの?ってことなんだけど、その答は、「性格とかによってどうしてもしてしまう/できない行為についても、行為に先立つある適切な時点でガイダンスコントロール(理由に応じて行為する能力)があると言えれば十分」って感じのものです。つまり、いま私は怠惰でちゃんと原稿とか書けないわけですが、いままでの50年の人生のなかで合理的に考えて「ちゃんと計画どおりに原稿書ける」とかそういう癖や習慣や性格をつくるチャンスはあったわけで、だから今私が性格的な欠点によって今原稿書けないことについて責任があるわけです。
ワートハイマー先生はフィッシャー先生たちのこの性格についての議論を酔っ払いについて応用する。酔っ払いがちゃん理由に応じて行為できないことはたしかにある。酔っ払って、その人にとってセックスしない理由がある人とセックスしてしまう、ということはありえる。でも、その行為に先だって、酔っ払って判断力をなくす前の時点で、自発的に酒飲んで酔っ払っであり、そういうことがあるから酔っ払わないような理由があるのに酔っ払ったのであれば、その人の責任を問うのは理にかなっている。
つまり自分でわかってて酒飲んで酔っ払ったのであれば、酔っ払ってしたことに責任がある。まあこりゃあたりまえですがね。でもたったこれだけの常識的な判断を哲学的に正当化するっていうのはけっこうたいへんなんすわ。
ワートハイマー先生はもう一つ議論を提出しているけど面倒だからもうやめ。
とりあえず、いろいろ議論があって、「酔っ払ってした行為には責任がない」ってことにはならんだろう。しかし、それでは、「酔っ払ってした行為には責任があるのだらから、酔っ払ってした同意は有効だ」ということになるかどうか。慣れてない人はこういう問いが異常なものに見えるかもしれませんが、これはそんな簡単じゃないかもしれない。こういう細かい分析が哲学っぽいですよね。
Cambridge University Press
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