セックスの哲学」カテゴリーアーカイブ

カント先生とセックス (4) 恋人関係でもセックスしてはいけません

前エントリで「利害関心にもとづいて」と訳されているのは主に金銭的利益とかを考えてって、ことです。まあ「売買春はいかんです」というカント先生のご意見に「我が意を得たり」みたいな人は少なくないかもしれませんが、カント先生が偉いのは、売買春だけじゃなくて、お互いに性的に求めあってる関係でさえセックスはいかん、と主張するところですね。 続きを読む

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カント先生とセックス (3) 自分の体であっても勝手に使ってはいけません

まあ性欲はそういうわけでいろいろおそろしい。だいたい、いろんな犯罪とかもセックスからんでることが多いですしね。性欲は非常に強い欲望なので、道徳とバッティングすることがありえる、っていうより、他人の人間性を無視してモノに貶めるものだっていうんでは、ほとんど常に道徳とバッティングしてしまう。 続きを読む

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カント先生とセックス (2) 性欲は直接に他人の身体を味わおうとする欲望

カントのセックスについての話は、『人間学』、『コリンズ道徳哲学』(死後出版。カント先生の講義ノートをまとめたもの)、『美と崇高の感情性に関する考察』、『人倫の形而上学』、『人類の歴史の憶測的起源』あたりにばらまかれてます。けっこういろんなこと語ってますわ。『コリンズ道徳哲学』の有名なセックス論はこんな感じ。 続きを読む

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カント先生とセックス (1) いちおう「人間性の定式」の確認

哲学者・倫理学者といえばカント先生。しかしそのカント先生を専門的に勉強していた人が犯罪で逮捕されたというので話題になっているようです。まあ正直なところまったく同世代なのでいろいろ考えちゃいます。 続きを読む

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酒飲みセックス問題 (11) 同意というのはプロセスだ

前のエントリで書いたように、ワートハイマー先生のは私にはちょっと不安があっていろいろ考えるところです。

ところで、(8) 「セックスする気があるとき女性は酔っ払うか」で紹介したDavis & Loftus先生たちの論文の後半は法政策に対する提言になっていて、サーヴェーの結論として次のようなことを言おうとしています。

  1. 性的な同意というのはある時点での行為ではなく、時間をかけて展開されるプロセスだ
  2. 酔っ払った相手とのセックスは禁じられるべきでは*ない*。酔っ払うほど飲むっていう決断が性的な意図を含意していることはありえる
  3. 意思が途中で変わることはありえるものの、アルコールを摂取したということは被害者の強制されたという主張の信頼性に影響する
  4. reasonableな人にとって、相手のアルコール使用は、相手の同意と同意能力の蓋然的証拠になる
  5. アルコール使用はレイプや強制の虚偽申告の要因になる
  6. 酔っ払っての性的行動に対する規制は、危害の防止と自由の制限という諸刃の剣になる

どれも政治的にちょっとあれで、けっこう論争を呼びそうな主張ではありますね。うしろの方はいろいろ検討しなければならないものを含んでますが、最初の「同意は時間をかけて展開されるプロセスだ」っていう主張は鋭いことを言うな、と思いました。つまりふつうのセックスとかでは「やりますか」「やりましょう」「はっけよい、のこった!」みたいにはならんわけですね。相撲じゃないんだから。

実際のセックスでは、少なからぬ場合最初は女性は(いろんな事情から)ノーと言う場合が多い。これはけっこう研究の蓄積があります。古いのだと、Muehlenhard, Charlene L., and Lisa C. Hollabaugh. “Do women sometimes say no when they mean yes? The prevalence and correlates of women’s token resistance to sex.” Journal of personality and social psychology 54.5 (1988): 872.とか。まあそういうのは女性の弱い立場や抑圧があれだ、みたいな議論もあるのですが、そうでなくてもとりあえず軽く見られないように最初はノーっていう、みたいなのもある。ここはいろいろ議論あるところです。

Davis先生たちは、まあ最初は実際そういうもんだけど、同意しているかどうかっていうのはその最初の返事がどうかってことよりは、そのあとで、いっしょにどの程度酒飲むかとか、遠まわしに誘いかけられたらどうするかとか、手を握られれたらどうするか、耳もとで口説かれたらどうするか、他から隔てられた場所に移動するよう誘われたときについていくかとか、いろんな部分触られたときにどうするかとか、まあそういう時間的に発展していくいろんな合図によって示されるものだ、って主張したいわけですね。ここらへんの見方はワートハイマー先生より女性らしい分析を感じました。なんかよくわからんけど、セックスの同意なんてそんなもんな気がしますね。商売の契約とかギャンブルの賭けとかとは違うです。

Davis先生たちの他の主張は今やるのはちょっと時節がら具合悪いのでしばらくほうっておきます。興味ある人は読んでみてください。

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酒飲みセックス問題 (10) 同意の文脈・文化

未成年女子に酒飲ませて公然わいせつした警官が女子から損害賠償訴訟起こされたようですね。このシリーズ、そういう実際の話のことは考えていますが、実際の事件についてなんか言おうというつもりはないです。

えーと、話は酔っ払った行為にも責任がないとはいえない、でも酔っ払ってした同意が、「有効な」同意なのかっていうのはすぐにはわからん、という話まで。
この問題はおそらく、その社会的文脈による、みたいな話になっちゃうんですよね。 続きを読む

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酒飲みセックス問題 (9) 同意したことに責任があっても同意は有効じゃないかもしれない

まあというわけで、酒を飲んで酔っ払ったからといって、行動の責任がなくなるわけではないような感じです。(場合によっては)同意したことや酔っ払ったことは非難に値するという意味で「責任がある」ということになりそうです。

しかし、んじゃ酔っ払ってした同意はぜんぶ有効validなのか、というとそうでもないかもしれない。同意の責任はあるけど同意は有効じゃないよ、だからそういう同意をした人とセックスした人を非難したり罰したりすることは可能かもしれない。 続きを読む

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酒飲みセックス問題 (8) セックスする気があるとき女性は酔っ払うか

Deborah Davis先生とElizabeth Loftus先生の共著で、”What’s good for the goose cooks the gander: Inconsistencies between the law and psychology of voluntary intoxication and sexual assault.” Handbook of forensic psychology: Resources for mental health and legal professionals (2004): 997-1032. っていう論文があるんですわ。酒飲み行動と性的な意図はどういう関係があるか、みたいな話のサーヴェー論文。 続きを読む

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アリストテレス先生とともに「有益なおつきあい」について考えよう

まあ「有益な関係」みたいなのっていうのはどうなんですかね。世代的なものかもしれませんが、私なんかだと、そういう損得感情が入っているのは恋愛ではないのではないか、みたいなことをすぐに考えてしまうわけですが、女子はわりとプラグマチックに男性をスペックで見たり、その金とか学歴とか地位とかで見ることもそんな珍しくない感じで、そういう話を聞いてるととまどってしまうことがあります。

しかしプラトン先生自身が恋愛についてなにをいっているのか、というのはすごくわかりにくいんですわ。基本的にプラトン先生は熱情的な人で、こう理屈通ってないこともがんばっちゃうタイプの人で、私自身は苦手です。好きなのはアリストテレス先生。こっちは大人で落ちついている。

ザ・哲学者

ザ・哲学者

アリストテレス先生の恋愛や友情なんかについての考え方は『ニコマコス倫理学』で展開されてます。すごく有名な議論です。

まず「愛する友なしには、たとえ他の善きものをすべてもっていたとしても、だれも生きてゆきたいとは思わないだろう」(1155a)ってことです。この「友」が同性なのか異性なのかていうのはあんまり意識されてないっぽい。いちおう同性を中心に考えますが、異性との話も含まれていると読んでかまわないはずです。お金もってて仕事できても、友達がいないと生きていく甲斐がないです。ここでいう友達っていうのはたんにいっしょにいるんじゃなくて、もっと深い結びつきをもって、お互いが幸せに生きることを願いあうような、そういう関係。

単に趣味をもってるとか、車が好きだ、とかっていってそれが友達のかわりになるわけではないですね。

「魂のない無生物を愛することについては、通常、友愛という言葉は語られない。なぜなら、無生物には愛し返すということがないからであり、またわれわれが、無生物の善を願うということもありえないからである。」

恋愛とか友情とかってものは、一方通行じゃない。少なくとも私らが求めるのは、相手からも同じように好かれたいってことで、これが友情や恋愛のポイントです。片思いしている人も相手に好きになってほしいわけで、「電柱の陰から見つめているだけで十分」っていうのは相手にしてもらえないからそれで我慢しなきゃってだけですよね。

「だが友に対しては、友のための善を願わなければならないと言われているのである。・・・しかし、このような仕方で善を願う人たちは、相手からも同じ願望が生じない場合には、相手にただ「好意を抱いている」と言われるだけである。なぜなら、友愛とは、「応報」が行なわれる場合の「好意」だと考えられているからである」

この「好意」がまあ片思いとかでしょうな。「彼は私の友達です」「あの子は僕の彼女だよ」ってときはやっぱり相手にとって自分が特別なことが含意されてます。

ところで、「劣ったものや悪しきものを愛することはできない。愛されるものには(1)善きもの、(2)快いもの、(3)有用なもの、の三つがある。(1155b)」っていうことです。よく「ダメンズウォーカー」とかっていて「ダメな男」にはまる人がいるようですが、隅から隅じまったくだめな人ってのを好きになることは不可能だとアリストテレス先生は考えるわけです。まあ「だめ夫」っていったってどっかいいところはあるわけですからね。金もなければ仕事もできないけど、セックスはうまいとかちゃんと話聞いてくれるとか笑顔だけはいいとか。愛というのはそういう長所を愛することなわけです。

「快いもの」っていうのは楽しいもの、いっしょにいいていい感じを与えてくれるものですね。美人やイケメンとはいっしょにいるだけで楽しいということはよく聞きます。以前、ある女子大生様が「やっぱりイケメンといっしょの方がご飯食べてておいしいじゃないですか!」と発言するのを聞いて衝撃を受けたことがあります。たしかにそういうことはありそうだ。すごい実感がこもっていて感心しました。これはおそらく、イケメンがご飯をおいしくするわけじゃないけど、イケメンといっしょにいることによってひきおこされる快適な気分がご飯をおいしくしてくれるのですね。

「有用なもの」っていうのは、それ自体が快楽をもたらすものじゃなく、快楽のために役に立つものですね。お金もっているということはイケメンとちがってそれ自体では快楽をもらたらさないとしても、いろんな楽しい活動をするのに役にたつ。お金いいですね。私も欲しいです。

他にも前のエントリであげたプラトン先生の議論に出てきたような有用さっていうのはいろいろあるでしょうな。古代アテネのパイデラスティアでは、年長のオヤジは少年にいろんなものを提供してくれることになっていた。まずもちろんお金。社会的に成功するには教育とか必要なわけですが、そういうののお金のかかりを面倒見たり。服とかも買ってあげたかもしれんですね。それ以上に重要だったと思われるのが、さまざまな知識の伝授ですわね。本の読み方とか演説の仕方も教えてもらってたかもしれない。学生様だったら年上の彼氏からレポート書いてもらったりしたことある人もけっこういるんじゃないですかね。仕事上のアドバイスを受けることもあるだろう。それに人脈。これも古代アテネでは重要だったようで、「有力者の愛人」とかってのはそれなりにステータスで、いろんなところに出入りするチャンスを得たりすることができたんじゃないでしょうか。やっぱり有力な人と親密なおつきあいするのはとても役に立ちます。

説明が最後になった「善きもの」っていうのが一番どう解釈するのかがむずかしくて、まあ美徳(アレテー)をもっている、ってことですわね。アリストテレス的な枠組みでは、たとえば「勇敢」「知的」「正義」みたいな長所が美徳と呼ばれていて、そういう長所のために人を好きになる。私はここでなんで「イケメン」や「話がおもしろい」が長所に入らないのだろうかと考えてしまうのですが、まあそういうんじゃなくて人格的な美徳を考えてるようですなあ。

アリストテレス先生は最後の美徳にもとづいたお互いが美徳を伸ばしあうことを願う似たもの同士の友愛が一番完全な友愛だと言います。たとえば知性という美徳をお互いに認めあった人びとが、お互いの知性が成長することを願いあう関係とかですかね。まあ今例として「知性」とかをつかったのであれに見えますが、たとえば「サッカーの技能」「忍者としての技能」みたいなものにおきかえることができれば、一部の人びとが大好きなボーイズラブの構図そのものですね。「お前、やるな!」「お前こそ俺のライバルたるにふさわしい!ライバルであり終生の友だ!」みたいに読めばどうでしょうか。このときに攻めとか受けとかあるのかよくわかりません。

まあそういうのが最高の友愛ですが、アリストテレス先生は有用性にもとづく関係とかだめな関係だ、とまでは思ってないみたい。多くの関係がおたがいの快楽をもとめる関係だったり、有用性をもとめる関係だったり、あるいは一方は快楽を提供し、一方は有用性を提供する、みたいな関係ってのもあるかもしれない。最後のは前のエントリで触れた典型的パイデラスティアの関係ですわね。年長者は有用さを提供し、年少者は若さと美と快楽を提供する、というそういう関係。先生はどうも人びと自身の優秀さとか階層とかによって相手とどういう関係を結ぶかが違ってくる、みたいなことを言いたいみたいで、快楽や有益さをもとめた関係とかがすごく劣ったもので軽蔑すべきものだ、みたいなことは言おうとはしてない感じです。すぐれた人びとはもっとよい関係を結ぶものだ、程度。

でもそういう関係ははかない。お金や地位を失なってしまえば有用さを提供することはできなくなるし、若さと美なんてのはもうあっというまに色あせるものですからね。どんなイケメン美人でも10年ピークを維持することは難しいでしょうな。まあそういう持続性の点でも「似たもの同士の美徳のための友愛」が一番だそうです。

『ニコマコス倫理学』は朴先生の訳で読みたいです。岩波文庫のは古い。でもさすがに5000円は出しにくいですよね。光文社でなんとかしてもらえないだろうか。

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もっとも、実際にアリストテレスとかの専門家筋には岩波も悪くないという評判みたいです。

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プラトン先生の『パイドロス』からオヤジらしい口説き方を学ぼう

最近「倍以上男子」という言葉を流行らせようとしている雰囲気があるようですね [1]2017年だと「パパ活」か。 。私はこういうのはなんかバブル時期のことを思いだしてあれなんですが、まあそういうのもあるでしょうなあ。 http://howcollect.jp/article/7240 まあ流行らないと思いますが、こういう記事を書いている人がなにかソースをもっているってことは十分にありそうだとは思います。

しかしまあこういうので言われている女子とか年少者にとって有利な恋愛の形というのは当然昔からあって、あの偉大なるプラトン先生も検討しておられます。プラトン先生は恋愛とセックスの哲学の元祖でもあるのです。おそらくソクラテス先生もね。

プラトン先生が考えている恋愛っていうのは、『饗宴』でもそうですが、男同士、年長の男(30代とか [2]40才ぐらいになったらそろそろ少年愛やめて結婚して子供つくるのが正しいと考えられてたようです。 )と年少(10代)とかの関係ですわね。少年愛。パイデラスティア。どうも当時のアテネの一部の階層ではそういうのが一般的だったんですね。美少年が勢いのある中年に性的な奉仕をして、中年男の方は金銭面とか人脈とか各種の知識や技術を教えたりする関係。まさに倍以上男子です。

プラトンが恋愛について書いたものというと、例の「人間はもともと2人で一つの球体だった、それがゼウスに怒られて二つに分けられちゃった、それ以来人間は自分の半身を求めて恋をするのだ」というアリストファネスの演説が入っている『饗宴』が有名ですが、『パイドロス』も同じくらいおもしろくて重要な本ですわね。その最初に、「君は自分に恋していない人とつきあうべきだ」っていうリュシアスという人の演説が紹介されているのです。話はそこから始まる。

まず、「ぼくに関する事柄については、君は承知しているし、また、このことが実現したならば、それはぼくたちの身のためになることだという、ぼくの考えも君に話した」って感じで話をはじめます。まあ自己紹介みたいなのして、自分がどれくらいお金もってるかとか、どれくらい地位が高いかとか仕事ができるかとかまずは説明するわけですね。んで「このこと」っていうのはまあお付き合いですわ。それは両方のためになるよ、ともちかかけるわけです。

口説きは、「ぼくは君を恋している者ではないが、しかし、ぼくの願いがそのためにしりぞけられるということはあってはならぬとぼくは思う」と意外な展開を見せます。君のことを愛しているわけじゃないけどお付き合いしよう、まあセクロスセクロス。

若い人は、自分を愛している人より愛してない人とつきあうべきなのです。なぜか。リュシアス先生は理路整然と説明します。おたがいそうする理由がたくさんある。

(1) 恋愛というのはアツくなっているときはいいけど、それが冷めると親切にしたことを後悔したり腹たてたりする。恋人がストーカーになっちゃった、とかっていうのは今でもよく聞きますよね。でも恋してない人はそういう欲望によって動かされれてるわけじゃなくて冷静な判断から相手に得なことをするから後悔したりあとでトラブルになったりしない。

(2) 恋しているからおつきあいをする、っていうことだったら、新しい恋人候補があらわれたらさっさとそっちに行ってします。「誰より君を大事にするよ」とかいってたって、他に新しい恋人ができたらそっちの恋人を「誰より大事」にするだろうから、古い恋人はひどいめにあうってこともしょっちゅうだ。実際「恋」とかってのは熱病みたいなもので自分ではコントロールすることができないものなのだから、そんなものに人生かけるのは危険だ。

(3)  おつきあいをする相手を自分に恋している人から選ぼうとすると数が少ない。ふつうの人はそんな何十人も候補があるわけじゃないっすからね。でも冷静におつきあいを望んでいるオヤジは多い。よりどりみどりになる。

(4) 恋している男というのは、有頂天になって自慢話におつきあいのことをペラペラと周りにしゃべるものだが、冷静な愛人はそういうことはちゃんと秘密にしてくれる。

(5) 恋している男は嫉妬ぶかい。今どこにいるだの誰とメールしているかとかいちいち詮索してうざい。

(6) 別れるときも恋している男はいろいろうざい。恋してない奴はさっさと納得して別れてくれる。

(7) 恋している男は、相手がどういう人かを知るまえにセックスしようとするが、恋をしてない理性的な人はちゃんと相手を見てからおつきあいする。

(8) 恋をしている人は相手の機嫌をそこねないようにってことばっかり考えて、本当にタメになることは教えてくれない。それに対して恋してない奴はいろいろ有益なアドバイスをくれる。今の快楽だけでなく、長い目で見たら将来のためにこうするべきだ、みたいなことを教えてくれるだろう。

とかまあ面倒になったからやめるけど、こういう感じ。これは今でもオヤジの口説きに使えそうな部分もあるわけですな。まあいつの時代も人は同じようなことを考えるものです。このリュシアスさんの演説に対して、ソクラテス先生が「おれはもっとうまい話ができるぞ」とか言いつついろいろ検討くわえて「恋愛やおつきあいというものはそういうものではないぞ、もっとええもんなんや」とやっつけていきつつ、その実、実は美少年パイドロス君をナンパしてたらしこんでいく、というのが筋です。そういうのが好きな人は読んでみてください。名作です。

『パイドロス』は岩波文庫のでいいと思います。『饗宴』はいろいろあるけど、光文社の新しいやつ読みやすかった。『パイドロス』訳している藤沢先生は授業受けたことありますが、モテそうな先生でした。

→ プラトン先生の『パイドロス』でのよいエロスと悪いエロス、または見ていたい女の子と彼女にしたい女の子に続く。

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アテネとかの同性愛がどういう感じだったかというのは、まあまずはドーヴァー先生の本を読みましょう。まちがってもいきなりフーコー先生の『性の歴史』とか読んじゃだめです。

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ハルプリン先生のはゲイ・スタディーズとかの成果をふまえたものでもっとドーヴァー先生のより現代的なものだけど、ちょっと難しいし評価もそれほど定まってない。

同性愛の百年間―ギリシア的愛について (りぶらりあ選書)
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アテネで女性がどういう暮しをしていたかっていうのは、これかな。

古代ギリシアの女たち―アテナイの現実と夢 (中公文庫)
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References

References
12017年だと「パパ活」か。
240才ぐらいになったらそろそろ少年愛やめて結婚して子供つくるのが正しいと考えられてたようです。

酒飲みセックス問題 (7) 酔っ払い行為の責任続き

酔っ払っての行為の責任というのはけっこう難しいんですよね。こういうのは責任とかにまつわる「自由意志」とかコントロール(制御)とかの複雑な哲学的議論を必要としている。

前のエントリではHurd先生の「酔っ払ってても必ずしも善悪の区別がつかなくなるわけじゃない」「酔っ払ってした行為を許すと酔っ払わないインセンティブが低下する」っていう二つの議論を紹介しましたが、これだけではうまくいかないかもしれない。 続きを読む

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酒飲みセックス問題 (6) 酔っ払い行為の責任

まず、「我々は酔っ払ってしたことについて責任があるか」というのがけっこう難しい。

まあこういう形で問いを作ることに問題があるかもしない。だって、たいていの人は「責任がある」っていうのがどういうことかはっきりとした考えをもってないからです。「責任」っていうのはほんとうに複雑で曖昧な概念ですわ。こういう形で問いをつくってしまったら、まず「責任がある」っていう表現でどういうことを言おうとしているのかはっきりさせないとならん。そのいうことをした上で、「どういう場合に責任があるか」とか「酔っ払ってしたことに責任があるか」とかって話になる。 続きを読む

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酒飲みセックス問題 (5) エロス、ルダス、そして誘惑

ちょっと戻ってさらにだらだらと横道にそれると、まあ相手の欲望を引き起こし抑制を解除する、っていうのはこれはもう恋愛とかの一番重要な局面ですわね。そりゃ世間の正しい人びとっていうのは「恋愛やセックスというのは、長い時間をかけてお互いをよく知りあい、人間的に尊敬しあえる関係をつくり、おたがいの理解の上で一対一のコミットをした上でセックスするべきだ」みたいな美しいことを言ったりするわけですが、それってなんというか理想的すぎるし、そもそも我々が思いえがいている「熱愛」みたいなのの理想でさえないかもしれない。 続きを読む

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酒飲みセックス問題 (4) 薬物の影響そのものは問題ではないかも

セックスにおける同意が問題になるのは恋愛とかセックスとかそういうのには医療行為とか商売上の契約とかとはまったく違う面があるからですね。

お医者が患者を手術したくてしょうがない、みたいなことはないわけです。「手術させろー、シリツシリツ」みたいなのは困るっしょ。それに患者さんに、本人に病気とかがなくても切られたいと思ってほしいとも思わない。まあ「手術受けるならこの先生」ぐらに信頼しててほしいことはあるかもしれませんが、「あの先生に切ってほしいから盲腸になりたい」と思ってほしいとは思ってないだろう。ははは。 続きを読む

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酒飲みセックス問題 (3) 「インフォームドコンセント」で考えると

医療におけるインフォームドコンセントだと、おおまかに(1) 同意能力、(2) 十分な情報、(3) 自発性・自律、の三つのポイントが有効な同意のために重要だってされてます。(1)同意能力はちゃんと判断して責任を負う能力があるってことですね。まともな判断できない人は(有効な)同意ができない。(2)の十分な情報ってのは、病気やその予想予後、薬の作用や副作用とか手術の危険性とかそういうのは患者は知らないことが多いので、情報を与えてもらわないとまともな判断できないし、それゆえ有効な同意もできない。(3)強制されてたり他からの圧力がかかってたりすると本人の意にそった同意ができないので同意が有効でなくなってしまう、というわけです。

この医療のインフォームドコンセントというモデルがセックスに適用できるかっていうのは、実は私自身はちょっと疑っていますが、それで考えてみる。

(1)の同意能力がセックスでも必要なのはふつう考えればその通りですわね。子供は自分の利益とかちゃんと判断できないから同意できない。だから日本の法律だと13歳未満の女子とセックスすると問答無用で強姦です。これはおそらく13歳未満の女子は同意する能力がないと考えられているからですね。しかし男子はOKっていうのはへんな気がしますね。まあ根拠はあるんでしょうが。こうした法定レイプを定めている国は多いです。一般には男女共通の場合が多いみたい。ただ「法定レイプ」statutory rapeの年齢を何才にするかっていうのは国によってまちまち。米国とかだと州によって違うと思う。

(3)はまあ当然。強迫してセックスというのはこれは強姦に他ならないわけです。っていうか(3)の自発性こそが性暴力とそうでないものを分けると考えられる。

これに対して、(2)の十分な情報っていうのが私が気になっている点で、セックスにおける十分な情報っていったいなんなんだ、みたいなことは思います。「私とセックスするとこういう感覚を味わいます」みたいな情報を提示する必要があるかとか。結婚してるかどうかとか性体験の数とかを秘密にしたりするのは許されるかとか。まあこれはまたあとで議論したい。

酒飲みセックスが問題になるのは、とりあえずお酒の影響で(1)の同意能力が損なわれている可能性があるからですね。まあちゃんと考えられなくなりますからね。前の記事でのアンチオク大学やブラウン大学は、アルコールがそうした能力を損うためにそういうセックスはいかん、と言いたいようです。

あと実は(3)の自発性もあやしい。お酒を飲んだのが完全に自発的だとしても、そのあとのセックスに対する同意みたいなのが本当に自発的といえるものなのかどうか。「お酒が私をそうさせたのだ」みたいな表現がありますが、酒を飲んでやった行動が自発的なものなのかっていうのはかなり疑問の余地がある。

まあこういうわけでインフォームドコンセントのモデルを使って酒飲みセックスを考えると、その条件を満してない場合がたくさんありそうで、ここらへんが倫理学者や法学者の関心をひくわけです。

そういやツイッタでは紹介しておいたけどこのビデオおかしい。私は何言ってるかまではちゃんと聞きとれないのでトランスクライブほしいな。途中でライトで酔っぱらってるかどうか確認してますね。用心深い弁護士だ。私も万が一のため、この女性弁護士雇ってみたいです。

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酒飲みセックス問題 (2) 有効な同意ってなんだろう

酒飲みセックス問題がおもしろいのは、あれですわ。フェミニストの皆さんの正しい活動のおかげで、女性のノーがノーを意味する、いやだっていったらいやだし、それを無視してセックスしたりするのは不道徳なのはもちろん犯罪だってことがまあ一般的になってよかったよかった。実際には日本の刑法では強姦はいまだに暴行や強迫をもって姦淫しないと強姦罪にならないわけですが、同意がなければ実質的に強姦だろうという意見が強くなっているようです。一方、女性が寝てたりアルコールその他で心身喪失や抵抗ができない状態になっているのに姦淫したら準強姦で、刑罰の重さは同じです。酔っ払って寝てたら同意できませんからね。

まあここらへんは一応問題がない。女の子のノーはノーです。これ読んでる男の子、いいですね。みんなでいっしょに大声で「ノーはノーを意味する」と唱えておきましょう。ワートハイマー先生が挙げてるシナリオだと次のようなやつ。(ワートハイマー先生はこういうシナリオを数かぎりなく作ってます。一部は実際に裁判になってたケースとかもある)

【ロヒプノール】AはBの飲み物に睡眠薬のロヒプノールを入れた。Bは気を失った。

【意識喪失】Bはコンパに出席し、大量のビールを飲んだ。Bは気を失った。

【朦朧】AとBは何度かデートしていたが、BはAが迫ってくるのを拒絶していた。今回、Bはかなり酔っ払ったが、気を失うほどではなかった。AがBの服を脱がせて迫ってききても、Bはなにも言わなかったが、弱って抵抗することができないのはあきらかだった。

【麻酔薬】歯医者のAは、Bが麻酔で意識を失なっているあいだに性交した。

ここらへんはもちろん不道徳だし、全部犯罪ですね。【朦朧】は日本の裁判でけっこう微妙な判断されちゃうことがあるかもしれないけど、裁判所の意識も変わっているでしょう。

しかし、時代は進んでいます。フェミニスト的精神が一般的になった今、「ノーはノー」ぐらいじゃヌルい。んじゃイエスだったら問題はないのか? イエスでも実はあんまり有効な同意じゃない場合があるんちゃうのか、というのが問題です。つまり意識失なわない程度に酔っ払っている相手とセックスするのはどうなのか、って話です。なんかいやな匂いがしますね。ギクっていう人はいませんか。

どうしてこういう話になるかというと、セックスは勝手にやると犯罪ですよね。相手の同意があってはじめて道徳的にも法的にも許容されるものになる。デフォルトではダメな行為。医療行為なんかと同じわけです。お医者がメスで人の体を切ったりすることが許されるのは、基本的には患者がそれに同意しているから。実際にお医者は患者さんを無理矢理治療することできません。ちゃんと「これこれこういう目的のためにこういう処置をしますよ」って説明して同意してもらう。インフォームドコンセント。

でもこのときお医者がとりつける同意は、有効な同意じゃなきゃだめなわけです。1歳児に「虫歯ペンチで抜くよ」「ばぶー(イエス)」とかやってもだめですわね。赤ちゃんには同意能力がない。なぜなら赤ちゃんは理性的に自分の利益とかを判断することができないから。入れ墨(タトゥー)なんかも酔っ払ってやってきたお客に「んじゃさっさとやりましょう」とか入れちゃったら罰されちゃうんじゃないすかね。知らんですけど。少なくとも道徳的には許されんだろう。お酒飲んだときっていうのは、いろいろ判断がおかしくなっちゃう人っているじゃないですか。私はわりと飲んでもそんな変わらない方だと思いますが、それでも説教くさくなったりします。そして世の中にはお酒飲んで酔っ払ってセックスしちゃう人びともいる。しかし(特に女性にとって)危険なことだと考えられています。まあ性病や(女性は特に)妊娠の可能性とかありますしね。

酒や各種の薬物の影響下で「イエス」っていっても、それは赤ちゃんが「ばぶー(イエス)」って言ってるのと同じようなものなんではないか。

数年前、「京都の大学生がコンパで集団強姦」みたいなネタがネットや新聞をさわがせたことがありました。なんかどうも卒業コンパかなんかで飲み屋で宴会して、そのまんま空き部屋で集団セックスしてとか(集団じゃなくて順番だったかもしれません)。その事件が実際にどうだったのかというのはさておいて、「下級生の女の子に酒飲ませてみんなでセックスするとは破廉恥!犯罪だ!少なくともすぐに退学にしろ!退学にしない大学は許せない!」みたいな論調が支配的だったことがあります。まあこの件は私もハレンチであると思うわけですが、酔っ払ってセックスするってことはそんな悪いことなのかどうか。そして悪いことだとしたら、それを法律とかで規制するべきなのかどうか。前回の記事に載せたブラウン大学なんかは学則でそういうの禁じているわけだけど、そういうのを各大学ももつようにするべきだとか、法で定めるべきだとかそういうことになるのかどうか。前に書いたアンチオク大学なんかもそういう学則をもってたわけです(12番「すべての参加者の判断力が損なわれていてはならない。(アルコール、ドラッグ、心理的健康状態、身体的健康状態などが判断力を損なう例であるが、これに限られるものではない)」)

刑法はよく知らんけど、酔っ払っている相手とセックスしたら性暴力だと言われると困るひとがたくさんいるんじゃないでしょうか。だいたい、デートしたりすると(飲める人どうしの場合は)お酒飲んだりするみたいですしね。サークルのコンパや合コンとかして「お持ち帰り」とかってのをする人びととかもいるとかって話を聞いたことがあります。都市伝説かと思ってたらそうでもないんですかね。昔高校生のころに村上春樹の『1973年のピンボール』っての読んで、バー(「ジェイズバー」だったかな)のトイレに女の子が落ちてたのでそれ拾って帰る、みたいな話があって、都会というのはそういうところなのか、すごいなあ、大学入ったら都会でバーに通っているとそういう経験をするのかしらと思ってたけどそういうのは見たことないですね。(ちなみに『ピンボール』の筋については斉藤美奈子先生の『妊娠小説』読んでおいた方がいいです)

あとお酒以外にも、彼氏と別れたとか、彼氏が浮気したとか、飼っていた犬が死んだとかで不安定になっている状態の人とセックスするのなんかもなんか少なくとも道徳的にはやばい感じがしますね。

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酒飲みセックス問題 (1) 酔っ払ってセックスするのは許されるか

なんか(女子)大学生が酒飲んで街中で大量に倒れたりして話題になってますね。アルコール濫用はやめましょう。

まあ一部のサークルとかではほんとにお酒を使ってやばいことをしているようで、なんというか命の心配もあるし各種の性的暴行なんかも行なわれたりするだろうしいやな感じです。

そういや昔某学会で「性的同意」の問題をとりあげて、論文にしないでそのまんまになってたことを思いだしました。どういう同意が有効かっていうのはセックス倫理学のおもしろいネタで、特に酔っ払いセックスは実際の性犯罪やセクハラなんかと関係していて関心があります。

米国のブラウン大学で90年代なかばに有名な事件があったんですね。新入生のサラ(仮名)が土曜日に自分の寮の部屋でウォッカ10杯ぐらいのんで酔っ払って(私だったら死んでます)、そのあと近所でやってるフラタニティパーティー(まあ飲みサーのパーティーですな)にボーイフレンドに会いに行った。アダムという別の男が、サラが友達の部屋でリバースして横になってるのを見つけて水が欲しいか聞くとサラはイエスと答えた。アダムは水もってきて飲ませて、しばらく話をした。アダムがサラに、彼の部屋に行きたいかと聞くとサラはイエスって答えたので部屋に行った。サラは自分の足で歩けた。サラはアダムにキスして、服を脱がせはじめた。さらにアダムにコンドーム持ってるかとたずねた。アダムはイエスと答えて、セックスしたわけです。事後に二人は煙草吸って寝たそうな。起きてからアダムがサラに電話番号を聞くと、サラは教えたそうな。しかしサラさんはしばらくしてからやっとやばいことに気づいて、あわてたと。んで3週間後に寮のカウンセラーに相談してアダム君を訴えることにしたわけです。ブラウン大学は厳しいところらしくて、在学生規程みたいなのに「違反学生が気づいた、あるいは気づくべきであった心神喪失あるいは心神耗弱」の状態にあった相手とセックスしたら学則違反だというのがあるんですね。

まあこういう状態の女性(あるいは男性)とセックスするのは許されるかどうか。まあ正しい人びとは「そんなんもんちろんダメダメ」って言うかもしれなけど、ほんとうにそんなに簡単な話かな? 某学会ではこういう問題にとりくもうとおもってまあちょっとだけやりました。ネタ本はAlan Wertheimer先生のConsent to Sexual Relationsってので、これはおもしろい。

まあワートハイマー先生の議論はそのうち詳しく議論することにしましょう。今日 http://sexandethics.org っていうサイトを見つけて、こういうありがちなセックスにまつわる倫理問題みたいなのを議論する性教育カリキュラムを提示していておもしろいです。ここらへんのネタはやっぱりワートハイマー先生の枠組みでやってる(ただし全体の雰囲気はワートハイマー先生より女性に有利な感じなフェミニスト風味)。

たとえば次のような問題について議論してみよう、ってわけです。上のブラウン大学の学則は、飲んでセックスするのを禁止しているわけじゃなくて、意識なくなったりすごく酔っ払ってまともな判断が下せなくなっている場合にはだめだっていってるわけです。では、

  1. 女性が飲酒している場合、もし女性が飲酒していることを告げなかったとしたら、男性はその同意を信頼することができるか?
  2. もし男性が飲酒していてリバースしたばかりだとしたら、それは彼の同意の能力にどういう影響を与えるか?それはなぜ?
  3. もし男性が意識を失なったら、女性は彼に対して性的なことを続けてもよいだろうか?それはなぜ?
  4. もし女性が飲酒していて、男性に部屋に戻ってセックスしようと誘ったら、その誘いは有効だろうか? それはなぜ?
  5. もし男性が飲酒していて、女性に部屋に戻ってセックスしようと誘ったら、その誘いは有効だろうか?それはなぜ?
  6. 直前の二つの問いがジェンダーによってちがうとしたら、それはなぜ?

上のブラウン大学の実際の事例とか考えながら答えてちょうだい、と。

さらには、ワートハイマー先生はあれな人なので、もっと奇妙なケースも考えてて、上のsexandethics.comの人も紹介してます。

【パーティー】 AとBはデートはしていたがセックスはしていなかった。Aが「今夜どうかな」とたずねると、Bは「うん、でもまずお酒飲みましょう」と答えた。お酒を飲んでBはハイになり、Aの誘いにこたえた。

【抑制】 AとBはデートする関係だった。Bはまだセックスするには早いと言っていた。Bの経験と他の情報から、Bはお酒を飲むと判断がおかしくなることを知っていた。しかしそれについてあまりよく考えず、Bはパーティーで何杯か飲んだ。AがBにセックスしようかと言うと、Bはいつもよりもずっと抑制を感じずに、「なんでも初めてのときはあるよね」と生返事をした。

【コンパ(フラタニティーパーティー)】Bは大学新入生だった。Bはそんなにたくさん飲んだことがなかった。Bははじめてコンパに参加して、酎ハイ(パンチ)をもらった。Bが「お酒入っているの?」と聞くと、Aは「もちろん」と答えた。Bは何杯か飲んで、人生ではじめてとてもハイになった。Aが自分の部屋に行くかと聞くと、Bは合意した。

【アルコール混入】 Bははじめてコンパに参加した。部屋には、ビールの樽と、「ノンアルコール」と書いてはいるが実はウォッカで「スパイク(混入)」されているパンチ飲料が置かれていた。Bはパンチを数杯飲んで、とてもハイになった。Aが自分の部屋に行くかと聞くと、Bは合意した。

【空勇気】AとBはデートする仲だった。Bはまだセックスの経験がなく、セックスについて恐れや罪悪感を抱いていた。シラフではいつまでも同意できないと思ったBは、1時間に4杯飲んだ。キスとペッティングしてからAが「ほんとうにOK?」と聞くと、Bはグラスを掲げてにっこり笑って「今なら!」と答えた。

【媚薬】媚薬が開発されたとする(現在のところ存在していない)。AはBの飲み物に薬を入れた。それまでセックスに関心を示さなかったBは興奮して、セックスしようと提案した。

【ラクトエイド】Bは、お腹が痛いという理由でAとのセックスを拒んでいた。乳糖不耐症が原因であることが判明したので、Bは乳糖不耐症用錠剤を飲んだ。この「薬」のおかげでBは気分よくなり、セックスに合意した。

ここらへんのそれぞれについて、同意が有効なのかどうか考えましょう、と。おかしなこと考えますね。みんなで考えましょう。

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2018年追記。上のブラウン大の事件は下の本でも扱われてます。良書なので読みましょう。

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メモ: レイプと同意関係の洋書

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アンソロジーの計画をしてみたり

英米系セックス哲学アンソロジーを組んでみたいと思ったり。まあ私自身がアンソロジー好きなんよね。翻訳して出版したい。

たとえば売買春だとどうなるかな。

  • Jaggar, “Prostitution”
  • Ericsson, “Charges against Prostitution”
  • Pateman “Defending Prostitution”
  • Shrage, “Should Feminists Oppose Prostitution?”
  • Green, “Prostition, Exploitation, and Taboo”
  • Nussbaum, “Whether from Reason or Prejudice?”
  • Primoratz, “What’s Wrong with Prostituion?”
  • Schwarzenbach, “Contractarians and Feminist Debate Prostituion”

うーん、これでは多いね。ここでセンスが問われることになるわけだ。ShrageとPrimoratzとNussbaumでいいかなあ。大物度でいけばPateman入れたい気がする。

まあ
  • 概念的問題
  • 同性愛とか「倒錯」とかクィアとかまわり
  • 結婚、不倫、浮気、カジュアルセックス
  • 売買春
  • ポルノ
  • モノ化、性的使用
って感じになるだろうなあ。3〜4本ぐらいずつと考えるとこれでも20本越えてしまう。同性愛関係は需要からも政治的にも入れないわけにはいかないだろうなあ。あえてポルノは外すかな。

歴史的哲学者たちのセックス論のアンソロジーも出したいんよね。こっちも実は準備はしている。

そういや出版予定の(?)ソーブル先生の翻訳はどうなったんだろう?

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不倫・浮気・カジュアルセックスの学術論文ください

不倫(婚外セックス)とか浮気とかカジュアルセックス(いわゆる「ワンナイト」)とかについての哲学・倫理学の議論を紹介しようと思って、しばらく国内の文献をあさってたんですが、これって国内の学者さんによってはほとんど議論されてない問題なんすね。 続きを読む

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過去1年間、あなたは配偶者(夫・妻)恋人以外の人何人とセックスをしましたか

不倫っていうかカップル外セックスはどの程度の人がどれくらいやってるのか、ってことですが、あんまり信用できるデータがなくてねえ。

NHKの調査は信頼できるだろう、と思うわけですが、こんな感じですね。もっと新しいデータ欲しいっすね。

質問は「過去1年間、あなたは配偶者(夫・妻)や恋人以外の人何人とセックスをしましたか。ただし、お金を払ったりもらったりしてセックスをした相手はのぞきます。」です。

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カジュアルセックスは不正か(2)

ハルワニ先生が紹介していたフロイト先生の「性愛生活が誰からも貶められることについて」読んでみました。岩波のフロイト全集第12巻。この全集は読みやすくて優秀です。

精神分析の開業医が、どのような苦しみのために自分はもっとも頻繁に助けを求められるからを自問するなら、その答は……心的インポテンツのため、となるにちがいない。

とかってのからいきなりはじまってびっくりしました。1910年ごろのウィーンの精神科医ってのはそういうのの相談係だったんですね。まあフロイト先生は当時わりと名士で、ウィーンの知識人たちのセックス相談役でもあったわけです。

情愛の潮流と官能の潮流が相互に適切に融合しているのは、教養人にあってはごく少数の者でしかない。男性は性的活動をするときにはほとんどいつも、女性への敬意ゆえに自由が利かないと感じており、その十全たるポテンツを展開できるのは、貶められた性的対象を相手とするときに限られるのである。このことはまた、男性の性目標には、尊敬する女性相手に満足させようとは思いもよらない倒錯的成分が入り込んでいることからも、確かめられる。十分な性的享楽がえられるのは、男性がなんらの憂いなく満足に向かって専心するときだけなのであって、この専心を彼は例えば自分の礼節正しい妻相手にやってみようなどとはしないのである。こうしたことのために男性には、貶められた性的対象への、すなわち、美的懸念を示すのではないかと心配する必要がなく、生活のほかのかかわりで彼を知ることもなければ評価することもできない、倫理的に劣等な女への、欲求が芽生えることになる。そうした女には男は自分の性的な力を、博愛の方はより地位の高い女性に全面的に向けられている一方で、嬉々として捧げることになる。もしかしたら、最上位の社会階級の男性に頻繁に観察される、低い階層の女を長期の愛人にしたり、それどころか配偶者に選択したりするという嗜好も、十分な満足の可能性と心理的に結びついている、貶められた性的対象に対する欲求からの帰結にほかならないのかもしれない。

おもしろいのでおもわず写経してしまいました。なんか女性をママやお姉さんみたいに尊敬する対象と考えたりするとセックスがうまくいかなくなります、みたいな。むしろ無教養だったり下品だったりした方がいい、メスブタみたいな女との匿名のセックスの方が燃える、とかそういう感じ。岡崎京子先生の『Pink』っていうマンガで、テレビで正しいことを語ってる大学教授が主人公をメスブタ扱いしている、みたいな話おもしろいですよね。まあ人間は複雑だ。

まあこの「貶める」がおもしろいですね。一部のフェミニストが「男性にとってセックスは女性を貶めるものだ」とかって解釈したのの意味がだんだんわかってくるような。

同じようなことは性科学の創始者のハブロック・エリスや、20世紀に社会的にも大きな影響をもった哲学者のバートランド・ラッセル先生も言ってるんですよね。

(ハブロック・)エリスの説では、多くの男は、束縛や、礼儀正しさや、因襲的な結婚という上品な限界の中では、完全な満足を得ることができない。そこで、そういう男たちは、ときどき娼婦のもとを訪れることに、彼らに許された、ほかのどんなはけ口よりも反社会性の少ないはけ口を見いだすのだ、とエリスは考えている。……しかし……女性の性生活が解放されたなら、もっぱら金目当てのくろうと女とのつきあいをわざわざ求めなくても、問題の衝動を満足させることができるだろう。これこそ、まさに、女性の性的解放から期待される大きな利点の一つなのだ。(ラッセル『結婚論』)

まあここでラッセル先生が言ってることがどういうことなのかってのを考えるのはおもしろくて、女性もどんどんカジュアルにセックスするようになれば売買春はなくなるぞ、そういうふうに教えこもうぜ!みたいな。それでいいんすかね。まあ「金払わなくてすむようになるぞ」っていうんじゃなくて、ラッセル先生は売買春は不道徳だと考えてたんですけどね。

あとこのフロイト先生の論文のタイトルは、 Über die allgemainste Erniederung des Liebeslebensなんですが、これ「性愛生活が貶められれること」なのかなあ。「セックスライフでは「貶める」ってことがよくあることについて」じゃないのかな。Erniederungは性愛生活を貶めるんじゃなくて対象(特に女性)を貶めるんだろう。まあセックスライフにはそういう側面があるわけです。

あ、英訳だとやっぱりタイトルは “On the Universal Tendency to Debasement in the Sphere of Love”になってるね。




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カジュアルセックスは不正か (1)

今日は1日カジュアルセックスまわりの文献見たりしておりましたです。

まあ基本はソーブル先生の事典(Sex from Plato to Paglia)のRaja Halwani先生のCasual Sexの項目見ながらもってる文献見なおしたり。 続きを読む

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不倫はなぜ不道徳か (1)

なんか一日「不倫はなんで悪いか」みたいな論文読んで終ってしまいました。

これは「セックスの哲学」の流れのなかではけっこう議論の蓄積がある問題で、Richard Wasserstrom先生の”Is Adultery Immoral?” (1975)って論文が議論のはじまり。ワッサーストローム先生はセックス哲学以外にもいろんな応用倫理学的な問題で重要論文書いていて、この手の議論のパイオニアです。

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性表現と表現規制(7) ポルノ批判と会田先生の答え

まあ米国での規制の法制度づくりは失敗したわけですが、その後もポルノは性差別だというマッキノンとドウォーキンのラインの議論はけっこう魅力を感じる人もいるようです。

表現そのものが性差別だとかってのに疑問を感じる人がいると思いますが、人種差別的なヘイトスピーチのこととかを考えると、ポルノも女性に対するヘイトスピーチなのだ、みたいな言われ方をしたりします。わかりにくいって言えばわかりにくいんですけどね。

まあもうちょっとだけこのタイプの人々の言い分を聞いておくことにしましょう。

まずポルノってやっぱり言論だから言論の自由の方が大事なんちゃうか、言論だとしたら規制するのはおかしいだろう、という批判に対して、ラジフェミ(まあラジカルフェミニストにもいろいろいますが、今回はとりあえずこう呼んでおきます)の人々は、ポルノはそもそも言論なんかいな、言います。正直言論ってよりはマスターベーションの道具みたいなもんだろう、と。なにも新しいアイディアとか含んでないじゃないか、とりあえずたんなるオナニーの「おかず」ではないか、と。

それに仮に言論だと認めたとしても、言論の自由は絶対的なものではない、虚偽の広告とか規制しているのだから、女はいじめられて喜ぶものだとかって女性についての虚偽をばらまいているポルノを規制しても良いだろう、とか。

ポルノとか芸術とかは既成の道徳概念とかをひっくり返すものだ、みたいな見方に対しては、ポルノのいったいどこが既成の概念をひっくり返してるんだ、男が主体で女は受け身っていう旧来の考え方を繰り返しているだけじゃないか、とか。

まあもっといろいろあるんですが面倒だから途中で。とにかくこの系統の人々はいまだにポルノに対して反対しているし、法規制を求める人も少なくありません。とにかく性表現の規制をめぐる議論は、「猥褻」ではなく「性差別」が中心になってるわけですね。(もちろん性差別反対派と猥褻反対・保守派が手を結んだりしている部分もあります。)

んでまあ一番最初の会田誠先生と森美術館に対する抗議とそれへの返事の話にもどると、「ポルノ被害を考える会」とかはこういうマッキノンたちのラインでポルノを考えているわけですね。特に児童ポルノってのは、年端もいかない少女を邪悪な欲望の対象とするおぞましいものだ、と。んでおそらく会田先生なんかの作品では虐待されている少女が微笑んだりしているこそ気にくわん、女はいじめられて喜ぶというポルノ的幻想の最たるものではないか、みたいな感じだと思うんです。さらに、森美術館という一流美術館がそういう作品を堂々と展示することによって、そうした作品の作り方や欲望のあり方にお墨付きを与え、男性的な性欲とファンタジー中心社会をさらに盛り上げようとしている、と。彼らがよく使う比喩に「黒人が首輪付けられて犬扱いされて喜んでいる絵とかOKだっていうのか?」みたいなのがあるんですが、まあそういうものとしてポルノを見ているわけですね。

というわけでまあ会田先生の法律上の「児童ポルノ」や「わいせつ物」にはなりようがないですが、そういうものだとして展示を中止させようとしたってところだと思います。この戦略が正しいかどうかはわからんですね。私自身はぜんぜんだめだと思うんですが、まあ運動というのはいろいろあるんでしょう。

で、問題はこれに対する会田先生の「発表する場所や方法は法律に則ります」ですな。「考える会」などは法律は不十分だと考え、法が要求する以上のことをもとめているわけです。これに対して「法律に則ります」ってのはぜんぜん会の要求にそうつもりはありません、ってことですわね。「「万人に愛されること」「人を不快な気分にさせないこと」という制限を芸術に課してはいけない」とかってのは嫌いな人や不快な人や腹をたてる人がいてもアッシはやらせていただきますよ、ってことなんで、まあ「考える会」の主張にはまったく従うつもりがないってことですわ。

というわけで、さいど一番最初にもどると、こうしたポルノ批判の文脈で芸術家が「法に則って」とか「法の範囲内で」とか発言することはぜんぜん保守的でもなんでもないわけです。

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性表現と表現規制(6) エロチカとポルノ

キャサリン・マッキノンとアンドレア・ドウォーキンのラインの考え方では、性表現はよい性表現と悪い性表現がある、と。それを分けましょう。たんに友好的で平等で自発的で楽しいセックスを描いた「エロチカ」と、女性をものみたいに扱ったりいじめたり差別したり男性に従属させている「ポルノグラフィ」に分ける、と。
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性表現と表現規制(5) 性差別としての性表現

しかし1980年代からは、「猥褻」としてではなく「性差別」や「性暴力」として性表現を見る考え方が現れて注目をあびるわけです。この一連のエントリの始まりに書いた「ポルノ被害を考える会」なんかの思想的背景はこういうところにあるはずです。

1960年代に米国あたりでは黒人の公民権運動とかがあって人種差別に対してみんなが非常に敏感になったわけです。でももう一つ大きな差別があるんではないか、それは性差別だ、と。ジョン・レノン先生はオノ・ヨーコ先生に教えられて「女は世界中でニガーだ」みたいな曲を歌ったりして。まあ女性は経済的な差別だけじゃなくて、痴漢強姦その他の性暴力にもさらされているのに放って置かれているじゃないか、それは黒人に対する暴力や差別が放置されていたのとおんなじだ、ってわけです。(同じ意識から「動物も食べられたり毛皮剥がれたり実験に使われたりして差別されている!種差別だ!」って発想も出てきます。)

まあそうして第二波フェミニズムって呼ばれる動きが出てくる。70年代前半とかに女性が集まって、「こんなことに苦労している」みたいな話をすると、旦那やボーイフレンドや上司から侮辱されたり無理やりセックスされたりしているわけです。強姦・レイプっていうと道を歩いているといきなり暗がりに連れて行かれて「あれー、きゃー!」みたいなを連想してしまうけれども、実際に無理やりやられるのはデートとか夫婦関係とか職場の権力関係のなかでなんだ、ってんでデートレイプだのドメスティックバイオレンスだのセクシャルハラスメントだのってのが問題に上がってくる。今となっては、3、40年前にはそういうのが問題にされてなかった、って方が驚きですけどね。人々の意識は変わるものですね。

まあそういう性差別や性暴力を考えて、なんでそういうのがそれほど社会に蔓延しているかっていったら、それはポルノが悪いんではないか、ポルノが男たちが性差別したり性暴力振るったりする教科書になっているのではないか、ってのが基本的な発想ですわ。

まあ性表現とかエロとか、やっぱり圧倒的に女性が描かれる対象になってるし、男が無理やり嫌がる女をあれする、とかってのが典型的な表現だし。雑誌のグラビアなんか見ても女の子はちゃんとにこやかに笑っておっぱいを強調してなきゃならん、ベッドに横たわってなきゃならん、みたいな。背筋伸ばしてしっかり前を見ている姿とかあんまりエロくないっすからね。SMとか好きな人は縛られたりするのはだいたい女性だしねえ。まあ中年男性が縛られたりするのもいいのかもしれないですが、体の緩んだ中年男性が縛られてるだけだとなんかちゃんとエロにならないので女王様も同時に描かないとならんわけです。

まあとにかく性表現では男性と女性は別の扱いを受けていて、女性はだいたい受け身でいじめられたり暴力振るわれたりする側になってる、と。ケイト・ミレットって評論家が『性の政治学』って本書いたり、アンドレア・ドウォーキンっていう作家・評論家が『インターコース』って本買いたりして、フェミニズム批評みたいなのが流行するわけです。それまでの性表現なんてのはぜんぶ男の視点から男の都合の良いセックスを描いているだけだ、みたいな話になる。1960年代に超大物だったノーマン・メイラー先生とかが槍玉に挙げられたり。猥褻で問題になったヘンリー・ミラー先生も。まあでも今回は「猥褻」っていう切り口ではなく、「性差別」なわけです。

こういう動きの中で、セクハラ訴訟とかですごい成果を上げたキャサリン・マッキノン先生がドウォーキン先生と組んで性差別的な性表現を問題化しようって運動を立ち上げるわけです。

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性表現と表現規制(4) 猥褻規制の問題点

しかしまあ猥褻だから規制してしまえ、って考え方は多くの批判にさらされていて、一般にうまくいかないと思われています。

まずはなにが猥褻なのかが常に曖昧なことですわね。

まず定義そのものが曖昧。「いたずらに性欲を刺激する」の「いたずらに」ってのがどういう意味か。無駄に、ってことなのか。無駄に性欲を刺激するってんだったら、どういう場合に無駄じゃない性欲の刺激なのかとか。まあ他にも。

さらに判断の基準が曖昧。「いたずらに性欲を刺激する」とか「性的羞恥心を害する」とか言われたってどういうものが性欲を刺激するのかは人によって違うだろうし、どの程度刺激したら猥褻なのかとか謎。まあ人間のやることはある程度「だいたい」でいかなきゃらんので裁判官がだいたいで判断するしかないわけですが、まあこういうのはちょっと困りますよね。

性欲を刺激する度合いとか性的羞恥心とかが時代によって変化するってのを気にする人もいます。1970年ごろの日本だったら性器が丸出しになっている写真とかすごく入手しにくかったからいたずらにひどく性欲を刺激されたり性的羞恥心をひどく害される人もいたでしょうが、いまとなってはネットとかでそういう画像は嫌ってほど見てるのでなかなかそんなに刺激されませんね。残念なことです。

まあ欧米では1960年代後半から1970年頃に「セックス革命」が起こって、(一部の)若者がばんばん見境なくセックスするようになって、セックスの話をオープンにするようにもなったんでそういうのの影響もあります。セックス革命については立花隆先生の『アメリカ性革命報告』なんかが時代を感じさせて楽しいです。

「善良な性道徳」みたいなのも問題ですよね。いったいどういうのが善良な性道徳なのかわからん。まあそりゃ強姦とか平気でしてしまう人は道徳的にだめなわけですが、性的に活動的だったりセックスを楽しんでたりエロが好きだったりするのが特に道徳に反しているとは思えないし。セックスとか性欲とかそういう個人的なことに政府権力みたいなのが絡んでくるってのも問題がある気がします。公の感知しないプライベートな領域があるべきだ、って考え方が1950年代ぐらいには一般的になってました。

芸術か猥褻か、みたいなのも問題です。日本の判例でどうなっているのか知りませんが、米国のミラー判決とかでは「芸術的価値がないもの」が猥褻ってことになってるわけですが、芸術的な価値とかってのがどうやって判断されるのかわからない。やっぱりエロは芸術の基本なので、優れた芸術にエロは入り込んでくる。っていうか画集とか見てると、もう優れた芸術家はみんなエロいんではないかと思わされますね。私も画家になればよかった。まあこれは優れた芸術作品だから猥褻じゃないけど、これは下手くそだから猥褻、とか困ります。猥褻だけど芸術なものがあってもいい。

一番大きな問題として、それにそもそもなんで猥褻なものだから規制していいということになるかがさっぱりわからない。たしかに街中にそういう猥褻なものがあったら羞恥心を害されたり不快になったりする人もいるでしょうから困りますが、閉鎖された店からこっそり買ってきて家でこっそり見る分には誰もこまらない、っていうか制作者と本屋さんは本が売れて嬉しいし読者もエッチな楽しみを得ることができる。

だからまあ「猥褻だから規制しよう」ってのはよくわからない考え方ですし、憲法第21条で「表現の自由は保障する」っていってんだから刑法175条みたいなのは違憲なんちゃうか、すくなくともあんまり必要ないもんではないのか、みたいなのが憲法学者たちの主流の意見なんじゃないですかね。つまり、「猥褻」の議論は古いし、ほとんど終わった議論かもしれない。

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