ラッセル先生のセックス哲学(4) ばんばん不倫しましょう

ラッセル先生にとって、家族は子供を作りそだてる、っていう目的のために重要なわけっすわ。そしてそれはお金もち以外は一夫一婦制になる。子供への投資と養育はびっちりやりたいからですわね。教育とか、とにかく他の子供との比較で有利な方がよいのでびっちりやりたくなるのだと思う。さらにコンパニオンシップっていうか、男女ともに信頼できる相手と結婚しているのには心理的な利点がある。ラッセル先生にとっても結婚は基本的にはよいものです。

しかしここで問題です。でも、あんまり長くいっしょにいると性的には飽きちゃうのです。どんなカップルも、結婚して数年するとセックスレスになってしまったりする。少なくとも回数減る。ラッセル先生にとって恋愛やセックスは非常に人間の健康と幸福にとって非常に重要なので、奥さんに性的な魅力を感じなくなってしまうと困ります。

だいたいそもそも禁欲は心身の健康に悪いんですわ。

完全に性を断つことは、特に結婚生活ですでに性になれている人にとっては、非常に苦しいことだ。その結果、男性であれ、女性であれ、早く年をとってしまうことが、ままある。神経障害を引き起こす恐れもないわけではない。ともかく、無理な努力をするために、えてして感じの悪い、ねたみ深い、怒りっぽいタイプの性格になりやすい。(p.218)

神経障害っていうのは、19世紀後半から人気だった神経症、ヒステリーやメランコリー(鬱)ね。セックスすれば直りますよ。ここらへんもフロイト先生を念頭に置いてるっぽい。性的欲求不満がいろんな問題をひきおこす、っていう推測はこのころ一般的になるんですね。ほんとかどうかわからないけど、現在の幸福研究でもセックスの頻度と幸福度のあいだには強い相関があると言われてます [1]もちろんセックスすりゃ幸福になる、っていう単純な因果関係ではないかもしれない。幸福な人がたくさんセックスするんでしょうな。

それに、不倫は絶対だめだ、っことにしておくと、いざ欲望に負けてしてしまうときに、過剰にやばい行動をとってしまう。

男性の中には、自制心が突然くずれて、残虐な行為に及ぶという、由々しい危険がつねにひそんでいる。というのも、もし婚外の性交はいっさい邪悪である、と心から信じているなら、実際にそういう性交を求めるとき、毒をくらわば皿までという気持ちになり、その結果、いっさいの道徳的な抑制をかなぐり捨ててしまう恐れがあるからだ。(p.218)

そうなんすか先生。やばいっす。ジキルハイドっすね。昼は温厚な大学教授、夜は性獣って人がけっこういるんすかね。

でも、コンパニオンシップは重要ですので結婚は大事です。ではどうしますか。

答:姦通しましょう。

ははは。

私の考えでは、姦通そのものは、離婚の根拠とするべきではない。人間、抑制や強い道徳的なためらいに抑えられないかぎり、おりふし姦通への強い衝動をおぼえることもなく一生を過すというのは、まずありそうもないことだ。……たとえば、ある男性が、ぶっ続けに数ヶ月も、所用で家をあけなければななくなったとしよう。もしも、彼が肉体的に精力旺盛であるなら、どんなに妻が好きでも、この期間中ずっと性欲を抑えていことはむずかしいだろう。彼の妻が因習的な道徳は正しい、と信じきっているのでないかぎり、このことは、彼の妻にもあてはまる。(p.221)

まあ男女とも、数ヶ月セックスできないと他の人とセックスしてもしょうがない、っことですね。こういうの、ラッセル先生が男女のセックスに対する心理にあんまり違いがないと想定しているのが読める気がする。

というわけで、とりあえず結婚して生殖をすませたら、お互い浮気とかしまくりましょう、ってのがラッセル先生の提案。

そういう事情のもとでの浮気は、その後の幸福にとって少しも障害にはならないはずだし、夫婦がメロドロマじみた嫉妬騒ぎを起こすには及ばないと考えている場合は、事実、障害にならないのである。(p.222)

姦通の心理は、因習的な道徳のために曲げて伝えられてきた。というのも、この道徳は、一夫一婦制の国では、ある人に惹かれる気持ちは、別な人への真剣な愛着と共存できない、と決めてかかっているからだ。これが誤っていることは、だれでも知っているが、嫉妬に駆られて、だれもがこの誤った理論をよりどころにして、針小棒大に言うのである。だから、姦通は、離婚の十分な根拠にならない。(p.222)

まじめな恋愛や愛情は排他的なはずだ、という考え方はまちがっているというわけです。

避妊法のおかげで性交そのものと、生殖のための協力としての結婚とを区別することが、以前よりもずっと楽にできるようになった。この理由で、いまや、姦通は、因習的な道徳律のもとで見たときよりも、はるかに重要視しなくて済むようになっている。(p.223)

というわけで、子供作る気がなかったりできなかったりしたら離婚したらしいし、飽きたたり物理的にしばらく離れてたり、他に魅力的な人がいたらばんばん浮気したり不倫したり姦通したりしましょう。

「根底にある愛情が無傷のままであるなら、つねに起こりがちな、こんな一時の浮気は、お互いに辛抱できるようでなければならない、と言ってもよい。」(p.222)

ここらへんまで説明すると、学生様は「うわぁ」とかって反応しますね。前にリチャード・テイラー先生のLove Affairって本を紹介したんですが、ラッセル先生の影響下でのものなんね。まあそうでないにしても偉い哲学者は同じようなことを考えるわけです。まあラッセル先生にしても、テイラー先生にしても「おたがいに嫉妬しなければ結婚生活は続けられるよ」みたいなことを言う。

というわけで「オープンマリッジ」とかそういうのの提唱のさきがけ。結婚はしてるけど、浮気はおたがいにOK。ただし浮気してないと嘘つくのはやめましょう、ぜんぶ正直に話せば大丈夫です、みたいな。サルトルとボーヴォワールのが有名だけど、おそらく元はラッセル先生のこういう提案なんすわね。ラッセル先生は隠しごとしないでおおっぴらに浮気して、奥さんに嫉妬しないことを求めたけど、当然トラブルになる。結局3回離婚して4回結婚してるけど、結婚してるあいだも、妻の目の前でガールフレンドと電話してたとかって話読んだ気がする。あと特にやばいのが息子の嫁に手を出したとか。これはいかんですね。

「「公然たる不倫」の生活をするのは、それが実行できる場合は、個人にとっても、社会にとっても最も害の少ないものであるが、たいていの場合、経済的な理由から不可能だ。公然たる不倫の生活をしようとする医者や弁護士は、患者や依頼人をそっくり失うだろう。どの分野でもいい、学問的職業にたずさわっている人は、即刻、地位を失うだろう。」(p.219)

そしてこれに注がつく。「ただし、たまたま古い大学の一つで教えており、近い親戚に閣僚経験のある貴族がいる場合は、話は別である。」はははは。憎い憎い。ラッセル先生の場合は「近い親戚」はおじいさんね。でも他にもいたかも。そらこんな人、性的にまじめなウィトゲンシュタイン先生は許せなかったっしょな。

しかしまあ、これが20世紀のノーベル賞級の名著の一つであって、20世紀後半のフェミニズムとかはこれとどう戦うか、ってのからはじまってる、と考えていいと思う。

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1 もちろんセックスすりゃ幸福になる、っていう単純な因果関係ではないかもしれない。幸福な人がたくさんセックスするんでしょうな。

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