歌詞のダブルミーニング、そしてトリプル:「雨あがりの夜空に」の場合

まあ、昨日「君の名は希望」について書いてみたように、私趣味で若い人々に歌詞の解釈を示して鑑賞のしかたを教えてるふりしつついろいろ押しつけてみたりするのが好きなんですが、歌詞が幾通りかの解釈ができるようにする、ダブルミーニングって技法はまあ作詞の基本ではあるわけです。これあんまり意識してない人は多いようですね。

私が若い人にそういうの教えるときに一番わかりやすい例として使うのは、RCサクセションの名曲「雨あがりの夜空に」ですね。ものすごい古い曲だけど。

(雨上がりの夜空に動画)

歌詞は http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36578 あたり。表面的には、ポンコツの愛車が動かなくなってしまって困った、また愛車に乗ってぶっとばしないなあ、ですわね。

私この曲ラジオもついてる大型バイクの曲だと思ってましたが、いちおうキヨシローの当時の愛車の日産サニーであるということらしい。実は私の最初の車も東北電力でこきつかわれてからいったん廃車された日産サニーでした。友達に貸したら事故られてぽしゃって阿弥陀様のところにいってしまった(友達は運よくほぼ無事)。お浄土で楽しくやってるかい俺のサニー。

でもこの曲には当然すぐにわかる裏の意味があって、彼女とのうまくいかない関係を歌っている。知恵袋でこんな質問がありました。「 「雨あがりの夜空に」とかいう曲、女性をなんだと思ってるのですか」

まあこの曲は、女性に乗りたい曲なわけでもあるわけです。俺のバッテリーはビンビンだからいつものようにキメてぶっとばそう。そりゃ時々ひどい乗り方したけどおまえはそれも楽しんでたじゃないか。こんな自堕落な生活は続かないとかっていってお前は去って行こうとするけど、まだまだ楽しめるじゃないか。おまえについているラジオのつまみ(2個?)をまわすと感度ビンビンでどこまでもいい音させるぜ。あー、今日は発車したいぜ。

これではまあいまどきの時代状況においては、女性怒るかもしれませんね。まあ時代も時代だし、こういう男っぽい、男性中心な勝手でだめな愛と性欲のを歌うっていうのは、黒人音楽の由緒正しい伝統である。男くささ、ブルースとソウル音楽へのリスペクトをこめて、あえてこうつくる。

でもね、この曲はそれだけじゃないんよ。RCサクセションの歴史を見るとわかると思うけど、このバンドはキヨシローが中心とはいえ、貧乏なときからがんばってきて、もう解散しよかってときに井上陽水の「氷の世界」に「帰れない二人」を提供してなんとかそれで食いつないで、売れるためにフォークグループからエレキバンドになったりして、ものすごい苦労しているわけですわ。

その途中で数人のメンバー、特に1977年に破廉ケンチを脱退で失なっている。そのあとだんだん売れ出すのね。雨あがりの夜空には1980年に発売だけど、そのころの別れのことを歌ってるんだって私自身は思ってる。

若いからライブや打ち上げ飲み会でひどいノリかたしたりでどろどろ。貧乏ななかでバンドやってても、「こんなこといつまでも長くは続かない、いい加減明日のこと考えたほうがいい」ってどうしても考えちゃう人はいるわね。明日の見通しもなくて生きられる人は少ない。でもキヨシローは「おまえまでそんなこと言うのか、おれらロックするんじゃないのかソウルはどこいったんだ」ってやったんだろうねえ。バンドなんとか続けようじゃないか、もうい一回ライブしようじゃないか、おまえがいなくなったあとにおれたち少しは売れてきてるぜ、おまえといっしょにやれなくて本当に残念だ、なんでいっしょに続けてくれなかったんだ、そういう歌だと理解してます。でもエロもいい。やっぱり女にも乗りたい。

歌詞っていうのはそういうふうにできている。

そういや、みうらじゅん先生の『アイデン&ティティ』は、そういう感じのだめなバンドマンを描いたロック漫画の最高峰だから必ず読むように。

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