ヒエロニムス先生とかも性欲に悩んでいた

アウグスティヌス先生は人生は紀元354-430ぐらい。ほぼ同世代にヒエロニムス先生(340-420)がいます。どっちも「聖・セイント」がつく偉い聖人です。ヒエロニムス先生は聖書のラテン語作ったりして偉い。

なんか知らんけど、この3〜5世紀ごろはキリスト教の修行するひとは砂漠にいってわざわざ苦行するんですね。砂漠の聖者、砂漠の師父ねえ。砂漠ったってゴビ砂漠とか鳥取砂丘みたいなんじゃなくて、町からはなれた荒地ってことだろう。ご飯ちゃんと食べなかったり、草ばっかり食べたり、ベッドに布とか藁とか使わないで岩の上に寝たり、あるいは寝るときも横にならなかったり。数年間風呂に入らなかったぞ!とか自慢する人もいる。不潔で馬鹿ではないかと思うのですが真面目です。まあイエスさんが布教活動はじめる前に砂漠で悪魔と対決したとかって話があるからそれにならってるんでしょうが、ふつうの人がやったら悪魔にとりつかれますわね。あんまり不潔だったり無理な苦行とかするからあとでイスラムの人から馬鹿にされたりすることになる。

隠遁されておられます

ヒエロニムス先生の手紙はこんなん。

砂漠のあの寂しい荒野で、隠遁者に荒々しい住まいを備える灼熱の太陽に身を焼かれながら、わたしはどれほどしばしば、ローマのもろもろの快楽に取り囲まれている幻想を見たことか!わたしは独りで座っていたものだ。苦々しい思いに満たされていたからだ。わたしの汚れた四肢は形もない袋のような衣服に包まれていた。わたしの皮膚は、長いこと手を入れていなかったので、エチオピア人のように荒く黒くなっていた。涙と呻きが日ごとの業であった。そして眠りに抗しきれず、瞼が閉じられると、わたしの疲れた骨は裸の大地で傷ついた。食べ物や飲み物については語るまい。隠遁者には、病んでいるときでも、水しかない。料理されたものを食するなど罪深い贅沢である。だが、地獄を恐れるがゆえに、この独房なる家に自ら居を定めたにせよ——ここでの仲間といえば、蠍と野獣だけなのだ——わたしはしばしば踊る少女の群に取り囲まれているのを見た。わたしの顔は断食のゆえに蒼白であり、四肢は氷のように冷たかったが、わたしの心は欲情に燃え、肉体は死んだも同然であったのに、欲望の炎は燃えたぎり続けていた。(『書簡』22)

しかし寝てると踊る少女の夢を見るんですなあ。どきどき。少女が踊っている、っていうのもいいですね。やはり女性はダンスできてほしいと私も思います。はたして「いい夢見て得したなあ」って思ったかどうか。

若くて健康な乙女であるお前、たおやかで、ふっくらとした、バラ色の乙女であるお前、贅沢のなかで燃え盛っているお前、ブドウ酒や風呂につかり、既婚の女性や若い男たちと並んで座っているお前は、いったい何をしようというのか。彼らがお前に求めるものを、お前が与えるのを拒むとしても、求められること自体が、お前の美しさの証拠だとお前は思うかもしれぬ。まさにお前の衣服すらが・・・見苦しいものを隠し美しいものを見させるようなものであるならば、お前の隠れた欲望を顕にさせるのだ。お前が音を立てる黒い靴を履いて歩き回れば、若い男を誘うのだ。・・・お前は、公衆の間では、淑やかさを裝って顔を隠すのだが、売春婦のような巧みさで、男が見たならば、より大きな快楽を感じるような特徴だけを見せるのだ。(『書簡』117)

苦しんでる苦しんでる。ははは。 女性が裸でいるのも許せんが、きれいな服着てるのも許せん、おっぱいふくらんでるのが許せん、なぜワシを惑わすのじゃ、許せん許せん、という感じですね。ヒエロニムス先生がどうやってその苦境に耐えたのかはしりません。女性の方からすれば、ただ服着て歩いてるだけでヒエロニムス先生みたいな真面目な人を誘惑してることになっちゃうので迷惑ですよね。やばい。

上の訳は自分で英語から作ったんだったか、他からひっぱってきたんだったか忘れてしまいました。ごめんなさい。

まあ禁欲いいですよね。セックスするにはモテないとならないけど、禁欲はモテなくてもお金なくてもできるし。基本的に意志以外にはなにも必要ない。「なんで彼氏/彼女つくらないの?」とか言われたら「出会いがない」とか言わずに、「ずっと禁欲の苦行しててねー、苦しいけど真理のためにはしょうがない」とか答えればいい。

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キリスト教のそういう禁欲的なあれについては、19世紀後半の歴史学者のレッキー先生のがおもしろいです。

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