パーソンとペルソナとローマ法

まあどうでもいいことですが、論文いくつか読みなおしているなかに「生命倫理のパーソンの概念はラテン語のペルソナから来ていて、これはキリスト教の三位一体の〜」みたいな話が出てくることがあるんですわね(キリスト教出してこない人は「ペルソナは仮面を意味していて〜」みたいになる)。

まあ英語の「パーソン」がラテン語の「ペルソナ」から来てるのはそりゃわかるんですが、それがどうだっていうんですかね。私はわからんです。

いろいろざっと見てみたところでは、パーソン論は少なくともキリスト教の神の三位一体とかとはぜんぜん関係ないみたいですね。もし「パーソン論」がラテン語の「ペルソナ」と関係するとしたら、それはおそらくローマ法の分類が「人」と「物」と「行為」の三種に分類されるからですわね。つまり、ローマ法は「ある人がどんな権利をもっているか、人と人はどういう関係にあるか」「ある物(財産)についての権利はどのようになっているか」「どういう行為が不法であるか」というふうに分類されていたんですわ。まあ人と物をいっしょに扱うわけにはいかんですからね。

この「人」「物」「行為」の分類は重要で、18世紀のブラックストンによる英国コモンローの注釈書とか、フランスのナポレオン法典とかにそのまんま使われてるわけです。早い話、ヨーロッパ的な法の体系にかわわっている。そういうわけでパーソン論がラテン語の「ペルソナ」と関係あるんだよ、って話は、パーソン論が法や権利にかかわる話であるかぎりは当然であるていどの話なんではないかと思いますね。それ以上なにがあるかはまだよくわからんです。


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