「関係性」の議論にも苦しんでいます

「進捗だめです」のかわりに。あれは飽きてしまった。

ドゥルシラ・コーネル先生の議論にも困ってるんですが、国内にたくさんいる「関係性」の人々にも困ってるですよね。「女性と胎児の関係性が大事なのだから、女性の決定を尊重しなければならない」ってまあそういう感じの議論。もちろんこれでかまわないんだけど、これを言うためには胎児の権利や利益とかそういうのは女性の権利や利益ほどじゃないことを立証しておかなきゃならないと思うんです。私は。でも「線引きはだめだ」みたいな議論をする人がいる。ほとんど誰も、新生児を親の意志によって処分してよいとは考えないわけだから、胎児が新生児とは違うことを言わなきゃならんはずなのに、なぜかそうした議論が避けられているように思える。

伊佐智子先生の一連の論考「人工妊娠中絶における女性と胎児」「生命倫理と権利概念」「生む権利としてのリプロダクティブ・ライツ」「わが国のリプロダクティブ・ライツをめぐる問題状況と議論状況について」や、森脇健介先生の「いわゆる「中絶の権利」に関する一考察」とか読みなおしてもよくわからない。森脇先生のはよく書けているように見えて、もう一つ納得できない。

もちろん、ドゥオーキンやコーネルのように「法的に人じゃないんだから人じゃないよ」ってやるんだったらまあそれはそれでいいんですけどね。でも国内でその強硬ラインをとる人はそれほどいないみたいですね。

けっきょく私は、なぜ多くの論者たちが(かなり保守的な態度の人を除いて)「人とはなにか」というパーソン論問題を回避できると考えているかわからないのです。そしてこれが、大学院生のころから25年くらいずっと謎で、今年研究させてもらっていることの核の一つなわけです。

もちろん胎児は権利もってないとか、権利もってるとしても非常に限られているとか、母親の権利によってオーバーライドされるとか、そもそも利益ももってないとか、いろんな議論をすることは可能で、それがまさに英米でやってるパーソン論なわけです。なぜこんなほとんど自明なことが理解されていないのか、私にはほんとうにわからない。まああまりにも自明だからみんな書いてないだけかと思うんですが、これほどまでみんな同じような書き方をしていると不安になります。私の読み方がおかしいのかもしれない。っていうか、みんな当たり前と思ってることを私が理解してないだけかもしれない。すげー不安。私は自分に自信がないので、「おかしいだろ」ってすぐには言えないんです。実際読めてないことも多いし。

昔、某先生と飲み屋で議論したとき(立岩先生ではない)はけっきょく胎児の道徳的地位は女性より低いのだと考えていると認めてもらいましたが、それをはっきり認めてくれる人はあんまりいないです。

ついでに書いておくと、もう一ついやなのが、妊娠中絶の権利を認めながら、選択的妊娠中絶は認めない、っていう立場をとる人がけっこういるんですが、これの根拠がよくわからない。特に「関係性」の人びとがどうやってそうした判断を正当化するのかわからない。もちろんそこそこうまくやる議論はある。たとえばExpressivist Argumentと呼ばれてるやつは、選択的妊娠中絶が障害者に対するメッセージになるから不正なのだ、と議論するわけですが、そこらへん明示的に利用しているものはあんまり見ない。

なんで「人」や「権利」の議論が嫌われるのか、ってのの仮説はいくつかあるんですが。

  1. 森岡先生あたりからはじまる「パーソン論」に対する各種の誤解。これはずっと前にいくつか書きましたね。とくに「パーソン論は切り捨ての思想だ」みたいなの。それにしても最近の文献見ても森岡先生の影響力の強さには驚かされます。たとえば小林直三先生の『中絶権の憲法哲学的研究』でも先生の1988の本の議論がそのまま踏襲されている。
  2. 「権利」てのがなんであるかよく理解されてない。権利ってのはギリギリの切り札なんすよ。っていうか、道徳的に許容できる/できない morally permissible / impermissibleってのが理解されてない気がする。
  3. 強硬なプロライフがあまりいない。昔は澤田愛子先生、今だと秋葉悦子先生とかがんばってらっしゃるのですが、あんまり読まれてない。そもそもプロライフの議論が十分に紹介されていない。はっきりした敵がいないからギリギリにつめた議論でなくとも通用するのかもしれない。
  4. キリスト教や英米(特にアメリカ)に対する偏見。上と関係するんですが、キリスト教、特にバチカン系の人がプロライフでがんばってるんですが、それが、独特の宗教的信念に基づいているとして偏見に近いものとして片づけられている。彼ら彼女らはそういう宗教的な議論はあんまりしてないです。少なくとも「バチカンの言うことを聞けー」みたいな議論はしない。

まあもっとありますね。ここらへんはまあ歴史的特殊事情ですわね。もっと心理的ななにかがあるんではないかという気もしてます。


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