セックスの哲学」カテゴリーアーカイブ

大学でフェミニズムを勉強したい人は

フェミニズムやらジェンダー論やら勉強したいひとのためのリストみたいなのがない、みたいな。いやそういうのはたくさんあると思うから私が書く必要はないと思うんだけど、ちょっと一般的な話にからめて紹介したいと思います。

そもそも関心がフェミニズムの特定の論者の特定の論点、たとえばキャサリン・マッキノンのポルノについてのどういう議論をしているか知りたい、ってな感じであれば、そういうのはすぐ出てくる。 続きを読む

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フィガロの結婚からケルビーノのアリア二つ

大人数の教養科目みたいなので1時間半の授業は長いので、途中で5分ぐらい休憩して音楽とか流すことがあるのですが、今日はフィガロの結婚のケルビーノ君で。この人は思春期にはいったところの美少年お小姓って設定ですね。年齢は知らないけど14才ぐらい?15才?まあイケメンだからなにしても許されるわけです。
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セックス哲学史読書案内:プラトン先生のエロス

プラトン先生の『饗宴』は絶対に一回は読まないとならない。いろんな訳があるので、まあ好きなので読めばいいと思う。文庫本でいいでしょ。光文社の中澤先生のは注とかも豊富だし、いまのファーストチョイスだと思う。京大出版会の朴先生のも注釈が便利。一般に翻訳は最初は新しいのを手に入れておけばよい。国内では「なんでもとにかく岩波文庫」って雰囲気があるけど、古いのも多いしねえ。





偉い先生は多いけど、現在のプラトンの権威は納富先生なんだと思う。これは手に入りにくいけど、Kindleあるんだったかな。

でも、専門の先生たちの解説では、なんかプラトン先生の下品なところ、エッチなところ、ごくごく身体的なところ、実感に即して身も蓋もないところが削られちゃって、すごく理想的な感じになってて私あんまり納得してないんすわ。専門の先生ももっと下品なことを書いてほしい。でもギリシア語も読めない人間があれしてもしょうがないので権威にしたがってください。

納富先生のも、美知太郎先生のも、なんか私が読んでるプラトン先生の生々しい感じとはずいぶん距離がある。私が下品なだけか。

パイドロスも文庫でいいと思う。こっちは『饗宴』よりさらに読みにくいねえ。

あ、以前の読書案内では紹介したんだけど、セックス哲学史を勉強するときは全体としてブラックバーン先生のを読んでおくべきだとおもう。

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セックス哲学史読書案内:古代ギリシアの奥深い純情

女子大の講義でセックス哲学史みたいなのやってるんですが、回ごとの学生様向け読書案内をなるべく掲載してみたい。実は前にも書いてるんだけど、時代別に分けてみましょう。


古代ギリシアの生活など

古い文物は文字だけではイメージがつかめないので、ぜひヴィジュアル本を読みたい。人の名前おぼえるにはとにかく顔を見るのがよい。とにかく歴史については、ヴィジュアルから攻める。もちろん映画とか見るのもよい。

他にも「ふくろうの本」「とんぼの本」シリーズなどのヴィジュアル本は見てておもしろいので、ヒマがあれば図書館でめくってみてもらいたいものです。文字だけの本とはぜんぜんおもしろさが違う。

ギリシア神話

いろんな本で紹介されている。「本当の」「正しい」ギリシア神話、というものがあるわけではなく、後代の人々が勝手にいろんな話を付け加えている形で広まっているので、適当に読めばよい。たとえばこういうのでいいだろう。

あらかた知ってる人は、シシン先生の本を読むと「そうなのかー」ってのがあるはず。

まあこういうの眺めるのがいいんすよ。神話勉強しつつ美術も勉強し、さらにエッチな好奇心もそこそこ満足させられる。

ホメロス作品

岩波文庫ので読めばいいと思うけど、若干読みにくいし長い。

むしろこういう少年少女向けに翻案されたもので楽しみながら概略を知ればよいと思う。

サッポー

サッフォーの恋愛詩は岩波文庫の呉茂一訳『ギリシア・ローマ抒情詩選』にはいってます。

沓掛良彦先生の解説がすばらしい。この先生はほんとうにすばらしい学者なので、文学に興味のある人は片っ端から読みたい。

サッポー先生の女子コーラス学校(宝塚みたいなものか)を舞台にしたマンガおもしろい。

パイデラスティア(古代ギリシアの少年愛)

この本が定番。

上の『エーリンナ』でもちょっとだけ描かれてる。

難しい話をする人たちの間では、ハルプリンの『同性愛の百年間』というのがよくひきあいに出されるけど、江口はおすすめしない。それよりまず↓みたいなの読むべきだと思う。フラスリエール先生のは1960、レスキ先生のは1976で古いんだけど、それでも読むべき。

これは名著だった。ギリシア神話から叙事詩、抒情詩、悲劇・喜劇といろいろな形式でのエロスや「アプロディテの営み」を考察してくれる。

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わたせせいぞう先生の人間球体論

プラトン先生の『饗宴』でのアリストパネス先生の酒席の馬鹿話は、マンガ家のわたせせいぞう先生によってロマンチックなお話に書き換えられているのは記憶していたのですが、『ハートカクテル』や『菜』といった名作のどこにあるのかわからず2〜3週間ネットで情報を探していました。そしてついに今日それを発見してKindleでそれが掲載されているやつを買うことができたのです!さすがに古本で1冊ずつ集めるのも手間だし、まとまってると高いし、Kindleで順番に読んでくってのもお金がかかっちゃう。そんなお金はありません。「半球体のセーター」という話があるということを http://www003.upp.so-net.ne.jp/ki-ki/watase/index.htm このページの方に教えてもらい、その話自体は見つからなかったのですが『ハートカクテルSweet』に「うねりを待つ半球体」載ってるはずだということを確認し、ゲット。いやー、たいへんでした。
わたせせいぞう『ハートカクテルSweet』より
いやー、バブルな感じがかっこいいですね。先生はこの話がお気にいりで、何回も使ってるはず。もちろん「プラトン先生の原典に即してない」とか文句つける気はないです。

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パウサニアス先生は男は尻軽にならないようにいましめています

プラトン先生の『饗宴』の話はどうもこのブログではあんまりしてなかったみたいなんですが、数日前に市民の方向けの「生涯学習講座」みたいなので話をしたので、そのときに思いついたことなど。人前で話をするとそのたびに発見があるものです。ついでに、最近「おまえの国(日本)の女の子はなぜすぐにセックスさせてくれるのだ」とかって言われたとか言われないとかの話を切っかけにツイッタがもりあがってるようで、そこらへんもおもしろいなあ、とか。

前にも書いたように、古代ギリシア人にとって性愛というのは危険なものでした。情念というのはおそろしいものです。

でも、恋愛やセックスにはよいとろもあるはずで、そこらへんをどう説明するか、っていうのが『饗宴』や『パイドロス』のポイントですわ。『饗宴』ではいろんな人が入れかわりたちかわり話をするわけですが、そのなかでパウサニアス先生というひとが話をしている部分。(下の『饗宴』の訳は、事情により2、3種類まじっちゃってて、この部分が誰の訳かわからなくなってしまててすみませんすみません。そのうち直します。)

美とセックスの神アプロディーテーが愛の神エロースと切り離しがたいことは、僕たちの皆知っていることだ。だから、かりにアプロディーテーが一人ならば、エロースも一人となるであろうが、しかし、じっさいはアプロディーテーは二人である。したがって当然エロースも二人となるわけだ。……というのも、少なくとも一方のアプロディーテーは、齢も高く、母はなく、天(ウラノス)を父とする娘、したがって、その方たちを僕たちは天の娘(ウーラニアー)という名で呼んでいる。これに対し、より若いほうのアプロディーテーは、ゼウスの神とディーオーネーの間の娘で、したがってこの方を僕らは、地上的な(パンデーモス)女神と呼ぶ。そこで当然、エロースについても、一方地上的なアプロディーテーとともに事をなすエロースは、これを地上的なエロースと呼び、他方を天上的な愛の神と呼べば正しいわけだ。……

よい恋愛と悪い恋愛がある、ということを示すために、その原因のアプロディテさんやエロース君は実は二人ずついるのだ、っていうことにして話をするわけですね。アプロディテは美とセックスの行為そのもの、エロースは性欲に対応すると考えていっしょ。

さて、地上的なアプロディーテーより発するエロースは、文字どおり、至るところに転がっているもので、風の吹くまま気の向くまま、事も選ばずにやってのける。この愛は、とるに足らぬ人々の欲するものなのさ。つまり、この種のくだらぬ人びとは、第一に少年を愛すると同じように女性をも愛する。次に、その愛する者の魂より肉体を愛する。さらに、できるかぎり、知恵なき愚者を愛する。──以上のようにするというのも、彼らは、ただ愛の想いを遂げることだけに目をそそぎ、その行い方が美しいかどうかを、気にかけないからなのだ。したがって当然、彼らは、何ごとによらず手あたり次第に──善いこと、善くないことの見境もなく──行うということになるのだ。

低俗な方のエロースくんは低俗な人々の友達であって、その低俗なエロースは我々から見れば単なる肉欲であるわけっす。若い女でもショタでもよい。っていうか少年の方は完全にペドフィリアですね。とにかく白くてやわらくて毛が生えてないようなのがよいとかそういう感じなんでしょう。怒られが発生します。相手の頭も悪くてもかまわない。んでエッチなことをして満足することだけを求めるのです。これひどいっすよね。絶対怒られる。市民講座っていうか生涯学習講座でこんな女性差別的な話をしていいいのか!ってくらいで、「いやーこれ私の意見ちがいますよ、プラトンさんでもソクラテスさんでもないですよ、プラトンさんのお話の登場人物のパウサニアスさんていうおっさんの言うことですからね!」みたいにかなりお断りを入れないとやばい。

これに対し、今一方の愛は、天上的なアプロディーテーに発するものだが、このアプロディーテーは、まず第一に女性には関係せず、ただ男性だけに関係している。──次にそのアプロディーテーは、より齢も高く、激情の放縦からは遠い。かかるアプロディーテーの性質のゆえに、このアプロディーテーにつながる愛の息吹をうけたものは、生れつきより強きもの、より知性ゆたかなる者を愛して、男性に愛を向けるのである。けだし彼らは、少年たちが、すでにものの道理をわきまえはじめる頃、──すなわち、まずは髭も生えだす頃になって、初めて少年たちに愛をそそぐ。……

偉いアプロディテさんとそのおつきのエロース君はもっと高潔だというのです。低俗エロスが弱いもの、やわらかいもの、頭悪いもの、意志が弱いものが好きなのに対し、高潔エロスは強いもの、ガチムチ、知的なもの、勇敢なものが好きなのです。女ではなく男だ!そしてきれいな男ではなくガチ男だ!

三島由紀夫先生の仮面の告白をあれしますね。先生によれば、男同性愛な人は、最初はなよっとした少年とかが好きなものだが(これ「ウールニング」とか)、やはり大の男同士は、お互い知的にも肉体的にもガチっとしたのがいい、って主張するようになったとか。老作家と美少年の恋愛とかていうのはケレンであって、そういうのはもう「卒業した」とかって話は有名のようです。

んでパウサニアス先生の話に戻ると、まあ理想的なアプロディテとエロースはそういうわけで、心身ともに強壮な男と若い少年の関係なわけですが、ここで、当時のアテナイのその界隈では、一定の約束事があったわけです。当時の男性同性愛は、対等・対称的ではなく、やはり上下があり非対称だったわけです。はやいはなしが「攻め」(というか「愛する者」エラステース)と「受け」(「愛される者」エローメノイ)という役割があった。当然年上が攻めで年下が受けです。(関心ある人のために書いておくと、いわゆるBL的なアナルセックスとかしてたのかどうかは議論があって、してなかったろうってのが主流のようです)
さて、なにをするにも美しい方法、よい方法と、醜い方法、まずい方法がある。

ところで「醜く」とは、つたない者の恋心をつたなく受け入れることであり、「美しく」というのは、有為な人材に対して立派な仕方でそうすることである。ここに「つたない者」とは、あの、低俗な恋をいだく連中、いってみれば、魂よりも肉体を恋する連中のことである。そしてこの連中は、永続性のないものを恋の対象にしているから、本人のほうも永続性に欠けるのである。つまり彼らは、恋の目当てとする相手の肉体の花が凋むやいなや、それまでの数々の言葉や約束ごとを踏みにじって「飛びさって行く」。

これがだめな恋愛、だめなセックスですね。肉欲が主だとこういうことになる。

それに反して、相手の人柄に──もちろん、それが立派なときのことであるが、それに恋をする者は、永続的なものと融合するわけであるから、一生を通じて変わらないのである。したがって、わが国のならわしは、これら恋を寄せる人々を十二分に吟味しようというのであって、相手よってはその想いを受け入れても、別の者からさし出された手は拒むという態度を、その恋人たちに求めているのである。

ここでパウサニアス先生がなにを言ってるのかというと、相手はちゃんとたしかめてからセックスしましょう、ということですわな。それに誰とでもセックスするのは低俗なことである。上品な人はあんまりたくさんの人とセックスしません!

こうした次第であるから、われわれの習わしとしては、恋をしている人々にはその恋人を追うようにすすめ、逆にその恋人たちには彼らから逃げることをすすめるのであって、こうすることによって当事者をたがいに競わせ、自分を恋する者は、いったい、いまの分類ではどちらに入るのか、また、恋されるほうはどうかということを、それぞれ吟味するわけである。

さらに、プロポーズされたりしてもかんたんにはなびきません。ナンパされて「ついてっちゃう」とかっていうのは下品です。

こうしたことが原因となって、まず第一に、「恋人が簡単に相手の手中におちいることは恥ずべきことである」というふうに定められている。これは時日のゆとりを生みだす意図から出たことであるが、けだし、時日こそは多くのものに対する立派な試金石からである。つぎに、金銭や政治力に動かされて相手の手中におちいることも恥ずべきこととされている。……どのみち、かかるものから高貴な愛情が生じたためしがないのは言うまでもなく、だいいち、それらはどれ一つとして、堅固永続的なものではないではないか。

てな話。さらに、プラトン先生の原文やいろんな解説からすると、当時のウケの方はセックスを自分から求めはならず、さらに快感を得えることも控えねばならず、それがうれしいとかそういうのを口に出したり態度でしめしたりするのもよくないことである、と。そういうのは性欲や快楽におぼれる人々のやることであって、まともな男がやることではないのだ!ってことらしいです。

まあ一番最初にもどって、けっきょく男性であれ女性であれ、簡単にセックスするのは性欲とか快楽とかに動かされていることだから恥ずかしいことであって、とくに簡単に「やらせて」しまうのは男であれ女であれまあ低俗である、という考え方は古来から非常に強力ですわね。男でナンパして毎日違う女性とセックスしてます、みたいなのは一部ではあこがれかもしれませんが、やっぱり上品な人からしたらどうだろうって話になりそうだし、また男性同性愛の人々の間でもカジュアルなセックスをどう考えるかっていうのはなかなかおもしろいネタです。カジュアルでプロミスキュアスにいろんな人とセックスしまくるのも楽しそうなんですが、でもそれってなんかおかしなところがあるような感じから逃れるのは難しいですね。いまハルワニ先生の「カジュアルセックス」の話を翻訳してもらいながらいろ考えてるところ。

70年ごろの国内のウーマンリブの「公衆便所からの脱出」とかて有名な文章あるんですが、今手元にないのでコメントできませんが、やはり公衆便所となったり、そう呼ばれたりするのはあれなことで、性の解放と、みさかいがないと見られてしまう恐れとのあいだの問題というのはまあいろいろい難しいところです。

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牟田先生の「セックスはすでにつねにジェンダーである—「男女平等」の罠」

https://www.lovepiececlub.com/column/1958.html

また毎度毎度の牟田先生でもうしわけない。堀あきこ先生が「わかりやすい」ってほめてたので「わかりやすいなら読もう」ってな感じで(昔読んだのを)読みなおしたけどわからない。私あたまわるすぎ。 続きを読む

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ルソー先生、あなたの弟子たちが性犯罪に手を染めています(『恋愛工学の教科書』)

以前、ルソーの『エミール』に見られる性暴力の危険性について書いたのですが、あれから250年近くたってもルソー先生と同じ連中はいるわけです。 続きを読む

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ポストモダンの害悪

最近ちょっとtwitterでポストモダンに関する議論があって、まあいつもどおりのよくわからない話をする人がいるってくらいなんですが、そのなかで、「ポストモダン思想がなにか自然科学に実害を与えたのか」みたいな発言がありました。たしかに自然科学に対しては実害とかほとんどなかったっしょね。実害は、自然科学ではなく、政治的な議論、それに倫理的・社会的な学問や論議に対してあったと私は思ってます。デリダ先生が倫理学や社会科学にどのていど影響を与えたかはしりませんが、私が憎んでいるジュディス・バトラー先生は私が関心のあるジェンダー論やセックス論の国内の議論に大きな影響を与えているようで、あちこちで無益なものを読まされることになります。 続きを読む

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牟田先生たちの科研費報告書を読もう (7) おしまい

んでこのシリーズ、実は最初は牟田先生の論文が、われわれの日常的な事実と乖離してるんじゃないか、そしてその規範的主張が勝手なものじゃないか、って書こうとしてたんですよ。実はマッキノンやギデンズのあんまりよくない引用方法を発見してしまったらもうそういうのどうでもよくなっちゃったんですが。

でも最後にその最初の話だけ。 続きを読む

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牟田先生たちの科研費報告書を読もう (6) 雑感

しかし誤解のないように書いておくと、私この科研費報告書自体は(そして牟田先生の論文も)高く評価しているわけです。この手のセックスにまつわるいろんな問題っていうのは実は国内ではちゃんと議論されてないので、いろんな立場の意見が検討されるべきで、そうした議論の基盤を提供してくれているのでたいへん価値がある。科研費もらってもらってたいへん助かります。ぜひもっと出してあげてほしい。 続きを読む

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牟田先生たちの科研費報告書を読もう (5)

もう一つあげましょう。牟田先生は、「ギデンズが論じるように、法的な平等が保障されジェンダー平等への道が見えつつあるからこそ、性暴力やジェンダー暴力がいっそう生み出されているとすれば」と言います。この文章に対する注は

ギデンズは、「男性の性暴力が性的支配の基盤をなしているというとらえ方は、以前よりも今日においてより大きな意味をもつ……今日、男性の性暴力の多くは、家父長制支配構造の連綿とした存続よりも、むしろ男性の抱く不安や無力感に起因している」(ギデンズ 1995: 183)と論じている。

です。実はこのギデンズに依拠した牟田先生の文章は前にもブログでつっこんでいるのですが、今回本当にギデンズがこんなこと言ってるのかちょっと調べてみました。 続きを読む

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牟田先生たちの科研費報告書を読もう (4)

上野千鶴子先生が「嘘はつかないけど不利になることは隠す」とか発言しているのが発見されて、ツイッターの学者研究者界隈に動揺が広がってるようですが、まあそういう感じありますよね。特にフェミニズム/ジェンダー論まわりでは目につく。というか、昔からフェミニズムまわりではつらい経験をすることが多かったのですが、「嘘は書かないけど自論の不利になることにも言及しない」ぐらいの原則でやってるのだと思ったら理解しやすいことは多いです。 続きを読む

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牟田先生たちの科研費報告書を読もう(3)

牟田先生のセックス平等の話をするまえに、もうすこしだけ他の論文に簡単なコメント。

元橋利恵先生の「新自由主義セクシュアリティと若手フェミニストたちの抵抗」は、二つの話題があって、「女性は自分の性器の呼び名がない」みたいな話と、「最近は女性が競争(新自由主義)のために男向けにいろいろ努力してる」みたいな話をくっつけようとしてるみたい。 続きを読む

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「性的モノ化再訪」レジュメ

そういや、この前研究会で発表したレジュメおいときます。まあこんなこと考えてる。いつものようにあわてて書いたからあちこちよれていて、余計なこと書いてたり、わかりにくかったりしてだめなんですが、今年中にまともな論文にできるようにしたいとは思ってます。すみません。 続きを読む

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牟田先生たちの科研費報告書を読もう(2)

牟田先生の論文のセックスの平等まわりの議論はいろいろおもしろくて、学問として議論したいところがあるのですが、その前にもうひとつどうしても問題を指摘しておきたい論文があります。

古久保さくら先生の「運動と研究の架橋:世代の架橋としての教育の可能性」です。 続きを読む

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牟田先生たちの科研費報告書を読もう(1)

フェミニストの牟田和恵先生たちの科研費研究の使途がおかしいのではないか、みたいな難癖みないなのが話題になって、それに反応してか先生たちのグループが成果の電子書籍を公開してくれたので、ちょっと読んでみました。公開えらい。
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最近活躍している谷田川知恵先生の強姦被害者16万という数字は雑すぎる

下のを書いたあとに、問題はもっと複雑だし、たしかに性暴力被害の問題は深刻だよなと思って消してたんですが、まあ一回公開したものだし置いときます。また考えなおします。 続きを読む

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12月22日に不倫(を哲学)しに福岡に行きます

12月22日に修羅の国福岡の福岡大学の宮野先生と九州産業大の藤田先生の合同ゼミに呼んでもらってますので、江口が袋叩きにあうのを見たい方はどうぞ。22日18時から、福岡大学A棟A803だそうです。なんか適当に話をしてということだと理解したので、時節柄「不倫を哲学する」にしてみました。時期的・客層的には「浮気の哲学」にするべきでしたね。ははは。よかったらどうぞ。自分のところの授業でいつもしゃべっているようなことをしゃべるつもりです。資料とかつくる暇があるかどうか。 続きを読む

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モテる男とモテない男の違いをオフコースとジンバルドー先生から学ぼう

「Yes-No」「いくつもの星の下で」の比較なんですが、まあYes-Noの圧勝ですよね。「星の」の主人公に性的な魅力を感じる女子はそんないないと思う。実は学生様に2曲聞いてもらったんですが、

「最後の2曲の比較について、断然、いっしょにいて楽しそうなのは Yes-Noのほうだと思いました。鈴木さんの歌詞はなんか女々しくてドキドキしません。メロディーラインも、小田さんの方が引かれるものがありますね。年下の超イケメン君が鈴木さんの方だったらまもってあげたくもなりますが……」

みたいなことをコメント書いてくれた学生様がいました。まあ二十代前半だとそういう感じちゃいますかね。真面目なひとはモテないです。これがまさに、現代の男子の問題なんですよね。

真面目で良い人(Good Guy)はもてない、むしろ、ろくでなし(ジャーク)だけどなんか取り柄のあるように見えるやつがモテし、セックスできる。この問題は前にも何回か紹介しました。

最近読んだ、ジンバルドー先生(心理学の世界ではものすごく有名)の『男子劣化社会』でもそういう問題を扱ってます。

男子劣化社会

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ジンバルドー先生は基本的にリベラルで、女性の権利とかに非常に肯定的なんだけど、一方で男子の方がケアされず教育されないままにネットに翻弄されていることを嘆いている。

いまでは女性が「ノー」と言うと男性は真に受け、その先のアプローチをどうしたらいいかわからず、撤退する。結果、男女どちらにとってもデートのチャンスは減る。または、男性は説明もなしに拒絶されたので相手女性に感じの悪い態度を取るか、ナンパの達人からテクニックを学ぼうとする。とりわけ男性の頭が混乱するのは、女性たちが大事にしてくれるやさしい男性といっしょになりたいと言いながらも、実際には押しの強い、女性の気持ちなど無視する男性により惹かれているのを目撃したときだ。 (p.213)

実際、女性の大半が恋愛の対象となる人からは、冷静に考えた末ではなく、ただ激しく欲情されていると感じたがっているが、これが次の手を打つ男性には判断にこまる局面を作り出す。 (p. 213)

これはまさに、鈴木先生はもてずに小田先生やドン・ジョヴァンニがモテる理由なのです。

ジンバルドー先生は、マークホワイト先生っていう方のブログ記事も紹介している。(こういうのはモテない系哲学者の独擅場よね。どうですか、このブログ記事の写真のよい人ぐあいは!)

もしわたしがデート中におもいやりある心遣いと自然発生的な欲情のちょうどいいバランスを取ろうとすれば、相手女性に十分な尊敬の気持ちを見せないことで起きる損失──具体的には、女性の心を傷つけたり怒らせたりするリスク──は、情熱や欲情ぶりを十分に見せないことで生じる損失──女性をがっかりさせ、恋愛関係の成立を危うくするリスク──よりはるかに大きいと考えます。私の性格からすれば、前者のリスクは後者のそれより問題にならないほど深刻なので、私の態度はつい尊敬と心遣いの方に傾きます。……彼らは「これをしても大丈夫?」「あれをしても大丈夫?」と尋ねた結果、あなたを性的昏睡状態に陥らせる可能性があります (p. 214)

「性的昏睡状態」ってのは、まあ興奮してない状態、性的にまったく興味のない状態ね。まあこの先生は意識明晰でも性的昏睡状態の人をかなり作り出したんですかね。つらい。多くのナンパの達人みたいなひとは意識を低下させろって言ってますからねえ。宮台先生とか。

まあそういうのってなかなか難しいところですなあ。

この問題に興味あるひとは、下読むといいです。

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ファレル先生はメンズリブ運動の旗手で、チアリーダーみたいな女子に相当あれされたみたいです。

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サルトル先生は気づかないふりをする系女子を自己欺瞞っていって非難してます

あんまり自己欺瞞しない目覚めた女性ボーヴォワール先生と。もう手を握ったりする関係ではなかたったのかどうか。

サルトル先生はしばらく名前あんまり聞かなくなって、ちょっと前に復活の兆しがあり、でもやっぱりポシャっちゃった感じがあってなんか微妙なんですが、SMセックス哲学や「自己欺瞞」の議論はとてもおもしろいので、研究者の先生たちにはがんばってほしいところです。応援してます。がんばれー。

んで前のエントリーのオフコースの「Yes-No」の「好きな人はいるの?答えたくないなら聞こえないふりをすればいい」なんですが、これおそらく元ネタはサルトル先生なんですわ。『存在と無』から引用。ページとかはあとでつけますね。

たとえば、ここにはじめてのデートにやってきた女がいるとしよう。彼女は、自分に話しかけているこの男が自分に関してどんな意図をいだいているかを十分に知っている。彼女はまた、早晩、決断しなければならないときが来ることも知っている。けれども彼女は、それをさし迫ったことだとは感じたくない。彼女はただ相手の態度が示す丁寧で慎しみぶかい点だけに執着する。

デートするときってのは、女子は男子の下心っていうか性欲、セックスしたい欲はもちろんわかってるし、そのうち迫られちゃうのもわかってるけど、もう少し先延ばしして色目つかったり口説かれたりイチャイチャしたりそういうのを楽しみたい、というわけです。そこで「まあこのひとはジェントルマンだから、っていうかこのひとこそオネットム」ってやるわけね。

……彼女は、彼が話しかけることばのなかに、その表面的な意味以上のものを読みとろうとしない。「僕はあなたをこんなにも賛美しています」と言われた場合、彼女はこのことばからその性的な下心を取り去る。。・・・彼女は自分が相手に催させる欲情に対してきわめて敏感である。しかし露骨で赤裸々な欲情は、彼女を辱め、彼女に嫌悪をいだかせるであろう。

たとえばカズマサ・オダ(仮名)っていう日系フランス人が、「おう、あなたはすてきでーす、でもオカのコトカンガエえてましたー、シルブプレ?」とかやっても、「このカズマサオダは私の話を聞かずにおっぱいのことを考えてたのだな」とは思わないわけです。そういうこと考えると折角のキブンがわるくなるから。

……いまここで、相手の男が彼女の手を握ったとしよう。相手のこの行為は、即座の決断をうながすことによって、状況を一変させるかもしれない。この手を握られたままにしておくと、自分から浮気に同意することになるし、抜きさしならぬはめになる。さりとて、手を引っこめることは、このひとときの魅惑をなしているこのおぼろげで不安定な調和を破ることである。娘は手をそのままにしておく。けれども、彼女は自分が手をそのままにしていることには気づかない。

カズマサオダから、手を握られて「おう、マドモアゼール、あたなカレシいるのですかーシルブプレ」って聞かれても、答えるとどっちにしても面倒なので、気づかないふりをするわけです。肩をだかれても気づかないし、なんかとにかくなにされても気づかないわけですね。「キミをダいていいですかシルブプレ」とか言われてもなにも聞かないしなにも見ないし、面倒だから心がどこにあるのかも考えないようにする。「ココロドコニアリマスカー」これがサルトルの自己欺瞞すわ。

オフコースの先生たちが大学生活を送っていた70年から数年ってのはサルトル流行ってたので、まあ誰でもこういう議論はしっていたわけです。それがあれに反映されてたんちゃうかと思います。

サルトルの議論がミソジニーっぽいとかってのはそうだろうし、そもそもそれってどうなのってのはあると思いますね。でもまあ今回はその議論はパス。

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牟田和恵先生のフェミニスト的恋愛/結婚論には問題があると思う

伊藤公雄先生と牟田和恵先生の編集の『ジェンダーで学ぶ社会学』が2015年に改定新板になってたのきづかなかったので読んでみました。この本の初版は1998年で、ジェンダー社会学とかの超基本書、ロングセラー、ジェンダー論ベストセラーですわね。 続きを読む

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女性の性欲の強さについてモンテーニュ先生語る

性欲の男女差で思い出したんですが、私、前にも書いたように、モンテーニュ先生ものすごく好きなんですよ。先生はモテてモテてしょうがなかったようで、まあモテなくても殿様だからエッチなことしまくりですよね。きと。んで、先生は女性の方がエッチが好きだし得意だって言ってる。まあ前のエントリでの「セックスのキャパシティ」も「セックスのエンジョイメント」も男より上だ、っていうわけですね。さすが数こなしてるからよく知っていらっしゃる。殿様いいなあ。あるいはモテモテだから少数でも積極的な女子たちがまわりにいたか。 続きを読む

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