『性暴力と修復的司法』第4章の一部チェック(4)

    • 第4章第3節も見ておきたい。
    • p. 151に出てくる、Nodding (2011)という資料はどういうものかよくわからない。この団体 https://restorativejustice.org.uk  が出している冊子かもしれない。あるいはこれ https://restorativejustice.org.uk/resources/jos-story そのものか。そもそもこの団体がどういう性質のものかよくわからない。怪しい団体ではないとは思うのだが。
    • p.152に出てくるKeenan (2014) も最初見つけられず苦労したのだが、文献リストでは「報告書」として他の「外国語文献」とは別になっていた。「学会報告、講演」も別になっていて、上とあわせてその分類の基準がよくわからない。このKeenan (2014)もURLとかないので探すのけっこう苦労したけど、とりあえずこれ http://irserver.ucd.ie/bitstream/handle/10197/8355/Marie-Keenan-Presentation.pdf?sequence=1
    • この資料は、修復的司法を希望する、参加したい、加害者と対話したい、という人々30人に対するインタビューで、前の節のデイリーvsカズンズ論争が実際に修復的司法は効果があるか、という数字をつかったあるていど実証的なものであるのに対して被害者の願望を聞き取っているもの。話の順番が奇妙に感じられるが、それは問わないことにする。
    • この資料自体は、貴重な被害者の声をきんとひろっていて、非常に迫力があります。こういうの探してくるのは小松原先生すごくえらいと思いますね。
    • ただし小松原先生の参照のページがずれているようで、対応箇所を見つけるのを非常に苦労することが多い。これは多すぎるのであげきれない。
    • また、このKeenanの調査が、さまざまなタイプの被害者の特徴を示す記号がつけられて特定されていることなどにまったく触れられていないのが気になる。家族内レイプと路上レイプなどは経験その他がまったく違うと思われる。それに、小松原先生が同一人物をダブルにカウントしている箇所があるように思える。下では「VSSR」(Victims of stranger rape as an adult)と記述されてる人の発言が何度もでてくるが、これは同一人物である。しかし、小松原本ではどの発言がどの被害者のものかわからなくなっている。
    • p.154で「責任のメカニズムとして」という表現が出てくるが、これは説明しないとわからない。

(f) 虐待を告発する際に教会の権威者を問題にすること
教会内の事例においては、被害者陳述のように、RJを通して加害者の責任を追求したいと考える性暴力被害者もいる。(p.154)

  • これは読みちがえているように思う。

f) Dealing with Church Authorities when Abuse Disclosure handled Badly
One victim of clerical abuse whose abuse disclosure was poorly handled by the church was keen to meet a priest to whom she had disclosed through a restorative meeting as she thought there would be healing in it for her.

  • ということなので、加害者の責任も問いたいが、教会当局の問題の処理も問題にしたい、ということだと思う。加害者以外の人物に被害にあったことを打ち明けたのにちゃんと対応してもらえなかった、あるいは不適切な対応を受けたのでそれについて自分で苦情を言いたいということではないか。

(引用)私は彼に聞きたいのです……私は、普遍的な問題として、彼の動機を本当に理解したいと思っています。
(小松原)この性暴力被害者は、性暴力という問題を「個人的な問題」ではなく「普遍的な問題」だと考えている。

  • 原文は “I would truly like to understand his motivations for it in general.” なので、微妙だが、〔女性や社会にとっての〕「普遍的な問題」と読むのは読み込みすぎかもしれない。「彼のそうした動機一般を知りたい」ぐらいではないか。

しかし、私は〔問いの〕答えを得られませんでした。私は〔今も〕動けずにいるし、問いを抱えたままです。被害者として〔加害者に言いたいことは〕、あなたはあなた自身を責め、恥やうんざりした気持ち、ストレスを抱えることになりました……でも私はそれぞれの〔加害者は〕個別で違っていると思います。だから、私は「なぜ、私なのか(Why me?)だったのか知りたいのです。

これは非常に痛切な告白でもあるわけですが、これほど大事なものも誤訳していると思います。

But I haven’t got answers. I’m stuck and I still have questions – as a victim you blame yourself for a lot of things, a lot of the time. You do blame yourself and you suffer a lot of shame and disgust and a lot of – you know, a lot of stress… … But I think each individual is different, I think. So I’d just – I need to know why me?

このas a victim you blame yourselfってときのyouは、被害者になってしまったときのあなた、我々、そして私自身。

「被害者として、私たちはいろんなことについて、すごく長い時間自分を責めてしまいます。ほんとに自分を責めて、恥や嫌悪感、そしてすごい……わかるわよね、すごいストレスに苦しみます。でも人はそれぞれちがうものだと思うんです。だから私は、なぜそれが私だったのか、を知る必要があるのです」だと思う。

  • この”Why me?”というのは、節だけでなく、本書全体を通してつらぬかれる基本的な被害者の声であるわけです。これほど大事な部分で、こういう読みちがいをしてしまうっていうのはどういうことかと考えてしまうわけです。これは英語読解能力の問題だけなのだろうか。前の節でデータと論文を粗雑にあつあっているだけでなく、この節では被害者の言葉さえもまじめに受けとめていないのではないだろうか。
  • これはちょっと書きすぎたかもしれません。でもこの誤訳らしきものは本当に大きいと思うのです。当然専門家が読めばおかしいと思うはず。誰かが草稿段階でこの原稿を読んだらおかしいと思うはずだし、学会賞を出そうという人々が読んでたら、なにかへんだとおもわないはずがないと思うのです。そしてこうした疑念が、わたしをいらいらさせるのです。いまも書きなおしてて、やっぱりいらいらしてしまいました。読んでる人々が不快になったらもうしわけない。でも私はこうしか書けないのです[1]それが堅い論文書けない理由でもある……ははは。

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1それが堅い論文書けない理由でもある……ははは。

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