『恋愛制度、束縛の2500年史』で恋愛の歴史を学ぼう (5) ローマ人だってそれなりにロマンチックだったんちゃうかなあ

  • 第2章の古代ローマ編もざっくり軽快でいいと思う。まあ恋愛の歴史とかっていう巨大な話はどっかでざっくりやらないとしょうがないですね。
  • ただ、バッカス/デュオニソスを「愛の神」(p.72)と呼ぶのはちょっと問題があるんじゃないかと思う。もっとはっきりセックス・性欲の神様、って呼んだらいいのではないか。どうも日本の大学の先生たちはセックスと性欲の話をするのを避けてるところがあって、まあ女子大とかで毎日毎日セックスセックスと口に出してるとたしかに差し支えがあるんですが、恋愛の話するときにセックスの話しないってのいうのも難しいし。
  • ローマ時代の恋愛観が「女は強い男がゲットするもの」というやつだっていうのは、まあ言いたいことはわかるけどちょっと乱暴すぎるかなあ。むしろ「強い男/権力者はモテる!金と権力があればなんでもウハウハ!」ではないんかな。
  • まあ実際にどうだったかはわからないんだけど、一番の問題は、ローマ時代の代表格として鈴木先生がもってくるオウィディウス先生の『恋愛指南』は、「強い男が女をゲット!」とかそういうものではないってことですわ。
  • 「強引にチューしてしまえ」「チューしたらもっとすごいこともしてよい!」っていう部分をとってきてローマ時代の恋愛観は乱暴で女性をモノとして見ている(「モノ化」)って議論してるんだけど、私は『恋愛指南』をそう読むのは無理だと思う。ごくざっくりやるっていうのは賛成なんだけど、題材はえらばないとならんというか。
  • あれを読んだ人は誰でもわかるように、『恋愛指南』は非常にこっけいなマニュアル本で、まあ鈴木先生が指摘しているように乱暴そうに見えるところもあるけど、実際には情けない中年男とかがいっしょうけんめい女性にモテようと苦労する話だし、男性向けだけでなく女性向けの部分もあるわけで。

「愛する女性の誕生日こそは、君が大いに恐れおののくべき日だ。何か贈り物をしなければならない日、それこそは君にとって災厄の日というべきだ。君がどんなにうまくかわしたとしても、やはり彼女は巻き上げるに決まっている。女というものは、燃え上がって愛を求める男から財貨をかすめ取る術を編み出すものなのだ」(p. 31)

とかっていうのは、もうかわいそうとしか言いようがないですよね。かわいそす。プレゼントとは、女性が男性からまきあげるものなのです。

  • 「ローマ人の場合は「男は支配してなんぼ」だったのです。」「ポール・ヴェーヌなどは、ローマ人の「強姦力」なんて言い方をしています。経済力で男の価値を測る、という基準が現代のジェンダーにはありますが、経済力のかわりに「強姦力」だったわけです。すごい話ですね。」(p.99)とかありますが、まあたしかに最強の神にして強姦マニアのユピテル(ジュピター)様他、乱暴なのが好きな神様はたくさんいるし、歴史や物語でもそういうのは好まれてるっぽいですが、ローマ人たちがそうした生活を実際に生きていた、強姦はごく普通のことであった、とか考えるのはちょっとどうだろうかとは思います。あとこのヴェーヌ先生の本、どこにその「強姦力」があるのか、ページまでつけてもらいたいです。私ざっと見たけど簡単には見つけられないです。
  • これは性暴力とかに関する重要なポイントになってしまうんですが、そうした性暴力が当然のものとして賞賛されるような社会っていうのはめったにないわけです。へんなジェンダー論みたいなのだと、男性中心的社会では女性に対する性暴力が当然のものとされている、といった説明がされたりするんですが、あんまりよくない。なぜかというと、どういう男性も、その親の半分は女性であり、子どもの半分も女性だからですね。自分の家族を強姦されて喜ぶ男性なんてのはほとんどいないはずです。『ゴッドファーザー』で、主人公の姉を殴る夫が殺されたりしてるじゃないですか。ああいうもんだと思う。
  • 古代ギリシアとかでは女性の結婚は親や男兄弟がとりきめるものだったと思うのですが、彼らも自分の経済的・政治的利益の他に、自分の子どもや姉妹の幸福を当然祈って相手を選んだでしょう。古代ローマ人も当然そうだったはずです。もちろん、そうした親兄弟の後ろ盾がない女性は非常に厳しい生活をしていたとは思います。でも、強姦だのなんだのがほめられる社会なんてのはちょっと考えられない。
  • ローマ時代は抒情詩とか盛んだったはずで、実際ヴェーヌ先生の『古代ローマの恋愛詩』では、『恋愛指南』のような滑稽なやつだけでなく、いろんなロマンチックな詩が紹介されていると思う。どうしてロマンチックな詩が書かれたかというと、私の根拠のないカンでは、それは女性を口説くためですね。現代日本でミュージシャンがラブソング作るのと同じ理由によるんじゃないかな。そして、前のエントリでも述べたように、女性を口説く必要があるのは、女性になにがしかの決定権があるからで、決定権がなくても女性は男性にいじわるしたりすることは簡単なわけです。美人奴隷とか買ってきたって、毎日めそめそ泣いてたり、むすっとしてたりしたらいやじゃないっすか。そんなのどんな美人だてたえられない。どうしても女性は喜ばせて笑顔で対応してもらわないとならん、っていうのがどの時代の男性にとって大きな課題だったんじゃないっすかね。
  • んで最後にやられる現代日本との対比ですが、ローマと日本は「女性のモノ化」という点で共通しているって鈴木先生は考えてるんかな。まあオウィディウスとナンパ指南本の類似性とかは私もおもしろいと思いますね。でも必ずしも恋愛の相手をモノ化しているとも、代替可能な何かと見ている(p.103)とは思えない。だって、実際に『古代ローマの恋愛詩』やその他の古代の抒情詩で歌われている感情は、そういうものとはまったく違う、おそらく我々の多くが経験しているロマンチックなやつじゃないですか。われわれが好むポップソングの恋愛とそんなに違いますか?異文化の一部とってきてなんか押しつけるのはひかえめにした方がいいんじゃないかという気がします。

おまけ。私が授業で使ってるオウィディウスまわりのレジュメ。




(追記)

  • 鈴木先生のやつ、ちょっともどってオウィディウスのところで書きもらしたことがあるんだけど、オウィディウスの時代、初代皇帝アウグストゥスが姦淫を禁じる法令だしてるはずなんよね。いま調べたら en.wikipedia.org/wiki/Lex_Julia これ。ユリア法? 18-17BC 。
  • 私法上も公法上も、姦淫は罪、ある状況下で不倫しているの見つかったら旦那から殺されたりすることもありえるっぽい。しらんけど。
  • オウィディウスの『恋愛指南』での口説きの対象が人妻なのははっきりしていて、これはまあそもそも色気づくと女性は結婚させられるので、恋愛は結婚して子どもできたりして旦那が飽きてから、ってことになってると思う。
  • オウィディウスの想定女性はさらに小間使いとかもってる地位の女子なので、おうちに入れてもらって無理矢理セックスしようとしても音とかでばれちゃうからデートレイプしほうだい、とかってのはない。
  • っていうかそもそもそんなの試みたのがバレたら旦那から殺される。
  • 鈴木先生は古代ローマは超家父長制で男の権力が強かったから女なんかどうでもしほうだい、みたいに思ってるみたいだけど、家父長制が強いからこそ他人の女には簡単には手を出せず、その女と共謀共犯関係に入る必要があり、だからこそ巧妙に口説くことが必要になったのだと理解している。
  • 19世紀の話だけど、おそらく恋愛結婚というのが一般的になっていくのは、一つには家庭内で、女性に家なり商売なりパーティーの接客なりのいろんな業務をしてもらわなきゃならないために女性の地位があがったこととか、そうした主婦というか奥様になるための教育が必要になって教育期間が長くなって女性の婚期が遅くなり、男性も資産もたないと結婚できなかった(ブルジョワ階級)てのがあって、男性は人妻に手をつけることよりまずは自分の配偶者を見つけるのがたいへんになった、とかそういうのが関与してるんかと思ってるけどよくわからない。
  • まあとにかく恋愛は女性の地位向上と関係があり、そのけっこうな部分が経済的要因の変化の結果なんだろう。
  • こういうのは恋愛の歴史じゃなくて結婚の歴史を読むと説明されている。クーンツ先生あたりがおすすめ。 amzn.to/2WoYnRO これ翻訳してほしい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。