『恋愛制度、束縛の2500年史』で恋愛の歴史を学ぼう (4) こういうのは許しませんyo!

  • んでプラトン先生の恋愛論と現代日本の恋愛との比較(!)。っていうか、そもそも「論」と現実を比較していいのかどうか。

「現代の日本の恋愛と比べると、明らかに違うのは、この知的な探求と色恋沙汰が微妙に接合している点です。」

「日本では、知的探求に価値を置くやり方、頭がいいのがカッコイイとする「萌え」方は、ヨーロッパほど一般的ではありません。そもそもが知的なものに対する憧れよりも、つまりイデア的な憧れよりも、実生活の中でいかに周囲とうまくやっていくのか、という同調圧力の方が強く働きます。だからこそ、知的な探求、イデアの世界への憧れが「エロい」という発想は、おそらく皆無でしょう。(p.63)

  • いや、先生それどっから来たんすか。鈴木先生が考えてる日本人の「恋愛」というのはどこで誰がやってる恋愛のことなのかさっぱりわからない。新書なのでアカデミックな話を適当にはしょるのはしょうがないと思うんですが、こういうなにも根拠を示さない放言みたいなのあると、学生様にはかなり読ませづらいです。
  • まず一つには、「頭いい」とか「教養がある」そういうのをセクシーだと思う人々は、男女ともにけっこういるんちゃうかな。男性同性愛でもインテリ階層ではそういうのありそうだし、女子異性愛者でも、男性ものすごい難しい話をぽーっとなって聞いてるっぽい人々はいるように思う。(どういうわけか私の授業ではみんな寝てしまうんだけどなぜだろうか)
  • また、それがヨーロッパとどう違うかっていうのの根拠もなにも示してくれてない。まあおフランス映画とかで、女子を口説くときに中年〜高齢男性がものすごい難しいことをベラベラまくしたてる、っていうのはたしかによく見ますが、それってフランス人なりイタリア人なりドイツ人なりハンガリー人なりの特徴的な人々なんすか。
  • こういうの、なにも証拠も根拠も出さないってのは、単に「日本は遅れてる」とかそういうの言いたいだけなんじゃないかと思ってしまって、非常に印象よくないっす。
  • ていうか、知性がエロいのはあたりまえではないか。指原先生がNo.1なのもあれは知性だ! 林檎先生のエロさを聞け!
  • 学生様や一般読者が読んで「ほー、なるほど日本では知的なのは価値がないのだな」とか信じられちゃったらどうしてくれるんですか。ますますモテなくなるじゃないっすか! 許しません。
  • これはまあまじめな話、せめて鈴木先生がヨーロッパで見てきた恋愛模様と、日本で見ている恋愛模様を比較すればまだましだと思う。どちら経験した見聞きできるのは広大な人間社会のほんの一部でしかないと思うけど、なにかあれば「まあ鈴木先生が見てきた世界はそうなのだな」ぐらいで納得しないまでも我慢はしようと思うのです。でもなにも根拠がないとなると、学生様には「こういうなにも根拠しめしてないのにひっかかってしまうようでは真理へのエロスが足りません」とかお説教しなきゃならんようになってしまう。その結果、「あんたががエロス過剰なんちゃうか!?」とか怒られることになって非常に困ります。
  • まあこういう簡単に「ヨーロッパではああなのに、日本ではこうだ」みたいなのは、20年ぐらい前まではけっこう許されてたと思うんですが、21世紀になってクリシン教育とか重視されたり、にツイッタとか一般的になってからはちょっと難しいですよね。いやな時代になった、という感じもしますが、われわれは対応していかないとならんと思う。

Views: 32

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です