あともう蛇足っていうか、文章読みなおしたりするのも面倒なんでこれ以上書きたくないのですが、発話行為の言語学的というか、会話の上での適切さの基準と、その発話行為の道徳的な善悪の基準はまったく別です。会話の上、あるいは言語の使用においてはまったく問題ないけど、道徳的に悪徳的であるような発言はたくさんある。一方、言語使用において問題だったらそれそもそも(発語)行為として適切じゃないのでその道徳的な善悪とかあんまり言う意味がない。
たとえば、ヨットの命名式があるとします。私がその船を発注したオーナーで(超富豪!)、私が名前をつける権威をもっている。よくしらないけど、船オーナーの儀礼上、ワインだかシャンパンだかを船に命名するのがそうした筋での慣習らしい。(いまでもそうなのか知りませんよ。)
んでその命名式の当日、私は朝からよっぱらっており、命名式の2時にはかんぜんに酩酊状態。「では、命名式です」「某さんがシャンパンぶつけながら命名します」「じゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃじゃっじゃ〜〜ー〜ー〜じゃーん」「わたすはこの船をちんぽろすぴょーん号と命名するぅ!」ってやったら、この船ちんぽろすぴょーん号になっちゃう。言語行為としてはまったく適切でも、道徳的にちょっと問題があるかもしれない。
これ、しゃれにならないのは結婚式とかで、特にカトリックで神父さんが「〜と〜はここにおいて結婚した」とか宣言しちゃうと結婚しちゃって原則的に離婚というのはできないので、あとで離婚するときに「あの結婚はなんか不備があってじつは以前から成立してない」みたいな議論しなきゃならないとかそういう話は聞いたことあります。
さっきの船も、私の個人の所有船だったらちんぽろすぴょーん号でもいいかもしれないけど、みんなで乗るものだったら具合わるいから、「あのとき江口は心身喪失状態だったので命名行為は成立していない」とかそういう議論しなきゃならないかもしれない。そこでは権威とか意図とか正常な心理状態とかそういうのが問題にされるでしょうな。
まあ話ずれちゃったけど、こういう言語行為の適切さと、その言語行為が道徳的に問題ないものかどうかは別ですわ。
サイレンシングやトーンポリシングを記述的にどう定義しようと、つまりどういう条件のときにそれがサイレンシングだとか、あれはトーンポリシングだとかって規程しようが、その定義のたびに、それがなぜ悪い行為なのかの説明はしなおさないとならない。当然でしょ。サイレンシングにおいて意図が重要であるならば意図はサイレンシングの悪さに関係しているだろうし、意図と関係なくサイレンシングと言えるのであれば、サイレンシングの悪さと意図はあんまり関係ない、とかそういうふうになるかもいれない。なんにしてもこういうのは言葉をはっきりさせ、それの道徳的価値についてしっかり議論するしかない。「パフォーマティヴィティー」とかって概念について誰かの文献を研究したり、あるいはバトラー様の真意とか意図とか準拠問題とかが理解できたらかといって、サイレンシングやトーンポリシングの倫理的問題が解決するわけではないのです。
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コメント
歌について調べていて、たまたまこちらにたどり着いた者です。
個性的で興味深いサイトですね。
この項目で取り上げられている問題については全く知識がなく、関係者でもありません。
しかし激しい既視感を覚えたため、あるあるある・・・と、ついコメントを書き込みたくなりました。
ご迷惑でしたら削除願います。
かなり昔、ネット掲示板で何かについて言い合いになりました。相手は何かを決めつけて非難しているようなのですが、全く理解できない。
知識として知らないのや、内容に同意できないのではないのです。
相手が何を主張しているのかが分からないのです。
それはどういう意味?と聞いても、同じ言い回しを繰り返すだけ。
言葉の定義を聞いてもあやふや。
ただ同じ言い回しを繰り返し、はぐらかしているだけにすら見える。
「その言い回しや単語を使わずに、別の言い方で説明してみて。まず、あなたが何を言っているのか理解したいから。自分の主張なら表現方法を変えて三種類くらい説明できるでしょ?」
と書いたけど、結局、話にならなかったなぁ。
会話にすらたどり着かなかった。
その時の単語は横文字ではなかったけど、カタカナ語を多用する人には、「それ、全部日本語で書き直してみて? 意味通じてる? 具体的に言うとどういう事?」って時がありますね。
都知事とか。