去年の今ごろ牟田科研費についてシリーズ書いてしまって、なぜか最近になってはてなブログなどで有名な法華狼先生からお叱りを受けているのですが、実際わたし牟田先生の論文をまったく誤読してました。ほんとにお恥かしいのでどう誤読してたのか書いて反省します。
牟田先生の論文の第3節「性暴力として買春をとらえる」の部分で台湾台北の元公娼館の文萌楼の話が出てきて、そこでなくなった元公娼の白蘭さんの話があって、もとのエントリーでそこの部分を読んだときに気分悪くなってしまっておかしなことを書いてしまった。そもそも私この部分読みまちがえてました。
法華狼先生がこのブログを紹介してくれました。 → xiaoTANYAのブログ「文萌樓 かつて公娼のいた場所」
中国語で読めませんが、オンライン新聞記事もある → 自由時報「公娼白蘭頭七追思會 恐是文萌樓最後一場活動」
牟田先生が慰安婦とか公娼とかの話をしているので、わたしてっきり白蘭さん(「バイラン」だと思う)が働いていたのは、台湾が帝国下の植民地であった戦中か戦後はやい時期だと勝手に思いこんでいたのですが、白蘭さんは亡くなった2017年にまだ55才だということなので、1962年ぐらいのうまれで、公娼館にいたのは22才だか23才ぐらいかららしいので1984〜5年ぐらいからの話です[1]13才で売られて商売をはじめさせられたのは1975年ぐらいから。そこから10年。これはつらい。。そこから90年代後半ぐらいまで働いていたというわけですね。私とほぼ同世代の人の話なのか!
ていうか、そもそも「白蘭さんの通夜」っていう表現のを見てるはずなのに白蘭さんに直接話聞けなかったのかな、とかへんなこと考えてるし。まだ生きていたと思ってるわけよね。瀕死で帰ってきた、とかって表現印象に残ってるのに。ものすごく混乱してました。
おそらくその私の混乱と馬鹿な誤読の遠い原因として、牟田先生が白蘭さんについても、現在元公娼館を事務所として使っていたCOSWASについてもほとんど情報をくれないので誤解していたと思うのですが、COSWASは売春の非処罰化や合法化を主張している団体で[2]日本のセックスワーカー支援団体SWASHとかと連係して運動しているようですね。、白蘭さんもまたワーカーの立場から、90年代の台北の廃娼・浄化政策に対して強く反対し非難していた人だったわけですね。
先の『自由時報』の中国語記事をGoogle翻訳(中→英がいいです)とかにかけてみると、1997年に33才だった白蘭さんが浄化政策に激怒した、のような文面があるようです。「うちの店はみんな親切だ、わたしたちは悪い人間じゃない」とか「廃娼政策は人を殺す」みたいな意味の文章も見えるような気がするので、中国語できる人が訳してくれたらうれしい。
白蘭さんはその界隈では有名人だった形跡があって、この本に収録されているChen Mei-hua先生の論文 “Sex and Work in Sex Work: Negotiating Sex and Work among Taiwanese Sex Workers“に、41才のころのインタビューの一部が掲載されています。Google Booksでも中身が読める。
Chen先生の論文は実はacademia.eduからダウンロードできます。
この論文はおもしろくて、売春やセックスワークの問題は、売春はセックスかワーク(レイバー)か、という二分法で考えられるけど、インタビューにもとづいて、実際のワーカーの視点からするとそういう二分法にはなってない、労働でもあるしセックスでもある、客と恋人の間の境界もぼやけている、というような議論をしています。まあそうだろうなと思う [3]インタビューされているワーカーには10代も多くてちょっと気になりますが。 。
そのなかで白蘭さんが紹介されていますが、彼女はかなりさばけた感じの話をしていますね。他のワーカーも男性の欲望とかをコントロールするためにいろいろしていて、言うなりになったり組みしかれたりしているわけではない。
白蘭さんはたしかに13才のときに売られて十代を非合法の売春施設で働かされて悲惨といってよいと思います。でも公娼(ライセンスもちセックスワーカー)としては、自分がどんなサービスを提供するかコントロールすることができた、ということのようです。お客とのセックスとボーイフレンドのセックスにもたいしたかわりはないし、愛してるからといってセックスしなければならないわけでもない、という形で、Chen先生の解釈では、セックスと恋愛とを切りわけてる感じ。
白蘭にとって、セックスは、「チープな獣」〔男〕がみなもっている自然的な衝動であり、愛の表現などといったものではない。こう考えることで、白蘭はセックスの呪縛から逃れており、恋人の性的活動を監視する手間をかける必要もない。一方、相互の尊敬とケアは、愛として、あるいは親密さの土台として理解されている。それゆえ愛は脱セックス化されているのだ。
のような形ですね。
こういうの、私は説得力があるなあ、と思って読むわけです。日本でもこうしたインタビューや手記その他は、書籍でもオンラインでも大量に読むことができると思います。ネットでは風俗嬢の人とか大量にいますが、そうした人々もふつうに彼氏その他の親密な人間関係もってるし、仕事がセックス関係だという以外にそれ以外の人々と違いはないように見える。
でも牟田先生は、台北の旧公娼館を調査に行ったのに、白蘭さんがどういう人であったかを教えてくれず、またその元公娼館を運営していて、白蘭さんについての情報をくれたCOSWASという組織がどういう主義主張でどういう運動をしているか教えてくれないまま、そしてそのさまざま主張を黙殺したまま、その部屋が狭いことをもってしてそんなところで短時間でやるのはセックスではなく性暴力である、セックスワーカーの同意は心からの同意ではなく擬制である、という話をしているわけで、ここでやっと私が一年前に感じた違和感がなんであったのかがはっきりわかったわけです。そういう情報がはっきり述べられていないために、私混乱していました。違和感にとどめて、ちゃんと質問したり調査したり考えたりしなかった自分がはずかしい。それに情報を教えてくれた法華狼先生に感謝します。
- 牟田先生たちの科研費報告書を読もう(1)
- 牟田先生たちの科研費報告書を読もう(2)
- 牟田先生たちの科研費報告書を読もう(3)
- 牟田先生たちの科研費報告書を読もう (4)
- 牟田先生たちの科研費報告書を読もう (5)
- 牟田先生たちの科研費報告書を読もう (6) 雑感
- 牟田先生たちの科研費報告書を読もう (7) おしまい
- 牟田先生たちの科研費報告書を読もう(8) 牟田論文誤読のおわび
Views: 974
References
↑1 | 13才で売られて商売をはじめさせられたのは1975年ぐらいから。そこから10年。これはつらい。 |
---|---|
↑2 | 日本のセックスワーカー支援団体SWASHとかと連係して運動しているようですね。 |
↑3 | インタビューされているワーカーには10代も多くてちょっと気になりますが。 |
コメント