『恋愛制度、束縛の2500年史』で恋愛の歴史を学ぼう (1) まえおき

福岡大学の鈴木隆美先生が『恋愛制度、束縛の2500年史』っていう新書を出して注目してます。ある程度アカデミックな恋愛の歴史、恋愛観の歴史みたいなのはみんな興味あるのに読みやすいやつがないから、新書レベルの本が出るのはとてもいいですね。少しずつ読んでいきたいと思います。っていうか、実はゼミで3回ぐらいで部分ごとに読んでいこうとしている。

一読してみて、一番疑問なのは、「ヨーロッパの愛と日本の愛では、何がどう違うのでしょうか」(p.14)っていう問いがそもそもまともな問いなのかってことですわね。そもそもヨーロッパの愛と日本の愛は違うのですか。その根拠はなんですか。鈴木先生はヨーロッパと日本の恋愛についてどのていどのことを知っているのだろう。私どっちもぜんぜん知らないので、とても気になります。

鈴木先生は、この本をフランスのおばあちゃんが孫に対して言う「ジュテーム」ってのから話をはじめてるんだけど、それ恋愛における「ジュテーム」と同じなのかどうかもよくわからない。まあヨーロッパと日本の愛はちがうよ、って言ってるときは性的な恋愛のことを言ってるんだと思うんだけど、おフランスの恋愛と日本の恋愛はそんなに違うもんでしょうか。そらおフランスの文学で描かれる恋愛と、日本の文学で描かれる恋愛はちがうでしょうけど。でも作品なんで星の数ほどあるし、生身の人間もそれよりずっと多いし、ヨーロッパと日本の恋愛は違う、っていうとき、何が言われてるんだろう。

この、文学や思想作品で扱われている恋愛と、生身の人々の生活での恋愛ってのごっちゃにする人がいて私とても気になるんですが、鈴木先生はそうした罠にはまってないといいなと思います。

ツイッタやこのブログでも何回か指摘しているように、日本の文学研究〜社会学のあたりでは「恋愛輸入説」ってのがあって、我々が考えてる恋愛というものは、明治期に文学者たちによって西洋から輸入されたっことになってるみたいです。私これよくわからないんですが。そんなはずはないと思う。私が尊敬する文学研究者の小谷野敦先生なんかははっきりそういうのはおかしな理屈だって指摘してますね。『日本恋愛思想史』とか読んでみてください。私も基本的には小谷野先生に賛成。恋愛輸入説賛成派で、さらに、その輸入は不完全で奇妙なものであって、そのまんま日本では恋愛が「ガラパゴス化」しているとかそういう議論をしたいらしい。私こういう文化論みたいなのはほんとによくわからないんだけど、まあそういう議論ができるのかどうか、考えながら読んでいきたいです。

あ、タイトルにある「恋愛制度」と「束縛」は、恋愛というのは文化的な制度であって、歴史をもつということと、それは人間が勝手に作りだした制度であるので、そういうのに捕われているのは束縛である、ってなことだと思います。「制度」っていうのがどういうことかとか、その制度に捕われるというのはどういうことか、っていうのも、読んでいけばいずれ説明してくれるんじゃないかと思います。

あらかじめ、下の本読んでおくとよいです。小谷野先生のセレクションは悪くない。

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