『性暴力と修復的司法』第4章の一部チェック(おわります)

もうしわけありませんが、途中だけどもう終ります。デイリー/カズンズ論争の紹介をしたかったのと、全体の構成その他についてちょっと書きたいことがあったのですが、どのページをひらいてもいやなものを見つけてしまって、もう私は心理的に耐えられないです。ずっとあれやこれや重箱の隅をつついているような感じになってしまう。でも本当に重要な箇所もそういうのが起こっていると思います。

たとえば、第5章第1節、p.165。

例えば、性暴力被害者のジョアンナ・ノディングはRJを通して「対話」に参加した。その中で、ノディングは加害者に「あなたを赦す」と宣言した。そして、「対話」の中で次のように語っている。

私は彼がしたことを許容することも、矮小化することも言いませんでした。なぜなら、私は自分自身を恨みの重荷から解放したかったし、彼にとって大事なことは、彼が自分自身について学び、行動し、赦すことを望むことだからです。(p.165, 下線江口)

下線部、なんかおかしいでしょ。この文献が https://restorativejustice.org.uk/resources/jos-story  これのことならば、原文は

“As the meeting was finishing I was asked if there was anything else I wanted to say, and I gave him what I’ve later come to think of as a ‘gift’. I said to him, ‘What I am about to say to you a lot of people would find hard to understand, but I forgive you for what you did to me. Hatred just eats you up and I want you to go on and have a successful life. If you haven’t already forgiven yourself, then I hope in the future you will.’

“I didn’t say it to excuse what he did, or to minimise it, but because I wanted myself to be free of that burden of grievance, and as importantly for me, I hoped Darren could learn, move on, and forgive himself.”

この部分だと思う。「私が「赦す」と言ったのは、彼がしたことについて免責するためでもないし、それを矮小化するためでもない。そうではなく、私自身を恨みの重荷から解放したかったからです。そして私にとって同じくらい重要だったのですが、私は、ダレン〔加害者か〕が学び、先に進み、そして彼自身を赦すことができるようになることを望んでいたのです。」

細かいように見えるけど、そうではないです。これも被害者が加害者に対して「赦します」と言い、それをあとでそれが「ギフト」であったのだ、と理解するという感動的な話ではあります。でもそれがわからん話にされちゃってる。私こういうの見つけるたびに「うっ」となってもう不快になってつらい。大事なことですが、これは英語能力の問題ではないと思う。

最後の章にデリダ先生が大々的に登場するのは象徴的で、ああしたむずかしくてなにを言ってるのかはっきりわからないこと言われてしまえばもう何も言えなくなるし。著者のまわりの人々にもそういうことは起こっていなかったろうか。

あとは専門に近い人や、性暴力やその対策に興味ある人が検討してほしい。でも本気で検討してほしい。特にジェンダー法学会関係者の人は本気で検討して、評価を教えてほしいです。あなたたちは本当にこの本を読みましたか?

 


(追記)このシリーズでは部分をかなりしぼって、一般読者にもわかりやすいと思われる誤訳の問題を中心にとりあげましたが、この本は事実確認、資料の扱い、そして全体の議論の構成など問題は多く、問題が性暴力とその被害に対する対処という重大な問題であるだけにいろいろ危惧しています。しかしそれらを検討することは私の仕事ではないとも思います。性暴力や性犯罪、その対策などは、各分野の人が協力してオープンな議論することによって改善されることを本当に願っています。(2018/11/12)


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