『犯罪学ハンドブック』を読もう!

やっぱり知らん分野はハンドブックとかから勉強する、っていうのが、私のような素人が他の分野の研究とかを鑑賞する(勉強するんじゃなくて鑑賞ですなあ)ときの王道だと思うのです。

最近『犯罪学ハンドブック』っての出てて、これアメリカのその分野の大学テキストの翻訳ですね。この翻訳は第2版をもとにしたものだけど、英語では第3版まで出てて、おそらく定評あるテキストなんだと思います。

修復的司法とかについてどういうふうに扱われているかというと、そうした話は第8章の「批判理論とフェミニズム理論」というところで扱われてます。あんまり好意的じゃないですね。

おそらく世界中で社会主義社会が崩壊したことが影響したと思われるが、Lilly, Cullen, & Ball (2011)は、至る所で葛藤理論が頓挫し、それが「仲裁犯罪学という形式に変化した」と述べている。仲裁犯罪学とは、近年急増する多数の犯罪学理論のなかでごく最近の理論であり、衰退したマルクス主義が包摂されている。まさにポストモダン様式であると断言できる。(pp.226-227、ちょっと語句いじってる)

とかそんな。

仲裁犯罪学の基本理念とは、1960年代のヒッピーの金言、Make Love, Not Warに共通しているが、性的含意はない。現況の「犯罪との戦争」という表現は考えただけでもぞっとするので、「犯罪における平和」を目指そうとしている。(p.227)

 

犯罪者を監禁するかわりに、平和構築犯罪学者らは修復的司法を提唱している。これは基本的に調停と紛争解決のシステムである。修復的司法とは主に犯罪によって生じた損害を修復することを目指し、そして基本的に関係する当事者が一堂に会し、被害者と加害者が、犯罪が起こる前の状態に「修復する」ために、双方にとって合意妥当な解決案に到達することである(Champion, 2005) (p.227)

みたいな紹介になる。

Lainier & Hennry (1998)は次のように指摘している。「ポストモダニズムは、次のような理由から主流派の犯罪学者に厳しく批判されてきた。(1)言語の問題ではなく、非常に理解が困難でであり、(2)虚無主義的かつ相対主義的で、善悪を判断する基準がなく、(3)被支配者層から見ると、非現実的で危険でさえある。(p.285) 平和構築犯罪学は、我々に犯罪における平和を構築するよう迫るが、一体これに何の意味があるのだろうか? 多数の評論家が指摘しているように、犯罪者に対して「紳士的である」ことが犯罪を止めさせることに十分効果的とはいえない。人間苦を低減させることや、犯罪を減少させる公正な社会を実現することは明らかに正しい。この立場に立つ主唱者はそこを目指して闘っている。しかしながら彼らは、「他罰的でなく、犯罪者の視点を理解すべきだ」という提言に一歩踏みこんで、どうやってそのような社会を実現できるかについては何の具体策も提供していない。(pp.229-230)

ずいぶん厳しいけど、主流派から見るとこうなのだな、ってところをふまえて、「それでもなお」って感じで話がはじまるのだと思う。だから研究者には実際の実践とか、その結果のデータとかが重要になるわけだし、私のような鑑賞者は、そういうのをどうやってくれるかに注目して鑑賞することになる。

フェミニスト犯罪学についてもおもしろいんですが、こっちはもうすこし好意的ですね。

 


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