投稿者「yonosuke」のアーカイブ

無調音楽入門(14) まああとはなんでもあり

まあケージ以降はもうなんでもありっすな。

五線譜に書かないで図形見せて「これで適当に弾け」とか、断片だけ並べて「目にとまった順に弾け」とかもう滅茶苦茶。現代音楽とかやっぱりケージあたりで終ってる、というかはじまってる、というか、もうみんなアイディア勝負だし耳の勝負。ただうるさいだけのやつもあれば、なんか素敵な音が鳴ったり奇妙な手触りがしたりするものもある。まあどれもメロディーっていうか音の並びをおぼえたりするのは難しいけどねえ。

実際にはけっきょくどう聞こえるか、ってのが勝負なんで、裏でどういうこと考えてるのかはわからないし聞いてる方にはどうでもいいことですなあ。

日本人作曲家のもいくつかあれしますかね。

武満先生のギター音楽はいいですよね。ベルクみたいなロマンチックなものも感じるし、メシアンやブーレーズの響きもする。武満先生は文章もうまいので人気ありましたね。正直なところ、私が現代音楽とか聞きはじめたのは武満先生の文章のせいです。

近藤譲先生好きなんですが、このひとはもうなにも考えずに五線譜に音置いてくって主張してます。ほんとかどうかはわからん。NHK FMで「現代の音楽」っていう番組やってて、それでエアチャックした「時の形」っていう曲が好きでねえ。一昨年ぐらいにライブ録音したとかって情報が流れてたけど、CD出ないのかな。

もう一人、八村義夫先生っていう人紹介しますか。この「錯乱の論理」って曲はすごい名曲だと思うんすけどね。ヒステリー体質の女性(ピアノ)が錯乱してる感じ。

まあもっといろいろあるけど、入門編はこういうのでおしまいっすね。私は中級の下ぐらいで上級の人がなにを考えて音楽聞いてるのかはよくわからんです。

あとまあバルトークの方向性を追求してみたルストワフスキ先生とかベリオ先生とか、ペンデレツキだクセナキスだとまあいろんな方がいらっしゃいますが、そういうのは本でも読みつつ楽しんでください。youtubeはたいていの人のが手にはいってすばらしいですね。PCのスピーカーで鳴らしてももうひとつですがヘッドホンならなんとか聞けますからハブファンしてください。

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無調音楽入門(13) でもそれじゃでたらめやっても同じじゃないですか

しかしこうなってくるとあれですわね。リスナーにはどうやって曲つくってんのかわかるわけもないわけだし、ちゃんとした構造みたいなものはもう聞こえなくなってる。サウンドがすべて、というか。

んじゃ、わざわざ音並べてセリーだなんて言わなくてもいいじゃん、ていう発想が出てきますなあ。

現代音楽といえばジョン・ケージ、ケージといえば現代音楽な先生は、「もうそういうのやめてサイコロ振って音置いてっても同じじゃん」と言ったのか言わないのか。

とりあえずこんな音楽を作ってみる。中国の易を利用して偶然性を導入したのじゃ、あらかじめ音の高さ、長さなどを設定しておいて、それをサイコロで決定したのじゃ、みたいな。

まあしかしですね、ケージ先生がこの曲を本当にサイコロ振って作ったのかどうかは疑わしいんじゃないですかね。思ったように鳴らないと「あ、いまのサイコロなし。こんどが本当のサイコロだし」とかやってたんじゃないかと思いますわ。

ケージ先生はこういうやる前にすでにプリペアドピアノで有名になってて、まあピアノの内部に消しゴムやピンつめたりして打楽器にしちゃって鳴らす。インドネシアのガムランとかの影響だとか。けっこういいです。

ガムラン(gamelan)はドビュッシーなんかもすごく気にいったっていう話だけどたとえばこんな音。

ケージ先生は他にもいい曲がたくさんある。4:33とかのアイディア一発の人ではないです。ちゃんとした耳をもった音楽家。

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無調音楽入門(12) ブーレーズ先生とかのセリー音楽

指揮者として超有名なブーレーズ先生ですが、この人もともとはキレキレの作曲家だったわけっす。メシアン先生とかとつきあいがあったりして。評論家でもあって、「シェーンベルクは死んだ、これからはウェーベルンの時代だ」みたいなのを1951年ごろに論文書いて大ウケしたりして。

メシアン先生は音の高さ(音階)に加え、音の長さや音の強さも並べてそっから音をチョイスするっていう方法を考えだした。でもメシアン先生がそのなかのどの音を選ぶかっていうのは、まあよくわからんというかメシアン先生のセンス。

でもこれでもヌルい、と。シェーンベルク〜ウェーベルンたちの12音技法ってのは音の「順番」を決めて、それを前から鳴らしたり後ろから鳴らしたりひっくりかえしたりしてた。んじゃ、これとメシアン先生のやりかたをミックスしたらどうだろう。あらかじめ音の高さ(音階)だけじゃなくて強さや長さも順番決めた列(セリー)にしておいて、それを操作して曲作ったらかっこいいんちゃうか、と。

まあそんなん聞いてる方にはなんだかわからんですけどね。私も特に好きじゃないです。

でもこのやり方で名曲ができるんですな。「ルマルトーサンメートル」「主なき槌」ですか。どういう詩なのかは知らんです。

どこが名曲なんですかっ!って聞かれるとうまく答えられないけど、なんか独特のヒリヒリする感じがかっこいい。楽器の選択とかね。女性ボーカルなんかも入っていて、シェーンベルク先生の「ピエロ」を40年後にやってみた、感じなんですかね。

この技法でシュトックハウゼン先生なんかも有名になるんですが、私この先生のは好きな曲ないから飛ばします。ははは。

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無調音楽入門(11) メシアン先生の実験

メシアン先生というのはなんとというかへんな方で、ドビュッシーとかラヴェルとかストラヴィンスキーとかの系列なんでしょがなにやってるのかわかならない、みたいな。

ドレミファソラシドじゃない並びを勝手に作って、それにしたがって曲つくってたりしたいたいですね。サティーやドビュッシーやラベルはドレミファだとどうしてもドイツ音楽っぽくなっちゃうから、ミファソラシドレミでスペイン音楽っぽくしてみたり。ドビュッシーは前に書いた「前奏曲集」のVoilesでは人工的なC D E Gb Ab Bbなんて並びの音階で曲作ってみたりしたわけです。こんな人工的な音階でも音楽になるのであれば、もっと人工的にしてもかまわんのではないか、というのがアイディアらしいです。

戦争でドイツ軍につかまって収容所で書いたっていう「世の終りのための四重奏」は名曲っすね。8曲からなる組曲だけど、一番印象が強いのはこの第6曲かなあ。ユニゾンで延々へんな音階を鳴らす。どうもなんか天使がラッパ吹いたりしているのかもしれんです。

あとリズムがおかしくて、これもなんていうか前から弾いても後ろから弾いても同じリズムだよ、みたいなので構成してたりするらしいっす。ベートーベンとかロマン派の音楽ってのは基本的に「こうするとよい音が鳴る」っていう経験則みたいなののかたまりが理論になってんですが、ドビュッシー〜ウェーベルンのあたりから、音楽ってのはもう勝手に「理論」というか音の規則を作って、それを鳴らしてみる形になっていくわけです。もちろん作曲家の「耳」がさらに重要になるわけなんだけど。

ここらへんの曲はもうベートーベンやワーグナーみたいな調性の感じはなくなってますが、音の並びがある程度限定されているので聞きやすいですね。名曲。

好きなのは第5曲とか第8曲の映画音楽みたいなのとか、第3曲のクラリネット無伴奏ソロとか。まあ聞いてみてください。TASHIっていう音楽集団のやつがいいです。

んで、このメシアン先生が戦後に「音の高さを並べてそっから曲を作っているのであれば、音の長さとか強さとかも決めて並べてしまえばよいのではないか」とか言いだして作ってみたのがこの「音価と強度のモード」。音階の一つの音は必ずこの長さ(8分音符だとか付点2分音符だとか)でこの強さ(フォルテだとかピアノだとか)を決めておいて、その並びから音をチョイスして作ったらしい。

ウェーベルンのあの無機的な感じに近い音楽ができてる。あれよりもさらに無機的というか、不思議な美しさがありますね。このころになると、無調だとか12音だとかっていう響きにみんな慣れちゃってたんでしょうな。調性のあのひっぱられる感じは感じられない。

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ファンク入門(9) ニュージャックスイング

私は60年代なかばの生まれなので、80年代末〜90年前半のNew Jack Swingとか好きなんですが、久しぶりにGuyのGroove MeのPVなんか見てみたりすると、このリズムの秘密みたいなのがわかったかんじ。
このバンドのテディー・ライリーとかJam & Lewisとかこういうニュージャックスイングってリズム流行らせたわけです。上の方でチキチキうるさくて、ベースがドンっドッツドッドッドて裏で入ってくるハネた16がニュージャックスイング。
ファンクってのはOn 1だ、とにかく小節の頭で強くダウンするのだ、って強調してきたわけですが、このリズムは一拍目はアップな感じなんですよね。踊ってる連中はみんな拍で上向きの勢いを感じて、拍の裏で落ちてくるみたいな感じ。Hip Hopの連中もヨーヨーってやるときに手が上に上がるんですよね。こういうのおもしろいですね。

ジャズ入門(27) マイルス先生ロックに接近する

Nefertitiあたりの音は本当に美しいんだけど、どうも売れなかったらしいです。なんか高級すぎて頭いい人たちのための音楽になっちゃってるんですよね。現代音楽みたいになっちゃってる。やっぱりジャズとかってのはポピュラー音楽だから楽しくて踊れないと。あとウェインショーター先生が強力すぎて、ショーター五重奏団みたいになっちゃってるし、そこらへんもおもしろくなかったかもしれない。

マイルス先生は市場調査ちゃんとしているのでそういうのの対策に出るわけですわ。んで、もうパクりまくる。っていうかマイルスはずっとパクってるわけですけどね。そういうのはピカソとかストラヴィンスキーとかバルトークとかと同じ。偉大な芸術家は模倣し、天才は盗むのです。

まず目をつけたのは、昔子分だったキャノンボールアダレーがヒットさせたマーシー・マーシー・マシーのエレキピアノ。ジョーザヴィヌル先生が弾いてるんですが、この音がとてもいいので使おう、と。

あとなんといってもリズムですわね。モードぽいのやってるときにはもうベースが4拍ずんずんやるのは捨てて自由にロンカーターにやってもらってたわけですが、4ビートはもうだめだ、これからはロックの8分音符のフィーリングだぜ、みたいな。ドラムのトニーウィリアムスもビートルズとか好きだったみたいなのでここらへんはうまくいきます。ベースもロンカーターからデイブホラントにとっかえて、ピアノもハービーハンコックが遅刻魔だからクビにしてチックコリアを雇う。チック先生はスタンゲッツとかとすばらしい演奏してたんですね。

んでこんな音楽をやる。「キリマンジャロの娘」のころのセッション。実際には「ウォーターベイビー」ってあとで発売されたアルバムに入ってるけどかっこいい。マイルス先生が完全に全体をコノトロールしてる。なんかここらへんから「Directions in music by Miles Davis」ってアルバムに入れはじめたらしいんですが、それはその前までディレクターはショーターだったってことでもあるかもしれんです。

マイルスは一生を通じてファンキーなフィーリングはほとんど出さないんですが、この曲は全体としてファンキーになってますよね。ショーターはファンキーにやってる。んでチックコリアのエレピがキレまくってる。チックのはただの黒人ファンキーじゃなくてなんか人工的なファンキーさなんすね。デイブホラント先生も、アコースティックベースでこういう強力なノリを出せるのはこの人しかいなかったんじゃないですかね。イギリス白人なのに。すばらしすぎる。なんでこの曲1967年のタイミングでリリースしなかったんでしょうね(Splashって曲もこの曲とほぼ同じ曲)。10年ぐらい前に出た「コンプリート・イン・サイレントウェイ・セッションズ」ってのはマイルスのここらへんの過渡期をばっちり収録してるのでおすすめですわ。

ザ・コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ
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ジャズ入門(26) そのころマイルス先生は何をしてましたか

んで、この60年代なかばにマイルス先生は何をしていたのかというと、実はたいしたことはしていないわけです。62〜64年ごろはコルトレーン先生が爆発的な仕事をしているのにたいしたことをしてない。ギルエヴァンスとレコード作ったりしてるけどなんか迷ってる。ライブでは昔の曲をテンポ速くしていろいろ実験しているけど、これが「マイルスの音楽だ」みたいなのが出せない。

んでどうしたかというと、面倒だから腕ききの若手雇ってしまうわけです。トニーウィリアムスっていう天才ドラマーを雇い、モードでみんなベース困ってるときに弾き方を発明したロンカーターを雇い、ファンキーでもビルエヴァンスみたいなのでもなんでも弾けるハービーハンコックを雇う。これにジョージ・コールマンというメロディアスなテナーを呼んで終り。これのライブは前に聞いたと思いますが、すばらしいものです。私コールマン先生好きなんですけどね。なんかジャズファンの間では評価低いみたいね。

どうもこのコールマン先生はトニーウィリアムス先生とかから嫌われたらしくて(なんでかわからん)、どうしようかなってときに目をつけたのが前のエントリのウェインショーター先生。この人はすでにアートブレイキーのところのバンドの音楽監督を3、4年やってて来日なんかもして大人気なのにそれを引き抜くっていうのは、巨人や阪神が他球団からエースや四番を引き抜いてるようなもんですよね。ひどい。ブレイキー怒り狂ったでしょうなあ。でもショーター先生はマイルスバンドがやっぱり音楽的には一番おもしろいメンツだってことで引きぬかれる。

んで第二次黄金クインテット名盤3枚組 Sorcerer、Miles Smiles、Nefertitiができるわけです。もうマイルスは曲とか自分で書いてない。主にショーターやハンコックが書いたもの。

お、なんだそのブルースは。いい曲書いたじゃねーか、俺のアルバムにも入れさせろ。

このドロレスって曲はもうほとんどフリージャズというかオーネットコールマンが4、5年前にやったことと変わらんですよね。ピアノいるとうざいからピアノ弾くな、弾くときは右手一本で弾け、ハーモニーは弾くな、とか注文してるはず。

この大人気曲「ネフェルティティ」ではもうアドリブもない。ショーターの作ったふしぎーなメロディを繰り返しているだけで、トニーウィリアムス大暴れ。
この時期はマイルスが一番芸術的に美しい音楽を作ってたときだと思いますね。クラシックの現代音楽とかより上。

ジャズ入門(25) モードジャズはどうなりましたか

まあコルトレーン先生ががんばって「モードジャズ」みたいな一発は発展した、というかこう細かいコードをあんまり考えずにブリブリ吹きまくるみたいなスタイルが定着したりしました。

コルトレーンの「至上の愛」っていう名盤。もう力入りまくっててすごい。一応コード進行あるんだけど、II-Vしてない。私にはマイナーキーのV7がずっと続いているように聞こえる。ピアノがレファラドみたいな3度重ねじゃなくて、レソドみたいな4度重ねになってうので50年代のジャズみたいなはっきりした調性感が出ない。クラシックだとドビュッシーやバルトークがいろいろやってた音なんですわ。あとピアノのマッコイタイナーがペンタトニックスケール(ドレミソラとかレミファラシの並び)を使えばコードと関係なく何を弾いてもいい、ってことを発見したりしたみたい。

実際には1960年代はファンキージャズの全盛期で、ミュージシャンが「モード」をやるのは、コルトレーンとか最先端の人を除いて、まあライブで2、3曲、みたいな感じだったんだと思うです。

コルトレーンのグループとは派閥がちょっと違うと思うんだけど(マイルス組)、ハービーハンコックなんかは両方やる感じでなにやらせてもうまい。
ファンキーのだとこんな感じ。上のコルトレーンと同じ1964年。
んで、「モード」の方はこういう感じにする。1965年ですか。これくらい腕のある人だと一発だとおもしろくないらしくて、コードをこう意外で予測できないように連結する。II-Vははっきりわかる感じでは使わないのですがすがしい感じになる。
まあ有名曲すぎますけどね。もう1曲ウェインショーターの曲を。1966年。ブルースもこういう感じでブルースではあるんだけどふしぎーな感じになる。
ここらへんの「モード名盤」みたいなのはショーターとかハンコックとか一部のキレてる人々がやってるだけで、本流はハードバップとかファンキーとかだったとは思うですね。でも今「名盤」として生き残ってるのは、こういう先端を行ってる音楽になってる。ここらへんはおもしろいところです。新しいことをやったから名盤になっているのか、名盤作れる人々が新しいことをやりたがったからこうなったのか。私は後者だと思います。

無調音楽入門(10) ウェーベルン先生は新しい音楽を作ったかもしれない

まあシェーンベルク先生やベルク先生は、なんというかロマンチックで19世紀のドイツ音楽の後継みたいな感じなんですが、ウェーベルン先生はもっとラジカルで音楽そのものを変えちゃった感じがあります。

ピアノ変奏曲はもう聞いたので、「子どものための作品」とかどうぞ。

まあやっぱりウィーンな雰囲気は残ってるけど、こう音がまばらで密度が高い。あの暑苦しいドイツ音楽とはなんかぜんぜん違うものが発生してる感じ。

なんというか、音楽を聞く態度そのものを変更させてしまうところがあるですな。19世紀音楽の「感情」とか「情動」とかを無理矢理動かそうとするのとはぜんぜんちがう。19世紀の音楽だと「きれいねー」「ロマンチック」「情熱」みたいな感じだけど、ウェーベルン先生のはなんか鉱物かなにかを観察してるみたいな感じになる。ほう、そっちからだとそういうふうに輝きますか、みたいな。

無調音楽入門(9) ベルク先生は天才

シェーンベルク先生の実作は、なんかこう一流だけどもうひとつ、みたいな感じがあるんですが、弟子のベルク先生のはほんとうに名曲みたいなのを感じますね。特に抒情組曲とヴァイオリン協奏曲は聞いておくべきだと思います。12音技法使ったり使わなかったりしてるんだろうけど。

弦楽六重奏バージョンの方がよいのですが、まあ長いのでカラヤンの弦楽合奏の組曲の方を。

シェーンベルク先生のは古臭いドイツ音楽だけど、ベルク先生のはまったく新しい音世界みたいなのが広がってる感じ。

ヴァイオリン協奏曲はロマンチックです。

抒情組曲フルに聞いてみたい人はこちら。

無調音楽入門(8) 十二音技法誕生

まあドビュッシーとかバルトークとかストラヴィンスキーとか素敵で斬新な音楽作ってるわけですが、シェーンベルク先生はそういう方向には進まなかった。なんでですかね。こういう斬新な音楽作ってる人々は民族音楽とか取りいれてやってるわけで(ドビュッシーだって「おフランスだなあ」だし、ラヴェルの真似してスペイン音楽とか使ったり)、シェーンベルク先生はそういう道に行きたくなかったか行けなかったんでしょうな。ドイツ音楽な人なわけです。モーツァルトやベートーベンやシューマンやリストやワーグナーやブラームスの道を進みたかったんでしょう。

まあシェーンベルク先生はそういうドイツ的な「テーマの変奏と発展」とかってのをやりたかったんなと思うんです。リストやブラームスはハンガリーの音楽とかあれしてるけど基本は「テーマを有機的に発展させる」っていうやりかたをしている。ベートーベンとかそういうの本当にすごくて、第五交響曲「運命」なんて「ジャジャジャジャーン」だけで1楽章できてるみたいなもんだし。そういう音楽の聞こえ方やサウンドよりは構成とかそういうものに注意しいたのでベトベン先生は耳聞こえなくなってもすばらしい音楽つくったりできたわけだ。ここらへんリスナーがどの程度まで「展開」を理解できるかっていうのは微妙で、聞いてるだけではさっぱりわからないような隠し味になってたりすることも多いです。でも作曲家、特にドイツの系統の人はそういうことをやっていた。作曲というのは建築みたいなもので、できあがった作品を見てもどういうふうにしてそれができているのかはわからない、だけど実はいろいろ計算されている、みたいな。

シェーンベルク先生もそういうのをやりたかった。サウンドではなく構成。上にあげた同時代の人々はサウンドが素敵すぎますよね。そういう道はとれなかった、ってことなんかな。

作曲技法的にシェーンベルク先生は非常に古くさい人で、テーマがあってそれの部分とかを発展させる、という技法をとってます。無秩序に聞こえることもあるけど、実は最初の方に鳴らしたテーマを反対から弾いてみたり、音階の上下逆にしてみたりして構成されてるのね。実は前に聞いた「ピエロ」もそうやってできてる(らしい)。あんな無秩序に聞こえるんだから信じられないけど。こういうのはベトベンがやったこととあんまり変わりはないわけです。

シェーンベルク先生は「音楽の美というのは実際に鳴らした音にあるんじゃなくて、楽譜読んで頭のなかに思いうかべれば十分わかる」みたいなことを言ってるはず。こういう人にとっては具体的な演奏なんてのはどっか別世界にある「曲そのものの美」を現実世界に反映したものにすぎないんですね。理想は別にある。

んでまあ無調音楽に入っていったけど、無調とかってなんでもできすぎて困ってしまったのではないか。調性あんまり気にせず好きなように音を置いていっていいですよ、っていわれちゃっても選択肢が多すぎてこまっちゃうし、ついいつものクセで調性を感じさせてしまって古くさくてダサくなったりする。「んじゃ、あらかじめ音を使う順番を決めておきましょう、この順番で使ってください」みたいな約束事を定めると、そこそこ無調でいい音が鳴る、と。

まあそんなこと考えながら先生がおそるおそる作ってみたのがこの「三つのピアノ小品」作品25。

まあ12音音楽ってので想像するような無機的な感じもありますが、実はいろいろ有機的で同じモチーフ何回もつかったりまあいろいろやってる。

まあ実際には選択の幅を狭めただけなんすよね。「十二音技法を使っても作曲は簡単にはならない、むしろ難しくなる」みたいなことも先生は言ってるはず。わざと束縛をかけることによって音に対して慎重になるとかそういうのもあったんじゃないかな。

まあとにかくそういう事情なので、われわれリスナーはあんまり12音のことなんか考える必要はないわけです。12音がどういうふうに使われているかも意識する必要がない。せいぜい「この部分がテーマなのだろうなあ」ぐらいだし、どう発展されているかもわかればおもしろいだろうけどわからなくても別に困らんというか。

この曲はそこそこだけど、それほど名曲っていうわけじゃない気がしますね。シェーンベルクの12音音楽時代で名曲っていうのは「オーケストラのための変奏曲」と「ピアノ協奏曲」の2曲しかないんじゃないかと思ってます。特にピアノ協奏曲は名曲だと思う。(あとオペラ『モーゼとアロン』)

内田光子先生のが最高。

この曲は12音技法を発明してから20年近くたった1942年ごろの曲で、なんかナチスとかあれしてユダヤ人だったシェーンベルク先生はアメリカ逃げなきゃならんようになったりして、「馬鹿や邪悪な奴が多くて人生いろいろあるけどとにかく生きてかなきゃならんよね」みたいなプログラムがあるらしい。まあなんかわからんけど切実な感じはしますね。

無調音楽入門(7) ストラヴィンスキーもかっこいい

もちろんストラヴィンスキー先生もかっこいいです。『春の採点』じゃなかった『春の祭典』とかは有名だからおいといて、私が好きなのは「兵士の物語」とか「結婚」とか。なんか第一次世界大戦とかあって景気が悪くなってオーケストラとか使えなくなったので、少人数でできる音楽を作ったとか。

クラリネット、ヴァイオリン、ファゴット、トランペット、トロンボーン、コントラバス、打楽器とかなんかよくわからん。

ユーモラスでいいっすよね。

「結婚」はピアノ4台とコーラス、みたいな変な編成。

兵士の物語は1918年、結婚は1923年ですか。

無調音楽入門(6) バルトークはかっこいいよ

まあシェーンベルクがいろいろやってるときに有力だったのはドビュッシーのライン、ラヴェルやストラヴィンスキーのライン(ドビュッシーとラヴェルはぜんぜん違う派閥なのではないかと思います)、そしてバルトークのラインですか。

バルトークは好きなんすよね。なんていうか、ちょっとインテリのふりしたかったらiPodにバルトークの弦楽四重奏入れておいて通勤に聞くといい、みたいなそういうウケ。まあそういうかっこつけはおいといてもよい曲をたくさん書いてます。

今「中国の不思議な役人」とかいくつかの演奏バージョンで聞いてるけど、かっこいい。

 

まあこういうのはパソコンのスピーカーじゃうまくなならないので図書館とかでCD借りてみてください。金管楽器がブウブウ言うし弦楽器も暴れまわるし。

おそらくYoutubeにはバレエの動画もあると思う。

バルトークがなんぼ偉かったか、というのは、これ書いているときのお手本の一つにしている小倉朗先生の名著『現代音楽を語る』を読むとわかります。この本はすばらしい一冊なのでぜひ入手してください。1970年の本で、日本の作曲家たちがどういうふうに無調音楽とかを理解していたのかもわかる。

 

現代音楽を語る (1970年) (岩波新書)
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無調音楽入門(5) 別に道もたくさんあったんだけど

しかしまあシェーンベルク先生みたいな方向しかなかったのか、というとそういうわけではないですよね。1890年ごろにはサティ先生とかワグナーっぽいものとはぜんぜん無縁な世界を作りだしてるし。

この曲は、ワーグナーのあのしつこいセックス、じゃなかった不協和音や調性を感じさせるためのドミナントや転調みたいなのとは無縁の新しい世界を作ってる。楽譜見るともう小節線さえなくてキレてる感じ。

シェーンベルク先生が作品11作った翌年ぐらいにはドビュッシー先生が「前奏曲集」出してるけど、そのなかにはいろいろ調性的におもしろい曲も多い。

この「ヴェール」っていう曲なんかは実は(真ん中の部分を除いて)はっきりした調性がない。全音音階ってやつをつかってる。

第1曲の「デルフォイの〜」なんかも新鮮な響きで、初めて聞いたときはすごい印象的だった。

もっと前にもどって、「牧神の午後への前奏曲」なんかロマンチックでワグナー的なところもあるけど新鮮な音がしますよね。

まあ他にもいろんな道もあったのをシェーンベルク先生は知ってたけど、なんか「ドイツ-オーストリア的」じゃないから却下だってことらしい。よくわからんけど。

無調音楽入門(4) 名曲誕生

んでシェーンベルク先生、「清められた夜」とか巨大オーケストラ使った「グレの歌」みたいなおおげさなものを捨てて、いろいろやるわけです。最初はピアノ曲みたいなものではじめて、2〜3年ぐらいすると大傑作ができる。

ヒントになったのはキャバレー音楽。

まあこれは1970年ごろのミュージカルだけど、雰囲気はこういうのがあったわけでしょうね。ケバい女性が数本の楽器をバックに歌っていやらしい、みたいな。映画『愛の嵐』はナチス期で時代が違うけどまあ似たようなのがあったんでしょう。

で、これを思いっきり歪ませるとこういうのができる。「月に憑かれたピエロ」(1912)。上の動画みたいな退廃した雰囲気を思いうかべながら聞いてみてください。

 

なんか悪夢見てるみたいですごいっす。こう、ワーグナーとか「清められた夜」みたいな美しいことは美しいけど大袈裟で鬱陶しくてなんか嘘くさいものからなんか脱皮してぜんぜん違う世界が広がっている。ああいうのは中世の神話だと、愛だの恋だのなんか女子どもの世界みたいだけど、こっちは汚い世界、狂った世界を歌います、みたいな。かまあこれはこれで嘘くさいんですが。20世紀最初の20年ぐらいのウィーンってのはもう虚飾の街みたいなところだし、こういうのがそれはそれで説得力あったわけですわね。フロイト先生とかそういう人々がセックスのことばっかり考えた時代でもある。キャバレーあたりに題材をとって、現実のあんまりきれいじゃない世界がデフォルメされてるわけです。

Youtube動画は楽譜もついているので見てみると、作品11のときはそれなりにまだ昔の音楽と同じような譜面の見た目になってますが、この作品なんかは拍子は変わるわメロディーが小節をまたいでるわごちゃごちゃしていて違う世界に入っているのがわかりますね。もうシェーンベルク先生は本気で19世紀的な音楽を壊しに行ってる。

シェーンベルク先生はここらへんで自分を確立している。誰の物真似でもないし、美しい。

無調音楽入門(3) 調性を拡張して美しい曲を作ろう

まあ「清められた夜」みたいなのをいくつ書いても同じようなもんですわね。芸術家というのはもっと新鮮なことがしたい、と思うんだと思います。

んで、んじゃカデンツとかキメたりして調性とかでつれまわすのやめて、もっと自由にやってみたら別の美しい音楽ができるんではないか、と。

「三つのピアノ曲」作品11っていう記念碑的作品の1番目の曲がこんなんできましたー、みたいな。1909年ぐらいっすか。うっすらリストのロ短調ソナタを短縮して密度高くしてみませした、みたいな雰囲気もある。

まあ「無調音楽」とかって言われるけど、こういうのは調性がないわけじゃなくて、調性を極端に拡張しているというか、ワーグナーの方向をおもいっきり進めるとこうなりました、ってことだと思うんですわ。

実はこの曲を書く1、2年前にシェーンベルク先生の弟子のベルクがピアノソナタ作品1ってのを書いてるんですよね。これは名曲なんよ。かなりギリギリだけどいちおう調性はある。すごいロマンチックな曲ですよね。シェーンベルクの作品11とどっちが先に書かれたか知らんけど、お互いに影響してるんでしょうなあ。ベルク先生はなんか天才で、シェーンベルク先生よりもメロディーとか作る才能があると思う。内田光子先生のがおすすめだけどYoutubeにないし、グールド先生のもよいのでそっちで。

 

名曲。こうロマンチックで内省的で。

無調音楽入門(2) どんづまっております

音楽にかぎらず、なにか新しいことをするのはたいへんだけど、一回だれかがやったことを分析して自分のものにするのは能力ある人にはそんな難しくない。

ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」(1865年初演)にはみんなびっくりしたけど、一回ああいうものができてしまえば、みんなそのライン上でいろいろ発展させることができる。

シェーンベルク先生は1874年生まれで、25才の1899年にはこんなすごい曲を書いている。「清められた夜」とか「浄夜」とかって呼ばれてる曲。作品4。もうなんというかよく鳴ってて熟練してる感じっすよね。すごい職人芸。マーラーの交響曲1番とかなんか楽器鳴らなくてたるいんですが、シェーンベルク先生は最初っから完成された作曲家なわけです。もうなんでも書けたんじゃないですかね。この程度の曲だったらいくらでもできます、でも簡単すぎますからつまんないです、みたいなもんだったんではないか。シェーンベルク先生は作曲も猛烈に早くて、作曲を教える授業なんかでは黒板でその場でばんばん書けてけたとかって話です。この曲は弦楽六重奏(あるいは弦楽オーケストラ)だけど、その次の作品5の「ペレアスとメリザンデ」はすごい大きなオーケストラを使ってみてます。まあそれもそんな苦労なく書けたんでしょうなあ。

でもまあ、この曲おおげさで私は正直あんまり好きじゃないです。あと、これ聞いて「新鮮〜」っていう人はあんまりいないんじゃないですかね。あと私自身は初めて聞いたとき、「どっかで聞いたことあるんではないか」とか思いました。美しい曲だけど、なんか完成されすぎていて、最初っから手垢がついている感じがあるんですね。

なんかこれはプログラムというかストーリーのある曲で、最初はロマンチックに恋人どうしが夜に語りあってると、女が泣き出しちゃって、なんで泣いてんのって聞いたら、妊娠してるんだけどあんたの子供じゃありません、みたいな。んで男の方が「まあそれでもいいですよ、生んでください」みたいなことを言う、という話らしい。わけわからんですね。最後の方が能天気な感じになっててもうなんか宗教にでもかぶれたみたいにハッピーなってて怖い。

こういう音楽のもつストーリー性ってのも興味があるところで、モーツァルトやベートーヴェン先生のころはストーリーなんかいらなくて「交響曲第7番」「ピアノソナタ30番」とかでいいわけですよね。ベートーベン先生のはタイトルついてたりするけど、あれは後の時代の人が勝手につけたもんだから本人はあんなタイトルとか要らなかった。別になんかのストーリをからめているわけじゃない。音楽だけで自分で立てることができるわけです。でも19世紀にロマンチックな表現を追求していくと、なんか音楽だけでは自立することができなくなるんすね。交響詩とかってのはそういうもんで、なんか物語を描写する形になっちゃう。

標題を抜いちゃうとどうなるかというと、たとえばリストのピアノソナタロ短調(1853年)ってのがあるんですが、これなんかも実は物語を描写してるんだろうけどなにが起こったのかはわからない、みたいになっちゃう。ちゃらららーん、ちゃちゃちゃちゃ、とかってなんでしょうね。なんか運命的ななんかなんだろうけど。

モーツァルトあたりはかっちりとした形式があったから、その形式が曲を守ってくれてた。でもロマン派の人はみんなでよってたかって自由を追求して形式を壊していったら、曲そのものが成り立たなくなりそうになっちゃう。オペラとかはまあ筋があるからいいけど、純音楽はあんまり自由だとなにやってるのかわからなくなっちゃう。19世紀後半にストーリーとかに頼らずがんばってたのはブラームス先生ぐらいではないのか。

まあそういうわけで、調性をあやつって聴衆の頭をぐらぐらさせるのは誰でもできるようになっちゃって簡単すぎて退屈してたし、音楽の独立性みたいなのもあやうくなってた、それが19世紀から20世紀のはざまだったわけです。

ジャズ入門(24) モードはどーも演奏むずかしいらしい

マイルス先生がKind of Blueでやったこと、特にSo Whatでやったことってのはやっぱり衝撃的だったみたいですね。1960年〜61年ぐらいは腕に自信のあるミュージシャンは同じような曲をやってみたりしてる。Dm7がずっとつづいて一部だけEbm7になってDm7にもどる、みたいな曲。でもまああんまりよい演奏はない。

たとえばこんなん。……と思ってJimmy Smith先生のSugar Hillっていうひどい演奏を見せようと思ったけど日本では聞けないらしい。→Spotifyにある。

かっこ悪いどうもみんな最初はなにやっていいのかわかんなかったみたいね。特にベースの人がなに弾いていいのかわかんなかったみたいで苦労したらしいです。

もちろんコルトレーン先生はマイルスのレコーディングにも参加していたのでよくわかっています。

So what やImpressionというタイプの曲は、一つのコードの上で一つのスケールでアドリブするのだ、とかって説明されたりしますが、この時期(1961)のコルトレーン先生はもうそういうふうには考えてないですね。

半音階使ったり、半音上や半音下に勝手に行ってみたり、勝手にII-Vを想定してそれをさらに分割したり。「一つのスケールで吹く」というよりは、いかにしてそっから脱出するか、どうやってスケールから「アウト」してかつかっこよくするか、ってのをみんな実験するわけです。

アルトのエリックドルフィー先生なんかなにやってるのかもうわからんです。こういうのがちゃんと筋道たてて考え方が分析されるのは70年ぐらいになってからちゃうかな。まあとにかくなんでもありになってしまった。もちろん、エリートミュージシャンの間ではいろいろ情報交換されてたんでしょうけどね。そういう情報にありつけるのはほんの一握りで、たいていのミュージシャンは旧来のバップのやりかたを続けたり、ファンキージャズしてたりしてた。

So whatやImpressionsみたいなそれ用の曲を作るんじゃなく、既成の簡単な構造の曲を一発にしてしまう、みたいなのも試みられた。コルトレーンの当り曲 My Favorite Things。もと曲が単純なのでこういうのがやりやすかったんでしょうな。一部進行しているけど、同じコードの上で長ーいソロをとる。

これもドルフィー先生の方が新鮮ですよね。きっとツアーとかで
「エリック、今日もすばらしかったよ。」
「ありがとう、ジョン。こんあすばらしいバンドで演奏できて僕もうれしいよ」
「あれどうやっての? マイフェイバリットのソロ」
「いや、好きなようにやってるだけだよジョン」
「いや、どういうふうに考えて吹いてんのか知りたいんだけど」
「いやほんとに何も考えてないよ。手癖手癖。」
「隠さなくてもいいじゃん。そろそろ教えろよー」
「いやー、僕もわかんないんだよ」
みたいな会話があったはず。

ファンク入門(8) マーヴィンゲイの一人ファンク

マーヴィンゲイ先生のファンクも聞いておきましょう。72年ぐらいはこうクールでかっこいいファンクやってる。T Plays It Cool。

でも80年代になると完全に変態「〜 Lady」三部作をどうぞ。
まず名盤Midnight Loveの最初の曲Midnight Lady。

この一人でリズムボックで作ってるリズムが暴力的ですごいっすよね。なんというか重力とかそういう自然なものじゃなくて、電気とか使ったモーターみたいなもので強制的に前後に動かされてる感じがする。もちろんわざとですわねえ。変態。
Sanctified Lady

変態。

もう変態すぎる。

どうも80年代に入ると先生は薬とかであっちの方がぜんぜんだめになってて、ベッドルームに女の子二人つけれこんであれしてもらってそれをビデオにとってあとで楽しむぐらいしかできなかったとか。薬とかやめましょう。

こんな変態も60年代後半にはこんなすばらしい歌歌ってたんですよ!70年代〜80年代というのかいかにあれな時代だったかがわかるというものです。

 

無調音楽入門(1) いきなり調性とは何かについて語る

無調音楽の話をするためには調性音楽がどんなものかっていう説明をする必要があるわけですが、まあふつうの音楽ですわね。

たとえばモーツァルトのピアノソナタ10番の第1楽章を聞いてみましょう。

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この曲はハ長調(Cメジャー)のあかるい曲っすね。曲の構造はソナタですが、とりあえずくりかえしが入ってAABBという形になってます。
Aの部分は最初はハ長調で後半はト長調(Gメジャー)になって、ハ長調に対してドミナントでちょっと緊張感があるのね。Bの部分はト長調からはいってハ長調にかわる。(まあソナタ形式についてはいろいろ語りたいことがあるんですが、それはずっと先のことになります。)AとBをそれぞれくりかえしているので、
A弛緩-A緊張-A弛緩-A緊張-B緊張-B弛緩-B緊張-B弛緩、
っていうふうに曲が進んでいます。まあ「弛緩」とか「緊張」のなかでも和音があっちいったりこっちいったりはおこなわれているのであれなんですけど、まあそういうのは無視して見るとだいたいこんな感じ。この調性による緊張と弛緩の組合せこそが西洋音楽であり、ジャズやロックまで続いている調性音楽の核なわけです。

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これはぜんぜん雰囲気違いますね。ヘ短調(F Minor)のはず。最初がびっくりしますよね。
Fマイナーでどーんどどーん、ってやってC-Fdim-Cってやって落ちつく、わけじゃない。落ちつかない。不安になったところで半音上のGbでデーンデデーン、って同じ音型だけど、すごく遠い調に連れていかれてるのでもう目がまわる感じがする。ここらへんでもう最初っから不安定な感じをあおりくるのです。あっちこっちにディミニッシュコードがつかわれていて不安不安。ワシ、この性欲をどうしたらいいんやろか、目がくらむようだ、犯罪者なるんちゃうやろか?みたいな。

まあモーツアルトのころは社会もまずまず安定しておりますが、ベートーヴェンの頃は革命とか起こったりみんな決闘したりでもうたいへんで。不安定だけど情熱的なのが求められたわけですわなあ。これを調性で表現している。

こういうのがロマン派の音楽で、これ以降シューマン先生やリスト先生とかがいろいろ和音で複雑なことをするわけですが、それが最高に逹したと言われてるのがワーグナー先生ね。ピアノ曲はないからまあトリスタン聞きましょう。

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これはもう落ちつくことがないのね。不安定な調性がつみかさなってどこまでも登ってくみたいな。ずっと残尿感があるような。不協和でどうにもこうにも。私はどこへ行くのですか?みたいな。西洋人のセックスはあざといなあ、みたいな感じですよね。すごい。

あとこの曲、最初にちゃーらー……ちゃーらー……とかやったあとの「ドコっ!」って音がすごいですよね。エロいこと考えたときの心臓ってのはこういうふうに鳴りますわねえ。恋に落ちるってこういうことなのかしら。

この曲はおかしな曲で全体はBメジャーだと思うけどこの主音がちゃんと鳴らされるのは3時間にもなるオペラの最後だけで、それまでそのBメジャーをめざして延々宙吊りにされてきもちわるい。この序曲も最後落ちついた感じ、なにか解決したって感じじゃなくて「これからなんか起こるなあ」って感じでおわってるんじゃないかな。

まあ調性の魔術というかそういうのが西洋音楽なわけです。