堀田義太郎さん & 弁護士JPニュースの「男性へのヘイトスピーチ」記事 (4)

弁護士JPニュースの「“男性特有の匂いが嫌い”や“おじさん詰め合わせ”は「差別発言」指摘も…男性への「ヘイトスピーチ」とはいえない明確な理由」へのコメント続き。

ヘイトスピーチの問題は「どっちもどっち」で済まされない

上まの堀田さん&編集部の「ヘイトスピーチ」の定義の話は、まったくのところ堀田さんたち自身の定義にもとづいたものでしかないわけです。そしてそれは堀田さんたちも認めている。

そもそも、現在では「ヘイトスピーチ」は専門用語ではなく、会話やSNS投稿などを通じて日常的にも使われるようになった言葉だ。日常語の用法には幅や揺らぎがあり、唯一の定義は存在しない。

その通りです。だから、それぞれの定義を確認しなければならないし、確認しにくいときは 解釈 してあげなければならない。

しかし私の印象では、SNSで日常的に使われる「ヘイトスピーチ」は、(特別な定義がおこなわれいなければ)ある属性をもつ集団に対する、悪質な、憎しみや軽蔑の表現、侮蔑、侮辱、デマの流布、攻撃、罵倒などであるように思います(こういうのを「江口の当座の定義である」と呼んでもらってもかまわない)。国連のヘイトスピーチの定義に近いものですね。これはそんなに異論がないんじゃないでしょうか。(集団ではなく、特定の個人に対する誹謗中傷みたいなのまで「ヘイトスピーチ」と呼ぶ人もいるかもしれない、ぐらい)

このような意味でなら、たとえば「男は臭い、風呂ぐらい入れ、風呂も入れないのか、毎日汗かいてたいへんだな」「ヨボヨボジジイ集めてまともな政治ができるものか」みたいな表現は十分に男性差別的なヘイトスピーチたりえると思う。(くりかえしますが、問題になっている論説でとりあげられている発言がそうしたヘイトスピーチに分類されるべきものであるとは私は思っていません)

しかし堀田さんたちは、そうした定義や意味を確認することなく、次のように言う。

そのうえで、「マジョリティにヘイトスピーチが向けられることもある」との主張について判断するためには、その主張がどのような立場から出されるものかを確認する必要があるという。

なぜ言葉の意味を確認する前に、それを発言している奴らがどんな奴らかを見るべきだ、のような発想になるのかはちょっと理解しにくいところです。しかし論証を見てみましょう。私が要約すると次のようになります。

  1. 「日本人へのヘイト」(「男性へのヘイト」ではない)は朝鮮人学校に対するヘイトスピーチ問題のときに、同じような罵倒で対抗する反差別運動である「カウンター」発言に向けて、もとのヘイトスピーチをおこなう人々が言いだしたことである。
  2. 「どっちもどっち論」と呼ばれる立場もあった
  3. 「どっちもどっち論」は実質的にはヘイトスピーチ側の立場である
  4. したがって、マイノリティからマジョリティに対してもヘイトスピーチは可能であるとする立場はヘイトスピーカーたちの言い分を認める側である

1〜3を認めることにしても、なぜそこから突然4に飛躍するのか私には理解できません。たしかに日本において在日朝鮮人の人々は複数の意味でマイノリティであると思います。在日朝鮮人に対してヘイトスピーチをおこなうような人々が、権力/影響力という意味でも人数という意味でも国内で「マジョリティ」であるとは私には思えませんが、とりあえずそれも認めることもします。しかしなぜそういうことが、「マイノリティからマジョリティに対するヘイトスピーチというものもありえる」と主張することが邪悪なヘイトスピーカーたちの言い分を認めることになるのでしょうか。理解できません。(この論考ではマイノリティやマジョリティがなんによって定義されるのか触れていませんが、とりあえず権力や影響力に差がある、立場の強弱、と解釈しておきます。)

また、この論考で紹介されている「男性に対するヘイトスピーチ」は、おそらくなにも「カウンター」ではないはずです。ではいったいこの節の論証はなにをやっているのでしょうか。私はうまく理解できません。

つまり、「マジョリティに向けられるヘイトスピーチもある」という主張する人は、マイノリティへのヘイトスピーチの害悪の深刻さを軽視していることになるのです」

なぜそういうことになるのでしょうか。一つの(好意的な)解釈は、マジョリティからマイノリティに対する差別的発言と、マイノリティからマジョリティに向けられる差別的発言は、 その影響力や被害の深刻さの点で大きな差がある 、というものです。これは十分ありえる考え方だと思います。しかしそれは、マイノリティからマジョリティに向けられる差別的発言が、普通のSNS日常的な意味(「江口の暫定的な定義」)でヘイトスピーチ ではない、ということは意味しません 。単にたいした被害がない、ということです。

そして、そうした疑問を提示したり、検討する議論をおこなうこと自体が、マイノリティへのヘイトスピーチの害悪の深刻さを軽視している、あるいは理解してない、といわれるのは心外だと考える人は少なくないでしょう(少なくとも私は心外です)。

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