音楽にかぎらず、なにか新しいことをするのはたいへんだけど、一回だれかがやったことを分析して自分のものにするのは能力ある人にはそんな難しくない。
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」(1865年初演)にはみんなびっくりしたけど、一回ああいうものができてしまえば、みんなそのライン上でいろいろ発展させることができる。
シェーンベルク先生は1874年生まれで、25才の1899年にはこんなすごい曲を書いている。「清められた夜」とか「浄夜」とかって呼ばれてる曲。作品4。もうなんというかよく鳴ってて熟練してる感じっすよね。すごい職人芸。マーラーの交響曲1番とかなんか楽器鳴らなくてたるいんですが、シェーンベルク先生は最初っから完成された作曲家なわけです。もうなんでも書けたんじゃないですかね。この程度の曲だったらいくらでもできます、でも簡単すぎますからつまんないです、みたいなもんだったんではないか。シェーンベルク先生は作曲も猛烈に早くて、作曲を教える授業なんかでは黒板でその場でばんばん書けてけたとかって話です。この曲は弦楽六重奏(あるいは弦楽オーケストラ)だけど、その次の作品5の「ペレアスとメリザンデ」はすごい大きなオーケストラを使ってみてます。まあそれもそんな苦労なく書けたんでしょうなあ。
でもまあ、この曲おおげさで私は正直あんまり好きじゃないです。あと、これ聞いて「新鮮〜」っていう人はあんまりいないんじゃないですかね。あと私自身は初めて聞いたとき、「どっかで聞いたことあるんではないか」とか思いました。美しい曲だけど、なんか完成されすぎていて、最初っから手垢がついている感じがあるんですね。
なんかこれはプログラムというかストーリーのある曲で、最初はロマンチックに恋人どうしが夜に語りあってると、女が泣き出しちゃって、なんで泣いてんのって聞いたら、妊娠してるんだけどあんたの子供じゃありません、みたいな。んで男の方が「まあそれでもいいですよ、生んでください」みたいなことを言う、という話らしい。わけわからんですね。最後の方が能天気な感じになっててもうなんか宗教にでもかぶれたみたいにハッピーなってて怖い。
こういう音楽のもつストーリー性ってのも興味があるところで、モーツァルトやベートーヴェン先生のころはストーリーなんかいらなくて「交響曲第7番」「ピアノソナタ30番」とかでいいわけですよね。ベートーベン先生のはタイトルついてたりするけど、あれは後の時代の人が勝手につけたもんだから本人はあんなタイトルとか要らなかった。別になんかのストーリをからめているわけじゃない。音楽だけで自分で立てることができるわけです。でも19世紀にロマンチックな表現を追求していくと、なんか音楽だけでは自立することができなくなるんすね。交響詩とかってのはそういうもんで、なんか物語を描写する形になっちゃう。
標題を抜いちゃうとどうなるかというと、たとえばリストのピアノソナタロ短調(1853年)ってのがあるんですが、これなんかも実は物語を描写してるんだろうけどなにが起こったのかはわからない、みたいになっちゃう。ちゃらららーん、ちゃちゃちゃちゃ、とかってなんでしょうね。なんか運命的ななんかなんだろうけど。
モーツァルトあたりはかっちりとした形式があったから、その形式が曲を守ってくれてた。でもロマン派の人はみんなでよってたかって自由を追求して形式を壊していったら、曲そのものが成り立たなくなりそうになっちゃう。オペラとかはまあ筋があるからいいけど、純音楽はあんまり自由だとなにやってるのかわからなくなっちゃう。19世紀後半にストーリーとかに頼らずがんばってたのはブラームス先生ぐらいではないのか。
まあそういうわけで、調性をあやつって聴衆の頭をぐらぐらさせるのは誰でもできるようになっちゃって簡単すぎて退屈してたし、音楽の独立性みたいなのもあやうくなってた、それが19世紀から20世紀のはざまだったわけです。
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