堀あきこ先生の「メディアの女性表現とネット炎上」はフェミニスト的メディア批判をうまく説明しているので勉強しよう

堀あきこ先生のインタビュー記事についてツイッタでいろいろ失礼なことを書いてしまって、反省して論文も読んでみました。学者のインタビューだけ読んで論文読まないほど失礼なことはないですからね。 堀あきこ (2019) 「メディアの女性表現とネット炎上:討論の場としてのSNSに注目して」,『ジェンダーと法』,No. 16 この論文「メディアの女性表現とネット炎上」は、ここしばらくずっと論じられてるのに対す […]

2020/3/21 (土) セックス哲学懇話会やります

コロナでなにも予定がなくなって暇だという声があるので、ヒマならごろごろしてりゃいいわけですが、ゴロゴロついでに3/21に京都でセックス哲学懇話会を開こうと思っています。単にその分野に興味ある人間が集まってネタをしゃべってみるだけ、というものです。今年度の自分たちのセックスと哲学について反省し(「自分たちの」は「セックスと哲学」にかかります)、来年に向けて計画したりもします。希望者は twitter […]

ミル先生にお願いしてショーペンハウアー先生に説教してもらおう

んで、ろくでなし哲学者列伝のメインはショーペンハウアー先生に決めてたのですが(キェルケゴールも列伝にいれたかった)、ショーペンハウアーとキェルケゴールで終わってしまうと味が悪すぎるので、あんまりろくでなしじゃないミル先生にお説教してもらうことにしました。 アルトゥール君、いいですか、後輩の言うことを聞きなさい。 両性の天性が、現在の職務および地位に、彼らを適応させている、あるいは天性がその職務と地 […]

ショーペンハウアー先生に本当のミソジニーを学ぼう

大学の公開講座で、「生涯学習」としていろんな年代層の人にお前らが勉強していることをわかりやすくしゃべって、教養や楽しみにしてもらえ、という業務があり、私も参加しています。んじゃまあ哲学・思想や人生なんかについて考えてもらいたいなあ、みたいなので学生様相手にやってる「愛と性」の年長者バージョンみたいな感じで。去年はやはりオリジナル哲学者たちへの敬意から、プラトンとアリストテレス。エロースやらフィリア […]

カント先生から未婚化・非婚化の原因を学ぼう

性的傾向性のなかのまったく単純で粗雑な感情は、なるほどまっすぐに自然の大いなる目的へと導いて行き、その要求を満たすことによって、回り道せず、手際よくその人物を幸福にするが、対象の大きな普遍性のゆえに放蕩と放縦に変質しやすい。(p.361) カント先生はアリストテレス的な「目的論的説明」が好きで、我々がもつ性欲とか、首尾よくセックスできたときの満足感・幸福感とかは自然の目的を達成するよう、うまく作ら […]

カント先生に女性のルックスの鑑賞法を教えてもらおう

前のエントリの続き。 紹介したいと思ったのは、第3章が「両性の相互関係における崇高と美の差異について」の後半にある、女性のルックスの美についてカント先生が語っているところです。こんな感じにはじまる。 美しい性〔女性〕の姿と顔立ちが男性に与える多様な印象を、できるかぎり概念化して捉えることは快適でなくもないかもしれない。この魔力の全体は、根本的には性的衝動の上にひろがっている。(p.358) カント […]

カント先生の『美と崇高』はおもしろいなあ

去年と今年、過去の大哲学者たちが、男と女、そしてその関係について、いかにろくでもないことを言っていたかというのを紹介する一般向け講座みたいなのをやっているのですが、読み直してやっぱり軽い哲学っていうのはおもしろいなと思いますね。昨日は大哲学者のヒューム先生とカント先生を取り上げたのですが(先週はルソーとウルストンクラフト)、その一部を紹介してみたいです。 カント先生は『純粋理性批判』『実践理性批判 […]

伊藤公雄先生のマーガレット・ミード

性差の科学編集委員会 (2011) 『性差の科学の最前線』、京都大学大学院文学研究科社会学教室、っていう報告集があるみたいなんです。google bookにひっかかってきて発見しました。 まだ入手できてなくてよくわからないのですが、そのなかの伊藤公雄先生の文章がとてもひっかかりました。こんな感じです。 まあミードの『サモアの思春期』はデレク・フリーマンの『マーガレット・ミードとサモア』でかなり厳し […]

なぜ私はフェミニストを信頼しなくなったのか:「ミードの表」昔話

あんまり幸福じゃないのでで、友原章典先生という先生の『実践幸福学:科学はいかに「幸せ」を証明するか』っていう本よんでたら(良い本なので読みましょう)、年寄になったら昔話をすると幸せになるって書いてたのでやりましょう。 まあ加藤の論文をきっかけに、2000年代のことを思い出してたんですが、やはり印象強いのは、フェミニズムとかジェンダー論とかってものが、学問的におかしいんじゃないかと思いはじめたころの […]

「ジェンダー論と生物学」 (8) 「循環的」「権限が及ぶ」がわからない

んで、加藤先生は「自由意志」の問題をつかって、自然科学者(この場合は神経関係の人々)がいろいろ勝手なことを言うのを戒めたり。ここらへんはまあいいです。そんな素朴な自然科学者たちっていないだろう、ぐらいは思うけど。 ……人間に特有の現象として措定されたジェンダーという対象について,生物学は何も言うべきことがなくなるのではないか,という疑念をもつ読者がいるかもしれない.それは半分は正しく,半分は間違っ […]

「ジェンダー論と生物学」 (7) 性暴力、性欲、ドーキンスの麻薬患者

加藤先生は一応、原因と理由が切り離せないという話を、性暴力の話をつかって説明しようとしているように見えます。しかしここも私にはわからない。 ここで改めて性暴力(と呼ばれる人間の行動)について考えてみよう.性犯罪を犯した少年たちの治療教育に長らく携わった藤岡淳子によれば,性暴力とは「性的欲求によるというよりは,攻撃,支配,優越,男性性の誇示,接触,依存などのさまざまな欲求を,性という手段,行動を通じ […]

「ジェンダー論と生物学」 (6) 理由と原因は切り離せないとはどういう意味だろう?

さて、次の文章がおそらく重要なんだけど、読みにくいんですよね。 ……ここで注意すべきは,性的二型という自然史的事実が性役割・性差別という規範的制度と関係する回路は二重であるということだ.一つは性的二型の現象それ自体が性差別をもたらす原因(cause) となる一一逆に性役割・性差別は性的二型を生じさせることもある―という〈因果関係の回路〉であり,もう一つは,性差をめぐる意味づけが性差別を正当化する理 […]

「ジェンダー論と生物学」 (5) 「レイプ」という語を人間以外に使えるか?

進化心理学者たちの擬人法的な言葉づかいについて、前のエントリに書いた、ソーンヒル先生たちの『人はなぜレイプするのか』での言い分を引用して紹介しますね。わかりやすい文章なので解説はなにも必要ないと思う。 ごく初期の論文(Thornhill 1980)を批判するなかでゴワティやハーディングは、「この論文中では進化的機能を含めて“レイプ”を定義しているが、そうした定義は、この用語が人間についての出来事に […]

「ジェンダー論と生物学」 (4) たしかに鳥は「結婚」しないかもしれないが……

なぜ、つがいになっているメス鳥が、オスの配偶者防衛をかいくぐって他のオスと交尾して卵を産もうとすること、そしてオス鳥が他のオスとつがいになっているメス鳥と交尾することを「浮気」と呼んではいけないのだろうか。 これは加藤先生の文章を読んでも私にはピンとこない。というわけでズック先生のを見なければならないのだけど、ズック先生が言いたいことも実はよくわからんのですわ。 鳥たちは、「浮気している」のではな […]

「ジェンダー論と生物学」 (3) なぜ鳥に「浮気」を使ってはいかんのか

まえのエントリの最後、加藤先生の見解では、人間以外の生物には性別役割や性差別が存在しないので、性的二型が性役割や性差別にどう関係するかという課題は、生物学ではなく人文社会系のジェンダー研究の課題だ、ということになる。 これは見た目よりも複雑な主張ですよね。性差別は人間社会以外には存在しない、っていうのはありそうな話だってのはみとめてもよい。なぜなら性差別は(おそらく定義からして)性によって人々を不 […]

「ジェンダー論と生物学」(2) 性的二型とか

んで、加藤秀一先生のに関するエントリの続きもしばらくだらだら書きたい。私、よくわからない文章を見ると、それにつてなんか書いておかないとものすごく気持ち悪くて、ずっとそれについて考えちゃうんよね。 ジェンダー研究と生物学研究がすれ違いつづける理由の一つは、実は関心の対象が異なるのに、そのことがしばしば理解されていないということである。 まず、「生物学」っていう学問のくくりについて先生がどう考えてるの […]

加藤秀一先生の「ジェンダー論と生物学」は問題が多いと思う (1) まずは細かいところ

年末、このブログでも何回か取り上げている加藤秀一先生の文章を読む機会がありました。(社会構築主義を中心にした)フェミニズム/ジェンダー論と、生物学の間の葛藤と、その調停の試みの思想と歴史という感じの論説なのですが、なんかいろいろ違和感があってしょうがないので、メモだけ残しておきます。論文は下のに収録されています。 まずそもそもこのネタで論文や論説書くときに、当然あがってくるべきだと思う文献が出てこ […]

宇崎ちゃん問題(11) 「コード」と「記号」のその後

「宇崎ちゃん問題 (6) 「コード」ってなんだろう」からの続き。 その後、ポロック先生たちの「記号」やら、ゴフマン先生の「コード」やら、ちょっとだけ原文めくってみたんですが、よくわかりませんでした。 「記号」と「スザンナと長老たち」 まずポロック先生たちの「記号」はsignですね。codeではない。 一枚の絵を組み立てる特定の記号についての知識をもち(つまり画面上の線と色彩を、描かれている対象物を […]

宇崎ちゃん問題 (10) 小宮先生の論説についてはおしまい

というわけで、もう疲れたのでおしまい。ちょっとだけ書き残したことを。 「性的」 これあんまり小宮先生の文章とは関係ないのですが、宇崎ちゃんその他の表現に関するネットでの騒動では「性的だ」「たいして性的でない」とかそういうやりとりがあったようですが、「性的」自体が曖昧なので「性的に魅力的」とか「性的に露骨」とかそういう表現をつかった方がまだましな気がします。女性や男性を描いたら、そりゃ一つの意味では […]

宇崎ちゃん問題 (9) 「意味づける」を意味づけることに疲れました

もう疲れてきたので途中でおわってしまいたいのですが、まあはじめてしまったものはしょうがない。「意味づけ」です。小宮先生のこの言葉の典型的な使いかたはこんな感じ。もちろんこれまで同様「意味づける」ということがどういうことかはほとんど説明がなく、手掛かりもありません。 「表象の中で女性がどのように意味づけられているのか」 「女性ヌード画を成立させているのは、女性(の身体)に対して特定の文化的・社会的記 […]