翻訳ゲリラ:ピケット「同性愛」

B・ピケット「同性愛」(スタンフォード哲学百科事典、2002年8月、改訂版2006年11月) Brent Pickett, Homosexuality ( Stanford Encyclopedia of Philosophy 、First published Tue Aug 6, 2002; substantive revision Wed Nov 29, 2006)

誰かと共同作業で訳したのですが、Dropboxの事故で誰だったかわからなくなってしまいました……「私だ!」って人は連絡してください。

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\RequirePackage{plautopatch} \ifx\mybook\undefined \documentclass[uplatex,dvipdfmx]{jsarticle} \input{mystyle} \title{ブレント・ピケット「同性愛」} \author{身元不明者・江口聡訳} \begin{document} \maketitle %\howtocite{} \else\chapter{}\fi % ———————————————————––— % ———————————————————––—

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B・ピケット「同性愛」(スタンフォード哲学百科事典、2002年8月、改訂版2006年11月)Brent Pickett, Homosexuality (\emph{Stanford Encyclopedia of Philosophy}、First published Tue Aug 6, 2002; substantive revision Wed Nov 29, 2006)

誰かと共同で訳したのですが、Dropboxで事故を起こして誰だったかわからなくなってしまいました……

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「同性愛」(homosexuality)という用語は、ドイツの心理学者K・M・ベンケルトによって19世紀後半に作り出された。この用語は新しいが、セクシュアリティ一般と、とくに同性偏愛 (same-sex attraction) が、プラトンの『饗宴』から現代のクィア理論に至る哲学的議論を引き起こした。同性偏愛の文化的理解の歴史が、そうした理解によって提起された哲学的問題に関連があるから、同性愛の社会史のいくつかの側面を手短に再検討することが必要である。少なくとも西洋では、この歴史から生ずることは自然法の観念と、同性愛のセックスを禁止するものとしての自然法の幾つかの解釈である。自然法に対する準拠は宗教と政治における、また法廷における同性愛に関する現代の論争で重要な役割を果たしている。最後に、おそらく同性愛に係わるもっとも重要な最近の社会的変化は、西洋におけるゲイ解放運動の出現である。哲学の世界では、この動きは部分的にはクィア理論 (queer theory) という見出しの下に分類される思想家の、どちらかといえば多様なグループを通して表現される。クィア理論によって提起された中心的な係争点は、以下で論じられるように、同性愛と、それゆえ同様に異性愛と両性愛は社会的に構築されるのか、あるいは純粋に生物学的な力によって動かされるか、ということである。

\section{歴史}

しばしば注目を集めたように、古代ギリシャ人は「異性愛者」と「同性愛者」という現代の二分法に対応する用語あるいは概念を持っていなかった。古代ギリシャには、『シンポジオン』等のプラトンの対話編から、アリストパネスの演劇やギリシャの手工芸品や花瓶に至るまで、セクシュアリティの問題に係わる非常に豊富な材料がある。以下は、古代ギリシャ人の態度の手短な記述である。しかし、地域による変異があったことを認識することは重要である。たとえば、イオニアの一部には同性のエロスに対して一般的な制限があった。他方、エリスとボイオティア(たとえば、テーベ)ではそれは承認され、また祝福さえされた(cf. Dover, 1989; Halperin, 1990)。

おそらく、性的傾向に関するもっともよくある仮定は、人はどちらかの性における美にエロティックに反応することができるということである。たとえば、ディオゲネス・ラエウティウスは 紀元前5世紀のアテネの将軍であり政治家であったアルキビアデスについて、「彼は思春期には妻たちからその夫を、そして若い男として夫たちからその妻を引き離した」と書いた(Quoted in Greenberg, 1988, 144)。 ある人々は彼らの一方の性に対する排他的な関心のゆえに有名であった。たとえば、アレクサンダー大王とストア学派の創設者キティウムのゼノンは、少年と男性に対する彼らの排他的な関心のために知られていた。しかしながら、このような人物は一般に例外として描かれる。さらに、人がどの性に引きつけられるかという問題点は、道徳的問題ではなく、むしろ趣味や好みの問題として見られている。プルタルコスの『エロティコス (Erotikos)』(愛に関する対話)における一人の登場人文物は、「気高い美の愛好者は生理学的な詳細におけるどんな相違にも関係なく、卓越性と素晴らしい自然の賜を見るところでは、どこでも愛に従事する」と論ずる(Ibid., 146)。性はまさに不適切な「詳細」になり、その代わりに性格と美における卓越性がもっとも重要なことである。

人はおそらく双方の性の人に引き付けられるであろうと仮定して、人が特定の時にどの性にエロチックに引き付けられるかは重要ではなかったが、たとえば、人が節度を行使したか否かなどの他の問題は顕著であった。同様に、地位に対する関心 (status concern)はもっとも高い重要性を持っていた。自由な男性だけが完全な地位を持っていたから、女性と男性奴隷は問題のあるセックス・パートナーではなかった。しかしながら、自由人の間のセックスは地位のために問題になった。古代ギリシャ人の性的関係における中心的区別は、能動的で挿入的(active or insertive)役割をとるか、それとも受動的で被貫入的(passive or penetrative)役割をとることの間であった。受動的な役割を受け入れることができるのは、ただ下位の者、たとえば、女性、奴隷、あるいはまだ市民ではない男性青年だけであった。それゆえ、同性間の性的関係の文化的理想は、エラステス (erastes) として知られている、おそらく20代あるいは30代の年長の男性と、その顎髭がまだ伸び始めていない少年、 エロメノス (eromenos) あるいはパイディカ (paidika) の間にあった。この関係には、贈り物(雄鶏のような)を伴う求愛儀式と他の規範があった。エラステスは彼が純粋の性的関心よりも、むしろ少年にいっそう高貴な関心を持っていることを示さなければならなかった。少年はあまり容易に服従すべきではないし、もし一人以上の男性に追いかけられるなら、思慮深さを示して、いっそう高貴な男性を選ぶべきであった。同様に、エラステスが彼の愛人に直面して、エロメノスの腿の間に彼のペニスを置くようにすることによって、性器の挿入がしばしば避けられたという証拠がある。それは脚間性交 (intercrural sex) として知られている。

この関係は一時的であるべきであり、少年が成人期に達すると終わるべきであった(Dover, 1989)。実際は人に気づかれているが、強く非難されることのなかった多くの成人男性の同性との性的関係があったが、人が平等な市民であるべき時になっても、従順な役割に留まり続けることは困ったことであると見なされた。このように、受動的役割は問題であると考えられていたが、男性に引きつけられることは、しばしば男性らしさのサインであると思われた。ゼウスのようなギリシャの神々が、彼らに帰せられる同性偉業(same-sex exploits)の物語をもつ。同様に、アキレスとヘラクレスのような他の重要人物もギリシャ神話と文学でそうした。プラトンは『シンポジオン』で軍隊は同性愛者で構成されるべきであると論ずる。テーベはこのような連隊、500人の兵士から構成されたテーベ神聖軍団を形成した。彼らは戦いにおけるその勇気のために古代世界で知られていた。古代ローマは同性偏愛と、いっそう一般的に性的な問題に関するその理解において、古代ギリシャと多くの類似点を持っていた。これは、とくにローマ共和国において真である。ローマ帝国下ではキリスト教が影響力を持つ前に、ローマ社会はおそらく社会的経済的の混乱のために、セクシュアリティに対する見解において次第に否定的になっていった。

正確に言って、新約聖書がセクシュアリティ一般と、とくに同性偏愛に対してどのような態度を持っているかが激しい論争の主題である。J・ボズウェルは彼の魅力的な著書『キリスト教、社会的寛容、同性愛』において、今日、同性愛に対する非難として理解されている多くの文章が売春にいっそう多く関係しており、同性愛行為が「不自然である」と描写されるところで、その意味は不道徳よりも、むしろ「普通ではない」(out of the ordinary)にいっそう近いと論じている(Boswell, 1980, ch.4; see also Boswell, 1994)。しかし、他の人々はしばしば説得的にボズウェルの学識を批判した(see Greenberg, 1988, ch.5)。しかしながら、明確なことは、同性偏愛の非難は福音書にとって周辺的であり、新約聖書の残りでただ断片的に取り上げられるにすぎないが、初期キリスト教会の神父たちははるかにあからさまであったということである。彼らの著作にはどんな種類のセックスに対しても恐怖があるが、部分的には疑う余地なく転向者を入れるという実践的関心のゆえに、数世代でこうした見解は緩和された。4世紀と5世紀までに、主流のキリスト教の見解は生殖的のセックスを容認した。

結婚生活のなかでの生殖目的のセックスは許されるが、セクシュアリティの他のすべて表現が罪深いという見解は、たとえば、聖アウグスティヌスに見い出すことができる。この理解は自分のパートナーの性に対する関心に繋がるが、これはそれ以前のギリシャ的、あるいはローマ的見解には見い出されない。また、それは明らかに同性愛の行為を禁じる。まもなくこの態度は、とくに同性愛のセックスに対する態度は、ローマ法に反映されるようになった。529年に公布されたユスティニアヌス法典では、同性愛のセックスをした人は処刑され、改悛した人たちは赦免されることになった。ここでも重要な地域差があったが、歴史家は後期ローマ帝国においてセクシュアリティに対する不寛容が台頭したことで意見が一致している。

ローマ帝国の崩壊と野蛮人の王国の台頭とともに、同性愛行為に対する一般的な寛容が普及していった(唯一の例外は西ゴート族のスペイン)。ある卓越した学者が指摘したように、「ヨーロッパの世俗的な法律は、13世紀半まで同性愛を禁止する条項をほとんど含まなかった」(Greenberg, 1988, 260)。何人かのキリスト教神学者が同性愛行為を含めて、非生殖目的のセクシュアリティを非難し続けたが、11世紀から12世紀にかけて同性愛好文学のジャンルが、とくに牧師の間で発達した(Boswell, 1980, chapters 8 and 9)。

しかし、12世紀後半から14世紀を通して、ユダヤ教徒、回教徒、異端者その他の迫害とともに、同性愛のセックスに対する不寛容の急激な高まりを見た。その原因がいくぶん不明確であるが、カトリック教会におけるグレゴリウス改革の動きと並んで、階級闘争の激化が二つの重要な要因であったように思われる。教会自身は道徳の基準として「自然」概念に訴え始め、(婚姻外の性関係、結婚生活内の非生殖目的のセックス、またしばしばマスタベーションと同様に)同性愛のセックスを禁するような仕方でそれを描き出した。たとえば、同性愛のセックスを非難する最初の公会議、1179年の第三回ラテラノ公会議は、「自然に反する遺漏を犯したことが発見された人は誰であれ」罰せられるべきであり、その重大さは違反者が聖職者であるか、平信徒であるかに依存すると言明した(quoted in Boswell, 1980, 27)。この自然法への訴え(以下で論じられる)は、西洋の伝統において大きな影響力を持った。しかし、注意すべき重要な点は、ここでの基本概念は「性的異常」(sodomite)であって、「同性愛」(homosexual)という現代的観念とは異なることである。「性的異常」は人のタイプではなく、行為定義的(act-defined)として理解された。「肛門性交」(sodomy)に従事する欲望を持っているが、まだその欲望に基づいて行動をしなかった者は、性的異常(sodomite)ではなかった。同様に、異性愛の肛門性交(sodomy)に従事した人は性的異常であった。肛門性交のゆえに、配偶者と一緒に焼き殺され、斬首された人の報告がある(Greenberg, 1988, 277)。最後に、肛門性交に従事していたが、すでに自分の罪を認めて後悔して、けっしてそれをしないと誓った人はもはや性的異常ではなかった。ある中世の神学者はもっとも悪いタイプの性犯罪として同性間の肛門性交を選び出すが、自分のパートナーの性はここでも決定的重要性を持っていない。

次の数世紀の間、ヨーロッパでは同性愛のセックスを禁止する法律は厳しい罰則を伴った。しかし、その施行は間歇的であった。幾つかの地域では数十年の間、どんな訴追もなしに過ぎ去った。それでも、オランダは1730年代に厳しい肛門性交禁止キャンペーン(ジプシーに対する集団虐殺とともに)を開始し、自白を得るために拷問を使用さえした。およそ百人の男性と少年たちが処刑され、埋葬を拒否された(Greenberg, 1988, 313-4)。同様に、肛門性交と同性偏愛が受け入れられる程度は階級によって変わり、中産階級がもっとも狭い見方をとっていた。他方、上流階級と貴族はしばしば選択可能なセクシュアリティ(alternative sexualities)の一般的表現を受け入れた。時には厳しい刑罰の危険を冒して、同性志向の下位文化が都市で繁栄したが、当局によって鎮圧された。19世紀には、肛門性交に対する法律上の罰則に重要な軽減があった。ナポレオン一世の法典は肛門性交を合法化した。また、ナポレオンの征服とともにナポレオン法典は広まっていった。さらに、同性愛のセックスが犯罪とされていた多くの国において、この時代の反死刑の一般的動向は、通常は肛門性交が死罪のリストから取り除かれたことを意味した。

18世紀と19世紀には、あからさまな神学的枠組みはもはや同性偏愛に関する言説を支配しなくなった。その代わりに、非宗教的な論法と解釈がますます普通になった。おそらく、同性愛に関する議論にとってもっとも重要な非宗教的な領域は医学であり、そこには心理学が含まれていた。この言説は国家に関する考察と、国家の増加しつつある人口、良い兵士、明らかに明確な性役割によって特徴づけられた欠損のない家族に対する必要に関する考察に結びついていた。医者が性犯罪被告を診察するために法廷に呼び出された (Foucault, 1980; Greenberg, 1988)。同時に、学校出席率と学校で過ごされた時間の平均の長さにおける劇的な増加は 世代間の接触と、それゆえ同様に異なった世代間のセックスの頻度を減少させた。大まかに言って、同じ年代の人々の間の同性関係が規範になった。

明らかに、医学の威信の上昇は、部分的に機械論的因果関係に基づく自然現象を説明する科学の増加しつつある能力に起因した。この観点の人類への適用は、生得的か、あるいは生物学的駆動としてのセクシュアリティの説明を導いた。肛門性交に関する中世的理解のもつ、性的異常者は罪を選択するという主意主義は、彼らはその方向づけに即して行動を起こすか否かに係わらず、人物の深く選択されることのない特徴としての同性愛の近代的概念に道を譲った。「潜在的な性的異常者」(latent sodomite)という考えは意味をなさなかったが、それでもこの新しい見解の下である人を「潜在的な同性愛者」(latent homosexual)として語ることには意味がある。中世的見解においてそうであったように、人を定義する特定の行為の代わりに、通常は何らかの仕方で欠陥があるか、病理学的として描写された全体的な身体的精神的組成が、「同性愛の」の近代的なカテゴリーに帰される。こうした考えに歴史の先駆者(たとえば、アリストテレスは受動的同性愛に生理学的説明を与えた)があるが、医学はいっそう大きな公共的公開と信頼性を与えた(Greenberg, 1988, ch.15)。こうした考えの結果が矛盾する仕方で介入する。この見解によれば、同性愛は選択されたのではないから、それを違法とすることはほとんど意味をなさない。人々は悪い行為を選択していない。それでも、人は異常で病的な精神状態を表現しているから、従って治療のための医学的介入が適切である。それゆえ、医者、とくに精神科医が合意の上の同性愛の肛門性交に対する刑罰の廃止あるいは軽減の運動を行い、同性愛者を社会復帰させるために介入した。同様に、医師たちは子供たちが同性愛になるのを防止する技法を開発しようと努めた。たとえば、幼年時代のマスタベーションが同性愛の原因になるから、しっかりそれを警戒しなければならないと論じた。

20世紀になって、性的役割がふたたび再定義された。いろいろな理由で、婚前の性交がゆっくりと普及し、結局は受容された。結婚外の快楽目的のセックス禁止の衰退とともに、ゲイのセックスに反対することがいっそう難しくなった。こうした傾向は1960年代にとくに強かった。ゲイ解放運動の運動が立ち上がったのは、この文脈においてであった。ゲイとレスビアンの権利グループが何十年間も存在していたが、(中世の秘密結社の名にちなんで名を付けられた)マッタシャイン協会(Mattachine Society)とビリティスの娘(Daughterd of Bilitis)の控えめなアプローチは、まだ確実な地歩を得ていなかった。これが、1969年6月28日の早朝の何時間に変わった。その時、ストーンウォール・イン(Stonewall Inn)、グリニッジ・ビレッジのゲイバーの常連は警察の手入れの後に暴動を起こした。この事件の余波として、ゲイとレスビアンのグループが国内各地で組織化され始めた。ゲイの民主党クラブがすべての主要都市に作られ、すべての大学キャンパスの4分の1がゲイとレスビアンのグループを持っていた(Shilts, 1993, ch.28)。津々浦々の都市の大きなゲイ都市共同体が規範になった。アメリカ精神医学協会は同性愛を精神障害のその公式リストから取り除いた。目覚ましいゲイとレスビアンの増加は、エイズ流行と反ゲイ運動の巻き返しという二つの重要な障害にもかかわらず、アメリカ人の生活の恒久的な特徴になった。同様に、ストーンウォール後の時代は西ヨーロッパにおいて顕著な変化を見た。肛門性交禁止法とゲイとレズビアンの法律上の平等が一般化した。

\section{自然法}

今日、自然法理論はゲイとレスビアンの差別的取り扱いにもっとも一般的な知的な擁護を提供するのであり、それはそうしたとして注意に値する。自然法の発達は長くて非常に複雑な物語をもつ。しかし、始めるべき妥当な場所はプラトンの対話である、なぜなら、そこには幾つかの中心的観念が最初に明瞭に表現されており、十分に意味のある仕方で直ちに性的な領域適用されるからである。ソフィストにとって、人間の世界は、不変の道徳的の真理ではなく、むしろ慣習と変化の領域である。それとは対照的に、プラトンは不変の真理が不安定な物質界を根底から支えると論じた。実在は永遠の道徳的真理を含めて、自然(physis)に係わる事柄である。ある都市と他の都市の間には、かなりの程度の慣習の違い(古代ギリシャ人が次第に気づいた何か)があるが、それでもなお書かれていない標準、あるいは法があり、人はその下で生きるべきである。

プラトンは『法律』で固定的な自然法の観念をセックスに適用し、『シンポジオン』や 『パイドロス』で彼がそうする以上にいっそう厳しい方針をとる。『法律』第1巻で、彼はどれほど異性間の性行為が自然によって快楽を引き起こすかを書く。他方、同性間のセクシュアリティは「反自然的」(unnatural)である(636c)。第8巻では、アテネ人の語り手がどのようにして、広く受け入れられている同性愛行為、マスタベーションと違法な生殖目的のセックスを禁止する法律をもつかを考察する。そこで、彼はこの法律が自然に対応すると述べる(838-839d)。おそらく、ここでのプラトンの議論を理解するもっともよい仕方は、魂の欲望的な部分とそれをもっともよくコントロールする仕方に対する彼の全体的な関心というコンテキストにある。『シンポジオン』では、そのエロチックな牽引力は卑俗な官能性より、むしろ哲学の生活のための触媒でありえたのであるが、プラトンは明らかに同性間の感情がとくに強烈であるがゆえに、とくに問題を含むと見ている(Cf. Dover, 1989, 153-170; Nussbaum, 1999, esp. chapter 12)。他の人々が自然法理論の発展において重要な役割を果たした。

アリストテレスは顕著な人間的機能としての理性の強調によって、ストア学派はコスモスの自然的秩序の一部として人間の強調によって、それぞれ自然法の観念を形成するのを援助した。それはキケロの述べたように、「真の法は自然に合致した正しい理性である。」アリストテレスは彼のアプローチにおいて、変化が自然に従って起こること、従って自然法が具体化される仕方はそれ自身、時間とともに変わりうることを認めた。この観念を、アクィナスは後に彼自身の自然法理論に取り入れた。アリストテレスはプラトンほど欲望に関心を持たなかったので、性の問題についてそれほど多くを書かなかった。おそらく、彼の見解のもっともよい再構築は、彼を上に概略したようなギリシャ社会の主要な流れにに置くことである。主要な問題は「能動的役割」対「受動的役割」のそれであり、後者が問題となるのは、ただ市民であるか、市民になるであろう人々であった。ストア学派の創始者ゼノンは、彼の同時代人によれば、ただ男性たちに引き付けられただけであり、彼の考えには同性間のセクシュアリティに対する禁止が含まれていなかった。これとは対照的に、後代のストア学派キケロはセクシュアリティ一般に軽蔑的な態度を示しており、同性追求に手厳しい言葉を残した(Cicero, 1966, 407-415)。

自然法理論の最も影響力のある定式化は、13世紀にトマス・アクィナスによってされた。アクィナスはアリストテレスのアプローチをキリスト教神学に統合して、結婚と生殖を含めてある特定の人間的善の求心性を強調した。アクィナスは同性間の性関係について多くを書かなかったが、彼は罪としてのさまざまな性行為について詳細に書いた。アクィナスにとって、セクシュアリティは結婚という束縛のなかにあり、彼が結婚の顕著な善と見なすもの、主として愛、親交(companionship)と嫡出子を促進するのを助ける限りで許され善でさえある。アクィナスは生殖が道徳的、あるいは正しいセックスの不可欠の部分であると論じなかった。夫婦は子供をもとうという動機なしにセックスを享受することができた。結婚生活におけるセックスは、夫婦の一方、あるいは双方が(おそらくは、女性が閉経後であるがゆえに)不妊であるときでも、同様に(愛を表現するという動機があれば)潜在的に正しい。そのかぎりで、アクィナスの見解は実際に同性愛のセックスを除外する必要はない。たとえば、トマス主義者は同性間の結婚を受け入れ、同じ推論を応用することができる。つまり、ただ同性同士のカップルを生殖能力はないが、それでもまだ愛し合っている友愛的結合と見るのである。

アクィナスは重要な仕方で、いかなる性行為も道徳的であるためには、それが生殖的な種類でなければならないという条件を加える。これが達成されることのできる唯一の仕方は、腟の性交によってである。すなわち、ただ腟内への精液の放出だけが自然の出産をもたらすことができるから、たとえ任意の性行為が出産に至らないとしても、またそれが不妊症のために不可能であるとしても、ただそのタイプの性行為だけが生殖力をもつ。もちろん、この付加条項のもたらす結果は、異性の夫婦に非腟的セックスを禁じることに加えて、同性愛のセックスが(愛のある結婚の中でなされても)道徳的でありうるという可能性を排除することである。この重要な付加条項のために、どのような正当化がなされるのか。この問題はことさら緊急である。というのは、アクィナスは人々の性質がある程度まで変化するから、個人に適用される道徳規則の範囲も相当に変化することを認めるからである。すなわち、アクィナスは個人の自然本性が変化することを認めるから、人が自然本性によって感情的、身体的に自分自身と同じ性の人に引き付けられるし、それゆえ同性間の関係を追求することは「自然的」であると論ずることができる(Sullivan, 1995)。不幸にも、アクィナスはこの生殖力条件のために正当化を試みていない。

しかしながら、いっそう最近の自然法理論家はアクィナスの「生殖力タイプ」条件のために一対の擁護策を試みた。第一は、同性愛か異性愛者の肛門性交、あるいは避妊を使う性行為は、生殖という生殖器の目的を達成できなくすることである。しばしば「逸脱能力論法」(perverted faculty argument)と呼ばれるこの論法は、おそらくアクィナスに伏在的である。しかし、それは厳しい攻撃を受けた(see Weitham, 1997)。 また、トマスの自然法アプローチの最近のもっともよい擁護者はそれを越えて動こうと試みている( たとえばジョージはこの議論を却下している。(George, 1999))。もちろん、もし彼らの論法が失敗するなら、彼らはまだ行きずりのゲイの(また、ゲイではない)セックスに反論する力量を持つであろうとしても、彼らはある種の同性愛の性行為が道徳的に許される(積極的に善でさえある)ことを認めなければならない。

さまざまな現代の自然法理論家によって提案される第2の論法の詳細はさまざまであるが、共通の要素は強力である(Finnis, 1994; George, 1999)。トマス主義者として、彼らの論法は主として人間の善の説明に基づく。同性愛のセックスに反対する論法のための二つのもっとも重要な要因は、個人的統合(personal integration)と結婚である。(行動を起こすことのない方向づけとしての同性愛には反対しない。したがって、この点で彼らはカトリック公認の教義に従っている(see George, 1999, ch.15)。この見解によれば、個人的統合とは、行為者としての人間は彼らの行為者としての意図と、彼らの受肉した自己との間の統合をもたなければならないという観念である。したがって、自分の、あるいは他人の身体を自分自身の快楽へのたんなる手段として使用することは、彼らがマスタベーションで起きると論ずるように、自己の「崩壊」(dis-integration)を起こす。すなわち、自分の意図がただ快楽という目的へのたんなる手段として(自分自身、あるいは他人の)身体を使用することであり、このことが個人的統合を減少させる。しかし、性的結合に従事する同性の2人は、必ずしも自分自身の快楽のたんなる手段として他人のいかなる「使用」も意味しないと容易に答えることができる。それゆえ、自然法理論家は重要な人間の善としての結婚の実現というコンテキストにおける性的結合が、セクシュアリティの唯一の許される表現であると応える。それでも、この論法は、それが生殖をその「自然的達成」として結婚の中心に置くから、結婚が非常に特定の仕方でどれほど重要な善であるかを描き出す必要がある(George, 1999, 168)。自然法理論家は同性愛のセックスに対する彼らの反論を支持しようとするなら、生殖を強調しなければならない。もし、たとえば、彼らが人間性の開花に対する愛と相互の扶助を中心に置くなら、多くの同性カップルがこの基準を満たすであろうことは明確である。それゆえ、彼らの性行為は道徳的に正当であろう。

しかし、結婚の中心的な善としての説明に対していくつかの反論がある。一つは、生殖を結婚の「自然的達成」として位置づけることによって、不妊の結婚が貶されるということである。異性間の結婚におけるセックスは、そのパートナーが彼らの1人、あるいは双方が不妊であることを知っているとき、生殖のためにされるのではない。しかし、たしかにそれは不正ではない。したがって、なぜ同性愛のセックスは同じコンテキスト(長期の友愛的な結合)において不正であるのか (Macedo, 1995)。自然法論者の回答は以下である。腟の性交はそれ自体として考察されるなら、(それが特定のカップルにとって不可能である可能性を認めるけれども)生殖的性行為である。他方、異性愛か同性愛かにかかわらず、オーラルセックスとアナルセックスはけっして潜在的に生殖的ではない(George, 1999)。けれども、この生物学的区別は同様に道徳的に、また自然法理論家が想定するような仕方で適切であるのか。自然法理論家はこうした問題に関する議論において動揺しているように思われる。一方では、彼らは愛する者の結合(loving union)としての結婚の理想を擁護することを望む。そこでは、二人の人間が彼らの相互的開花に献身し合い、セックスはその理想への補完物である。しかも、そこには許されるゲイのセックス、あるいは異性愛者の肛門性交の可能性が開かれているが、彼らはどちらにも反対したいと思っている。それで、彼らは文字通りに男性のオルガスムが自分の愛する配偶者の腟を除いてどこでも許されないという点に至るまで生殖を強調することによって、粗雑に縮小的(reductive)に思われるセクシュアリティの説明を弁護する。縮小的と言って非難されるとき、彼らは結婚といういっそう広い理想に戻る。

現在では、自然法理論は主流の自由主義的思想に大幅な譲歩をした。たしかに、その中世の公式とは対照的に、たいていの現代の自然法理論家が統治権力の制限に賛成し、国家がすべての道徳的悪行を防止しようと試みることに利益を持つとは信じない。それでも、彼らは裁判で専門家として証言し、法廷助言者として意見書執筆を援助するほどに、同性愛そのものと、ゲイとレスビアンの職と住宅に関する保護に対して反対する。同様に、彼らは同性間の結婚にも反論する(Bradley, 2001; George, 2001)。

\section{クィア理論とセクシュアリティの社会的構築}

ストーンウォール後の時代のゲイ解放運動の台頭とともに、あからさまにゲイとレスビアンの見方が政治、哲学、文学的理論において前面に出てきた。初めは、こうした見方はしばしば男性支配(patriarchy)のフェミニスト分析(e.g., Rich, 1980)、あるいはこの理論への他の初期のアプローチに関連づけられた。しかし、正確に日付を設定することは困難であるが、明らかに重要な先行論文があり、1980年代後期と1990年代初期にクィア理論が展開された。クィア理論は多くの仕方で初期のゲイ解放運動理論とは異なっている。しかし、「ゲイとレスビアン」に対立するものとして用語「クィア」を選ぶ理由を調べることによって、重要な最初の違いを手に入れることができる。たとえば、レスビアン理論の幾つかの形態は非常に特殊な用語で、すなわち、非階級的で、合意に基づき、とくにセクシュアリティに係わり、とりわけ必ずしも膣に焦点を置かない(e.g., Faderman, 1985)として、レスビアンのアイデンティティーとセクシュアリティの本質を描き出した。たとえば、この枠組みから論ずるレスビアンは、自然法理論家を膣、挿入、男性のオルガスム(自然法理論家はけっして女性のオルガスムに言及しない)に焦点を合わせた、本質的に男性のセクシュアリティをまさしくその「自然法」の中に刻み込んでいるとして批判することができるかも知れない。

しかし、「レスビアン」と「ゲイ」のアイデンティティーとセクシュアリティの特徴に基づいたこのアプローチには3つの困難があった。第一に、その目的は異性愛の体制を、それがそのセクシュアリティが異なっている人々を排除し周辺化するという理由で批判することであったが、「ゲイ」と「レスビアン」のセクシュアリティのとんなな特殊な、あるいは「本質主義的」説明も同じ結果をもつように思われた。上述の事例に従うなら、レスビアンのアイデンティティーの特定の概念化について、それは性的かつ感情的に他の女性たちに引き付けられるが、その記述に適合しない女性たちを軽視する。サド-マゾヒストと男役/女役のレスビアンは、おそらくこの提示され「平等」の理想に適合しない。第二の問題は、自分のセックスパートナーの性にこのような強調を置くことによって、アイデンティティーの他の可能な重要な源泉、たとえば、人種と民族性が軽視されことであった。たとえば、黒人のレスビアンにとって最大の重要性を持つものは、彼女の人種よりも、むしろ彼女の女性同性愛(lesbianism)である。多くの黒人のゲイとレズビアンがこのアプローチを攻撃し、それは本質的に白人のアイデンティティーをゲイとレズビアンのアイデンティティーの核心に刻み込んだと非難した (Jagose, 1996)。

ゲイ解放論者のアプローチのもつ第3の問題は、それがしばしばこの「アイデンティティー」というカテゴリーそれ自体を問題のない、非歴史的概念として理解したことである。このような見解は、しかしながら、主としてポスト構造主義のなかで展開された議論のゆえに、次第に維持できないように思われた。非歴史的なものとしてのアイデンティティーに対する攻撃で重要なのはM・フーコーである。一連の著作において、彼は古代ギリシャから現代までのセクシュアリティの歴史の分析に着手した(1980, 1985, 1986)。 このプロジェクトはエイズから生じた合併症のために、1984年彼の死によって悲劇的に打ち切られたが、フーコーはセクシュアリティの理解が、どれほど深く時間と空間において変化することができるかを明確に説明した。また、彼の議論はゲイとレスビアンの理論化一般と、とくにクィア理論に非常に大きな影響力を持った(Spargo, 1999; Stychin, 2005)。

上述の歴史的概観の理由の1つは、セクシュアリティが自然によって与えられるのではなく、むしろ社会的に構築されるという主張を理解するために、何らかの背景を与えるのに役立つということである。さらに、社会的構築主義(social constructionism)対本質主義(essentialism)の係争点について早まった判断を下さないために、私は「同性愛者」という用語を古代と中世の時代に適用するのを避けた。古代ギリシャでは、自分のパートナーの性は重要ではなかったが、その代わりに積極的な役割であるか、受動的な役割であるかが重要であった。中世の見解で、「性的異常者」は誘惑に屈し、ある特定の非生殖的性的行為に携わった人であった。パートナーの性は古代の見解よりも重要であったが、いっそう広い神学の枠組みが「罪」対「罪を犯さないこと」の二分法に強調を置いた。近代の「同性愛」概念の台頭とともに、たとえ人が自分の傾向性に基づいて行動をなさないとしても、人は特定のカテゴリーに置かれる。これらの3つの非常に異なった文化を横断して表現される普通で自然のセクシュアリティとは何か。社会的構築主義者の答えは「自然」のセクシュアリティは存在しないということである。すべての性的理解は文化的理解のなかで構築され、それに媒介される。西洋の伝統以外の人類学のデータを取り入れることによって、事例は遙かに先に推し進めることができる(Halperin, 1990; Greenberg, 1988)。しかも、ここで提示された狭いコンテキストにおいてさえ、それらの間の違いは顕著である。古代ギリシャでの仮定は、男性(女性たちについてあまり知られていない)はいずれかの性ににエロチックに反応することができるということである。また、同性間の性的関係に携わった男性たちの圧倒的多数は、同様に結婚していた(あるいは後に結婚するであろう)。さらに、同性愛に関する現代の理解は性的な領域を、異性愛者と同性愛者の二つの領域に分割し、たいていの異性愛者は自分と同じ性にエロチックに反応することができない。

セクシュアリティが社会的構成物であると言うとき、この理論家はこうした理解が実在的でないと言うのではない。人々が(この見解では)同様にその文化の構築物であるから、我々はそれらのカテゴリーの中に作り込まれる。それゆえ、今日人はもちろん自分自身をストレート(straight)であるか、あるいはゲイであるか、あるいは両刀使いであると解釈する。人が自分自身を現にあるような歴史的な構成物として見るようになっても、これらのカテゴリーの外に踏み出すことは非常に難しい。

このように、ゲイとレスビアンの理論は三つの重要な問題に直面した。また、そのすべては「アイデンティティー」の概念に伴う困難を含んでいた。したがって、クィア理論は主としてそうした困難を克服する試みとして生じた。クィア理論がどのようにしてそれらを克服するかを、「クィア」(queer)という用語自体を見ることによって理解することができる。ゲイ、あるいはレスビアンとは対照的に、「クィア」はある本質を指示するのではない。その代わりに、それは純粋に関係的であり、どのような仕方で規範それ自体が定義されたとしても、まさにその規範の外部にあるものであることによって、その意味を得る未定義の用語として位置を占める。もっとも理論整然としたクィア理論家の1人が述べたように、「クィアは……標準的なもの、合法的なもの、支配的なものとの関係で奇妙なものすべてである。それが必然的に指示するものは、とくに何もない。それは本質のないアイデンティティーである」(Halperin, 1995, 62, original emphasis)。本質を欠くことによって、クィアはたとえば、サド-マゾヒストのように、そのセクシュアリティがゲイ、あるいはレスビアンの規範の外部にある人々を軽視しない。セクシュアリティの特定の概念化が避けられ、それゆえクィアのどんな定義の中心にも置かれないので、それは自己同定(self-identification)に、たとえば、黒人のレスビアンが女性同性愛ではなく、自分の人種(あるいはS\&M下位文化への傾倒のような、他のいかなる特徴でも)に深く自分を同一視することに、いっそう多くの自由を認める。最後に、何らかの本質あるいは非歴史的側面をアイデンティティーに帰属させることの困難についてのポスト構造主義的な洞察を含む。クィア理論家によるこの中心的な動き、アイデンティティーが理解されるカテゴリーは自然によって我々に与えられたものではなく、むしろすべての社会的構築物であるという主張は、多くの分析的な可能性を開く。たとえば、クィア理論家が現代西洋において人々に自然で自明と思われているジェンダーとセックスの概念がいかにして実際に構築され、日常の行為を通して強化されているかを、またそれが異性愛に特権を与える仕方で生ずることを考察する(Butler, 1990, 1993)。同様に、医学的カテゴリーがそれ自身社会的に構築されていることが検討される。(Fausto-Sterling, 2000は、この種の学識の例である。しかし、彼女が究極的にクィア理論家ではない。)他の人たちは言語と、とくに「秘匿された」(closeted)と「外部の」(out)との二分法に対応して、とくに異性愛と同性愛という現代の区分に関して、「言われたこと」と「言われないこと」の区分が、そのように近代的な考えの多くを構造化するかを検討する。すなわち、我々が人工的-自然的、あるいは男性的-女性的のような二分法を見るとき、我々はその背景に2つの種に分かれている性的な世界の非常に最近の理解に対する暗黙の信頼を見いだすと論じられる。(Sedwick, 1990)クィア理論を通して作られたカテゴリーの流動性は、以前に静かなタイプの愛情と関係性を調べる新しい種類の歴史の可能性を開きさえする(Carter, 2005)。

これまで論及されてきた人々に内在的であるけれども、もう一つのクィアアプローチによって開かれた決定的な見方がとくに重要である。たいていの反ゲイ-レスビアン論法が異性愛のいわゆる自然さに依拠するから、クィア理論家がいかにこれらのカテゴリーが深く社会的構築物であるかを示そうと試みる。一つの事例がこのアプローチを説明するのに役立つ。それが非常に代表的であるから選ばれたのであるが、ゲイの結婚に反対する論文で、J・Q・ウィルソン(1996)はゲイの男性が乱交的である「大きい傾向」を持っていると強く主張する。これと対照的に、彼は異性愛の自然的条件として、愛のある一夫一婦制の結婚を提示した。彼の議論では、異性愛は完全に自然的な何ものかと、同時に危険にさらされるものの奇妙な組み合わせである。人は堅物として生まれる。しかし、この自然的条件はゲイカップルの現存、ゲイの教師、あるいは同性愛に関する話のようなことによって覆されうる。ウィルソンの議論は異性愛と同性愛の間に根本的な分裂を要求する。もしゲイであること(gayness)が根本的に異なっているなら、それを抑圧することは合法的である。ウィルソンは彼の議論のこの要素について率直である勇気を持っている。彼はゲイとレスビアンに対する「寛容という政治的課税(imposition)」に反対を表明する。

真偽問題を少なくとも一時的に括弧で括ることは、クィア理論では一般的である (Halperin, 1995)。その代わりに、分析は言説の社会的な機能に焦点を合わせる。誰がなぜ専門家として扱われるかに関する疑問と、専門家の言説の効果についての関心が、言われた事柄の真理の問題と平等な地位が与えられる。このアプローチは、ある重要な認識論的な動きがウィルソン(と他の反ゲイ)の著作の下に隠されていることを明らかにする。異性愛が自然的条件であるから、それが話される場所であり、探求される場所ではない。それとは対照的に、同性愛は逸脱であり、それゆえそれは研究される必要がある。しかし、それはそこから人が話をすることができる権威のある場所ではない。このヘテロ・セクシャルの特権によって、ウィルソンは公平で公正な専門家の声を認めた。しかも、上の歴史の節で示したように、セクシュアリティの理解に顕著な断絶がある。これは、クィア理論家によれば、我々はセクシュアリティについて何らかの特定の性質も持つと考えるべきではないという点で真である。セクシュアリティのどんな特定の概念への我々の傾倒を正すことを通じて、クィア理論家は周辺的な形態のための空間を開く。

しかしながら、クィア理論は無数の仕方で批判されてきた (Jagose, 1996)。一組の批判が、急進的な社会的変化のプロジェクトとして考えられたゲイ解放運動に同情的な理論家から提出された。最初の批判は、まさに「クィア」が特定の性的地位、あるいは性対象選択に言及しないから、たとえば、ハルパリン(1995)が堅物の人が「クィア」であることを認めるということである。それはゲイとレスビアンから彼らを周辺的なものにする顕著な特徴を奪い取る。その係争点がまさに性的アイデンティティに係わるときに、それはアイデンティティーを脱性化(desexualizes) する(Jagose, 1996)。これに関連の一つの批判は、クィア理論が正常(normality)の本質、あるいはその標準的な観念に対する言及を拒絶するから、それは決定的な区別をすることができないということである。たとえば、クィア理論家は通常「クィア」という用語の利点の一つは、それがそれによって性転換者、 サド-マゾヒスト、その他の周辺的なセクシュアリティを含むことであると論ずる。これはどのくらい遠くまで拡がるのか。世代間のセックス(たとえば、小児性愛)は許されるか。受容できるサドマドヒズム、あるいはフェティシズムの形態に限界はないのか。あるクィア理論家はとくに小児性愛を拒否するが、この理論がこのような区別を支持するための力量を持っている否かは未解決の問題である。さらに、他のクィア理論家は明らさまに「クィア」としての小児愛者を除外することを拒否する。(Halperin, 1995, 62)もう一つの批判は、クィア理論が一部はそれが典型的に非常に専門的術語に依存するから、そのわずかなエリートのためにわずかなエリートによって書かれるということである。それゆえ、それは階級的偏見であり、同様に実際には大学でのみ言及されるにすぎない(Malinowitz, 1993)。

クィア理論は同様に急進的な社会的変化の望ましさを拒絶する人たちにも批判される。たとえば、中道主義者と保守派のゲイとレスビアンがクィア・アプローチを批判した。それは「壊滅的に反生産的」であろう(Bawer, 1996, XII)。もし「クィア」がその変質的で社会の本流と折り合わない何ものかに関する意味内容を保持するなら、それがまさにたいていのクィア理論家が欲するものであるが、それはゲイとレズビアンに対して保守派によってなされた攻撃を公認することであるように思われる。サリバン(1996)は同様にクィア理論家がフーコーの権力の説明に依拠したとして批判する。それは彼によれば、有意義な抵抗を考慮に入れないからである。しかしながら、サリバンのフーコーの権力と抵抗の概念の理解が見当違いであることは、ありそうに思われる。

\section{結論}

同性愛についての論争は、部分的にはそれらがしばしば公共政策と法的な問題を伴うから、急激に分極化される傾向がある。同性愛にもっとも関心のある人々は、積極的あるいは消極的に、もっとも運動に参加した人々である。自然法理論家はゲイとレスビアンが減少した法的地位をもつと論じ、クィア理論家は彼らが異性愛の体制と見なすものの批判と解体に従事した。しかし、これら二つの集団は相互にあまり話をしないし、むしろお互いを無視するか、あるいは過去の話をする。この中央に何人かの理論家がいる。たとえば、M・サンデルはアリストテレスのアプローチをとり、そこからゲイとレスビアンの関係が異性愛の関係がなすのと同じ善を実現できると論ずる(Sandel, 1995)。彼は自然法理論家のもつ重要な人間的善の説明を広範に共有するが、それでもなお同性関係の価値の彼の評価で、彼は明らかにゲイとレスビアンの関心に同情的である。同様に、B・バウワー(1993)とA・サリバン(1995)は、結婚の権利を含めて、ゲイとレスビアンに対する完全な法律上の平等について雄弁な弁護論を執筆した。しかし、彼らは何れもより広範囲のアメリカの文化と政治の組織的改革を論じてはいない。この点において、彼らは本質的に保守的である。そのために、予想通りにこうした中道主義者は両側から攻撃されている。たとえば、サリバンはクィア理論家(e.g., Phelan, 2001)と自然法理論家 (e.g., George, 1999)によって詳細に批判された。

それでも、前述の人たちが明らかに示したように、同性愛を取り巻く政策と法律上の論争は道徳と正義に関する基本的な問題と司法を含んでいる。おそらく、もっとも中心的に、彼らは個人のアイデンティティーと自己定義の問題に切り込んだ。それゆえ、こうした論争を特徴づける分極化に関してもう一つの、いっそう深い理由の集合がある。

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