高橋幸先生の「近代社会における恋愛の社会的機能」(2)

そもそも、スタンバーグが恋愛は「友情 + 情熱だ」って言った、って話が実はおかしいんですよね。

スタンバーグ先生の三角理論は、情熱、親密さ、コミットメントが要素です。もし、親密さ だけ の関係を「友情」(friendship)と呼ぶのであれば(スタンバーグ先生自身は「liking」と呼んでることに注意)、恋愛は「友情 + 情熱 + コミットメント」です。

ただこれは理解できるところもあって、我々が「友情」って呼ぶに値すると考えてる関係ってのは、少なくとも一定のコミットメントはあるだろうし(つまり、なんかあったらすぐに友人をやめてしまう、なんてことはおかしい、それは友人じゃなくて知りあいでしょ、ってな)、またちょっとは情熱みたいなのも入ってるだろう。セックスしたいとは思わないとしても、「アイツを助けに行かなきゃなんねーんだ!だって、俺たち友だち/仲間だろ!」って感じ。最近『トツゲキ』ってマンガ読みましたが、そういう感じでした。だから高橋先生が「友情にはコミットメントもコミだろう」って考えて、「だから恋愛との違いはあとは「情熱」だけだな」って考えたのかもなあ、みたいなことは推測します。でもこれは、スタンバーグからは離れちゃってるので、スタンバーグがそういうことを言ってる、と紹介されると困ります。

ちなみに、高橋先生が考えている「友情」は、スタンバーグの図式でいえば companionate loveです。親密さとコミットメントがあり、「情熱」がない。

さて、こっからさらに話はヨレていってるように私には見えるのです。

高橋先生は次のように言う。

「ロマンチックな情熱」を説明するために スタンバーグが引用しているのが、心理学者ドロシー・テノフ (1999)のリメレンス研究である。」(強調江口)

スタンバーグ先生のオリジナルの論文は 1986年なので、もちろん1999年の文献を参照するわけにはいきません。テノフ先生の本のオリジナルの 出版年は1979年 のはずです。参照しているのはそっちね。

そして、スタンバーグさんは「ロマンチックな情熱」を説明するためにテノフさんに言及しているわけではありません。テノフさんの「リメレンス」に言及するのは、(ロマンチックな)情熱を説明するためではなく、Infatuated Love=のぼせ恋愛、情熱 しか なくて、親密性もコミットメントも欠けてる恋愛、片思いや、恋愛のごく初期にある、あのドキドキワクワクいつもその人のことを考えてしまう、あの infatuation (のぼせ)とかリメレンスとか呼ばれる状態・現象を説明する部分です。情熱「だけ」ってのがポイントなのです。だからロックスターやハリウッド俳優、ジャニーズや地下アイドルに対しても抱くことができる愛です。「ガチ恋」と呼ばれるやばい状態を説明するために、スタンバーグはテノフさんに言及しているのです。しかしそれは普通は長くは続かない。恋の情熱は長続きしないのです。たしかにスタンバーグ先生は次のように言う。

Infatuation is essentially the same as what Tennov (1979) calls “limerence,” and like Tennov’s limerence, it can be quite lasting in duration under certain circumstances.

一般には長続きはしないんですが、一定の特別な環境ではけっこう長続きすることもあるよ、って言いそえてるだけですね。まあ一定の環境/条件ってのがどういうのかは興味がありますが。

高橋先生の紹介にはさらに問題はあります。しょうがないので続く。

Views: 278

コメント

タイトルとURLをコピーしました