ついに、元気な社会学者の先生たちによる『恋愛社会学』が出版されてたいへんよろこんでいます。がんばってほしいですね。
さっそくあれこれめくってみているのですが、最初の高橋幸先生の「近代社会における恋愛の社会的機能」でつまづいてしまいました。なんか恋愛心理学に関する記述が私の理解してるやつとぜんぜんちがってる……うーん。まあいろいろ広い文献を研究途上でしょうからやむをえないところがあるんだと思うのですが、バグ出しにつきあうつもりで気になったところを書いておきます。この本は恋愛の社会学に興味のある学部生(3〜4回生)のために書かれたものだということですので、そこらへんも意識しながらいきましょう。
この高橋先生の論文は、「恋愛結婚」っていう現象あるいは理想(あるいは幻想)みたいなのってどっから来たものでしょうね、という疑問意識からはじまっています。これは恋愛と結婚(とセックス)に興味ある人には当然の疑問で、特に社会的・歴史的な考え方をしたい人にとっては定番のテーマの一つですね。
んで、本論では、欧米では19世紀ごろに「個人」や「個性」ってものが大事だと考えられるようになって、恋愛(と結婚)はそうした個人や個性を承認するものとしての機能をもつようになったのだ、とそういう解釈になっています。ここらへんは問題がない、というか今回はOKです。
私が違和感をもったのは、そのあとです。では、個人や個性の承認なんてものは恋愛じゃなくて「友情」でもおこなえるじゃないか、んじゃ友情と恋愛の違いはなんなのだ?という問いです。この恋愛と友情の違い、恋人と友人の違い、というのも一般の人々も、学部生ぐらいの学生さんも非常に興味をもつところで、高橋先生がこうした問いを提出するのはとてもよくわかります。グッドです。
んでまず紹介されるのが、心理学者のジック・ルービンの議論。ちょっと古い(1970年ごろ)。ルービンによれば、友人には好意をもつ。恋愛はさらにそれに加えて没頭とか愛着とかケアとか、もっといろんなものがくっついていますよ、ということだそうです(私はまだ見てないのでここらへの議論の紹介は受けいれます)。
高橋先生のつっこみは、でもそんなのは友人関係にだってくっついてるじゃないですか、ということですね。上のルービンの議論では、友情と恋愛をうまく区別できてない、ということです。これもOKです。問題はここから。
そこで、恋愛というのは「友情 + 情熱」だ、と論じた心理学者としてスタンバーグ先生が参照されるのです。愛の三角形理論ってやつですね。恋愛心理学者の先生はもちろんのこと、私も授業では必ず紹介するんですが、このブログには書いてなかったかな?
スタンバーグ (Sternberg 1986) “A Triangular Theory of Love” という超有名論文では、恋愛(love)には三つの要素がある、それは情熱、親密さ、そしてコミットメントだ、とされてます。それらの有無や 強弱 によって愛のよくある類型/パターンが単純化して提示されます。要素の有無だけを考えれば2*2*2=8パターン。でも、おそらく要素には強弱があるので8つにはおさまりません。理論的にはそれぞれの強弱が3段階なら 3*3*3=27パターン、5段階なら5*5*5=125パターンが考えられる(どれも0の値のが恋愛なのかはわかりませんが)。
高橋先生ので問題なのは、スタンバーグの原論文では8つのパターンは以下のようです。
高橋先生はこっから自分で図を作っているわけですが、正確だとは言いにくい。
一番上の「親密さ」だけがある愛を表わすのに、友情 friendship をあててますが、原論文に忠実なら Liking ですね。でもまあ Liking と呼ばれる愛は「友情」と呼ばれてもいいだろう、っていう意味のことをスタンバーグさんも書いているのでこれはOKです。友情というは「好き」だってだけ、友人というのは「好きな」人である、ってなわけですね。
さて、情熱です。
情熱とは「ロマンスや身体的魅かれ、性的達成などを導くような動因(drive)」であり、具体的には「相手と一つ(union)になりたいという密着や感情的つながりを求める欲求のこと」である(Sternberg 1986: 122)。(高橋:10)
この文献参照もちょっとよくなくて、 前半に対応すると思われる、
“passion, which encompasses the drives that lead to romance, physical attraction, and sexual consummation”
はp. 119のアブストラクトにあります。後半は
“The passion component of love comprises those motivational and other sources of arousal that lead to the experience of passion. It includes what Hatfield and Walster (1981) refer to as “a state of intense longing for union with other” (p.9).”
のところだと思うんですが、「密着」や「感情的つながり」がどこから来てるのかわからない。こういうの、我々はいいけど、学部生はけっこうキツいと思うんですわ。
もしかしたら、Sternberg 1986ってのは、Psychological Revew 93(2) 119-135のやつじゃなくて、 Sternberg & Barns (eds.) (1988) The Psychology of Love, Yale University Pressに収録されている Sternbergの “Triangle Love”じゃないかな。これも119ページからはじまってるので混乱するんですよね。……でも違うみたい。うーん。私の目がおかしいのか……
あ、でもとりあえず高橋先生の図に近いやつはありました!
うまあ同じような論文だから混同してしまったのかもしれませんね。そういうのはしょうがない。でも私が気になってるのはこういう重箱の底ではない……はず。
長くなりそうなので続きます。
- 高橋幸先生の「近代社会における恋愛の社会的機能」(1)
- 高橋幸先生の「近代社会における恋愛の社会的機能」(2)
- 高橋幸先生の「近代社会における恋愛の社会的機能」(3)
- 高橋幸先生の「近代社会における恋愛の社会的機能」(4)
- 高橋幸先生の「近代社会における恋愛の社会的機能」(5)
- 高橋幸先生の「近代社会における恋愛の社会的機能」(6)
- 高橋幸先生の「近代社会における恋愛の社会的機能」(7)
- 高橋幸先生の「近代社会における恋愛の社会的機能」(8)
- 高橋幸先生の「近代社会における恋愛の社会的機能」(9)
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