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「パーソン論」よくある誤解(1) パーソン論は功利主義的だ

なんかいまだに生命倫理学の議論における「パーソン論」については誤解が多いようなので、目立つものをいくつかとりあげて解説しておきたいと思います。

「パーソン論」と呼ばれる学説はまあ生命倫理学では一般的で、基本的に各種の「権利」をもった「ひと」である条件はどのようなものかを論じようとするものですね。国内で一番有名なのはマイケル・トゥーリーの論文「妊娠中絶と新生児殺し」で提出されたものです。他にもメアリ・アン・ウォレンの「妊娠中絶の法的・道徳的地位」のヴァージョンも有名ですし、まともな生命倫理学者はほとんど必ずそれぞれの「パーソン論」を提出しています。っていうか「権利」の重要性を認める以上、誰がどんな権利をもっているのかをはっきりさせることはどうしても必要になるので当然そういう議論はしなくちゃならんわけです。
上のどちらの論文も『妊娠中絶の生命倫理』という本で訳出されていますので参照してください。典型的な批判も収録しています。

たとえば社会学者の加藤秀一先生は『〈個〉からはじめる生命論』という著書で「功利主義のパーソン論」という見出しを立てたり、「興味深いのは、生命倫理の文脈で有力視される功利主義的議論がしばしばシンプルな快楽説に基盤を置いているようにみえることだ。とりわけ「パーソン論」と一括りにされるタイプの議論にそのことは顕著である。」(p.54)のように書いたりしています。

これは非常によく見かけますが、かなりはっきりしたまちがいです。パーソン論と功利主義の関係はむしろ対立的といえるほどです。功利主義は最大の幸福を生みだす行為や制度が正しいとする立場であって、誰が幸せになるかには基本的に無関心です。ロールズという影響力のある政治哲学者は功利主義は「人の個別性」に関心をもたない、と批判しています。私が幸せになろうが、あなたが幸せになろうが、幸せの量が同じならば同じくらい正しい、ということになります。あなたが10ポイント幸せが増え、私も10ポイント幸せになるケースと、あなたが20ポイント幸せになり私が現状のままでいることは、どちらも同じ程度によい、ということになります。また、とにかく功利主義は「パーソン(ひと)」であるかどうかということにも基本的には関心をもちません。馬の幸せも私(いちおう人間)の幸せも同じような幸せであれば同じように評価しなければなりません。功利主義において権利はたいして重要ではありません。と書くと誤解されてしまいますが、権利は人々の幸福(あるいは幸福であるための安全)を増やすために必要とされる決め事にすぎません。

これに対して「パーソン論」は基本的に「権利」に関する学説です。「パーソン論」と呼ばれる学説を提唱する人々はさまざまいるのですが、基本的に「我々が各種の権利をもっていると認める(べきな)のはどのような存在か、なぜそうしているのか」ということを問題にします。権利とは、よっぽどのことがないかぎり侵害してはいけない利益です。功利主義にとって権利は二義的な意味しかもちませんが、パーソン論では中心的です。むしろ功利主義では十分に考慮されていない(と言われる)人の権利を重視すべきだ、って発想の上での議論です。

国内でパーソン論と功利主義が混同されることがあるのはおそらくいくつかの理由があります。

第一に、よく読まれたピーター・シンガーの『実践の倫理』で妊娠中絶の問題があつかわれる際に、シンガーがパーソン論と功利主義の両方をもちいて中絶を正当化したことがあげられれます。シンガーは人を死なせることが不正である有力な根拠として(1)権利論(パーソン論)、(2)カント的な自立の尊重、(3)古典的功利主義、(4)選好功利主義の四つをとりあげて、それぞれの立場から中絶が非難されるべきであるのかを検討しました。これはシンガー自身が好む功利主義の立場から論じるだけでは十分な議論ができないからです。(1)〜(4)のどの立場からでも中絶が許容されることを示すことができれば、実践的な問題の解決に大きく前進することになるわけですから、シンガーのこのやり方は悪くないといえるでしょう。問題は混同してしまう読者や日本の哲学者たちにあります。

第二に、もっとひどい読み方として、中絶に関する議論の多くは「英米系の議論だから功利主義だ」のような印象をもった人が多かったようです。実際には英国で優勢な功利主義的な思考と、アメリカの伝統的な思考法である権利にもとづいた考え方はまったく対立するものなのですが、イギリスとアメリカの思想的伝統の区別がついてない人は多いようですね。ははは。そういう人々はもうジョン・ロック先生もロールズ先生もベンサム先生も英語で書いてるから同じ、みたいな考えかたするんでしょうから、そういう人のを読んではいかんです。

おまけの妊娠中絶本ブックガイド

順不同で。常に書きかけです。

  • パウロ六世 (1969)『フマーネ・ヴィテ(人間の生命):適切な産児の調整について』、神林宏和訳、中央出版社。ヴァチカンの公式見解です。入手難しいかもしれないからPDFでばらまきたいような気もするけど、だめだろうなあ。ネットに http://japan-lifeissues.net/writers/doc/hv/hv_01humanaevitae-ja1.html があるのですが、このページを運用している団体「聖母献身宣教会」がどういう団体であるか私はわかっていません。
  • 田中美津『いのちの女たち:とり乱しのウーマン・リブ論』(パンドラ、2010)。70年代の国内のウーマンリブ運動に強烈なインパクトを与えた1冊です。必読。
  • キャロル・ギリガン (1986) 『もう一つの声』(川島書店)。女性にとっての中絶という体験を分析した非常に重要な本です。しかし翻訳がちょっと……
  • 加藤尚武・飯田亘之編『バイオエシックスの基礎』(東海大学出版会、1988)。国内の生命倫理学の出発点となった一冊。トムソンとトゥーリーの論文に加え、エンゲルハートの「医学における人格の概念」、プチェッティの「〈ひと〉のいのち」、ファインバーグの「人格性の概念」、ワーノックの「体外受精をめぐる倫理的問題」などの有名論文が収録されています。
  • 森岡正博『生命学への招待』(勁草書房、1988)、 『生命学に何ができるか』(勁草書房、2001)。どちらも「パーソン論」についての国内の理解に非常に強い影響力をもちました。必読ですが、非常にオリジナルな著者ですので注意が必要。
  • 佐藤和夫・伊坂青司・竹内章郎(1988)『生命の倫理を問う』(大月書店)。あまり読まれてないかもしれませんが、妊娠中絶や優生思想について独自の立場から議論されています。
  • 島田〓(アキ、火偏に華)子(1988)『生命の倫理を考える:バイオエシックスの思想』(北樹出版)。カトリックの立場から生命や人格について論じています。1995年に増補改訂版。
  • 加茂直樹・塚崎智編『生命倫理学の現在』(世界思想社、1989)。まだ売れているらしい驚異の1冊。大きなインパクトがありました。だいたい国内の生命倫理学の論調の基本を作った感じ。収録されている平石敏隆「人工妊娠中絶」、水谷雅彦「生命の価値」などが国内の標準的な理解を形成しました。
  • マイケル・J・ゴーマン『初代教会と中絶』(すぐ書房、1990)。キリスト教初期における中絶のあつかいを研究しています。
  • マイケル・ロックウッド編『現代医療の道徳的ジレンマ』(晃洋書房、1990)。これに掲載されているロックウッドの「生命はいつ始まるか」も国内の初期の生命倫理学に大きな影響を及ぼしました……はずなのですがそうでもないかも。
  • ピーター・シンガー(1991)『実践の倫理』。第1版。これが誤解されてシンガーが典型的な「パーソン論者」にされてしまいました。重要ですが、パーソン論としてはあんまり典型ではありません。1999年に第2版。読むなら第2版を。
  • 加茂直樹(1991)『生命倫理と現代社会』(世界思想社)。「生命の価値についてのノート:シンガーの議論をめぐって」などが収録されています。
  • 荻野美穂、『生殖の政治学』(山川出版社、1994)および『中絶論争とアメリカ社会』(岩波書店、2001)。米国においてフェミニストたちがどのようにして中絶の権利を獲得したのかを詳述。どちらも良書、必読。『中絶とアメリカ社会』ではロー対ウェイドについても触れられています。
  • 浅井美智子・柘植あづみ編(1995)『つくられる生殖神話』(制作同人社)。土屋貴志「産まれてこなかった方がよかったいのち」とは:障害新生児の治療停止を支える価値観」が収録されています。
  • ロジャー・ローゼンブラット『中絶:生命をどう考えるか』,(晶文社、1996)。それほど深くない。あんまり記憶にありません。荻野先生ので充分だろう。……いや、読み直すとけっこう重要なことも言ってます。歴史的な考察とかはすぐれてる。
  • 江原由美子編『生殖技術とジェンダー』。1990年代に中絶反対派の井上達夫氏と女性の権利の擁護派の加藤秀一氏の間で行なわれた論戦が収録されている。
  • 立岩真也『私的所有論』(勁草書房, 1997)。トムソンの議論が紹介されているが、新訳と比較してほしい。
  • ロナルド・ドゥオーキン『ライフズ・ドミニオン:中絶と尊厳死そして個人の自由』(信山社, 1998)。難解ですが重要。しかし胎児は憲法上「人」じゃないってところから出発してしまっている。
  • ピーター・シンガー『実践の倫理』(昭和堂、1999)。必読。1章を妊娠中絶の問題にあてています。ただしシンガー自身は中絶の問題そのものにはそれほどオリジナルな貢献はしていません。(動物の問題との連続性を指摘した点では高く評価されます)またいわゆる「パーソン論」を直接に採用しているわけではありません。
  • 中谷瑾子『21世紀につなぐ生命と法と倫理:生命の始期をめぐる諸問題』(有斐閣、1999)。
  • 高橋隆雄編(1999) 『遺伝子時代の倫理』(九州大学出版会)。八幡英幸「「生命倫理」の課題としての「人の誕生」」が収録されています。
  • 加藤尚武(1999)『脳死・クローン・遺伝子治療』(PHP出版)。一部で妊娠中絶を扱っていますが、いろいろミスリーディングなので注意。「……人工妊娠中絶を正当化しようとしても、アメリカの人工妊娠中絶反対論は非常に橋梁で、相次いで反論が発表された。その代表的な議論に「トゥーリィの理論が正しいとしても、胎児は潜在的には人格なのだから、その生存を否定すれば、未来の人格を否定することになる」というものがある。それに応じたのがファインバーグの潜在性否定論であった。」(p.177)など、歴史的にはっきりまちがっています。
  • 村松聡『ヒトはいつ人になるのか:生命倫理から人格へ』(日本評論社、2001)。パーソン論を検討しています。本書のトゥーリーやウォレンの議論と比較してみてください。
  • 長島隆・盛永審一郎編(2001)『生殖医学と生命倫理』(太陽出版)。高畑明尚「生殖医療と女性の権利:人工妊娠中絶を転回点として」、盛永審一郎「着床前診断に対する倫理的視座」、秋葉悦子「「ヒト胚」の法的地位と尊厳」、尾崎恭一「胚研究における人間概念」ほかこの時期の重要な論文が収録されています。このシリーズ(生命倫理コロッキウム)は良質です。
  • 岡本裕一朗『意義あり!生命・環境倫理学』(ナカニシヤ出版、2002)。トゥーリーの議論が紹介されている。トゥーリーのもとの論文と注意深く読み比べてほしい。
  • 斉藤有紀子編『母体保護法とわたしたち』(明石書店、2002)。フェミニストが中絶の問題について微妙な立場におかれていることがわかりやすい。
  • 江原由美子『自己決定権とジェンダー』(岩波書店, 2002)。日本のフェミニストの代表的な立場であると思われる。
  • 高橋隆雄編(2002)『ヒトの生命と人間の尊厳』(九州大学出版会)。このシリーズ(熊本大学生命倫理論集)は一般に良質です。八幡英幸「「人の生命の萌芽」は「尊厳」を持つか」などが収録されています。
  • 徳永哲也『はじめて学ぶ生命・環境倫理』(ナカニシヤ出版,2003)。1章を妊娠中絶の問題にあてています。穏健で標準的。
  • 山根純佳『産む産まないは女の権利か』(勁草書房, 2004)。トムソンの議論を紹介しているが、新訳と比較してほしい。トムソンの重要な論点が抜けていると思われる。
  • 小林亜津子(2004)『看護のための生命倫理』(ナカニシヤ出版)。やや保守よりの良書。減胎手術や選択的妊娠中絶が論じられています。2010年に第二版。
  • 葛生栄二郎・河見誠『いのちの法と倫理』(法律文化社、2004)。法学の観点から中絶についてけっこうな量を割いて論じています。あれ、私がもっているのは版が古いようです。
  • 宮坂道夫『医療倫理学の方法』(医学書院、2005)。目新しい「ナラティブアプローチ」で非常におもしろいですが、やはり「人格を持つ」という用語法を使ってしまっています。
  • ウィリアム・R・ラフルーア『水子〈中絶〉をめぐる日本文化の底流』(青木書店, 2006)。比較宗教学・宗教民俗学アプローチ。中絶の罪悪感などについて興味深い知見あり。
  • ドゥルシラ・コーネル『イマジナリーな領域:中絶,ポルノグラフィ,セクシュアル・ハラスメント』(お茶の水書房, 2006)。難解。他の本先に読んだ方がいいでしょう。
  • 緒方房子『アメリカの中絶問題:出口なき論争』(明石書房, 2006)。荻野先生とだいたい同じ内容を扱っている。
  • 加藤秀一『“個”からはじめる生命論』(NHKブックス、2007)。森岡正博先生と同じく、オリジナルな人です。非常におもしろいですが、注意しながら読んでください。
  • ディアナ・ノーグレン『中絶と避妊の政治学』(青木書店, 2008)。日本の人口政策についての研究。良書。
  • 村上喜良『基礎から学ぶ生命倫理学』(勁草書房、2008)。中絶に1章使っています。基本的に良書なのですが、「人格を持つ」のような表現を使ってしまっていますので注意。
  • アルバート・ジョンセン、『生命倫理学の誕生』(勁草書房、2009)。生命倫理学がどのようにして成立したのかを詳細に論じた一冊。研究者必読。
  • 岩田重則『いのちをめぐる近代史:堕胎から人工妊娠中絶へ』(吉川弘文堂,2009)。歴史学・歴史社会学的なアプローチ。第二次大戦ぐらいまで。
  • 秋葉悦子『人の始まりをめぐる真理の考察』(毎日新聞社、2010)。カトリックの代表的な立場をわかりやすく紹介しています。
  • 小林亜津子『看護のための生命倫理』(改訂版)(ナカニシヤ出版、2010)。標準的だけどちょっと保守的な感じ。初版は2004年。
  • 日比野由利・柳原良江編『テクノロジーとヘルスケア:女性身体へのポリティクス』(生活書院、2011)。水島希「1970年代における人工妊娠中絶の実態と批判:女性活動家たちによる問題の定位とその含意」、杵淵恵美子「妊娠中絶を希望する女性の心理とケアの状況」他、フェミニストの観点からさまざまな考察が行なわれています。
  • 野崎泰伸(2011)『生を肯定する倫理へ:障害学の視点から』(現代書舘)。障害学の立場からピーター・シンガーらの立場を批判しています。
  • 小林亜津子(2011)『はじめて学ぶ生命倫理:「いのち」は誰が決めるのか』(ちくまプリマー新書)。生命倫理の基本的な問題をやさしく紹介しています。
  • 岩田健太郎(2011)『ためらいのリアル医療倫理』(技術評論社)。中絶の問題は主観的なものにすぎないと主張しており、おすすめできません。しかし現場の医師の感覚としてはこういうものかもしれません。
  • 辻村みよ子『代理母問題を考える』。米国の中絶についての憲法裁判について淡々と書いている。
  • 柘植あづみ(2012)『生殖技術』。女性の身体の自己決定権で押そうとしているようですが、うまくいってるのかどうか。
  • 小林直三(2013) 『中絶権の憲法哲学的研究:アメリカ憲法判例を踏まえて』(法律文化社)。ドゥルシラ・コーネルの議論を援用した中絶容認派。パーソン論の扱いとかは私は納得できません。
  • 塚原久美(2014)『中絶技術とリプロダクティブ・ライツ:フェミニスト倫理の視点から』 (勁草書房)。トムソンの翻訳を担当した塚原さんの力作です。日本の中絶技術の問題や中絶をとりまく議論の問題点が浮き彫りにされています。

続きます。

重要な洋書

  • Mary Anne Warren, Moral Status: Obligations to Persons and other Living Things, Oxford University Press, 1997. 基本書です。
  • Louis Pojman and Francis J. Beckwith (eds.), The Abortion Controversy: 25 Years After Roe V. Wade : A Reader, Wadsworth Publishing, 1998。バランスのよい良書。研究者必読。
  • Susan Dwyer and Joel Feinberg (eds.), The Problem of Abortion, Wadworth Publishing, 1996. 哲学的な中絶議論を紹介するアンソロジー。ちょっと古いかもしれないが、主要なものをおさえられる。
  • David Boonin, A Defense of Abortion, Cambridge University Press, 2003。トムソンのサマリア人の議論はまだイケる、とがんばっています。他の各種のプロチョイス・プロライフの立場も詳細に吟味。おすすめ。
  • Jeff McMahan, The Ethics of Killing: Problems at the Margins of Life, Oxford University Press, 2002. マーキスの議論を反駁しようとすると、中絶の議論がこんな複雑な哲学的議論になってしまうという……重要だが哲学関係者専用。
  • Michael Tooley, Celia Wolf-Devine, Philip E. Devine, & Alison Jagger, Abortion: Three Perspectives, Oxford University Press, 2009. プロライフ、プロチョイス、そしてフェミニズムが真っ向対決。

続く

2011年に読んだ本ベスト10

メディアマーカーで自分的におすすめの五つ星つけた本から、特に印象に残ってるものを順不同であげてアフィリエイトかせごう。

 

香西先生にはいろいろ教えていただきました。ネットとかでの論争の方法について理解が深くなったと思う。

論より詭弁 反論理的思考のすすめ (光文社新書)
香西 秀信
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関連で『論理病をなおす!―処方箋としての詭弁』。この2冊読めばまあ一流ソフィスト、じゃなかった一流レトリック家の基本的な考え方がわかる。『 反論の技術―その意義と訓練方法 (オピニオン叢書) 』まで読めば十分か。ネットの議論で負けることが少なくなるかもしれない。『 オルグ学入門 』も香西先生から教えてもらったけどもうすごい奇書。これは買うほどの価値はないだろうけど、図書館とかで一読の価値がある。

性格とかパーソナリティとかについてはずっと興味をもってるんだけど、これが一番おもしろかった。

パーソナリティを科学する―特性5因子であなたがわかる
ダニエル ネトル
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ビッグファイブの堅牢さと、それらがそれぞれ生物学的な基盤あるんじゃないかとかそういう話。

パーソナリティ心理学の本道としてはミシェル先生の『 パーソナリティ心理学―全体としての人間の理解 』がおそらく現在最強の教科書で勉強になった。

 

ビジネス・ゲーム 誰も教えてくれなかった女性の働き方 (光文社知恵の森文庫)
ベティ・L. ハラガン
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女性が会社で働くということについて鋭い分析とハウツー。女性は必読。っていうかこういうエンパワが国内でももっと注目されるべきだと思う(政治的にどうかは別にして)。『 会社のルール 男は「野球」で、女は「ままごと」で仕事のオキテを学んだ 』『 女性(あなた)の知らない7つのルール―男たちのビジネス社会で賢く生きる法 』はこの本に影響を受けた同工異曲。どれ読んでも同じだが、とにか重要な観点。

ポジティブ心理学や進化心理学に影響を受けた倫理学まわりの成果が出そうな感じ。まだ発展途上だけど。

しあわせ仮説

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欲望について 』もよかった。

性差科学といえば、これがよかった。非常に慎重。

性差や性分化、性志向などの生物学的な解明については『 科学でわかる男と女になるしくみ ヒトの性は、性染色体だけでは決まらない 』も買ってあげてください。最新の内容のはず。

女性のグループ内力学については『 女の子って、どうして傷つけあうの?―娘を守るために親ができること 』も重要。『 女はなぜ足を引っ張りあうのか 』も笑えた。

子ども向けエリノア・ルーズベルトの伝記。エリノア先生についてはちゃんとした評伝が出版されるべきだと思う。国内ではその業績が十分に理解されていないようだ。政治学の人々に期待。

すごい資料。英米の法律関係についてなんか言わなきゃならんひとは必携。

現代英米情報辞典 』は新しくしてほしい。

倫理学・法哲学まわりで重要なのはこれ。倫理や政治における感情の重要性。

ジュディス・バトラー様とか読んでるヒマがあったらこういうの読んで欲しい。

恋愛ものではこれがとてもおもしろかった。

PUA (Pick-up Artist)という文化があることを教えてもらった。まあナンパの方法なんだけど、カルチャー研究みたいなのにも重要な気がする。あれ、もう入手できないみたいね。

英語読みやすいから

でもいいと思う。かえっておもしろいだろう。

具体的なハウツーは『 確実に女をオトす法則 』だけどこれはまあたいしたことがない。とにかく『ザ・ゲーム』はおもしろいので一読の価値がある。

認知的不協和について。『 なぜ人は10分間に3回嘘をつくのか 嘘とだましの心理学 』とかも。

行動経済学みたいなんもたくさん読みました。

なぜ直感のほうが上手くいくのか? – 「無意識の知性」が決めている 』、『 なぜ選ぶたびに後悔するのか―「選択の自由」の落とし穴 』とかもどうぞ。

あ、番外だけど買ってください。

トムソンの有名なヴァイオリニストの議論とかパーソン論とか正しく読めるようにしました。あと売りはヘアの直観主義批判がどんなものか、とか、死の悪さについての剥奪説が中絶問題に適用されるとどんな問題をひきおこすかとか。あとハーストハウスのやつを読むと徳倫理学ってのがどういうインパクトがあったかがわかるはずです。よろしくおねがいします。

 

パーソン論まわりについて書いたもの

大庭健先生経由で小松美彦先生を発見してパーソン論について考えはじめる。

← 発端

パーソン論と森岡正博先生とか児玉聡先生とか攻撃したり批判したり勉強したり

加藤秀一先生と「美味しんぼ」。加藤先生の本についての言及を一部操作ミスでなくしちゃってる。

「パーソン(ひと)」の概念についてのマイケル・トゥーリーとメアリ・アン・ウォレンの議論や、それらへの批判はこちらで読めます。

妊娠中絶の生命倫理
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サポートページは https://yonosuke.net/eguchi/abortion/

生命倫理学とわたし

なんちゃって。「功利主義とわたし」 の兄弟編。

前史

  • 学部~Mのころはなにも考えてなかった。アルバイトだし。卒論はキェルケゴール。修論も。
  • でも小学生のころから医学とか生物とかそっち系の科学とは好きだったねえ。学研(?)の学習マンガシリーズで『人体の不思議』とか『生命の神秘』とか買ってもらってね。小学3~4年生で子どもが『生命の神秘』読んでたら親心配したろうねえ。なんか男性が水撒きホースにぎってましたよ。どういう意味かはさっぱりわかってなかった。次の瞬間には精子が「わーっ!」って泳いでいて、受精して発生がはじまっているという・・・
  • うちのあたりでは学業優秀な子どもは山大医学部に入って医者になるとかそういう感じだったので、自分もそうなるかなとか思ってたような気がする。
  • 高校生物で発生のあたり習ってたときに、「んじゃ人間ていつから人間なんだろうね」とかそういうことを考えたり。文学とかそっちはまってたこともあって、「これは科学の問題じゃないよね」みたいな。大江健三郎先生の『個人的な体験』とかも読んでますた。
  • 高2の物理があれでね。もう赤点の連続。赤点とったのなんかはじめてだったわ(いや、1年生の数Iの最初の方でもとったかな?でもそれはすぐに挽回できた)。とにかく物理は謎。反作用てなんだ!向こうから押してるのはいったい誰だ?ハンマー投げがどっちの方向に飛ぶかわからない。あれはさぼってたのも悪かったけど教師も悪かったわ。
  • まあそんなんで完全に文系になってしまう。あ、高校の思い出じゃなかった。
  • まあとにかくD1ぐらいまでは勉強ってのは誰か偉い人の思想を勉強することだった。

大学院生~OD

  • しかしなんか世間が脳死だなんだかんだって騒いでいるので、そういうことも勉強しないとね、みたいなことに。梅原猛先生とか哲学者代表だし。
  • 研究室の偉い先輩たちが加茂直樹先生を中心に研究会とかやってて、『生命倫理の現在 (SEKAISHISO SEMINAR)*1とかすでに出してた。怖くてどういう人たちか知らなかった。まだ加藤尚武先生のことはアイデンティファイしていない。
  • 加茂先生たちのグループの名誉のために書いておくと、京都で生命倫理の研究が進んだのは加藤先生がいらっしゃる前から。加茂先生のグループと飯田・加藤先生のグループは同時期にまったく独立に活動していたはず。加藤先生の京大就任にともなってそれが融合されるというかそういうグループ分けはなくなるわけだけど。とにかく飯田亘之先生と加茂直樹先生の活動の意義は軽視されすぎ。
  • あ、医学哲学・倫理学会はもっと前から活動しているはずで、そこらへんがどうなっていたのかは私はよく知りません。すみません。偉いです。あと他にもたくさん偉い先生はいらっしゃる。星野一正先生とか木村利人先生とか・・・名前はあげきれないです。
  • 日本生命倫理学会は1988年から。医学哲学・倫理学会はもっと古くて1982年からのはず。
  • 1990年の日記(1990/4/9)にこんなこと書いてるのが「生命倫理」の最初の記述みたい。

情報整理の方法を考える時期にきていると思う。フェミニズムや生命倫理を考えるなら、情報が大事だ。新聞の切り抜きなどは馬鹿らしいが、ある程度情報を集めなくてはならない。どうするか。

  • あれ、これはM2のときだね。それにしても文章が子どもっぽい。
  • 1991年1月16日にはこんな感じ。

また読書会をしようという話がある。今度は生命倫理についてだが、何をネタにしていいのか悩むところだ。

  • 1991年(D1)の年は怖い先生(2年目)が生命倫理の授業を半年やった。『バイオエシックスの基礎―欧米の「生命倫理」論』が教科書だったか。
  • あれ、けっこう記憶違いがあることに気づく。主に脳死のあたりやったんじゃなかったかなー。そのあとすぐ海外研修に行かれたんよね。半年研究室に教官がいないという状態になったような。
  • まあとにかく読書会なんかしたり。怖い先生はともかく、その前任の先生が非常に寛大な先生だったので、基本的に院生は放置されるのがデフォルトであるという意識。自分たちでいろいろ組織しないとならん。今思えば恐い先生にもっといろいろ教えていただけばよかったんだけど、そういうことをお願いしてはならんのだ、とか思いこんでた。
  • でもこれはもう読書会とはいえないようなお茶飲み会。科哲の大将から見るとこんな感じ。

動物倫理との出会いは、大学院生時代に同じ研究室の先輩や後輩数人とやっていた生命倫理学研究会にさかのぼる。これは雑談とも勉強会ともつかないスタイルでそれぞれのテーマについて話し合う、今から思うとずいぶん生ぬるい研究会だったが、そういうところで勉強したことがあとまで生きることになるのだから分からないものである。(伊勢田哲治、『動物からの倫理学入門』p. 355)

  • ほんとうに人生とは分からないものであるね。
  • でもそれまでの研究室の読書会ってのは、なんかすごい本(『イロニーの概念』とか)を少しずつ読む、ってのが基本スタイルだったみたいなんだけど、この読書会は1回で1本読む、とかそういう感じにしたんだったよな*2
  • 基本的には3~5人ぐらいでBioethicsっていう雑誌の論文を読みましょう、みたいな感じ。へえ、QALYとかってあるんですか、なんかあれだねーとか。なんかそういう感じ。牧歌的。でもそういう勉強スタイルもそれまでの研究室の雰囲気ではなかった。医者呼んできたりもしたり。細長い狭い狭い部屋で和気あいあい・・・でもなかったか。
  • 「千葉大の資料集」というのがあることを知る。ここらへんで加藤尚武先生の名前を知ったのかな。もちろん『バイオエシックスの基礎』の編者として知ってる。「千葉大の資料集」は関西にはあんまり流れてきてなかったず。
  • 1993年に、「千葉大の資料集」にシンガーの妊娠中絶/新生児の治療停止の紹介文を書け、という話が入ってくるのでシンガー読んでなんとか書く。苦労したしけっこう煩悶した。科哲の大将も同じ課題わりあてられたので、読書会でいろいろ意見交換したりしたはず。できたの開けてみると土屋貴志先生が同じのネタにしてスマートなの書いててあれだった。土屋先生もかっこよかったんよねえ。
  • 飯田亘之先生実物が京都に来られて、社交辞令として褒めてくれたり、いくつか助言いただいた記憶がある。でもあれはありがたかった。飯田亘之先生はいろいろ本当に偉いんだよな。どうしても太陽のような加藤先生の陰になって光が当たらないかもしれないけど、日本の生命倫理を研究者組織して本当に立ちあげたのは飯田先生。加藤先生はむしろ宣伝役というかなんというか。
  • 1994年にその加藤先生が教授として就任。
  • 私はこの年から晴れてOD。私は形としては加藤先生の弟子筋ではない*3。でもほんとうにいろいろお世話になりました。
  • 就任前には迎撃体制をとっておこう、ってんで対策読書会したような気がする。「おもしろいけどちょっと具合悪いところもあるね」みたいな感じ。しかし偉大なことはわかった。実際偉大。
  • 奨学金切れて塾講師暗黒時代突入。勉強する時間なんてない。あんまり思い出したくないのだが・・・
  • 1994年に研究室の紀要で生命倫理特集したんだっけか。まあ千葉大の資料集に載せてもらったのを焼き直す。
  • 1994年の12月(OD1年目)に加茂先生たちの生命倫理研究会で発表させてもらったようだ。選択的妊娠中絶の話をしようとしたけど、なにをどう議論していいのかわからなかった。この日はほんとうに最悪の思い出だなあ。朝、「今階段から落ちたら発表しなくてすむかなあ」とか本気で考えた*4。以降この研究会にいろいろ厄介になる。御指導ありがとうございます。
  • 1995年には加藤先生がヒトゲノムプロジェクトの倫理的問題みたいなのでお金をひっぱってくる。偉い。
  • でも時間がなくてちゃんと貢献できず。すみませんごめんなさい。なんか嚢胞性繊維症のスクリーニングみたいなので紹介文書かせてもらうが、勉強不足でだめすぎる。いまだに公開できない。ていうか自分のなかではなかったことになっている。
  • ジョナサン・グラバーの『未来世界の倫理―遺伝子工学とブレイン・コントロール』の翻訳にも参加させてもらう。おもしろい!これは今読んでもおもしろい。
  • まあとにかく人生最大の暗黒時代に襲われていて、生命倫理どころじゃなくなっている。もう自分が生存するだけで必死。
  • でも非常勤の授業では生命倫理とかの講義もたせてもらったりして、とりあえずちょっとずつ勉強はしてた。
  • 信州大学にいる立岩真也先生がなんかすごい文献データベースを作っていることに気づく*5
  • 読書会はけっこう続いたんだけど、科哲の大将が留学することになっていったん終了。あれ、某女史が留学するからだったかな。記憶があいまい。とにかく忙しくて勉強どころではない。
  • 読書会はいまオハイオにいる功利主義女子が主催して第2期に入る。医学部の建物そのものまで侵略してすごい。そのころには私は時々顔出させてもらう程度。「♪とにかく時間が~足りない」
  • いつのまにか、「倫理学本道と生命倫理学あたりの応用倫理学の二本建で業績つくっておかないと就職できないよ」みたいなのが通念になってる。それでいいのかってのはあれだよなあ。

 

RA/常勤職時代

  • 90年代後半には一気に生命倫理とかの本がたくさん出た。
  • 立岩先生の『私的所有論』読んでわけわからず、でもなんか圧倒される*6
  • 運よく給料をいただける身分にしていただく。感謝感謝。
  • でもネタが「情報倫理」とかだから生命倫理のことはあんまり考えてない。
  • 情報倫理は生命倫理ほどおもしろくないなー、みたいな。
  • いやもちろんおもしろいネタもいろいろあるし。
  • このころになってやっと、ちゃんと「イントロダクション」や「ハンドブック」や「リーダー」読んで、お金かけてそれなりに文献集めてから仕事をするのだ、ってことがわかってくる。遅すぎる。でもいまじゃ一般的なこのスタイルは、95年には一般的ではなかったんですよ。
  • まあでも生命倫理は流行でいろんな人がやってるから、情報倫理で一発当てる方があれかな、みたいな感じでさようなら生命倫理学。
  • でも気にはなっていた。
  • 運よく常勤職ゲット!っていうかもらった。
  • わーい。
  • 好きなことしたいなー。
  • やっぱり生命倫理気になるよなー。特に選択的妊娠中絶なー。
  • フェミニズムも気になるんだよなー。大学が大学なだけにフェミニズムもそれなりにまじめに勉強しないと。
  • 井上達夫・加藤秀一論争があったことはこのころに江原先生のやつで知る。まあよくわからん。そんなん大昔に議論されつくしたことじゃん、みたいな印象。
  • 胚の利用とかES細胞とかで世間がさわいでるよ。
  • なんか少し勉強するかねえ。
  • 脳死も勉強しないとね。とかいいつつ4、5年すぎる。
  • と、なんかとにかくトムソンの議論もパーソン論も紹介なんかおかしくね? っていうか森岡先生の『生命学に何ができるか―脳死・フェミニズム・優生思想』あたりからなんかいやな雰囲気だったんだけど。
  • 異議あり!生命・環境倫理学』とかひどいなあ・・・
  • なんか勉強しないで生命倫理について書いてる人が増えてね? 業界が大きくなって海外文献読まずに国内の文献だけで議論してる?
  • 山根純佳先生の『産む産まないは女の権利か―フェミニズムとリベラリズム』とかもなんかおかしくね?
  • 小松美彦先生の『脳死・臓器移植の本当の話 (PHP新書)』。こ、これは・・・
  • まあここらへん別ブログで遊んでいたときに発見したわけだけど。
  • 2006年ごろ『生命倫理学と功利主義 (叢書倫理学のフロンティア)』に遺伝子治療の件とか書かせてもらって生命倫理学に復帰する準備。
  • よく見ると、『バイオエシックスの基礎』の訳はいろいろ問題ありすぎ。もちろん黎明期にはああいう形で出すのは意味があるけど、流行りで生命倫理学やってる研究者たちがちゃんともとの論文読んでないってのはこれはもう許せん。
  • というわけで学会に殴りこみに行くかなあ、とか。2007年ごろ。まず研究会で発表してまわりの人をディスり、学会でも全員ディスる発表して、その原稿を大学の紀要に載せた。今思えば学会誌に載せりゃよかったんだけど、なんか面倒だし、なるべく早く一目に触れる情報にしたかった。
  • 学会はけっこうな人数がいたんだけど、「トゥーリーの議論についてはここにいらっしゃる方々はみな御存知だと思いますが、魔法の子猫について御存知の方はいらっしゃいますか?」って聞いたときは気分よかった。「それではトムソンの最低限良識的なサマリア人はどうですか?」ははは。あれは人生で最高に痛快な一瞬の一つだったかもしれない。
  • でもそういう全力ディスり論文を書くと、「んじゃお前がやれよ」って話になるわけで、翻訳しなおさないわけにはいかんわねえ。
  • でも日本語が不自由でね・・・・天気悪いと仕事にならんし。
  • とかで今に至る。

*1:この本、まだどこかで教科書として使われてるらしい。すごい。

*2:ここで研究室の伝統というか上下の連結がが一回切れているわけだが、それについて今考えるといろんなことがあれだ。まあ苦しかったかもしれん。

*3:そして残念ながら怖い先生の弟子筋とも言いにくい。I’m a self-made man, and am proud of it、と言うべきなのかなあ。

*4:でも逃げなかった自分を褒めてあげたい。

*5:立岩先生はインターネットの威力を一番最初に使った学者の一人だと思う。

*6:ここでなんか反応するべきだったんだよな。

センター試験「公民・倫理」を解いてみる。

第1問「個性」

リード文。

  • 「個性という言葉の理解は、人によって様々」なのに「個性は特に他者との違いを強調するときに用いられる」と言いきっちゃって大丈夫なのかな。
  • 「個性」が「気質や性格」と同じように心理的な特徴を指すってのも大丈夫なのかな。まあふつうそう使うか。
  • 「青年期は、自我に目覚め、個性化への欲求が強まる」。「個性化」が説明なしに使われているのが不安。個性をもつようになること、かなあ。「他人と違う気質や性格をもつこと」と言いかえてしまって大丈夫なんだろうか。
  • でも「個性化」と「社会化」は心理学では対になる言葉なのかな。
  • 「仲間集団からの離脱や孤立を恐れて無理に同調行動を取るなら、個性は埋没してしまう。」ここでの個性ってのは何を指しているんだろうな。これも「気質や性格」と言いかえられるんだろうか?
  • この文章を書いた方自身は「個性」をどういうものだと考えているのかな。他人と違った(心理的な?なんらかの?)性質と見ているのか、「その人性」みたいなやつなのか。individualityなのかcharacterなのかpersonalityなのか。uniqueness? 英語だっていろいろ多義的だわね。私自身は他人との違いなんてのはどうでもよくて、むしろ自己肯定というか二階の欲求の実現というかそういうのとして考えてるような気がするような気もするけどよくわからない。独立性・自律性とかそういうとも関係あるような気がするし。そもそも「個性的な気質」ってのはよくわからんなんか矛盾した概念であるような気もする。あとでよく考えよう*1
  • まあ短い字数で言いたいことをちゃんと書くのはたいへんだな。他の問題と同じくらいの分量をとることはできないのだろうか。

問1。A~Dの説明とア~エの具体例を組合せる選択肢が、ア~エが先、A~Dが後と順番が逆になってて混乱する。会場でいきなりこの問1にぶつかったら私はパニック起こしそう。Dの選択肢を「二重接近」と「回避」だと思ってこれまた混乱した。二重の「回避-接近」なのね。むずかしかった。この二重のやつはなくてもかまわなかったのではないか。

問2。この問題はちょっとなんか奇妙な感じがする。「自己実現」「自我意識」「自己愛」「自我同一性」という *用語* と具体例の「組み合わせとして正しいもの」とはどういうことだろうか悩んだ。難問かもしれん。「~の具体例を心理学的に説明する場合に使うとすれば最も適切な用語を選べ」なのかな。問い掛け文がおかしいのか。

問3。上の世代を父親・母親と性で分けているのに、中学生・高校生で分けていない。これで中高生と父母を比べてどうするんだ。こういうインチキな感じ(とはまでは言えないかもしれないけど奇妙な)統計を使うのは勘弁してほしい。もとの『NHK中学生・高校生の生活と意識調査』もこうなっているんだろうか?ちょっと信じられないな。それとも作問した人が作りなおした?まあ性差にコミットするのがいやだったんだろうけど、それなら父母年代のほうもいっしょにすりゃいいのに。

第2問 「死と善い生」

リード文は格調高い。

  • プラトンでも善き生には死後の至福が待ってるんだったか。あんまりちゃんと意識してなかった。勉強になった。
  • 「イスラーム教」。イスラームは単なる宗教ではなく社会制度や思想まで含んでいるので「教」をとって「イスラーム」が正しい、とか書いている参考書があったような気がする。藤田正勝先生のやつ?
  • プラトンやイスラームとパウロとの違いをもうちょっと強調できるともっとよかったような気がする。

問1。『パイドン』と『クリトン』高校生に見わけがつくのかな。

問2。特に文句なし。

問3。「人間の魂は生まれる以前に」もっとうまい表現があるような。魂が生まれるわけじゃないからね。あれは不死だから。「人間に宿る魂は人間が生まれる前に」か。

問4。けっこう細かい感じの問題だけど、まあ基本なんだろう。こういうのもっとよく知らんとならんというメッセージか。

問5。イエスの説く「神の国」が「精神的な出来事として実現する」ってのは大丈夫かなあ。エホバの証人の人はそう思ってないかもしれんよな。ペテロやパウロさえ単なる精神的な出来事とは思ってなかったんじゃないだろうか。なんかかなり不安。

問6。特に文句なし。(3)を選んでしまう受験生は多いだろうなあ。まあ良問かもしれん。

問7。ヴァルダマーナとか知ってる受験生は何人いるんだろう。私は知らなかった。

まあ荘子とエピクロスで選べってことだわね。

問8。こんなもん。

第2問は格調高く問題も神経をつかうタイプのもので平均点は低めになるだろう。まあよくできているような気がする。

第3問 「善行と心のありかた」

苦手。

問1。まあ大丈夫。

問2。うーん、まあ選べたけどあんまり自信がない。

問3。親鸞の「善人」の意味かあ。これ難しいよあ。一般的にはこういうふうに解釈されているのか。違う説明されている高校生もいそうだ。むしろ消去法で選んでください、という問題だわね。難問。

問4。OK。標準的。

問5。難しいかと思ったら選択肢が工夫されていてそれほどたいへんではない。

問6。(1)と(4)でまよったが、「旧来の道徳に真に従うために」があれなのか。(2)が啓蒙主義みたいなん、(3)が自然主義みたいなんを指すのかな。(1)はなんだろう?

問7。標準的。それにしても漱石の則天去私ってのは具体的にはどういうことなんだろうな。知らんことは多いなあ。

問8。どの選択肢もけっこう長くて似ている表現が多くて選ぶのがつらい。選択肢(4)が誤答なのは「自己の生の充実や救済よりも内面の確立を優先」のあたりなんだろうか。(1)もどこがマズいかわからない。これは難問だろう。

分野よく知らないせいもあるけどけっこうたいへん。「他人への善行」の具体例があがってないのに「心のありかた」みたいな話になっちゃってるからわかりにくいのかもしれない。少なくとも単なる形だけの慈善行為や偽善の話をもうすこし具体的に書く必要があったのではないか。あと安吾の「堕落」ってのは他者に対する善行とかと関係あるのかなあ。薬やったり裸の女の背中で原稿書いたりするってのは、堕落かもしれんけど、他人への善行を拒むとか利己的にふるまうとかそういうんではないような気がするし。なんか不安。

第4問 「寛容」

リード文。「寛容(toleration)」と英語入れる必要あるのかなあ。あんまり見たことないよな。

私の語感では寛容ってのはやっぱり「我慢する」「大目に見る」なんじゃないだろうか。ほんとうに「対等なものとして認める美徳」かなあ。対等じゃないところが寛容のポイントな気がすんだけどなあ。私の理解がおかしいのかな。

問1。OK。

問2。ボッカチオ読ませるのがとてもよい。でもこの寓話読んで(3)を選べるかな。なんかボッカチオの文章自体はもっと皮肉な意図があると思うけど。

問3。標準的。

問4。標準的。よござんす。この文脈でモンテーニュでてくるのはとてもよござんす。

問5。OKだけど、スピノザが実際にどういうこといっているのかってのは高校生には(大学生にも教員にも)理解しにくいわね。まあしょうがない。こういう謎みたいな文字列を読ませてテツガクへの興味をひくわけだ。

問6。やさしい。まあ問題つくるのに苦労したんだろうなあ。

問7。ルソーの「自由」(とその強制や全体主義との関係)の話はおもしろいんだけど、これがどういうことかってのは高校生レベルの授業ではわからんだろうと思う。まあ意欲的だけどセンター試験には高級すぎる気がする。

問8。まあ(1)になっちゃうわけだけど、「寛容は大事だけど絶対的な寛容はいかん」というまあ少なからぬ人が疑問を感じる立場が正答になっちゃうわね。これはまあしょうがない。(3)は余計なことを言ってるから×ってことだわね。

  • ヘーゲルだのカントだのベンサムだのミルだの、毎年出てくる人々がひっこんでたのがとても新鮮な感じでとてもよい。そう、哲学史ってもっと広いよね。

第5問 「友愛と連帯」

友愛。まだハトが首相やってるときに作ったんだな。友愛fratanityと友情friendshipってどういう関係なのかな。見しらぬ人を助けるのは友情じゃないよな。友情ってのはあるていど排他的・選別的でないと友情とは呼ばないと思うが、フラタニティーってのはどういう感じなんだろう。ちと国内ではあんまりはっきりしない概念だわなあ。

いろいろ考えちゃう対話文。

問1。初期社会主義者とか見わけさせる細かい問題。ちと難しい。ここらへん具体的にどういう人々だったかってのが一般読書人にもちゃんと紹介されてないからねえ。フーリエのガイキチなところはもっと紹介されていいんじゃないだろうか。

問2。サルトルまだ人気あるんだなあ。

問3。選択肢(3)はフリーソフトの話でてきてよござんすけど、「その反面」がフリーソフト作っている人たちが合悪いこともしてるみたいに読めちゃわないか心配。

問4。こういうグラフ読み問題って試験としてどれくらい意味があるんだろうか。誤答率はどれくらいなんだろう?

問5。今年はイグナティエフですか。毎年こうやっていろいろ紹介していくのはとてもよいです。

問6。センも登場。アファーマティブアクション。

問7。特定の人の発言の理由や原因を推定させる、ってのはなかなか勇気のある設問だなあ。国語の問題のようでもある。しかし正答の(3)はなんかおかしい気がする。「困ったときにはお互いに助けを差し延べ合う、相互扶助の関係」であるならば、「返礼を期待せずに相手を助ける」ことにはならんのではないのかな。「友情」が特定の返礼を期待しないってのはわかるんだけどね。いやな感じがする。

まあ全体として悩む問題がけっこうあったな。会場でやると100点とれない気がする。

問題

本文の主旨としてもっとも適当なものを次の1. ~ 4.のうちから一つ選べ*2

  1. 今年のセンター試験は昨年より難化している。
  2. 気になる細かい部分はあるものの、全体としてみればよく練られた良問である。特に今年は詳細に考えさせる高級な問題が多かった。
  3. 格調高いリード文と、新鮮な作問によってセンター試験として高く評価できる。
  4. 作問する人々はごくろうである。

*1:考えたけどよくわからん。私だったら個性というのは生れつきもっている性質や環境の影響とは比較的独立に、自分自身で獲得し是認している価値観とそれにもとづいた行動様式のことである、みたいなふうに感じているみたい。

*2:内容・形式とも例年にならっております

センター試験「倫理」

前日のセンター試験公民の倫理を解いてみる。

第1問。「ステレオタイプ」問1。いきなり難しくて考えさせられる。これおそらく答は(3)なんだろうけど、
こういうのをぜんぶステレオタイプとしてみてしまうと科学的な思考はステレオタイプ思考ってことに
ならんか?エは正確にはステレオタイプ思考じゃないと思うけど◯◯◯×ってのは選択肢から排除されているし。
この問題はどうなんだろうな。物言いが付くかもしれんね。

問2。これ問いかけの「防衛機制の種類とその説明として」がわかりにくい。
「防衛機制には抑圧、投影、代償、合理化などがある。それらの説明として~」にしなきゃならんのでは?

問3。うわ、速水先生使うかあ。選択肢(2)「明確な関連」ってなんだよ。統計学的に有意かどうかは
これじゃわからん。統計もどきを使ったこういう問題は学問と社会のためにやめて欲しい。統計をちゃんと勉強した子にはかえって答えにくいはず。

第2問「囚われ」。問2。(1)が×な理由がすぐにはわからない。これは私の勉強が足りないからか。「努力で克服するのではなく」が×なのかなあ。

問4。内在と分有の違いをたずねているのか。でもこれよくわからんよな。象のイデアは象の花子に内在してるんちゃんかな。
ちゃうか。内在っていう漢字つかうから「なかにある」みたいな印象があるけど、これたとえば英語に訳すとどうなる?inherence?
immanence?

第3問。「出会い」なんかリード文にもうひとつまとまりがないというかテーマがないというか。「出会い」が人間との出会いと思想とか出来事そういうのとの出会いの二種類あって具合わるい。せめて人との出会いに限定できなかったかな。

問6。文語文の読み取り国語問題?

問8。文意をよく考えるとなんかおかしいよな。
のちのちその人の思想に影響を与えることになったから「重要な出会い」なんであって、
「自分にとって重要な出会い」がアプリオリに決まってるわけじゃないもん。だから
「重要な出会いを見逃さない」なんてことは誰にもできない(これはアプリオリにできない)し、
「偉大な人々は自分にとって重要な出会いを見逃さなかった」は当然(これはアプリオリに真)。
おそらく偉大な人々はちょっとした出会いを重大なものに変える力があったんだろう。
まあイチャモンだけど。でも「倫理」の問題はこうした無理矢理なお説教が多くて辟易させられる。
作ってる人たちも辟易してるんだろうけど。
ステレオタイプ思考は役に立つことが多いとか、「囚われ」がないと我々はなにもできないとか、
人生で重要な出会いなんか1、2回あれば十分だとかそういう話がなぜできないんだろう。でもまあ
何十万人も受ける試験にそういうのは出せないわね。
作問は苦しそうだ。

第4問。「科学」。スコラ哲学の説明として「ギリシア以来の哲学を用いキリスト教神学の教義を
理論的に体系づける」は適切なのかどうか。むしろそのための方法に関する学問なんではないのか。wikipediaだとこんな感じか

Scholasticism originally began as an attempt to reconcile ancient classical philosophy
with medieval Christian theology. Scholasticism was not a philosophy or theology in
itself, but rather a tool or method for learning that places emphasis on dialectical
reasoning. The primary purpose of scholasticism was to find the answer to questions and
resolve contradictions. Scholasticism is most well-known for its application in medieval
theology, but was eventually applied to many other fields of study.

問4のヒュームは高校生勉強しているのかな。でも哲学史上で最大の一人だから設問するのはよい。
そういや今年はドイツ・フランス系の哲学者がほとんどでてこないね。フランスはデカルトとルソーだけ?
ドイツは絶滅?やばいんじゃね?

問5。正解の(1)は私にはなんか微妙なんだが、まあ大丈夫か。(a)「環境に適応することにより」ってのが
なんか意志みたいなんを含んでいるように読めちゃうような気がするのと、(b)「多様なものとなっていく」は
場合によっては多様性が減る場合もあるから。でも大丈夫。

問6。野生生物種の減少は科学の問題ではない、か。微妙。そうなんだけどね。ちゃんと答えられない子は
けっこういたろうなあ。

問7。あ、伊勢田哲治先生だ。(2)が正解なんだろうけど、実は(3)がけっこうよくある主張に見えるけ
どな。「血液型正確判断がある種の研究者により正しいと主張されたとしても、新たな反証によって
否定され得るので、絶対視しない方がいいよね」を「血液型正確判断がある種の研究者により否定
されたとしても、それも新たな証拠によって否定され得るし、新たな証拠が出てくるかもしれないから、
絶対視しない方がいいよね」にすると典型的な疑似科学の人々の主張になる。

問8。やっぱりこういう月並みな要旨問題って必要なのかな。
「とりあえずふつうの科学的思考をまず身につけましょう。難しいことはそれから」とかそういう
主張はできないのか。
いちばん曖昧でエッジのたってない選択肢が正解になるというのは
テツガクのイメージとしてどうもなあ。作問しているとやっぱり必要になるのか。テツガクの本質は
懐疑と否定と限定にあるってのは私の思い込みか。

第5問。「安全と自由」。いろいろチャレンジしてる感じ。でもこの架空の国に迫力がないような。
名前をA国とB国にすれば・・・違うか。「可能性を孕む」とかこの「孕む」って表現に抵抗感じない人は
多いのかな。私ジェンダーイメージを孕んでていやなんだけど。
第5問に哲学史の問題が入っているのはとてもよいと思う。じゃないと
こういう分野を「倫理」で扱う意味がないからね。

問2。この「『リヴァイアサン』には~とある」って文章やめてくれないかな。
学生がレポートにこういう書きかたするようになってやだ。「ホッブズは『リヴァイアサン』で~と述べる」にしてほしい。
あと本のタイトルだけって大丈夫なんかな。『統治論』『社会契約論』とかってタイトルの本はたくさんありそうな気がするけど。

問5。『1984』もってきたのはおもしろいんだけど、選択肢(1)の意味がよくわからんし、
設問の意図そのものもよくわからん。単に『1984』紹介したかったのかな。

問6。(3)が正解なんだろうが、危害原理をこっちのたずねかたをするのはなんかポイントが違うよなあ。
選択肢(1)と(2)はかなり微妙。特に(2)はミルの文脈でどうなのか考えちゃう。他者への善行を本当に強制できないだろうか?
やっぱりself-regardingな奴に限るべきだったんではないか。

問7。期待させてもりあがらない終り方。あえて脱力系を狙ったのか。こうしてみると要旨を問う問題みたいなのは
意味があるのか。

全体としては例年より難化してるか。

とまあ色々イチャモンつけてみたけど、全体として見ると標準的な良問だわね。
毎年毎年奇問難問を避けて標準的で勉強になる良問を作っていて偉い。リード文も
高校生相手と思えばこれくらいの標準的な文章がよいのだろう。あんまり変わったこと言われても困るしね。
今年はとくに疑似科学だの1984だのでチャレンジしていて意欲的だ。

問題

本文の主旨としてもっとも適当なものを次の1. ~ 4.のうちから一つ選べ。

  1. 今年のセンター試験は例年より若干難しかった。
  2. 気になる細かい部分はあるものの、全体としてみればよく練られた良問である。
  3. 格調高いリード文と、非常に適切な設問によって標準的なセンター試験として高く評価できる。
  4. 作問する人々はごくろうである。今年は特に新鮮なネタがはいっていて勇気があるなあ。

品川先生その後

正義と境を接するもの: 責任という原理とケアの倫理

正義と境を接するもの: 責任という原理とケアの倫理

品川哲彦先生のリプライは http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~tsina/WBJcommentSE.htm 。
(もとのレジュメは )

いつもながらとても誠実なリプライ。
私のへんな文章なんか読んでないで、ぜひ先生の本を買ってください。 アマゾンから買っても私には一銭も入らないので安心。皆様の支出がそのまんま哲学出版と研究*1を支えます。

ちなみにその数日前に行なわれた別の研究会での
野崎泰伸さんのコメントは http://www.arsvi.com/2000/0807ny.htm
品川先生のリプライは http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~tsina/WBJcommentYN.htm 。

品川先生のリプライの最後のところにちょっとだけコメントすると、

私自身はこの手の議論をWeb上で展開するのは、あやうさも感じています。どうも、Web上でひろったジョーホーや、研究会や学会で聞いた耳学問だけで、あれやこれやと判断するひとが増えているように思えるからです。この手のやりとりが、問題となっているテクスト(この場合は拙著ですが)を読まないひと、読んでもわからないひとに利用されることがあるだろうことは、こういうかたちで公開する以上はやむをえないとはいえ、おそろしい気がいたします。

私自身はやっぱりそういう情報はwebでもどんどん流すべきだと思います。国内では
学者や教員が何に興味をもってどんなことをやっているのかもっと公開するべきだし、
もっと人文系の学者もお互いの本を読みあうべきだし、 もっと書評文化が発展するべきだと思っています。そうやってこそ、耳学問であれやこれやな連中を排除することができるんだし、人文系のガクモンのおもしろさや難しさを味わってもらえるんだと思います*2

*1:はてなとアマゾンも支えてしまうけど。

*2:ついでにそういう読んでないのに偉そうなこと言う人間も適切に抽出できるっしょ。そういうのが恥ずかしいとわかってるひとは先生の本買うから大丈夫。読んでもわかんない奴はもとからほっとくしかない。

品川哲彦先生のもゆっくり読もう(7)

  • 久しぶりにちゃんとした哲学者が倫理学考えている本という感じ。
  • ヨナスとケアの倫理に関しては十分に紹介検討されていなかったので、この本は貴重。
  • 全体、しっかり真面目に地道にやっててとてもよい。私も見習いたい。
  • ジョン・ロックのところとかも正確だし。たくさん真面目に勉強してるなあ。
  • 注、文献情報なども充実していていかにも学者の作品でとてもよい。
  • 特に第2部は綿密に研究されていて勉強になる。
  • どうしても最近は英米系の政治哲学・倫理学ばっかり議論されていて、独仏の研究・議論の動向を知ることができる。そっち系のひとはもっとがんばってほしい。脱英米倫理学中心主義!
  • 「現象学の他者論」のところはもっと豊かなはずだし品川先生が一番得意なところなんじゃないだろうか。まあまた別の本でやってもらえるのだろうと期待。

注とか。

  • 全体通して、「どこでもいっしょうけんめい考えてるな」と思いました。見習いたいです。
  • p.285の注25は重要そうだ。これは注にまわさずに本文でやってほしかった。
  • p.292注5。うーん、山形浩生先生のフランクファート解説をまにうけてるな・・・いや、大丈夫だけど。
  • p.295注5。品川流の男性学の予告みたい。森岡先生あたりと問題意識がすごく近いのがわかる。
  • 索引や文献リストも好感もてるなあ。研究書はこうあってほしいね。

他雑多な疑問。

  • 配慮としてのケアと具体的な行為としてのケアをちゃんと分けきれてるかな。どうも一冊を通して文脈によってあっちいったりこっちいったりしている気がする。証拠さがさなきゃならんか。
  • よく話題にされる「ケア」と看護や関係とかどうよ。看護という職業に、この本で言ってるような「ケア」を持ちこむのは私にはアレに見えるから。いわゆる感情労働の問題。あ、文献リストに武井麻子さんがいるな。でも索引には出てこないか。
  • ケア労働。ある意味で、労働になっちゃうのはケアじゃない、とか言えそう。
  • アリストテレスもちだすならやっぱりついでに正義と友愛の関係もチェックしてほしかった。
  • 個人の徳としての正義(やケア)と、社会制度における正義(やケア)の区別がなんか曖昧じゃないかな。まあ区別する必要ないのかな。でもギリガンの場合ははっきりと個人の徳性なり道徳思考の特徴なりを指しているわけで。
  • ノディングスの場合も、なにを/どう教育するかがポイントなわけで。
  • あれ、でもここ私もぼんやりしてるな。ヒントはヒュームあたりにありそうだ。
  • 「〈正義〉はポリス的観点とヘクシス的観点の両方から論じなければなならないのである。」(小山義弘「アリストテレス」、『正義論の諸相』)とかも関係あるかな。
  • オーキンも読まないとならんということか。
  • 「献身」とかっていう理想についても考える必要がありそうでもある。ミル功利主義論第2章。「誰かが自分の幸福を全部犠牲にして他人の幸福に最大の貢献ができるのは、世の中の仕組みが非常に不完全な状態にある場合にかぎられよう。しかし、世の中がこんなに不完全な状態にあるかぎり、いつでも犠牲を払う覚悟をもつことが人間にとって最高の徳であることを私は十分認めるものである。」下線江口。
  • 「ナザレのイエスの黄金律の中に、われわれは功利主義倫理の完全な精神を読みとる。おのれの欲するところを人にほどこし、おのれのごとく隣人を愛せよというのは、功利主義道徳の理想的極地である。」これがケアでなくてなんなのだ、と言いたくなるひともいるわな。

よくいわれることだが、功利主義は人間を冷酷無情にするとか、他人に対する道徳感情を冷却させるとか、行為の結果を冷やかに割り切って考察するだけで、そういう行為をとらせた資質を道徳的に評価しないという非難がある。この主張の意味が、功利主義は、行為者の人間的資質に関する意見が行為の正邪の判定に影響することを許さないということであれば、これは功利主義への不満ではなく、およそなんらかの道徳基準をもつことへの不満である。・・・しかも、人間には、行為の善悪のほかにもわれわれの興味をひくものがあるという事実を、功利説は少しも否定しない。

とはいうものの、功利主義者はやはり、長い目でみたときに善い性格をいちばんよく証明するのものは善い行為しかないと考えており、悪い行為を生みやすい精神的素質を善と認めるようなことは断乎として拒絶することを私は認める。

この反対論の意味するとこころが、功利主義者の多くは行為の善悪をもっぱら功利主義的基準からだけ見ていて、それ以外の、愛すべく敬すべき人間をつくる性格上の美点をあまり重視していないということだけなら、認めてもよい。道徳的感情は開発したものの、共感能力も芸術的感覚も伸ばさなかった功利主義者は、この過ちを犯している。同じ条件のもとでは、どんな立場の道徳論者であっても同じ過ちを犯すはずである。

  • とか使えそうなのが山ほどある。
  • どうも70~80年代の米国の「正義」に関する議論があまりにも貧弱だっただけじゃないの?
  • キルケゴールが「女性の徳は献身である」とかって馬鹿なこと言ってたのも参照したい。

    第11章

    • あ、11章ちゃんと読んでなかった。
    • 第1節、ベナーのケア論。「全人的に介護」なあ。言葉はいいけど。まあ理想としては大事なのかな。職業としての看護において本当に「全人的に」ケアすることって難しそうだ。ナースにそういうのを要求するのは過大な気がする。まあほんとに「全人的」ってわけではないのかな。

    ベナーは徳の倫理と看護を結びつけながら、しかしナースが職業的役割を意識しすぎると、ケアリングができなくなるおそれを指摘していた。(p.246)

    • どういう議論しているか興味あるなあ。もうちょっと詳しく議論してほしかった。
    • デリダ大先生。

    私たちは何らかの共通性や類似性によってたがいを結びつけ、その内部を治める規則、法をもっている。それはひとつのまとまりをもつ集団内部の法、つまり家(oikos)の法(nomos)である。それゆえ、法はまた経済(oikonomia)を意味している。(p.256)

    • すごいな。「それゆえ」がなんともいえん。もひとつ。

    法の埒外にあるものに応答することこそが正義である。正義とは「無限であり、計算不可能であり、規則に反抗し、対称性とは無縁であり、不均質であり、異なる方向性」をもっている。

    • うーん。理解不能。デリダの正義ってのはまったく原則なしの判断なのかな。でたらめにしか見えない。まあデリダ使って「正義」とか語る人たちは、日常的な意味での「正義」とはぜんぜん違うことを語っているのだということがわかった。これは役に立つ。中山竜一先生の本も読み直すべきなんだろうか。でもこんなに日常的なものから離れているんだったら、だったら読む価値なさそうだ。
    • コーネルのところも読みなおすけどわからん。猛烈に抽象的だし。たとえば

    テクストはつねに開かれており、語の意味は特定のコンテクストによって規定しつくすことはできない。まだ書かれていないものが必ず残っている。この「まだない」は先取りされた未来ではない。先取りされるものならば既知の枠組みに回収されうるものだからだ。既存の女性観から導出されたのではない、まだない女性を、コーネルは女性的なもの(the feminine)と読んで女らしさ(feminity江口補)と対置する。(p.257)

    • ほかでは明晰に書いている品川先生がこういうのになると途端にわけわからんようになるのはなぜだろう。こういうの、私は学部学生や院生に教えたりすることができないように思える。 この文章を授業で読んでいる自分が想像できない。*1

    • 一方で、哲学ってのは真面目に勉強さえすりゃわかるもんだという気もしているし、発想や論理のステップなんかを授業で説明したりすることもできるんじゃないかと思ってる。クリプキとかパトナムとかだって勉強すりゃなんとかなると思ってる。でもデリダとかコーネルとかはできんね。なんでかなあ?なんか話に具体性がないんだよな。
    • あ!そうか、こういうのが気になるのは、文章を読んでそれに対応する事例を思いつくのがすごく難しいから気になるんだな。授業では必ずその場で思いついた例を出すのが楽しみなんだけど、それがポストモダンな人びとについてはできそうにない。それやろうとするとふつうの(「モダン」?)な説明になっちゃうからだな。
    • だめだ。品川先生の本のなかでも大事なところなのになにも納得できない。センスないなあ。でもここで言おうとしているのが、「どう違ってるかは言えないけどとにかく違ってる」とかってことだとすれば、とても納得するわけにはいかんわなあ。まあだから私は「他者」とかわかっとらん。でも誰かもっと親切に教えてくれてもよさそうなものだ。いきなりこんな秘教的になるのはどっか不正だとさえ思う。
    • p.263の男性論はおもしろいよね。前にも書いたけど森岡先生とかと近い。あと蔦森樹先生や宗像恵先生とかと問題意識を共有してるなあ。

    立山善康先生の「正義とケア」はよい

    (リベラリズムは)自然法思想に基づいて、人間の最も根源的な価値を天賦の自由に求め、個々人の自律的な生の保障を政治・社会の構成原理とする理論である。したがって、リベラリズムは本来的には、個人の自由を最大限に確保するために、政府の介入をできるかぎり排除する見地であるが、今日では、個人がその自由を行使するために必要な社会的・経済的に平等な基盤を保障するために、再配分政策の必要性を認めざるをえないところから、そのために政府の積極的な介入も容認するという、一見したところ本来の主張と正反対であるかのような立場も取っている。(p.347)

    • どっちやねん、とか。ふうむ、でもこういうのがふつうの業界(どこ?)でのふつうの理解なんかもしれないなあ。

    正義とケアの二元論を解決する方法は、理論的には次の三通りしかない。つまり、(1)正義がケアを内包した概念であるとみなすか、逆に(2)ケアが正義を抱摂した概念であると考えるか、それとも(3)両立が可能ないっそう包括的な理論的視座を見いだすかである。(p.357)

    • 品川先生も基本的にこの問題の枠組を受けいれてるわけだな。しかしここで言ってる「正義」「ケア」ってのはなんなんだ?思考方法?規範的価値?
    • まあ「どっちが優先するか」とかって問いだと考えるなら、まあ功利主義をとれば(3)で素直にいけるわけだが。
    • あ、役に立つロールズの引用発見。「一貫して、わたしは正義を社会的諸制度、あるいはわたしが実践と呼ぼうとするものの一つの徳性としてのみ考える」そうだよな。ロールズの「正義」は人間の徳ではなく社会制度の徳だ。引用もとは”Justice as Fairness”。
    • アリストテレス、ヒューム、スミス、ルソーときて、

    こうした系譜を念頭におけば、正義の倫理とケアの倫理の対象は、古来の正義と仁愛という二概念に由来し、さらに根本的には、倫理学の二つの中心概念である「正しさ(right)」と「よさ(good)」に対応するものであることは明らかである。(p.359)

    • よい。立山先生はひじょうによくわかっている。

    ~力点の置きかたの違いは、もとをただえば、両者の問題意識の相違にある。つまり、正義が、相互に対立をはらんだ複数の価値判断をいかにして調停し、合意を形成するかという問題に対処するために要請された規範的原理であるのに対して、ケアあるいは仁愛は、個々の価値判断がどのようにしても形成され、共有されるかという、その発生的な起源に関係する概念である。したがって、正義の倫理は、個別的な価値判断の起源やその共有可能性についてはほとんどなにも語っていないし、反対に、ケアの倫理は、複数の個別的な価値判断があって矛盾する要素を含んでいるさいに、いずれの判断を選好すべきかという問題に十分答えうるものではない。(p.360)

    • よい。最初の方ではおどろいたけど、全体として見るとほとんど文句がない。すばらしい。絶賛。そうか、こういう解釈を品川先生は叩きたいわけだ。だんだんわかってきた。やはり勉強は楽しい。

    川本隆史先生は偉かった

    もってるはずなのに1週間探しても出てこなかったので図書館から。

    あ!そうか、この本はとんでもなく重要だったのだな。ここ10数年の倫理学やら社会哲学やらの議論をガイドしてたのは実はこの本だったのだ。国内の社会哲学(倫理学、法哲学、政治学あたり)の議論の骨組を作ったのは、加藤尚武先生でも大庭健先生でも井上達夫先生でも島津格先生でも森村進先生でもない。いまごろ認識した。昔読んだときは「なんかつっこみ足りないなあ」とか思った記憶があるのだが、功利主義、ロールズ、ドゥオーキン、ノージック、共同体主義、ケア、セン、各種応用倫理とガイドブックとしてはすばらしいできになってんのね。いろんな本や論文でみなれた表現がやまほど出てくる。表現が明晰でコンパクトなところなんかがすばらしい。これちゃんと読まずに国内の議論についていけないと思ってたのはまさに馬鹿。いつも横においといて、国内の標準的な理解がどうなってるかとりあえずこれに当たるべきなんだわな。超反省。しかしなんか開眼したような気がする。

  • *1:私は授業で自分や他人さまの文章を音読するのが好き。