セックス」タグアーカイブ

カント先生とセックス (3) 自分の体であっても勝手に使ってはいけません

まあ性欲はそういうわけでいろいろおそろしい。だいたい、いろんな犯罪とかもセックスからんでることが多いですしね。性欲は非常に強い欲望なので、道徳とバッティングすることがありえる、っていうより、他人の人間性を無視してモノに貶めるものだっていうんでは、ほとんど常に道徳とバッティングしてしまう。

例の人間性の定式「人間性を単なる手段としてではなく、常に同時に目的として扱え」にてらして考えてみると、性欲とセックスは相手を自分の欲望を満たすための単なる手段にしてしまうわけで、どうすれば同時に目的として扱うことになるのか難しい。

まあふつうに考えれば、床屋さんやマッサージ屋さんと同じように、相手が自律的・自発的に望んでいることを尊重すればいいんちゃうか、と思いたいところですが、カント先生はそれじゃ満足しないみたいなんですね。ここらへんちょっと入りくんでいてわかりにくいのですが、性欲とセックスは人間をモノに貶める行為であって、他人をモノとして扱うのが許されないだけでなく、自分自身を(自発的・一時的に)モノとして提供することも不道徳で許されません、みたいな論理のようです。だから売春とかもだめ。床屋さんやマッサージ師さんとは違う。あれは技術を売っているわけだけど、売春は自分をモノにおとしめてその体を売ることだ。実は、(一時的な)恋人関係・愛人関係みたいなのでさえだめなんですわ。それはお互いを性的傾向性にもとづく愛によってモノにしてしまう関係である。

カント先生はこんなふうに書いてます。ちょっと長いけど、いつか使うために写経した。

人間は、当人も物件ではないのだから、自分自身を意のままに処理することはできない。人間は自己自身の所有物ではない。それは矛盾である。なぜなら、人間は、人格である限り、他の事物に関する所有権をもつことのできる主体だからである。さてしかし、彼に人間が自己自身の所有物であるとしたら、人間は、その当人がそれに対する所有権をもつことのできる物件であることになろう。しかし、とにもかくにも人間はいかなる所有物ももたない人格なのであり、したがって、当人がそれに関して所有権をもつことのできるような物件ではありえない。なぜなら、実際、同時に物件でも人格でもあること、換言すれば、所有者でも所有物でもあることは不可能だからである。

したがって、人間は自分を意のままに処理することはできず、人間には自分の一本の歯もその他の手足も売る資格がない。さてしかし、ある人格が自分を利害関心に基づいて他人の性的傾向性を満足させる対象として使用させる場合、すなわち、ある人格が自分を他人の欲望の対象にする場合、その人格は自分をひとつの物件として意のままに処理しているのであり、それによって自分を物件にしている。他人はその物件で自分の欲を鎮める。ローストポークで自分の空腹を満たすのと同様に。ともかく、他人の傾向性は性に向かうのであり人間性に向かうのではないので、この人格がその人間性を部分的に他人の傾向性に与えること、そして、それによって道徳的目的という点で危険を冒していること、それは明らかである。

したがって、人間は他人の性的傾向性を満足させるために、利害関心に基づいて自分を物件として他人の使用に供する資格をもたない。なぜなら、その場合、その人の人間性は、ひとつの物件として、すなわち誰彼なくその人の傾向性を満足させる道具として使用される危険を冒すからである。(『コリンズ道徳哲学』39節「身体に対する義務について──性的傾向性に関して」、御子柴訳)

我々自身は我々のものではない、っていう主張は目をひきますね。「我々は自分(特に自分の身体)を自由に処分することができるのか」ってのは生命倫理とかフェミニズムとかで非常に議論されているところですね。自殺の自由はあるか、とか。カント先生ははっきりないって言います。これはずっと一貫してる。売春の自由とかってのも認めないわけですね。ただし、「私の体は私のもの」みたいなフェミニストの標語をカント先生が認めないかどうかはわかりません。フェミニストの意味では認めるんちゃうかな。

カント先生による自殺の禁止の議論は倫理学のテストで出題されるかもしれませんね。「人間性の定式」では「あなた自身のうちにあるものにせよ、他の人のうちにあるものにせよ、その人間性を単なる手段として扱わず〜」っって言われているわけですが、この「あなた自身の」の方はわすれられやすい。他人だけじゃなく自分も単なる手段としてあつかってはいかんのです。

だいたい、自殺とかってのは苦しいことから逃がれたくて自殺したいと考えるわけですね。おそらく、死ぬことそのものを望む人はあんまりいない、っていうかおそらく現実には存在しない。「生きてんのがやになりました」とかってのは実はなんか夏休みの宿題しなきゃならないとか、そういう面倒なことが苦痛だからそれから逃げたいだけ。面倒なことがなくなれば死ぬことそのものを望んだり意志したりするっていうのは考えにくいですね。とりあえず生きてりゃ音楽聞いたり本読んだりできるし、ひょっとしたらいつかはうまいもの食ったりセックスしたりして楽しいこともあるかもしれないし。

んで、人生の苦しみから逃れるために自殺するというのは、自分自身とその生命を、苦痛を逃れるという目的のための単なる手段として扱うことになる、自分の体をたんなるモノとして処分することになる。だからだめっす、という議論です。これがうまくいってるかどうかはよくわからんですが、おもしろいこと言いますね。ちなみにカント先生はこの議論だけでなく、別のやりかたでも自殺の禁止を立証しようとしてます。

カント先生とセックス (2) 性欲は直接に他人の身体を味わおうとする欲望

カントのセックスについての話は、『人間学』、『コリンズ道徳哲学』(死後出版。カント先生の講義ノートをまとめたもの)、『美と崇高の感情性に関する考察』、『人倫の形而上学』、『人類の歴史の憶測的起源』あたりにばらまかれてます。けっこういろんなこと語ってますわ。『コリンズ道徳哲学』の有名なセックス論はこんな感じ。

……もしその人が相手を単に性的傾向性に基づいて愛しているのだとすると、これは愛ではありえず、むしろ欲である。……そのような人々が、相手を性的傾向性に基づいて愛する場合には、相手を自分の欲の対象にしているのである。さて、そうした人たちは、相手を手に入れ、自分の欲を沈めてしなったなら直ちにその相手を投げ出してしまう。それはちょうど、レモンから汁を絞ってしまえば、ひとがそれを投げ捨てるのと同様である。確かに、性的傾向性は、人間愛と結び付きううるし、人間愛のもつさまざまな意図を伴なってもいる。しかし、性的傾向性はただそれだけをとりだしてみれば、欲に他ならない。そうしてみれば、やはりそのような傾向性には人間を低劣にするものが存している。なぜなら、人間が他人の欲望の対象になるやいなや、関係を道徳的にする動機がすべて脱落してしまうからである。すなわち、人間は、他人の欲望の対象としては、他人の欲望がそれによって鎮められる物件なのであり、誰によってもそのような物件として濫用されうる物件なのである。(御子柴訳)

性的な局面では、性欲の相手は享楽の対象ってことになる。食欲が料理を味わい咀嚼しおなかに飲み込むことに向かうように、性欲というのは直接に人間の体に向って、それを触覚とか味わうことを目指す。まあ手で触ったり口で味わったり粘膜をすりつけたりね。

性的傾向性が根拠になっている場合を除いて、人間が他人の享楽の対象となるようすでに本性上決定されているなどという場合は存在しない。

これはあれですね。他人を直接に享楽の対象としようとする場合、っていうのは、日常生活ではほとんどない。たしかに犯罪とかってのは他人からお金を盗んだり殴ったりするわけですが、泥棒はお金が目標だし、殴るのは殴りたいから殴るというよりは、殴って言うことを聞かせようとか、痛めつけて恐れさせようとか、そういうのが目的であって、相手を味わおうと思ってるわけじゃない。『人倫の形而上学』では「肉欲の享楽は、原則的に、カニバリズム的である。……お互いは、お互いにとって実際に享楽されるモノである」って言ってます。まあカニバリズムとかと並べられると困ってしまうわけですが、性欲にはたしかにそういうところがあるかもしれませんね。カニバリズムに独特の恐しさがあるのは、泥棒や強盗とは違って、それが他の人間の肉体を直接に欲望しているからですね。これは恐い。解剖して楽しむために解剖されるのとかも恐い。他人をそういう目で見る人がいると考えると、すごく異常な感じがする。でもセックスの場合はそれが普通なわけです。「へへへ、いい体だ、パイオツがたまんねーぜ」みたいな。他に他人の肉体を味わうっていう時は、たしかに私にはあんまり想像つかないなあ。

マッサージや整体みたいなサービスがあるわけですが(私苦手です)、あれも体つかうから同じようなものか、っていうとそうでもない。あれは筋肉をもみほぐしてもらったりするのが目的で、相手が能動的に動作することを必要とする。マッサージ師さんの体を味わっているんではなく、もみほぐされることを楽しんでいるわけですが、性欲はそうではない。

まあ男性や女性を「食う」「食われる」「味見する」みたいな表現を使うひとがいるみたいですが、そういう表現がふさわしいこともあるかもしれない。性欲は他人の体を味わおうとする欲望なのです。セックスでは人間はいじくりまわされ使用される物体にされる。それに、相手にそうした操作や使用を許すことで、セックスにおいて人は自分自身もそういうモノにする。性欲とセックスはおたがいをモノとして扱い、それによって自分も他人も動物的存在にしてしまうおそろしい欲望であり行為である、ってな感じ。我々が性的な目で他人を見るとき、肉体として、味わうべきモノとして見ているわけです。まあたしかにそう言われるといやな感じがしますね。

私あんまり性的な目で他人から見られたことないような気がしますが(コンパとかで財布として見られたことはあるような気がする)、ナイスバディな女性とか毎日そうやって見られてるんでしょうなあ。「せまられる」「触られる」「味わわれる」「食われる」とかいつも「〜される」な感じでちょっとあれかもしれないですね。

『コリンズ道徳哲学』は下のに入ってます。これはひじょうにいろんなネタをあつかったおもしろい本なので図書館で読んでみるといいです。他に『人間学』もおもしろい。カント先生っていうとなんか猛烈に難しいことを書いた人というイメージをもっている人が多いと思いますが、あの『〜批判』とか以外はけっこうたのしめます。

カント全集〈20〉講義録 2
カント
岩波書店
売り上げランキング: 878,241

 

カント先生とセックス (1) いちおう「人間性の定式」の確認

哲学者・倫理学者といえばカント先生。しかしそのカント先生を専門的に勉強していた人が犯罪で逮捕されたというので話題になっているようです。まあ正直なところまったく同世代なのでいろいろ考えちゃいます。でもまあ別に倫理学勉強したから犯罪しなくなるってわけじゃないですからね。物理学勉強したってビルから飛んだら落ちるし、医学や生物学勉強したって100年ぐらい生きたら死んでしまう。私には因果関係とかよくわからんですし、限られた報道からは容疑者の人がどういうことを考えていたのかは想像もつかない。

しかしまあカント先生は本当に影響力のある先生で、道徳の一番基本的な形は「あなたは、あなた自身のうちにあるものにせよ、他の人のうちにあるものにせよ、その人間性を単なる手段として扱わず、常に同時に目的として扱いなさい」っていうものだっていうのは(もうちょっと別の訳の仕方もありますが)、倫理学者の言葉で一番有名な文句になってます。「定言命法の人間性の定式」とか呼ばれてる。おそらく一番有名なんじゃないですかね。これより有名なのはイエス様の「あなたがしてほしいように他の人にしなさい」とか孔子様の「汝の欲せざることを人に為すことなかれ」ぐらいになっちゃって預言者聖人はては神様の領域になってしまう。

しかしこの「単なる手段としてではなく〜」ってやつはけっこう解釈が難しくて、これがどういう意味かってことと、カント先生はなぜそうしなきゃならないって考えたのか、ってことをすっきり説明できれば哲学の修士論文としては十分すぎるくらいになってしまう。博士論文でもいけるだろう。実はわたしはうまく説明できません。

でもまあぱっと見たらわかることもある。とりあえず人を手段・道具として使ったらいかんのだな、と。性犯罪とかってのは(上の犯罪は誘拐や監禁でしょうから性犯罪なのかどうかよくわかりませんが)、他人を自分の性的な目的、性的な快楽のための単なる道具とすることだ。もう相手の気持ちとかどうでもいいから、あれをあれしてあれしてしまいたい、とそういうことでしょうからね。性犯罪だけじゃなく、多くの不道徳な行動ってのがけっきょくは他人をなんらかの利己的な目的のための道具とすることなのだ、というのはまあわかる気がします。

「常に同時に目的として」の方はちょっとわかりにくい。授業していても一番難しいのはここですね。私はまあ標準的な解釈として、「その人の自由、自律、自己決定を尊重するということなのだ」ぐらいでお茶を濁しています。実はそんなうまくいかないんですが。他人を道具として使わないってことは、自分の目的の手段として使わないということで、その人の自由な意思を尊重することだ、ぐらいに読むんですね。私らは社会のなかでいろいろ他人を手段として使わないと生きていけない。床屋さんにいったら床屋さんを自分の髪の毛を短くするという目的のための手段として使うことになる。でも床屋さんは自由意思で床屋さんになることを選び、そういうサービスを提供することで私から4000円もらいたいと思っていて、サービスを提供してくれる。床屋さんのそういう意思を尊重して髪切ってもらって4000円払うことによって、私は床屋さんを単なる手段としてではなく同時に目的として扱うことになるのです、ぐらい。

まあそんで、この「人間性の定式」っていうのは非常に影響力があって、それ以降のふつうの人びとの道徳的な思考に巨大な影響を与えてるんじゃないかと思いますね。「人を道具として扱うな!」ってのはまさにフランス革命から19世紀〜20世紀にかけての奴隷解放とか女性解放とかそういうのの原動力になっている信念です。カント先生のころはまだ身分とか奴隷とかあった時代ですからね。

セックスの哲学にもこの「道具として扱うな!」てのはすごい大きな影響を与えてます。たとえば、痴漢強姦はもちろん、売春とかってのが批判されるのは、お金で女性を性的快楽のための道具とするからだ、っていう考え方ですね。あるいは専業主婦とかってのも家事とセックスのための道具として妻を見ているのだ、とか。グラビアアイドルも女性をモノとして見ていて許せん、ミスコンも女を商品として扱ってる!現代的な感じではこれは「モノ化」「物象化」objectificationの問題と呼ばれていてすごくおもしろいネタです。

カント先生のセックス哲学がおもしろいのは、強姦とか誘拐監禁だけじゃなくて、実は結婚してない人びとがするセックスはぜんぶだめ、それにマスターベーションとかも許せん、って主張していることなんですが、今日はこれくらいで。続きます。

「モノ化」については昔1本論文書いて、最初の方でカント先生の文章紹介しているので、だめな論文ですがよかったら読んでみてください。ここらへんからセックスの哲学・倫理学やりたいと思ってたんですが、なかなかうまいこといかないんですよね。

http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/380/1/0130_009_008.pdf

プロレゴーメナ・人倫の形而上学の基礎づけ (中公クラシックス)
カント
中央公論新社
売り上げランキング: 131,743

酒飲みセックス問題 (11) 同意というのはプロセスだ

前のエントリで書いたように、ワートハイマー先生のは私にはちょっと不安があっていろいろ考えるところです。

ところで、(8) 「セックスする気があるとき女性は酔っ払うか」で紹介したDavis & Loftus先生たちの論文の後半は法政策に対する提言になっていて、サーヴェーの結論として次のようなことを言おうとしています。

 

  1. 性的な同意というのはある時点での行為ではなく、時間をかけて展開されるプロセスだ
  2. 酔っ払った相手とのセックスは禁じられるべきでは*ない*。酔っ払うほど飲むっていう決断が性的な意図を含意していることはありえる
  3. 意思が途中で変わることはありえるものの、アルコールを摂取したということは被害者の強制されたという主張の信頼性に影響する
  4. reasonableな人にとって、相手のアルコール使用は、相手の同意と同意能力の蓋然的証拠になる
  5. アルコール使用はレイプや強制の虚偽申告の要因になる
  6. 酔っ払っての性的行動に対する規制は、危害の防止と自由の制限という諸刃の剣になる

どれも政治的にちょっとあれで、けっこう論争を呼びそうな主張ではありますね。うしろの方はいろいろ検討しなければならないものを含んでますが、最初の「同意は時間をかけて展開されるプロセスだ」っていう主張は鋭いことを言うな、と思いました。つまりふつうのセックスとかでは「やりますか」「やりましょう」「はっけよい、のこった!」みたいにはならんわけですね。相撲じゃないんだから。

実際のセックスでは、少なからぬ場合最初は女性は(いろんな事情から)ノーと言う場合が多い。これはけっこう研究の蓄積があります。古いのだと、Muehlenhard, Charlene L., and Lisa C. Hollabaugh. “Do women sometimes say no when they mean yes? The prevalence and correlates of women’s token resistance to sex.” Journal of personality and social psychology 54.5 (1988): 872.とか。まあそういうのは女性の弱い立場や抑圧があれだ、みたいな議論もあるのですが、そうでなくてもとりあえず軽く見られないように最初はノーっていう、みたいなのもある。ここはいろいろ議論あるところです。

Davis先生たちは、まあ最初は実際そういうもんだけど、同意しているかどうかっていうのはその最初の返事がどうかってことよりは、そのあとで、いっしょにどの程度酒飲むかとか、遠まわしに誘いかけられたらどうするかとか、手を握られれたらどうするか、耳もとで口説かれたらどうするか、他から隔てられた場所に移動するよう誘われたときについていくかとか、いろんな部分触られたときにどうするかとか、まあそういう時間的に発展していくいろんな合図によって示されるものだ、って主張したいわけですね。ここらへんの見方はワートハイマー先生より女性らしい分析を感じました。なんかよくわからんけど、セックスの同意なんてそんなもんな気がしますね。商売の契約とかギャンブルの賭けとかとは違うです。

Davis先生たちの他の主張は今やるのはちょっと時節がら具合悪いのでしばらくほうっておきます。興味ある人は読んでみてください。

酒飲みセックス問題 (10) 同意の文脈・文化

未成年女子に酒飲ませて公然わいせつした警官が女子から損害賠償訴訟起こされたようですね。このシリーズ、そういう実際の話のことは考えていますが、実際の事件についてなんか言おうというつもりはないです。

えーと、話は酔っ払った行為にも責任がないとはいえない、でも酔っ払ってした同意が、「有効な」同意なのかっていうのはすぐにはわからん、という話まで。

この問題はおそらく、その社会的文脈による、みたいな話になっちゃうんですよね。

まあたとえば私がけっこう酔っ払って木屋町を歩いているとして、「おにーさん、1杯だけどうですか?」みたいな呼び込みされることがあります。あれは数年前に条例かなにかで禁止したはずなのにまたたくさん出てますよね。うざい。「おっぱい、好きでしょ」とか。放っておいてください。ていうか酔っ払ってるときには家帰るのがせいいっぱい。

まあ酔っ払った人がそういう呼び込みに同意して呼びこまれちゃって「〜万円です」とか言われちゃったりしても、ふつうはお金払わなくていいってことにはならんですわね。酔っ払って道端で寝てるのを運びこまれてお金請求されたらこまるけど、飲み屋街のルールでは酔っ払っての同意はぜんぜん有効。むしろどんどん飲ませてどんどんお金をつかわせよう、みたいな感じじゃないでしょうか。おそろしいです。

一方、喉頭癌を手術で切るか放射線治療にするか、みたいな判断は酔っ払っている人の同意は無効ですわね。事故や急病とかの緊急のときでなければ、まともな判断して同意ができる状態の同意じゃなければ有効じゃないし、もしそういう判断ができなければ誰かが替わりに判断してあげないとならん。入れ墨とかもそういうもののはずです。

興味深いのはギャンブルですね。ギャンブルと酒は相性が悪い。あれはほんとうに悪いようです。ギャンブル本当に好きな人は酒飲まないみたいですね。私はパチンコとか麻雀とかはまったことないとは言いませんが、お酒飲んでる方がいいや。でもカジノは一回行ってみたいですね。アムステルダムの空港とかでは後ろで見学してます。本当はポーカーやってみたい。この前『ラウンダーズ』っていう映画のDVD見ました。youtubeとかでも大金かけたポーカー(テキサスホールデム)やってて、つい見てしまいます。ああいう心理の読みあいみたいなのは魅力あるなあ。豪華客船みたいなところでイケメン俳優がポーカートーナメントする、っていう映画があったと思うんですがタイトルわからなくて困ってます。知ってる人はおしえてください。

そういや京都でも裏カジノみたいなのが摘発されてますが、違法なことはやめましょう。こわいです。

話がそれましたが、カジノなんかではきれいなおねえさんがお酒とか運んできて無料で飲めたりするようですね。あれで「俺は酔っ払って判断力がなかったから賭けは無効だ」と言えるかどうか。どうも言えないようです。

一方には手術とかの飲酒の判断は無効だと考える文脈があり、一方には酔っ払ってても払うものは払えという文脈がある。ここらへんどう考えるべきか。ハートハイマー先生は、それはけっきょく我々がどういう制度を望むかってことに依存するのだ、っていうわけです。

酒飲みギャンブルを禁止して、酔っ払いギャンブルは無効だってことにするっていうのは不可能ではないわけです。カジノに入店する際に飲酒しているかどうか確かめたり誓約書書かせたり、カジノ内ではアルコール禁止したり。そういや、競馬場や競輪場ではアルコール不可みたいですね。競輪場は雰囲気が好きで昔何度か行ったことがあるのですが、あの魅力的な食べ物屋ではアルコール売ってなかった。まあ暴動その他のトラブルを避けるためだと思いますけど。

それじゃ、酒ありのカジノと酒なしのカジノのどちらに客が入るだろうか、ってことを考えてみようというわけです。まあ酒なしのカジノにするためにはお客さんをモニタしたり手間はかかるけどできないわけではない。でも酒飲めるカジノと酒飲めないカジノだったら、酒飲めるカジノの方にお客さんは行くだろう、ってワートハイマー先生は考えます。そっちの方が楽しいし、酒飲むかどうかは自分で決められる。自己責任ってやつですか。先生はそういうのが好きなのかもしれない。

セックスについてはどうか。セックスは手術や入れ墨のようにあとで後悔する可能性が高いものだから飲酒禁止にするか、あるいは人びとが酒飲んでセックスするのが好きだからOKにするか、みたいなことになる、のかもしれない。ワートハイマー先生自身は、けっきょくこれは人びとの行動と選好についての実証的な問題が大きいのだと主張します。人びと(特に女性)が酒飲んで酔っ払ってセックスするのが好きなのであればそれはそれで尊重するべきだろう。酔っ払ってセックスしたことに対する被害とか後悔とかがどの程度大きいか、とかってのはまああんまりセックスしてない人びとが頭で考えるよりは、広く調査してその結果を見るべきだ、みたいな感じです。そういうんで、この前紹介したDavis & Loftus先生たちの研究とか出てくるわけですね。

私自身は、こういうワートハイマー先生の立場は理解できるのですが、疑問もいろいろあるとは思いますね。まあ世の中にはいろんな「ルール」や「慣習」があって、男性や女性が酒飲んでどうふるまうことが許されるかとか、どういう意図を推定するかとかってのもそういう慣習とかの結果ですわね。たしかに合コンして酔っ払ってセックスする文化や慣習というのは一部には存在しているのかもしれない。私の思弁では、セックスにまつわるトラブルの多くっていうのは、そういう慣習を知らない新人がとそういう世界に入ってきたときや、文化や慣習が違う人びとが出会ってしまうことによって起こるわけですね。そしてその被害も小さくないかもしれない。人びとが飲酒とセックスにまつわる慣習についてどういう考えをもっているかという実証調査が必要だというのはその通りだと思うし、ひとびとがどのようなことをしているかを人びとに知らせることも重要かもしれない。でもセックスとかはじめるのがまだ判断力が十分に発達していない若い人びとだったりすることから考えれば、大学レベルとかではもう少し保護的な政策をとるというのは十分ありえるんではないかとういう気もします。若い人びとは酒の飲み方も知らんしね。でもここらへんまだよく考えないからわかんないや。ははは。

続くかもしれないしこれで終りかもしれない。いや、もうちょっと続き気がする。

酒飲みセックス問題 (9) 同意したことに責任があっても同意は有効じゃないかもしれない

まあというわけで、酒を飲んで酔っ払ったからといって、行動の責任がなくなるわけではないような感じです。(場合によっては)同意したことや酔っ払ったことは非難に値するという意味で「責任がある」ということになりそうです。

しかし、んじゃ酔っ払ってした同意はぜんぶ有効validなのか、というとそうでもないかもしれない。同意の責任はあるけど同意は有効じゃないよ、だからそういう同意をした人とセックスした人を非難したり罰したりすることは可能かもしれない。

ここはわかりにくいかもしれませんね。くりかえしになりますが、まずまあ基本的に同意してない人とセックスするのは非難されるべきことなわけです。それはたとえば相手の身体の統合性bodily integrityとかを毀損する行為かもしれない。デフォルトではダメだってことです。そういうデフォルトではダメな行為が、本人の同意があることによって非難の必要がない行為になる。医者が患者にメスを入れたりするのもそういうもんですわね。セックスも手術も、ひょっとすると非道徳的にも道徳的にもすばらしい行為になるかもしれない。同意にはこんなふうにある行為の道徳性を変更する効力がある。これがHeidi Hurd先生なんかはこういうのを「同意の道徳的魔法」moral magic of consentとかって呼んでます。

で、強迫されてした同意とかはそういう同意の魔力をもってない無効な同意です。酔っ払ってした同意もそういう類のものかもしれない。つまり、行為の責任と、同意の効力は別のことなわけです。同意に「責任」があるからといってその同意が有効だということには直接にはならない。まあふつうに考えれば同意に責任があるなら同意は有効だろうと言いたくなりますが、ここで考えてみるのが哲学ですわね。

別の言い方をすると、無効かもしれない同意した責任というのは当人にあるわけで、それを非難されたり(おそらく可能性はほとんどないですが)法的に罰されたりすることはあるかもしれない。しかし、その同意をもとにして、その相手とセックスすることはまた道徳的に非難したり罰したりすることが可能かもしれないわけです。こっちの「酔っ払いとセックスしたら罰する」ってのは十分ありえる考え方です。

スーザンエストリッチ先生というレイプまわりで非常に有名なフェミニスト法学者は、車に鍵をかけわすれたからといって、車を盗む許可を与えたわけではない、って言ってます。鍵をかけわすれたことは非難できるかもしれませんが、だからといって、車盗んだ人が悪くないってことにはならんですよね。車盗むのはほとんど常に悪い。酔っ払ってしたことに責任があるからといって、酔っ払った人とセックスすることが悪くないってことにはならんのんです。

車泥棒の例を続ければ、AさんがBさんに車を貸して、Bさんが鍵をかけわすれてCが車泥棒したとき、AさんがBさんに「なんで鍵かけなかったんだ!」って非難するのは理にかなっているけど、だからといって車盗まれた責任がぜんぶBさんにあるわけではないし、Cの車泥棒が非難できなくなるわけでもない、ということです。

んじゃ、酔っ払っての同意は有効なのか、酔っ払った相手とセックスするのは問題ないのかどうか。ワートハイマー先生なんかに言わせると、これはけっきょくわれわれの社会でおこなわれているさまざまな「同意」のコンテクストによるのだ、ってことになります。

たとえば酔っ払ってした商業契約とかどうなるか、みたいなのはおもしろい例ですわね。日本の民法ではどうなってるしょうか。

米国の法律だと、古くは酔っ払った人がおこなった契約は、「ひどく薬物の影響を受けて取引の性質や帰結を理解できなかった場合」には無効にすることができたみたいすが、現在はもっと緩くて「契約の相手方が、酔った人物が取引について合理的な仕方で行為することができないと知る理由があった」ときのみ無効にすることができる、みたいな感じらしいです。これは相手がぐでんぐでんになってるな、ってことがわからないとだめだってことですわね。セックスでいえば、相手がもうなにがなにやらわからん状態だろう、ぐらいに思える程度に酔っ払ってないとならんということになりそうで、自発的に服脱いだり脱がせたりいろんなあれやこれやとかしてたら「そういうひとなんだろうなあ」とか思ってしまいそうですね。よくわかりませんけど。

でもこういう商取引をセックスまわりに適用してだいじょうぶなのかな、とかって不安は残りますね。セックスは商取引とは違うのではないか。セックスはセックスとしての同意のありかたがあるんではないのかな、という話になります。

酒飲みセックス問題 (8) セックスする気があるとき女性は酔っ払うか

Deborah Davis先生とElizabeth Loftus先生の共著で、”What’s good for the goose cooks the gander: Inconsistencies between the law and psychology of voluntary intoxication and sexual assault.” Handbook of forensic psychology: Resources for mental health and legal professionals (2004): 997-1032. っていう論文があるんですわ。酒飲み行動と性的な意図はどういう関係があるか、みたいな話のサーヴェー論文。

Davis先生はよく知りませんが、Loftus先生は、一時期流行した性的トラウマの記憶回復とかの研究をおもいっきりひっぱたいた人ですね。心理学会では超重要人物のはずです。この論文は、学則や法律で酔っ払った女性とのセックスを性的暴行に推定しようとか、そういう動きに対する反応でなんかそっち系の運動をしている人びとがいやがるようなことを書いてる。

  • アルコールは性的な動機や興奮や快感を高めると信じられてるとか
  • 酔った女性は性的活動に同意しやすくなると認知されているとか
  • 男性は酔った女性の不同意を認知するのが遅くなるとか
  • アルコールは両性にとって誘惑の手段として認知されてるとか
  • アルコールは、通常は受けいれられない性的行動をする言い訳になると考えられてる

とかそういうのをサーベーで示して、んじゃ実際に女性はどういうふうに酒を飲むのか。

Davis, Follette, and Merlino (1999)っていう研究では大学生に、セックスするつもりのときにデート相手といっしょに酒飲んで酔っ払ったりドラッグ使ったりするか、みたいなことをたずねる、と。ドラッグとかこういうのですぐに出てくるのがアメリカやばい。ドラッグはやめましょう。酒もやめたほうがいいと思う。Davis先生はネバダの大学、ロフタス先生はカリフォルニア。危険だ。

結果は、セックスするつもりがないときに比べ、女性がセックスするつもりがあるときはドラッグを使う可能性がある(33%)、飲む(46%)、酔っ払う(61%)だそうな。男性もそれを予想していて、女性がセックスするつもりのときはそれぞれ57%、61%、75%ぐらいがそう信じているらしい。

んじゃ、セックスするつもりのときだけ酔っ払うのか

84%の女性はセックスするつもりのないときにもデート相手と飲む。セックスするつもりのないときに酔っ払うのは71%。だから酔っ払ったからといって女性はセックスつもりはないと思うべし。ちなみにセックスするつもりのないときにドラッグを使うのは31%。
男性は女性が少し飲んだときにセックスするつもりがあると思うのは8%、酔っ払ったら19%、ドラッグ使ったら28%。まあまともな男性ならば、女性が飲んだからといってセックスするつもりだとは簡単には思わないそうです。

ただまあこういう調査からすれば、女性が飲んで酔っ払ったからといって不同意だ、というのもやりすぎだというのが彼女たちの見解。アルコール使用と性的な意図の間にははっきりした関係がある。アルコールとセックスの間には関係があるということは広く信じられているので、ある程度の経験ある人がそういう行動をとるならば、ある程度そういう意図があるかもしれないということがいえる。当然同意のdefinitive evidenceにはならんけどprobative evidenceにはなるかもしれない、って話。飲んでよっぱらってる方が酔っ払ってないときよりも同意している可能性はある、みたいな。なのでよっぱらった上でのセックスは同意あっても性的暴行と推定して、即罰則、みたいなのはやりすぎだろうという話です。

まあ女性が酔っ払ったらセックスするつもりだとは思わない方がいいです。もしかしたらそういう可能性もないではない、ぐらい。やめといた方がいいです。もちろんあきらかに酔っ払って判断おかしくなってたり、意識なくなるほど酔ってたら性的暴行なのはまちがいないところです。もちろん無理矢理飲ませてなんとかしようとかもだめです。

しかしまあこういうネタっていうのは国内ではかなりやりにくい気がしますが、真理っていうか本当のところをある程度実証的に探求しようっていう努力は偉いですね。

これは見てない → Davis, D., Follette, W. C., & Merlino, M. L. (1999). Seeds of Rape: Female behavior is probative for females, definitive for males. Psychological Expertise and Criminal Justice, 101-140. Washington, D. C.: American Psychological Association.

ロフタス先生の有名な本はこんなの。

抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって
E.F.ロフタス K.ケッチャム
誠信書房
売り上げランキング: 461,891

アリストテレス先生とともに「有益なおつきあい」について考えよう

まあ「有益な関係」みたいなのっていうのはどうなんですかね。世代的なものかもしれませんが、私なんかだと、そういう損得感情が入っているのは恋愛ではないのではないか、みたいなことをすぐに考えてしまうわけですが、女子はわりとプラグマチックに男性をスペックで見たり、その金とか学歴とか地位とかで見ることもそんな珍しくない感じで、そういう話を聞いてるととまどってしまうことがあります。

しかしプラトン先生自身が恋愛についてなにをいっているのか、というのはすごくわかりにくいんですわ。基本的にプラトン先生は熱情的な人で、こう理屈通ってないこともがんばっちゃうタイプの人で、私自身は苦手です。好きなのはアリストテレス先生。こっちは大人で落ちついている。

ザ・哲学者

ザ・哲学者

アリストテレス先生の恋愛や友情なんかについての考え方は『ニコマコス倫理学』で展開されてます。すごく有名な議論です。

まず「愛する友なしには、たとえ他の善きものをすべてもっていたとしても、だれも生きてゆきたいとは思わないだろう」(1155a)ってことです。この「友」が同性なのか異性なのかていうのはあんまり意識されてないっぽい。いちおう同性を中心に考えますが、異性との話も含まれていると読んでかまわないはずです。お金もってて仕事できても、友達がいないと生きていく甲斐がないです。ここでいう友達っていうのはたんにいっしょにいるんじゃなくて、もっと深い結びつきをもって、お互いが幸せに生きることを願いあうような、そういう関係。

単に趣味をもってるとか、車が好きだ、とかっていってそれが友達のかわりになるわけではないですね。

「魂のない無生物を愛することについては、通常、友愛という言葉は語られない。なぜなら、無生物には愛し返すということがないからであり、またわれわれが、無生物の善を願うということもありえないからである。」

恋愛とか友情とかってものは、一方通行じゃない。少なくとも私らが求めるのは、相手からも同じように好かれたいってことで、これが友情や恋愛のポイントです。片思いしている人も相手に好きになってほしいわけで、「電柱の陰から見つめているだけで十分」っていうのは相手にしてもらえないからそれで我慢しなきゃってだけですよね。

「だが友に対しては、友のための善を願わなければならないと言われているのである。・・・しかし、このような仕方で善を願う人たちは、相手からも同じ願望が生じない場合には、相手にただ「好意を抱いている」と言われるだけである。なぜなら、友愛とは、「応報」が行なわれる場合の「好意」だと考えられているからである」

この「好意」がまあ片思いとかでしょうな。「彼は私の友達です」「あの子は僕の彼女だよ」ってときはやっぱり相手にとって自分が特別なことが含意されてます。

ところで、「劣ったものや悪しきものを愛することはできない。愛されるものには(1)善きもの、(2)快いもの、(3)有用なもの、の三つがある。(1155b)」っていうことです。よく「ダメンズウォーカー」とかっていて「ダメな男」にはまる人がいるようですが、隅から隅じまったくだめな人ってのを好きになることは不可能だとアリストテレス先生は考えるわけです。まあ「だめ夫」っていったってどっかいいところはあるわけですからね。金もなければ仕事もできないけど、セックスはうまいとかちゃんと話聞いてくれるとか笑顔だけはいいとか。愛というのはそういう長所を愛することなわけです。

「快いもの」っていうのは楽しいもの、いっしょにいいていい感じを与えてくれるものですね。美人やイケメンとはいっしょにいるだけで楽しいということはよく聞きます。以前、ある女子大生様が「やっぱりイケメンといっしょの方がご飯食べてておいしいじゃないですか!」と発言するのを聞いて衝撃を受けたことがあります。たしかにそういうことはありそうだ。すごい実感がこもっていて感心しました。これはおそらく、イケメンがご飯をおいしくするわけじゃないけど、イケメンといっしょにいることによってひきおこされる快適な気分がご飯をおいしくしてくれるのですね。

「有用なもの」っていうのは、それ自体が快楽をもたらすものじゃなく、快楽のために役に立つものですね。お金もっているということはイケメンとちがってそれ自体では快楽をもらたらさないとしても、いろんな楽しい活動をするのに役にたつ。お金いいですね。私も欲しいです。

他にも前のエントリであげたプラトン先生の議論に出てきたような有用さっていうのはいろいろあるでしょうな。古代アテネのパイデラステアでは、年長のオヤジは少年にいろんなものを提供してくれることになっていた。まずもちろんお金。社会的に成功するには教育とか必要なわけですが、そういうののお金のかかりを面倒見たり。服とかも買ってあげたかもしれんですね。それ以上に重要だったと思われるのが、さまざまな知識の伝授ですわね。本の読み方とか演説の仕方も教えてもらってたかもしれない。学生様だったら年上の彼氏からレポート書いてもらったりしたことある人もけっこういるんじゃないですかね。仕事上のアドバイスを受けることもあるだろう。それに人脈。これも古代アテネでは重要だったようで、「有力者の愛人」とかってのはそれなりにステータスで、いろんなところに出入りするチャンスを得たりすることができたんじゃないでしょうか。やっぱり有力な人と親密なおつきあいするのはとても役に立ちます。

説明が最後になった「善きもの」っていうのが一番どう解釈するのかがむずかしくて、まあ美徳(アレテー)をもっている、ってことですわね。アリストテレス的な枠組みでは、たとえば「勇敢」「知的」「正義」みたいな長所が美徳と呼ばれていて、そういう長所のために人を好きになる。私はここでなんで「イケメン」や「話がおもしろい」が長所に入らないのだろうかと考えてしまうのですが、まあそういうんじゃなくて人格的な美徳を考えてるようですなあ。

アリストテレス先生は最後の美徳にもとづいたお互いが美徳を伸ばしあうことを願う似たもの同士の友愛が一番完全な友愛だと言います。たとえば知性という美徳をお互いに認めあった人びとが、お互いの知性が成長することを願いあう関係とかですかね。まあ今例として「知性」とかをつかったのであれに見えますが、たとえば「サッカーの技能」「忍者としての技能」みたいなものにおきかえることができれば、一部の人びとが大好きなボーイズラブの構図そのものですね。「お前、やるな!」「お前こそ俺のライバルたるにふさわしい!ライバルであり終生の友だ!」みたいに読めばどうでしょうか。このときに攻めとか受けとかあるのかよくわかりません。

まあそういうのが最高の友愛ですが、アリストテレス先生は有用性にもとづく関係とかだめな関係だ、とまでは思ってないみたい。多くの関係がおたがいの快楽をもとめる関係だったり、有用性をもとめる関係だったり、あるいは一方は快楽を提供し、一方は有用性を提供する、みたいな関係ってのもあるかもしれない。最後のは前のエントリで触れた典型的パイデラステアの関係ですわね。年長者は有用さを提供し、年少者は若さと美と快楽を提供する、というそういう関係。先生はどうも人びと自身の優秀さとか階層とかによって相手とどういう関係を結ぶかが違ってくる、みたいなことを言いたいみたいで、快楽や有益さをもとめた関係とかがすごく劣ったもので軽蔑すべきものだ、みたいなことは言おうとはしてない感じです。すぐれた人びとはもっとよい関係を結ぶものだ、程度。

でもそういう関係ははかない。お金や地位を失なってしまえば有用さを提供することはできなくなるし、若さと美なんてのはもうあっというまに色あせるものですからね。どんなイケメン美人でも10年ピークを維持することは難しいでしょうな。まあそういう持続性の点でも「似たもの同士の美徳のための友愛」が一番だそうです。

『ニコマコス倫理学』は朴先生の訳で読みたいです。岩波文庫のは古い。でもさすがに5000円は出しにくいですよね。光文社でなんとかしてもらえないだろうか。

ニコマコス倫理学 (西洋古典叢書)
アリストテレス
京都大学学術出版会
売り上げランキング: 65,070

もっとも、実際にアリストテレスとかの専門家筋には岩波も悪くないという評判みたいです。

プラトン先生の『パイドロス』からオヤジらしい口説き方を学ぼう

最近「倍以上男子」という言葉を流行らせようとしている雰囲気があるようですね 1)2017年だと「パパ活」か。 。私はこういうのはなんかバブル時期のことを思いだしてあれなんですが、まあそういうのもあるでしょうなあ。 http://howcollect.jp/article/7240 まあ流行らないと思いますが、こういう記事を書いている人がなにかソースをもっているってことは十分にありそうだとは思います。

しかしまあこういうので言われている女子とか年少者にとって有利な恋愛の形というのは当然昔からあって、あの偉大なるプラトン先生も検討しておられます。プラトン先生は恋愛とセックスの哲学の元祖でもあるのです。おそらくソクラテス先生もね。

プラトン先生が考えている恋愛っていうのは、『饗宴』でもそうですが、男同士、年長の男(30代とか 2)40才ぐらいになったらそろそろ少年愛やめて結婚して子供つくるのが正しいと考えられてたようです。 )と年少(10代)とかの関係ですわね。少年愛。パイデラステア。どうも当時のアテネの一部の階層ではそういうのが一般的だったんですね。美少年が勢いのある中年に性的な奉仕をして、中年男の方は金銭面とか人脈とか各種の知識や技術を教えたりする関係。まさに倍以上男子です。

プラトンが恋愛について書いたものというと、例の「人間はもともと2人で一つの球体だった、それがゼウスに怒られて二つに分けられちゃった、それ以来人間は自分の半身を求めて恋をするのだ」というアリストファネスの演説が入っている『饗宴』が有名ですが、『パイドロス』も同じくらいおもしろくて重要な本ですわね。その最初に、「君は自分に恋していない人とつきあうべきだ」っていうリュシアスという人の演説が紹介されているのです。話はそこから始まる。

まず、「ぼくに関する事柄については、君は承知しているし、また、このことが実現したならば、それはぼくたちの身のためになることだという、ぼくの考えも君に話した」って感じで話をはじめます。まあ自己紹介みたいなのして、自分がどれくらいお金もってるかとか、どれくらい地位が高いかとか仕事ができるかとかまずは説明するわけですね。んで「このこと」っていうのはまあお付き合いですわ。それは両方のためになるよ、ともちかかけるわけです。

口説きは、「ぼくは君を恋している者ではないが、しかし、ぼくの願いがそのためにしりぞけられるということはあってはならぬとぼくは思う」と意外な展開を見せます。君のことを愛しているわけじゃないけどお付き合いしよう、まあセクロスセクロス。

若い人は、自分を愛している人より愛してない人とつきあうべきなのです。なぜか。リュシアス先生は理路整然と説明します。おたがいそうする理由がたくさんある。

(1) 恋愛というのはアツくなっているときはいいけど、それが冷めると親切にしたことを後悔したり腹たてたりする。恋人がストーカーになっちゃった、とかっていうのは今でもよく聞きますよね。でも恋してない人はそういう欲望によって動かされれてるわけじゃなくて冷静な判断から相手に得なことをするから後悔したりあとでトラブルになったりしない。

(2) 恋しているからおつきあいをする、っていうことだったら、新しい恋人候補があらわれたらさっさとそっちに行ってします。「誰より君を大事にするよ」とかいってたって、他に新しい恋人ができたらそっちの恋人を「誰より大事」にするだろうから、古い恋人はひどいめにあうってこともしょっちゅうだ。実際「恋」とかってのは熱病みたいなもので自分ではコントロールすることができないものなのだから、そんなものに人生かけるのは危険だ。

(3)  おつきあいをする相手を自分に恋している人から選ぼうとすると数が少ない。ふつうの人はそんな何十人も候補があるわけじゃないっすからね。でも冷静におつきあいを望んでいるオヤジは多い。よりどりみどりになる。

(4) 恋している男というのは、有頂天になって自慢話におつきあいのことをペラペラと周りにしゃべるものだが、冷静な愛人はそういうことはちゃんと秘密にしてくれる。

(5) 恋している男は嫉妬ぶかい。今どこにいるだの誰とメールしているかとかいちいち詮索してうざい。

(6) 別れるときも恋している男はいろいろうざい。恋してない奴はさっさと納得して別れてくれる。

(7) 恋している男は、相手がどういう人かを知るまえにセックスしようとするが、恋をしてない理性的な人はちゃんと相手を見てからおつきあいする。

(8) 恋をしている人は相手の機嫌をそこねないようにってことばっかり考えて、本当にタメになることは教えてくれない。それに対して恋してない奴はいろいろ有益なアドバイスをくれる。今の快楽だけでなく、長い目で見たら将来のためにこうするべきだ、みたいなことを教えてくれるだろう。

とかまあ面倒になったからやめるけど、こういう感じ。これは今でもオヤジの口説きに使えそうな部分もあるわけですな。まあいつの時代も人は同じようなことを考えるものです。このリュシアスさんの演説に対して、ソクラテス先生が「おれはもっとうまい話ができるぞ」とか言いつついろいろ検討くわえて「恋愛やおつきあいというものはそういうものではないぞ、もっとええもんなんや」とやっつけていきつつ、その実、実は美少年パイドロス君をナンパしてたらしこんでいく、というのが筋です。そういうのが好きな人は読んでみてください。名作です。

『パイドロス』は岩波文庫のでいいと思います。『饗宴』はいろいろあるけど、光文社の新しいやつ読みやすかった。『パイドロス』訳している藤沢先生は授業受けたことありますが、モテそうな先生でした。

 

→ プラトン先生の『パイドロス』でのよいエロスと悪いエロス、または見ていたい女の子と彼女にしたい女の子に続く。

パイドロス (岩波文庫)

パイドロス (岩波文庫)

posted with amazlet at 14.07.03
プラトン
岩波書店
売り上げランキング: 11,453

 

饗宴 (光文社古典新訳文庫)
プラトン
光文社 (2013-09-10)
売り上げランキング: 56,410

アテネとかの同性愛がどういう感じだったかというのは、まあまずはドーヴァー先生の本を読みましょう。まちがってもいきなりフーコー先生の『性の歴史』とか読んじゃだめです。

古代ギリシアの同性愛

古代ギリシアの同性愛

posted with amazlet at 14.07.03
K.J. ドーヴァー
青土社
売り上げランキング: 750,418

ハルプリン先生のはゲイ・スタディーズとかの成果をふまえたものでもっとドーヴァー先生のより現代的なものだけど、ちょっと難しいし評価もそれほど定まってない。

 

同性愛の百年間―ギリシア的愛について (りぶらりあ選書)
デイヴィッド・M. ハルプリン
法政大学出版局
売り上げランキング: 809,485

アテネで女性がどういう暮しをしていたかっていうのは、これかな。

古代ギリシアの女たち―アテナイの現実と夢 (中公文庫)
桜井 万里子
中央公論新社 (2010-12-18)
売り上げランキング: 178,188

 

References   [ + ]

1. 2017年だと「パパ活」か。
2. 40才ぐらいになったらそろそろ少年愛やめて結婚して子供つくるのが正しいと考えられてたようです。

酒飲みセックス問題 (7) 酔っ払い行為の責任続き

酔っ払っての行為の責任というのはけっこう難しいんですよね。こういうのは責任とかにまつわる「自由意志」とかコントロール(制御)とかの複雑な哲学的議論を必要としている。

前のエントリではHurd先生の「酔っ払ってても必ずしも善悪の区別がつかなくなるわけじゃない」「酔っ払ってした行為を許すと酔っ払わないインセンティブが低下する」っていう二つの議論を紹介しましたが、これだけではうまくいかないかもしれない。

前のエントリでも書いたように、私自身は酔ってなにもわからなくなったという経験はないのですが、どうも世の中には酔っ払ってしたこととか忘れてしまう人とかいるようだし、本気で人格変わってしまうように見える人びともいますわね。そういうのどう扱ったものか。

インセンティブの方にしても、この手の議論は事実としてインセンティブが低下するかどうかってところに依存する議論で、私自身は嫌いじゃないけど、そういうのを認めない人びともいる。

ワートハイマー先生はここでFischer & Ravizza (1998) Responsibility and Controlっていう本の議論をもってきます。この本は「責任」や「自由意志」を巡る哲学的議論のなかで、最近の成果として非常に高く評価されている本です。前からもってたけどぱらぱらめくってみてもおもしろい議論を提出している本で、誰か翻訳してくれないですかね。この本で議論されている責任の話は、私が興味をもっている性的な同意なんかについても非常におもしろい洞察をあたえてくれるので、自由とか責任とかに興味のある哲学系の院生の人は必読ですね。

フィッシャー先生たちの本の全体の問題はこうです。我々は基本的に決定論的な世界に住んでいて、物事は自然法則にしたがって推移する。我々人間も基本的には物理学的・心理学的な法則にほぼしたがって行動しているわけで、そういうのを離れて「自由な意志」みたいなものは持つことができないかもしれない。そういう見方をしたときに道徳的な責任とかっていったいどうなるの? まさに哲学の主要問題の一つである「自由意志と責任」の問題ですね。

フィッシャー先生たちの答は、「いや、わしらがだいたい法則にしたがって行動しているといっても、道徳的な責任を問うことはできる。ある行為者が、そのひとが自分の行為の「理由」とみなすものにしたがって行為できれば責任を問うのに十分なのじゃ」ってな感じ。

たとえば、私が立ちションする場合に、「立ちションしてはいかん、法律で禁止されているし、女子大生に目撃されたら恥ずかしいし女子大生はショックを受けるだろうから」という理由に応じて立ちションしないという行動をとれるならば、それで立ちションした責任を問う、つまり非難したり、交番に引っ張っていったりするのに十分だ、というわけです。こういう「理由」に反応できない状態になった場合は責任はない。この責任と「理由」に応じて行為する能力というのはすごく重要ですね。セックスの同意に関する議論でも重要。ある人とセックスしない理由があるのに、セックスしてしまう、っていうのケースがあるのが問題なわけなのでね。

フィッシャー先生たちが心配しているのは、こういう形で責任とコントロールの関係を考えると、んじゃ「性格的にどうしても〜してしまう」「性格的に〜できない」みたいなのはどうなるの?ってことなんだけど、その答は、「性格とかによってどうしてもしてしまう/できない行為についても、行為に先立つある適切な時点でガイダンスコントロール(理由に応じて行為する能力)があると言えれば十分」って感じのものです。つまり、いま私は怠惰でちゃんと原稿とか書けないわけですが、いままでの50年の人生のなかで合理的に考えて「ちゃんと計画どおりに原稿書ける」とかそういう癖や習慣や性格をつくるチャンスはあったわけで、だから今私が性格的な欠点によって今原稿書けないことについて責任があるわけです。

ワートハイマー先生はフィッシャー先生たちのこの性格についての議論を酔っ払いについて応用する。酔っ払いがちゃん理由に応じて行為できないことはたしかにある。酔っ払って、その人にとってセックスしない理由がある人とセックスしてしまう、ということはありえる。でも、その行為に先だって、酔っ払って判断力をなくす前の時点で、自発的に酒飲んで酔っ払っであり、そういうことがあるから酔っ払わないような理由があるのに酔っ払ったのであれば、その人の責任を問うのは理にかなっている。

つまり自分でわかってて酒飲んで酔っ払ったのであれば、酔っ払ってしたことに責任がある。まあこりゃあたりまえですがね。でもたったこれだけの常識的な判断を哲学的に正当化するっていうのはけっこうたいへんなんすわ。

ワートハイマー先生はもう一つ議論を提出しているけど面倒だからもうやめ。

とりあえず、いろいろ議論があって、「酔っ払ってした行為には責任がない」ってことにはならんだろう。しかし、それでは、「酔っ払ってした行為には責任があるのだらから、酔っ払ってした同意は有効だ」ということになるかどうか。慣れてない人はこういう問いが異常なものに見えるかもしれませんが、これはそんな簡単じゃないかもしれない。こういう細かい分析が哲学っぽいですよね。

Responsibility and Control: A Theory of Moral Responsibility (Cambridge Studies in Philosophy and Law)
John Martin Fischer Mark Ravizza
Cambridge University Press
売り上げランキング: 26,484

酒飲みセックス問題 (6) 酔っ払い行為の責任

まず、「我々は酔っ払ってしたことについて責任があるか」というのがけっこう難しい。

まあこういう形で問いを作ることに問題があるかもしない。だって、たいていの人は「責任がある」っていうのがどういうことかはっきりとした考えをもってないからです。「責任」っていうのはほんとうに複雑で曖昧な概念ですわ。こういう形で問いをつくってしまったら、まず「責任がある」っていう表現でどういうことを言おうとしているのかはっきりさせないとならん。そのいうことをした上で、「どういう場合に責任があるか」とか「酔っ払ってしたことに責任があるか」とかって話になる。

んでまあ「行為に責任がある」っていう表現で一般の人が言うことはほんとうにさまざまなんですが、有望だと思われてて私もわりと好きなのは、「我々の道徳的態度や道徳的感情、特に非難や賞賛、罰や報酬に値する」みたいな意味で解釈するやりかたですね。「酔っ払ってしたことに責任があるか」と問うことは、「ある人が酔っ払ってしたことに対して我々が非難や賞賛をすることは正当化されるか」みたいな問いだってことになる。

この「責任」ってのがそもそも非難や賞賛と結びついていることは大事だと思いますね。日本はかなり酔っ払いに対して甘い国で、「酒の上でのことだから許してあげなよ」みたいな話になることもけっこうあるようですが、これは「酔っ払ってしたことにたいしてはシラフでしたことよりも非難を控えてやるべきだ」みたいなことを言ってるわけだ。

さて、この「酔ってたから許して」っていうのは、私も使うことがありますが、基本的にはやばいですよね。酔っ払いセックスではたいてい両方酔っ払っているわけだし。もしそれが正しいのなら、痴漢とか強姦とかしたいときはぜひ酒を飲んでよっぱらってからするべきだ、ってことになりそう。(小学生を大量殺人した犯人が、犯行前に向精神薬飲んでたとかっていやな話を思い出しました。許せん。)

もし酔っ払った女性と(酔っ払い同意の上で)セックスするのはだめだ、なぜなら酔っ払った人は同意したことについて責任がないからだ、と言おうとすれば、酔っ払ってセックスした男性にも責任はないことになってしまう。

しかし一方で、酔っ払ったことが強制的であった場合には責任はない、と言いたくなりますわね。たとえばアルコールを静脈注射されたり、こっそり飲み物に強いアルコール入れられたりした場合には、その酔っ払いは自発的じゃない。だから

【アルコール混入】 Bははじめてコンパに参加した。部屋には、ビールの樽と、「ノンアルコール」と書いてはいるが実はウォッカで「スパイク(混入)」されているパンチ飲料が置かれていた。Bはパンチを数杯飲んで、とてもハイになった。Aが自分の部屋に行くかと聞くと、Bは合意した。

こういう例ではBには責任はないと考えるのがまあまともな方向でしょうな。酔っ払ったのが自発的かどうか、っていうのは重要だ。

Heidi Hurd先生っていう人が”The Moral Magic of Consent” (1996)っていう有名な論文を書いてるんですが、これでは、我々が自発的に酔った場合にも法的な責任を回避できないとする理由として二つの見方がある、と分析してます。(1) 自発的に酔ったからといって、必ずしもなにをしてはいけないのかという義務に関する推論の能力が損われるわけではない。(2) 自発的に酔った場合にも法的な責任を免責するということになれば、悪行をしないように酔っぱらわないようにするという我々のインセンティブが損なわれる。

酔っ払った経験のある人はわかると思うのですが、(1)はその通りなんですよね。酔っ払って自分がなにをしているのかわかなくなる、という経験はあんまりない。たとえば酔っ払って立ちションするときも、「これはやばいなあ」とか思いつつそういうことをするわけですわね。アルコールが抑制を弱めてはいるものの、立ちションが悪いことで見つかったら非難されるに値することだということ自体はちゃんとわかっているわけです。私は基本的にはしませんよ。

(2)は酒癖悪い人はちゃんと意識しておくべきですね。酒癖悪い人は飲んだらいかんのです。許しませんよ。

酒飲みセックス問題 (5) エロス、ルダス、そして誘惑

ちょっと戻ってさらにだらだらと横道にそれると、まあ相手の欲望を引き起こし抑制を解除する、っていうのはこれはもう恋愛とかの一番重要な局面ですわね。そりゃ世間の正しい人びとっていうのは「恋愛やセックスというのは、長い時間をかけてお互いをよく知りあい、人間的に尊敬しあえる関係をつくり、おたがいの理解の上で一対一のコミットをした上でセックスするべきだ」みたいな美しいことを言ったりするわけですが、それってなんというか理想的すぎるし、そもそも我々が思いえがいている「熱愛」みたいなのの理想でさえないかもしれない。

前に「恋愛の類型学」みたいなのちょっと書きましたね。恋愛の類型学(1) リーの色彩理論。リー先生におれば、情熱的なエロス、遊びのルダス、友達みたいなストルゲ、損得感情のプラグマ、偏執的なマニア、利他的なアガペみたいな類型がある。どうも正しい人びとというのはアガペみたいなのかそうでなければストルゲみたいなのを正しい恋愛だって言おうとする傾向があるけど、そういうもんでもないっしょ。恋愛とセックスはおそらくもっと多様だし、その道徳的に正しい恋愛みたいなのは信じられないっていう人もけっこういるですわね。

「正しい恋愛」みたいなのの対極にあるっぽいのがエロス的ルダスとかルダス的エロスみたいなやつで、もう美人、イケメン、ナイスバティ、ガチムチとお互いにその場で一体になりたいと熱望する、みたいな恋愛独特の強力さがあって、人生ではあんまり関係もってないけど理念としてはこっちの方がかっこいい。小谷野敦先生という私が非常に評価している先生がいるんですが、この先生は「恋愛は誰にでもできるものではない」みたいなことを言っていて、ここで言われているのはそういうエロス的な恋愛やルダス的な恋愛はできないっていう意味でしょうなあ。ストルゲやプラグマだったら努力すりゃなんとかなるかもしれない。

んでまあそういうエロスやルダスのためにがんばる人びともいるわけです。そういう男性像としては、ドン・ジョヴァンニが最高ですよね。もう見境なく手をだしまくり、女たちもそれを憎からず思ったり。ドンジョヴァンニは殿様なので地位もお金ももっててイケメンですが、その最大の武器は歌と酒だ。もうお金つかってパーっとパーティーして盛り上って、一人静かなところへ連れだして口説くわけです。楽しそうだ。

前にも「オペラを勉強してモテよう」みたいなの書きましたが、 http://sexphilosophy.blogspot.jp/2013/01/blog-post_9.html もう1回見ましょう。

 

 

 

すごい腕ですね。ツェルビーナはこのときそんな飲んでなかったと思いますが、ちょっとは入ってたかも。ドンジョヴァンニは他の人にもセレナーデ歌ったりします。「歌で酔わせる」みたいな表現があるわけですが、まさに歌にも人びとの思考や感情を変更する力があるってのは昔から多くの人が指摘していることですね。

学生様たちと話をしていたときに、「合コンでカラオケに行ったらすごい歌のうまい人がいて、その日だけめちゃくちゃ素敵に見えて好きになりそうだった」みたいな話をしているのを聞いたことがあります。そういうことってありそうで、そういう人はカラオケや歌を人びとの性欲を刺激するために使うことができるのかもしれない。

【桜坂】歌のうまいAは、セックスをしぶっていたBとカラオケに行って「桜坂」を歌い、その後めちゃくちゃセックスした。

これとかどうですかね。まあありそうにないし、別に道徳的な問題はないですか。私は禁止したいですね。まあこれや【香水】みたいなのはOKだとしたら、やはり酒飲みセックスに問題があるとすれば、それは薬物をもちいて判断力を奪うからで、歌や香水をもちいて判断力を奪うのはOKであるということになりそうですなあ。

恋愛の超克

恋愛の超克

posted with amazlet at 14.06.26
小谷野 敦
角川書店
売り上げランキング: 168,946

酒飲みセックス問題 (4) 薬物の影響そのものは問題ではないかも

セックスにおける同意が問題になるのは恋愛とかセックスとかそういうのには医療行為とか商売上の契約とかとはまったく違う面があるからですね。

お医者が患者を手術したくてしょうがない、みたいなことはないわけです。「手術させろー、シリツシリツ」みたいなのは困るっしょ。それに患者さんに、本人に病気とかがなくても切られたいと思ってほしいとも思わない。まあ「手術受けるならこの先生」ぐらに信頼しててほしいことはあるかもしれませんが、「あの先生に切ってほしいから盲腸になりたい」と思ってほしいとは思ってないだろう。ははは。

でもセックスやもっと広く恋愛っていうのはそういうもんではない。上で「思ってほしいと思う」みたいな表現を使いましたが、ネーゲル先生は超有名な「性的倒錯」っていう論文(『コウモリであることはどのようなことか』に入ってます)で、おおまかに(典型的な)性的欲望や性的興奮ってのは、相手から性的欲望を向けられることに対する欲望だ、みたいな話をしているんですが、たしかにそういうところがある。ジョンレノン先生もLove is wainting to be lovedとか歌ってますね。

そういう相互性とか再帰性みたいなのが恋愛やセックスにつきまとっている。相手の欲求や心理的・生理的反応とまったく関係なくセックスしたい、というのは異常とはいえないかもしれないけれどもかなりおかしなところがあるように思える。

まあそういう恋愛っぽい恋愛抜きでも、とりあえずセックスにもちこむために(おそらく)男も女も相手の判断を変更しようとする。なんとかして相手の欲求をかきたて性的に興奮させ、あるいは相手の抑制をはずそうとするところがある。これがおもしろいところですね。アルコールはそういうことをするツールとして使用されることがある。(もっとも、今話題になっているように、相手を昏睡させて心理的反応とまったく関係なくセックスするために使う人もいるようですが、これは私には気持ち悪いです)

とかだらだら書いてしまいましたが、そういうツールとしての各種物質、はやい話が惚れ薬、媚薬とかってのはまあ人類の昔からのあこがれですよね。

ぜんぜんそういう薬物関係については知らないのですが、薬物と一言で言ってもいろんな効き方をするわけでしょうなあ。

セックスに対する同意みたいなのを中心に考えると、セックスしてもらいたい相手の (1) 欲求を刺激するのと、(2)抑制を取り去るの二つの道がある。これは我々がセックスするかどうか迷ったりするときに欲求とそれに反する抑制の二つがあることを反映してますね。セックスしたくてたまらなくても抑制が強ければ同意しないだろうし、抑制がなにもなくてもこの相手とはしたいと思わないとか、今はとくにしたくないとかそういうことがありそう。

【媚薬】媚薬が開発されたとする(現在のところ存在していない)。AはBの飲み物に薬を入れた。それまでセックスに関心を示さなかったBは興奮して、セックスしようと提案した。

上のような薬はまだないと思いますが、それが開発されたら問題になるでしょうなあ。【媚薬】は私の直観ではアウトです。そういう薬物をこっそり飲まされたくないし。詳しい話はまたあとでやります。でもこれって、Bにこっそり飲ますからですよね。ワートハイマー先生にならって私もオリジナルの例を作ってみたいと思います。

【エックス】AはBに覚醒剤の一種を渡した。それを飲むと楽しくなり相手に性的魅力を感じ、また性的に興奮する。Bはそれを他の人と飲んだことがあり効果を知っていたが、Bとともに飲むことに合意した。

違法薬物、脱法薬物はやってはいけません。しかしこれ合法薬物だったらどうですかね。あんまりうまくないな。

もうひとついってみよう。

【香水】効果的なフェロモン入り香水が開発されたとする(現在のところ存在していない)。Aはそれを体にふりかけてBとデートした。BはAとのセックスに同意した。

そんな香水があったらどうですかねえ。ふつうの香水ってそういうのにどの程度役だつんでしょうか。私は基本的に香水は使いませんが、それが原因であれなのでしょうか。遺伝子型に応じたオーダーメイド医療とかってのが発達してくると、オーダーメイド香水とかってのも開発されるかもしれませんね。ターゲットと自分の遺伝型に応じてなんか特に好かれるような香水をオーダーメイドする、みたいな。夢の世界だけどそんな遠い先の夢ではないかもしれない。まあよくわからないけど、【香水】が道徳的に問題あるかどうかはよくわからんです。

まあとにかく【媚薬】や【エックス】は欲求をかきたてる方の物質なんでしょうな。思弁だと特定の欲求をブーストするっていうのはかなり難しそう。

これに対して、抑制をとる方に効果がある物質もある。思弁だとおそらくアルコールはまさにこっち系の薬物なのではないかと思ってます(あんまり自信ありませんが)。アルコールってセックスだけじゃなくていろんな抑制を取りさってしまうじゃないですか。だからひどいこと言ったり暴力ふるったりする人も少なくない。アルコール恐いです。しかし抑制をとりさることが求められる場合もある。

【】AとBはデートする仲だった。Bはまだセックスの経験がなく、セックスについて恐れや罪悪感を抱いていた。シラフではいつまでも同意できないと思ったBは、1時間に4杯飲んだ。キスとペッティングしてからAが「ほんとうにOK?」と聞くと、Bはグラスを掲げてにっこり笑って「今なら!」と答えた。

アルコールの力を借りて告白する、みたいなのも多いでしょうね。この【空元気】【オランダの大学】(原題はDutch Collegeなんですがなぜそういうタイトルがついているかわからない)ケースでは、AはもとからBとセックスしてみたいとは思っていたが、抑制が強すぎてその勇気がなかった、程度だと解釈すると、これはOKだろう、って言うひとは少なくないんじゃないかと思うわけです。同意能力のあるBはいろいろ自分の利益について合理的に考えたうえで、自発的に酔っ払ってセックスすることを選択した、というケースですね。

次のは誰も問題ないと考えると思います。

【ラクトエイド】Bは、お腹が痛いという理由でAとのセックスを拒んでいた。乳糖不耐症が原因であることが判明したので、Bは乳糖不耐症用錠剤を飲んだ。この「薬」のおかげでBは気分よくなり、セックスに合意した。

おなかの具合悪いのはいやなものですからね。薬があってよかったよかった。でもこれを次のように変更したらどうでしょうか。これも勝手に作ってみました。

【不同意ラクトエイド】Bは、お腹が痛いという理由でAとのセックスを拒んでいた。Bに乳糖不耐症が原因であることが判明したので、AはこっそりBの食事に乳糖不耐症用薬剤を入れた。この薬のおかげでBは気分よくなり、セックスに合意した。

なんでそんなのをこっそり食事に入れるんだとか考えちゃいますが、まあそういうこともある。性欲を昂進させるという食品を食事にたくさん入れて食事つくる人、みたいなのはまあ考えられるし。男性ホルモンや女性ホルモンが盛んにでるような食材を料理に入れる人なんかもいるような気がする。この【不同意ラクトエイド】では、食い物にそういうの入れるのがどうかっていう話は別にすると、Bの同意は無効だと考える必要はない感じがします。まあ【ラクトエイド】や【不同意ラクトエイド】とかを見ると、問題は単に薬物の影響下にあることではなく、薬物の影響によってシラフのときとは判断が変ってしまうという点にあるように思えます。

あれれ、適当に書いてたら話がよれた。やりなおし。ジョンレノン先生でも聞いて心を清めますか。

Consent to Sexual Relations (Cambridge Studies in Philosophy and Law)
Alan Wertheimer
Cambridge University Press (2003-09-18)
売り上げランキング: 984,812
コウモリであるとはどのようなことか
トマス・ネーゲル
勁草書房
売り上げランキング: 89,102

酒飲みセックス問題 (3) 「インフォームドコンセント」で考えると

医療におけるインフォームドコンセントだと、おおまかに(1) 同意能力、(2) 十分な情報、(3) 自発性・自律、の三つのポイントが有効な同意のために重要だってされてます。(1)同意能力はちゃんと判断して責任を負う能力があるってことですね。まともな判断できない人は(有効な)同意ができない。(2)の十分な情報ってのは、病気やその予想予後、薬の作用や副作用とか手術の危険性とかそういうのは患者は知らないことが多いので、情報を与えてもらわないとまともな判断できないし、それゆえ有効な同意もできない。(3)強制されてたり他からの圧力がかかってたりすると本人の意にそった同意ができないので同意が有効でなくなってしまう、というわけです。

この医療のインフォームドコンセントというモデルがセックスに適用できるかっていうのは、実は私自身はちょっと疑っていますが、それで考えてみる。

(1)の同意能力がセックスでも必要なのはふつう考えればその通りですわね。子供は自分の利益とかちゃんと判断できないから同意できない。だから日本の法律だと13歳未満の女子とセックスすると問答無用で強姦です。これはおそらく13歳未満の女子は同意する能力がないと考えられているからですね。しかし男子はOKっていうのはへんな気がしますね。まあ根拠はあるんでしょうが。こうした法定レイプを定めている国は多いです。一般には男女共通の場合が多いみたい。ただ「法定レイプ」statutory rapeの年齢を何才にするかっていうのは国によってまちまち。米国とかだと州によって違うと思う。

(3)はまあ当然。強迫してセックスというのはこれは強姦に他ならないわけです。っていうか(3)の自発性こそが性暴力とそうでないものを分けると考えられる。

これに対して、(2)の十分な情報っていうのが私が気になっている点で、セックスにおける十分な情報っていったいなんなんだ、みたいなことは思います。「私とセックスするとこういう感覚を味わいます」みたいな情報を提示する必要があるかとか。結婚してるかどうかとか性体験の数とかを秘密にしたりするのは許されるかとか。まあこれはまたあとで議論したい。

酒飲みセックスが問題になるのは、とりあえずお酒の影響で(1)の同意能力が損なわれている可能性があるからですね。まあちゃんと考えられなくなりますからね。前の記事でのアンチオク大学やブラウン大学は、アルコールがそうした能力を損うためにそういうセックスはいかん、と言いたいようです。

あと実は(3)の自発性もあやしい。お酒を飲んだのが完全に自発的だとしても、そのあとのセックスに対する同意みたいなのが本当に自発的といえるものなのかどうか。「お酒が私をそうさせたのだ」みたいな表現がありますが、酒を飲んでやった行動が自発的なものなのかっていうのはかなり疑問の余地がある。

まあこういうわけでインフォームドコンセントのモデルを使って酒飲みセックスを考えると、その条件を満してない場合がたくさんありそうで、ここらへんが倫理学者や法学者の関心をひくわけです。

そういやツイッタでは紹介しておいたけどこのビデオおかしい。私は何言ってるかまではちゃんと聞きとれないのでトランスクライブほしいな。途中でライトで酔っぱらってるかどうか確認してますね。用心深い弁護士だ。私も万が一のため、この女性弁護士雇ってみたいです。

 

酒飲みセックス問題 (1) 酔っ払ってセックスするのは許されるか

なんか(女子)大学生が酒飲んで街中で大量に倒れたりして話題になってますね。アルコール濫用はやめましょう。

まあ一部のサークルとかではほんとにお酒を使ってやばいことをしているようで、なんというか命の心配もあるし各種の性的暴行なんかも行なわれたりするだろうしいやな感じです。

そういや昔某学会で「性的同意」の問題をとりあげて、論文にしないでそのまんまになってたことを思いだしました。どういう同意が有効かっていうのはセックス倫理学のおもしろいネタで、特に酔っ払いセックスは実際の性犯罪やセクハラなんかと関係していて関心があります。

米国のブラウン大学で90年代なかばに有名な事件があったんですね。新入生のサラ(仮名)が土曜日に自分の寮の部屋でウォッカ10杯ぐらいのんで酔っ払って(私だったら死んでます)、そのあと近所でやってるフラタニティパーティー(まあ飲みサーのパーティーですな)にボーイフレンドに会いに行った。アダムという別の男が、サラが友達の部屋でリバースして横になってるのを見つけて水が欲しいか聞くとサラはイエスと答えた。アダムは水もってきて飲ませて、しばらく話をした。アダムがサラに、彼の部屋に行きたいかと聞くとサラはイエスって答えたので部屋に行った。サラは自分の足で歩けた。サラはアダムにキスして、服を脱がせはじめた。さらにアダムにコンドーム持ってるかとたずねた。アダムはイエスと答えて、セックスしたわけです。事後に二人は煙草吸って寝たそうな。起きてからアダムがサラに電話番号を聞くと、サラは教えたそうな。しかしサラさんはしばらくしてからやっとやばいことに気づいて、あわてたと。んで3週間後に寮のカウンセラーに相談してアダム君を訴えることにしたわけです。ブラウン大学は厳しいところらしくて、在学生規程みたいなのに「違反学生が気づいた、あるいは気づくべきであった心神喪失あるいは心神耗弱」の状態にあった相手とセックスしたら学則違反だというのがあるんですね。

まあこういう状態の女性(あるいは男性)とセックスするのは許されるかどうか。まあ正しい人びとは「そんなんもんちろんダメダメ」って言うかもしれなけど、ほんとうにそんなに簡単な話かな? 某学会ではこういう問題にとりくもうとおもってまあちょっとだけやりました。ネタ本はAlan Wertheimer先生のConsent to Sexual Relationsってので、これはおもしろい。

まあワートハイマー先生の議論はそのうち詳しく議論することにしましょう。今日 http://sexandethics.org っていうサイトを見つけて、こういうありがちなセックスにまつわる倫理問題みたいなのを議論する性教育カリキュラムを提示していておもしろいです。ここらへんのネタはやっぱりワートハイマー先生の枠組みでやってる(ただし全体の雰囲気はワートハイマー先生より女性に有利な感じなフェミニスト風味)。

たとえば次のような問題について議論してみよう、ってわけです。上のブラウン大学の学則は、飲んでセックスするのを禁止しているわけじゃなくて、意識なくなったりすごく酔っ払ってまともな判断が下せなくなっている場合にはだめだっていってるわけです。では、

  1. 女性が飲酒している場合、もし女性が飲酒していることを告げなかったとしたら、男性はその同意を信頼することができるか?
  2. もし男性が飲酒していてリバースしたばかりだとしたら、それは彼の同意の能力にどういう影響を与えるか?それはなぜ?
  3. もし男性が意識を失なったら、女性は彼に対して性的なことを続けてもよいだろうか?それはなぜ?
  4. もし女性が飲酒していて、男性に部屋に戻ってセックスしようと誘ったら、その誘いは有効だろうか? それはなぜ?
  5. もし男性が飲酒していて、女性に部屋に戻ってセックスしようと誘ったら、その誘いは有効だろうか?それはなぜ?
  6. 直前の二つの問いがジェンダーによってちがうとしたら、それはなぜ?

上のブラウン大学の実際の事例とか考えながら答えてちょうだい、と。

さらには、ワートハイマー先生はあれな人なので、もっと奇妙なケースも考えてて、上のsexandethics.comの人も紹介してます。

【パーティー】 AとBはデートはしていたがセックスはしていなかった。Aが「今夜どうかな」とたずねると、Bは「うん、でもまずお酒飲みましょう」と答えた。お酒を飲んでBはハイになり、Aの誘いにこたえた。

【抑制】 AとBはデートする関係だった。Bはまだセックスするには早いと言っていた。Bの経験と他の情報から、Bはお酒を飲むと判断がおかしくなることを知っていた。しかしそれについてあまりよく考えず、Bはパーティーで何杯か飲んだ。AがBにセックスしようかと言うと、Bはいつもよりもずっと抑制を感じずに、「なんでも初めてのときはあるよね」と生返事をした。

【コンパ(フラタニティーパーティー)】Bは大学新入生だった。Bはそんなにたくさん飲んだことがなかった。Bははじめてコンパに参加して、酎ハイ(パンチ)をもらった。Bが「お酒入っているの?」と聞くと、Aは「もちろん」と答えた。Bは何杯か飲んで、人生ではじめてとてもハイになった。Aが自分の部屋に行くかと聞くと、Bは合意した。

【アルコール混入】 Bははじめてコンパに参加した。部屋には、ビールの樽と、「ノンアルコール」と書いてはいるが実はウォッカで「スパイク(混入)」されているパンチ飲料が置かれていた。Bはパンチを数杯飲んで、とてもハイになった。Aが自分の部屋に行くかと聞くと、Bは合意した。

【空勇気】AとBはデートする仲だった。Bはまだセックスの経験がなく、セックスについて恐れや罪悪感を抱いていた。シラフではいつまでも同意できないと思ったBは、1時間に4杯飲んだ。キスとペッティングしてからAが「ほんとうにOK?」と聞くと、Bはグラスを掲げてにっこり笑って「今なら!」と答えた。

【媚薬】媚薬が開発されたとする(現在のところ存在していない)。AはBの飲み物に薬を入れた。それまでセックスに関心を示さなかったBは興奮して、セックスしようと提案した。

【ラクトエイド】Bは、お腹が痛いという理由でAとのセックスを拒んでいた。乳糖不耐症が原因であることが判明したので、Bは乳糖不耐症用錠剤を飲んだ。この「薬」のおかげでBは気分よくなり、セックスに合意した。

ここらへんのそれぞれについて、同意が有効なのかどうか考えましょう、と。おかしなこと考えますね。みんなで考えましょう。

 

Consent to Sexual Relations (Cambridge Studies in Philosophy and Law)
Alan Wertheimer
Cambridge University Press (2003-09-18)
売り上げランキング: 1,552,909

2018年追記。上のブラウン大の事件は下の本でも扱われてます。良書なので読みましょう。

メモ: レイプと同意関係の洋書

 

Making Sense Of Sexual Consent

Making Sense Of Sexual Consent

posted with amazlet at 13.08.18
Ashgate Pub Ltd
売り上げランキング: 1,543,803

 

Sexual Harassment & Sexual Consent (Sexuality and Culture)
Transaction Pub
売り上げランキング: 1,635,589

 

Sexual Consent

Sexual Consent

posted with amazlet at 13.08.18
David Archard
Perseus
売り上げランキング: 2,067,157

 

 

 

Date Rape and Consent

Date Rape and Consent

posted with amazlet at 13.08.18
Mark Cowling
Avebury

 

The Ethics of Consent: Theory and Practice
Oxford University Press < br />売り上げランキング: 285,360

 

Exploitation

Exploitation

posted with amazlet at 13.08.18
Alan Wertheimer
Princeton Univ Pr
売り上げランキング: 675,676

 

Coercion (Studies in Moral, Political, and Legal Philosophy)
Alan Wertheimer
Princeton Univ Pr
売り上げランキング: 480,336

アンソロジーの計画をしてみたり

英米系セックス哲学アンソロジーを組んでみたいと思ったり。まあ私自身がアンソロジー好きなんよね。翻訳して出版したい。

たとえば売買春だとどうなるかな。

  • Jaggar, “Prostitution”
  • Ericsson, “Charges against Prostitution”
  • Pateman “Defending Prostitution”
  • Shrage, “Should Feminists Oppose Prostitution?”
  • Green, “Prostition, Exploitation, and Taboo”
  • Nussbaum, “Whether from Reason or Prejudice?”
  • Primoratz, “What’s Wrong with Prostituion?”
  • Schwarzenbach, “Contractarians and Feminist Debate Prostituion”

うーん、これでは多いね。ここでセンスが問われることになるわけだ。ShrageとPrimoratzとNussbaumでいいかなあ。大物度でいけばPateman入れたい気がする。

まあ
  • 概念的問題
  • 同性愛とか「倒錯」とかクィアとかまわり
  • 結婚、不倫、浮気、カジュアルセックス
  • 売買春
  • ポルノ
  • モノ化、性的使用
って感じになるだろうなあ。3〜4本ぐらいずつと考えるとこれでも20本越えてしまう。同性愛関係は需要からも政治的にも入れないわけにはいかないだろうなあ。あえてポルノは外すかな。

歴史的哲学者たちのセックス論のアンソロジーも出したいんよね。こっちも実は準備はしている。

そういや出版予定の(?)ソーブル先生の翻訳はどうなったんだろう?

不倫はなぜ不道徳か (2)

まあんじゃ、私が見ている英米系の応用哲学・倫理学での不倫とかの議論はどうなってんのか、とかって話もいきがかり上書かないとならんですね。

「不倫はなぜ不道徳か(1)」 でぼちぼち書いたぐらいでたいしたのはないんだけど、不倫賛成派を紹介するの忘れてたですね。あれ、書かなかったかな。

1982年にRichard Taylor先生がHaving Love Affairって本出してんですよね。この本はずいぶん売れたみたい。90年代になってもLove Affairっていうタイトルに直して版を改めてます。テイラー先生は形而上学とかですでに有名になってた哲学者だったからかもしれない。倫理学でいうと1970年のGood and Evilっていう本もけっこう有名で、そんなすごい本だとは思えないけどけっこう引用される。シジフォスの話とかが有名。なんていうか、セックス革命のあと、1970〜80年ごろのコロンビア大学、まだセクハラとかって言葉がない時代の有名大学教授、とかもう学生様とあれなんじゃないすかね。いかんです。

まあLove Affairの議論の基本的なラインは、愛は最高の善であり、愛に基づいた婚外セックスは内在的には善だ、みたいな。

非合法で情熱的な愛の喜びは、たんなるセックスの喜びを遥かに越えるものであって、比較不可能なほどよいものである。婚外情事を経験したことのない人、長年の傷ひとつないモノガミーを自慢する人は、実際にはなにかを見失っているのだ。

みたいなこと書いちゃう。すごいっすね。まあたしかに「私は結婚してこの方、まったく他に女性には目もくれませんでした」みたいな人にはなにか欠落しているかもしれない、という不安はありますねえ。

もちろん、結婚生活は安心や安定、協力、愛情、ケアその他さまざまな善を提供してくれるわけですが、不倫・情事は、刺激や興奮、愛情、承認、自己評価の向上などなどを与えてくれる、と。まあ「俺って/私ってまだイケてる!」とかそういう感じを与えてくれるわけですな。各種の社会的非難や制裁の危険を冒すことを覚悟した人から熱烈に愛されることは喜ばしいことであり、活気づけてくれるものだ、みたいな。これはかっこいいです。

まあおそらく中年とかになって「俺ってだめだよな」とかだめだめになってるときにそんでも「素敵よ」とか言ってもらえたらそりゃ自信もつくってもんだでしょうしねえ。仕事もうまくいくようになるかもしれない。女性もそうだと思いますね。人生には恋とスリルが必要なのだ、みたいな。

しかし当然結婚していながら恋愛するってのはやばいわけですが、それってけっきょくは嫉妬の問題だろう、というのがテイラー先生の見立てなわけです。嫉妬というのは非常に邪悪な感情で、それがどっから来るかっていうと結婚相手を自分の所有物、「自分のもの」だと思うとっからくる。「妻や夫を盗まれた」みたいな表現はまさにモノを盗まれた感覚を表現しているわけです。しかし「自分のもの」っていう表現に見られるように、なんかそれは人間をモノとしてみているわけです。人間は人間で自由なものなのに、なぜそれを所有することができるなんて思いこむことができるんだろう、と。

たしかに結婚生活では誠実さは大事だけど、それが性的に排他的であること、他の人とセックスや恋愛しないことは意味しない。また、他の人と恋愛やセックスしなくても不誠実になる方法はいくらでもある。たとえば自分の経済状態を妻に知らせないお金持ちの男性とか考えてみろ、と。けっきょく信頼を裏切ることはぜんぶ不誠実なのだ、と。

でもまあ婚外恋愛や婚外セックスしたって、お互いに信頼しあっているカップルの愛情ってのは恋愛における愛情より長生きsurviveする、と。だからお互いに嫉妬しないとか詮索しないとかっていうルールを守れば、不倫しても結婚生活は維持できます、ってわけです。

なんだかあれですなあ。でもまあいろいろ文学作品とか引用されていて、一読する価値はある本ですわ。

Love Affairs: Marriage & Infidelity
Richard Taylor
Prometheus Books (1997-03-01)
売り上げランキング: 848,673
Good and Evil

Good and Evil

posted with amazlet at 13.07.11
Richard Taylor
Prometheus Books

どうでもいいけど私がテイラー先生の名前を知ったのはピーター・シンガー先生の『私たちはどう生きるか』でシジフォスの話が出てきたところだったんですが、シンガー先生とか1950年ごろ生まれの人々が若いときに1970年のGood and Evilを読んでた、ってことなんでしょうね。

私たちはどう生きるべきか (ちくま学芸文庫)
ピーター シンガー
筑摩書房
売り上げランキング: 314,338

まあんでこういうテイラー先生の考え方について私自身はあんまりノレないっすね。私が思うに嫉妬とかって感情は理性によるコントロールとかできないもんちゃうかな、みたいな。「嫉妬はしてはいけません」「はーい」とか人間じゃない気がしますね。もしそういうことが可能なのであれば、まあその結婚関係は結婚というよりはJoint Ventureというかなんかそういう男女の起業家による共同プロジェクトみたいなになっていて、まあそれはそれでありなんかもしれないですが、どうなんすかね。いやまあそういうのでいいっていう人がけっこういるであろうことは想像できます。他にもっと気になる点もあるんだけど、これは秘密。

不倫・浮気・カジュアルセックスの学術論文ください

不倫(婚外セックス)とか浮気とかカジュアルセックス(いわゆる「ワンナイト」)とかについての哲学・倫理学の議論を紹介しようと思って、しばらく国内の文献をあさってたんですが、これって国内の学者さんによってはほとんど議論されてない問題なんすね。

たとえば岩波書店の『岩波応用倫理学講義5 性/愛』や『岩波講座哲学12 性/愛の哲学』の2冊を見ても、そもそも「不倫」も「浮気」も「カジュアルセックス」も出てこないみたい。これは正直驚きました。これおかしいんじゃないですか。不倫はもう普通のことで倫理学的になんの問題もないとか浮気はさっぱりかまわんしみんなしている、とかそういうことになってるんでしょうか。だめです楽しいセックスは全面禁止ですー。

まあつらつら考えてみると、私はわりと国内のフェミニズムやらジェンダーやらセクシャリティやらに関する本はけっこう読んでる方だと思ってるんですが、その手の議論はさっぱり見たことないです。「不倫はだめですか」「浮気は不道徳ですか」「その日に会ったばかりの人とセックスするのはだめですか」とか、まあけっこう多くの人が関心ある倫理学的/哲学的テーマな気がするんですがね。まあ私の生活には関係ないですけどね。ははは。他の哲学研究者の人々の生活にも関係ないんですかね。

まあ国内で「セクシャリティ」とかの倫理的問題としておもに議論されているのは、売買春、ポルノグラフィ、そして同性愛をはじめとしたセクシャルマイノリティに対する差別の三つで、ここらへんはけっこう蓄積があるんですが、不倫や浮気について真面目に議論したものがない、ってのはなんかおかしいような気がする。宮台真司先生あたりのリア充な感じの学者さんとか読まなきゃならないのだろうか。

まあここらへんにも日本のセクシャリティ論だのってての問題があるような気がしますね。5、6年前に生命倫理の文献をいろいろ見てたとき、脳死とか安楽死とかそういうのはたくさん文献あるのに妊娠中絶そのものを扱ったものはめったにない、みたいなのを発見したときと同じいやな感じがします。なんていうか、本当にみんなが気にしている問題、生活に直結する問題を学者さんたちは避けている、みたいなそういう感じ。正直なことを書けば、ある種の偽善みたいなものも感じたりしないでもないです。

いやまあ私が見てないだけなのかもしれんので、「これが定番論文だ」みたいなのがあれば教えてください。おながいしますおながいします。

岩波 応用倫理学講義〈5〉性/愛
岩波書店
売り上げランキング: 763,786

 

岩波講座 哲学〈12〉 性/愛の哲学
岩波書店
売り上げランキング: 632,294

加藤秀一先生の『性現象論』にも出てこないし。

性現象論―差異とセクシュアリティの社会学
加藤 秀一
勁草書房
売り上げランキング: 550,299

最近読んだのだと牟田和恵先生の『部長、その恋愛はセクハラです!』はおじさん向けの良書だったんですが、既婚者が「恋愛」(あるいはセックス)するということそのものの問題についてはなにも触れてなくて、ちょっと拍子抜けしました。でもまあこの本はみんな1回は読んでおきましょう。

部長、その恋愛はセクハラです! (集英社新書)
牟田 和恵 < br />集英社 (2013-06-14)
売り上げランキング: 4,525

この鼎談はけっこう興味深く読みました。西川先生は一夫一婦の結婚生活を維持されておられるらしい。結婚制度は当然フェミニズムの中心的議論対象の一つ。婚外セックスや「愛のないセックス」の話にはある程度関心を共有している印象があるけど、つっこんで議論はなかったような気がする。

フェミニズムの時代を生きて (岩波現代文庫)
西川 祐子 上野 千鶴子 荻野 美穂
岩波書店
売り上げランキング: 261,240

まあ、んで、なんで不倫や浮気やカジュアルセックスが日本の学者によってとりあげられないのか、ってのはどうしても考えてしまいます。仮説はないわけではないけど、どうかなあ。

私の仮説は、このタイプの問題は、非常に男性と女性(あるいはその他)それぞれの集団内部での利益の葛藤にかかわっているために議論しにくいのだ、ってものです。

まあ「不倫はOK、恋愛はすばらしい」って書いちゃえば「なんでうちの嫁を誘惑するのだ!」「うちの旦那を泥棒するつもりか!」って怒る人がいそうだし、かといって「不倫する奴は不道徳だ、人間の屑だ」みたいなこと書くと「おまえはパートナーがいるからそういうことを言うのだ」「お前はやりまくってるのか!」みたいなことを言われてしまいそうだし。これ難しいですよね。ははは。

まあ売買春とかポルノとかだったら、「買う男が悪い!」「そんなもの見て喜んでる奴らは変態だ」みたいなん言いやすいだろうし、セクシャルマイノリティへの差別や偏見が悪しきものなのは当然だから書きやすいのではないか。しかしまあ不倫とか浮気とかが人々の生活に及ぼす負の(そして正の)影響は売買春やポルノと同じくらいでかい気がしますけどね。嫉妬とかってのはDVとかともある程度関係しているんだろうし。

あとはまあ「不倫とか浮気とかみんなしてるのでそれが悪いとか書きにくい」とかか。「ぜんぜん悪いとは思ってない」とか「ふつうする」みたいなので問題を感じてないとか。そんな大きな問題じゃないだろう、とか。「そういう恋愛関係は個人的な理想にかかわることだから学者が関心をもつことではない」とか。最後のやつは興味ふかい論点ですが、それならそれで一本ぐらいそういう論文見つかりそうなものです。

まあここらへんわからんです。しばらく勉強しよう。

 

過去1年間、あなたは配偶者(夫・妻)恋人以外の人何人とセックスをしましたか

不倫っていうかカップル外セックスはどの程度の人がどれくらいやってるのか、ってことですが、あんまり信用できるデータがなくてねえ。

NHKの調査は信頼できるだろう、と思うわけですが、こんな感じですね。もっと新しいデータ欲しいっすね。

質問は「過去1年間、あなたは配偶者(夫・妻)や恋人以外の人何人とセックスをしましたか。ただし、お金を払ったりもらったりしてセックスをした相手はのぞきます。」です。

データブック NHK日本人の性行動・性意識
日本放送出版協会
売り上げランキング: 578,590

うまくtable書けません。ははは。

男子未成年で19〜99人のところに10人も性の巨人がいますね。女子でも15人未満ぐらいのところに7人いてけっこう巨人。中高年もけっこう盛んですなあ。これ10年以上前のデータなので、いまはさらにあれでしょうなあ。

男性 女性
年齢 全体 16-19 20代 30代 40代 50代 60代 16-19 20代 30代 40代 50代 60代
0 67 42 64 68 73 70 62 53 74 72 70 64 53
1 10 26 14 11 8 10 7 27 8 9 11 10 5
2 1 0 4 4 1 1 2 27 8 9 11 10 5
3 1 11 3 9 1 1 2 0 2 0 1 0 0
4 0 0 1 0 1 1 1 0 1 0 0 0 0
5-9 0 0 1 0 1 1 1 0 1 0 0 0 0
10-14 0 0 1 0 0 0 1 7 0 0 0 0 0
15-19 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
20-99 0 10 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
100人以上 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
無記入 20 11 13 17 16 18 24 13 14 18 19 26 43
あと「かぜまち結婚相談所」様がネットで調査をおこなっておられます。 https://www.facebook.com/kazemachimc