性表現と表現規制(3) 猥褻猥褻

ええと、んで猥褻なんですが、どういうわけかエロい表現は国家が規制してもかまわん、とみんな思いこんでた時代があるみたいなんですね。いまもそうかもしれないですけど。とにかくある種の表現はわいせつでいやらしくてけしからんので流通させないようにしよう。ロック先生やミル先生がそういうについてどう考えていたかはしりません。とにかくちょっとエロいのは許しますが、猥褻なのはいかんです。いかんエロい表現、それが猥褻。

まあ文学の話でいけば、19世紀半ば以降の自然主義とかってのが人間の本当の姿を描こう、みたいにしていろいろやばいことを書いたりして。でもまあそんなエロいわけではなく、人間ってこうだよね、みたいな感じで表現を拡張したわけですわね。でもふつうの人間っていろいろエロいことばっかり考えてるから、ふつうの人間を描こうとするとどうしてもエロくなったり、エロいと喜ばれるので芸術家もどんどんエロ描いたり。20世紀ぐらいにはもう露骨にエロを目指すものも多かったし、D. H. ロレンス先生やヘンリー・ミラー先生みたいに「エロこそ人間性」みたいな描き方をする人も出てきたりしてもうたいへんです。なんていうか、20世紀前半は芸術家みたいなキレてる人ががいろんなタイプのエロに挑戦し、半ば以降は中流の人もみんな性の解放を目指した、みたいな感じですかね。もちろん階級がもっと下の人はいろいろしてたでしょうなあ。実際は19世紀末〜20世紀前半の人たちはみんないろんなことしてたんでしょうけどね。

えーと、んで猥褻猥褻。

誤解されやすいんですが、「猥褻」obsceneっていう概念は、たんに「エロい」という意味ではないです。単にエロじゃなくて、プラスアルファがある。それはだいたい不快なものです。

日本だと、「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」が猥褻なもので、こういうものは頒布とか規制しても憲法第21条に反しないってことになってます。おもしろいですね。ふうつの人が見て恥ずかしくならないものは猥褻じゃないし、善良な性的同義観念に合ってればいい。普通の夫婦が「同衾した」ぐらいの文章だったら大丈夫なんでしょうが、善良な人は性器のアップ写真とか見たらなんか羞恥心を害されたり道義観念に反していると思うかもしれませんね。当然のことながら、医学写真とか「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ」ないので猥褻ではないです。

米国だと猥褻ってのは(1)平均的な人が、今日の地域社会の基準を用いて考えた場合、全体的に見て、好色な興味に訴えるものであり、(2)その作品は、当該の州法によって具体的に定義された性的行為を、明白に不快な仕方で、描写あるいは記述しており、(3) その作品は、全体的に見て、重要な文学的、芸術的、政治的、あるいは科学的な価値を欠くものである、みたいな感じです。猥褻は「不快」じゃないとならんのですが、まあなにが深いかってのは平均的な人が判断するってのでよい。

英国だと「当該物件が、それを入手する可能性のある者でその種の不道徳な影響に心を閉ざしてはいないものに対して、これを堕落、腐敗させる傾向を持つもの」とか。

まあ猥褻というのはこういうふうに、とりあえずは性的な関心を喚起するものであって、かつ、不快なものなのですね。そういうのは政府が規制してもかまわんのである、ってのが1970年ごろまでの話。

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