研究生活」カテゴリーアーカイブ

他の研究者先生を信頼できないのはつらいことです

私、ツイッタでもこのブログでも、いろいろ人様の研究(論文・書籍)やブログ記事やSNS投稿に文句をつけることが多くて、ほんとうにもうしわけないと思っているのですが、でもそうしなきゃならないというのは本当につらいのです。おそらく多くの人が、江口はまともな業績もないのに、悪口ばっかり言ってると思っていて、私もそう思っていて恥ずかしいのですが、でもやっぱり書かないとならないことはあると思うのです。フェミニズムやジェンダー研究に関心があったので、そういう研究にコメントつけることが多くてアンチフェミニストだって思われてるかもしれないけど、そうではないのです。でもそうした研究のまわりには問題が多いと思う。これだけはわかってほしい。

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キェルケゴールについて書いたもの(キェルケゴールとわたし、D進学後編)

この前、キェルケゴール協会っていうところでちょっと発表してきたんですが、そのときに私はキェルケゴールとどうつきあってきたのかっていうの見直してみたりしました。

の続きか。

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北田先生から怒られてしまった (4) どんなとき行為はパフォーマティヴ?

というわけで今回はまったくなにを怒られているのかわからなかったのですが、一つだけ収穫があったんですわ。「パフォーマティブな行為」。このなにげない表現から、いろんなことがわかった。 続きを読む

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北田先生から怒られてしまった (3) 具体例がないとわからない

そもそも、北田先生の、バトラー様(や北田先生や小宮先生の)「準拠問題」(=問題設定?)を認めるとか精査するとか、そういうのっていうの抽象的にはよいことだと思うけど、具体的にどういうことなのか考えてみるとよいと思う。 続きを読む

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北田先生から怒られてしまった (2) 「準拠問題」ってなんですか

これ、たずねられたり怒られたりしていることじゃないから書く必要ないのかもしれないけど、そもそもこの北田先生の論文で何回も使われてる「サイレンシング」とか「トーンポリシング」とか、いったいどういう概念で、ある人の発言や行動がサイレンシングだったりトーンポリシングだったりする基準はなんですか。それにそれは常に不正なことや悪いことなんですか。そういう説明なしに瀬地山先生は小説家や性暴力の訴え(?)をサイレンシングしている!それはバトラー様の準拠問題のもとでわかる!とかっての、ほんきですか。 続きを読む

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北田先生から怒られてしまった (1) パフォーマティヴってなんですか

『現代思想』のジュディス・バトラー特集号に載ってた、北田暁大先生の「彼女は東大を知らないから:実践のなかのジェンダー・トラブル」という論文で、私が日頃ツイッタやブログで適当にかきなぐってることについて怒られてしまったのでお返事しようかと思ったのですが、先生の論文はものすごく難しくて何を言ってるのか理解するのにとても時間がかかりました。けっこうがんばって読んだんだけど、結局よくわからなかった。バトラー様まわりはほんとうに時間ばっかりかかって人から憎まれるだけでなにもよいことがないので、泥沼みたいなのところにひきづりこむのやめてほしい。 続きを読む

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学術論文における言及とクレジット (2) 河野有理先生のエントリーへの疑問

んで、このクレジットの問題を考える上でのとっかかりになった笹倉秀夫先生の書評と、それに対するネット民(ネット人士?)、そして専門家の河野有理先生の「初期消火」論説についてやっぱりどうしても触れないとならない。このシリーズの予定では、この問題に直接関係はない、って書いたんですが、やっぱりどうしても触れないわけにはいかないですよね。正直、私は河野先生の文章がよくわからない。 続きを読む

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学術論文における言及とクレジット (1) 迷ったら参照せよ

ちょっとだけクレジットの問題ついて書いておきたいことがあるのです。最近ツイッタでちょっと怒られが発生したようようなんで[1] … Continue reading、その件と関係してはいるけど、その件自体には直接は関係しない[2] … Continue reading。学問の世界での引用や参照、クレジットや「剽窃」の問題には前から興味があるので、ちょっと思うところだらだら書いてみたいと思っています。

学生様にレポートや卒論を書いてもらうとき、やっぱりコピペや剽窃といったクレジットの問題については頭を悩まさざるをえない。自分で論文やブログ記事を書くときはさすがにコピペはしないものの、やっぱりクレジットについてはずいぶん悩むものです。そういうのは大学で授業してレポート書いてもらいはじめてすぐに悩みはじめたことだし、20年以上ずーっと悩んでることですわね。これは大学教員はみんな同じだと思う。

10年以上前に昔なつかしの「ホームページ」に「レポートの書き方」とか「剽窃を避ける」みたいな文章書いて、ずいぶんリンクしてもらったりして、まあ最初はネットもそういう話を直接にあつかったページは少なかったように思う。いまではたくさんあるのでよい時代になった。私のページとかもう価値なくなってる。「レポートの書き方」系のよい本もたくさんあるし。

私自身は「コピペ問題」とかはもうあんまり悩んでないわけですが、難しいと思ってるのは学生様にクレジットのつけかたをどう教えるか、みたいなことで、基本的には「迷ったときはなんでもクレジットつけろ、ページまで」みたいな指導になってるのです。それだといわゆるコモンノレッジ、共有知、あたりまえのものまでクレジットつけるようになって、まあ安全ではあるけどうざいというか。

「剽窃を避ける」https://yonosuke.net/eguchi/archives/2878 を書いたときも、「多くの人が共通に知ってること」を説明するのにずいぶん苦労して、まあ「5冊以上の本で出典なしに挙げられてるのは共有知」みたいな説明になってるけど、これでいいのかどうかわかららない。

マクミランの学生向けのページだとこんなになってる 。https://www.macmillanihe.com/studentstudyskills/page/Referencing-and-Avoiding-Plagiarism/

「特定の分野の人が(当然)知ってることが期待されるような知識」みたいな感じっすか。でもこれじゃ学生はわからんわけですわね。

このマクミランのページでは「授業に参加する前にその情報知ってましたか」「自分の脳味噌から出てきましたか」とかたずねてみて、どちらも「ノー」なら、少なくともあなたにとっては共有知ではない、だったらリファレンスつけましょう、みたいな感じになってますね。

ちなみに引用・参照しなければならないのは、(1) 独特distinctiveなアイディア。これはまあ当然か。これおそらく、他のソースと違う、ってことよね。国内ではわりと軽視されているのが、(2) 特徴的な構成あるいは構成手法。ある問題にとりくむにあたっての問いの立てかた、問題を検討するにあたっての文献や論者の選択、こうしたものも広い意味でアイディアなので、これにもクレジットつけないとならんと考えるのだと思います。(3) 特定のソースからの情報、データ、(4) 逐語的フレーズ、パッセージ、(5) 共有知でない情報とか。

(3)や(4)は当然で、特に(4)の逐語的フレーズ/パッセージはクレジットなしに他人の文章を使ったら著作権法違反ってことになる。ただし著作権で保護されているのはアイディア(思想・発想)ではなく「表現」でしかないので、特定のアイディアを他人から借りてもなにも著作権法に反することはない、と私は理解しています。(5)はさっきの「共有知」問題にかかわるやつ。

まあどれもいろいろ面倒で、だからこのページでは、実践的な指針として、(6)「 迷ったら、言及せよ!」というのが主張されている。このページでは、そうしていちいち引用・参照して言及する一番の利点はトラブルを避けることだとはっきり言われていると思う。 “good referencing is essential to avoid any possible accusation of plagiarism.” ちゃんとした参照は、剽窃の疑いをかけられるのを避けるために重要です、とのこと。おそらく、あるアイディアの使用が盗用だとか剽窃だとかという疑いはあまりにも簡単にかけられてしまうので、疑いをかけたりかけられたり、弁明したり、証明したり、他の人々が検討したりしなければなかったりするトラブルとコストを避けるためにはやはり参考にしたものはいちいち言及しておきましょう、という話だと思います。これはたしかにうざい。

まあそういうのは、場合によっては、あるいは手法によっては書くのも読むのも非常に煩雑になるので時に有害でもあるかもしれないけど、でもトラブル避けるためには多めに言及しとくっていうのは英語圏の流れだと思う。だから自己啓発本みたいなのもリファレンスだらけになる。

ワシントン大のだとこんな感じ。 https://depts.washington.edu/psych/files/writing_center/howtocite.pdf

Even if you arrived at the same judgment on your own, you need to acknowledge that the writer you consulted also came up the idea.

先行研究と同じようなやりかたや結論になったとしても、他の人の研究にコンサルトしたら、つまり論文読んで参考にしたのなら、ちゃんと名前あげなさいよ、みたいな指導がされている。

しかしこのレベルを実践しようとすると、新書のような日本の主流の出版形態が維持できない、っていう問題があるのだと思う。そういうのをどう考えるか、っていうのが私が関心があることなのです。

どういうわけか私年配の先生はわりと苦手なのに、なぜか話あいてになることは多くて(なぜだろう?)、名なり功を遂げた先生たちでもそうしたこまかいことを気にしているのはよく耳にしている。「偉くなったんだからそれくらいいのではないか」とか言いたくなったりもするんだけど、そうして偉くなる先生はむしろそうした功名心が背景にあってこそ偉くなれたのだ、みたいなのを感じることもある。

我々が勉強したり研究したり論文書いたりする一番大きな動機はおそらく功名心あるいはクレジットなので、「たった一行でも私の名前を入れてくれ」みたいなのは非常によくわかる欲求だからわたしはそっちがわに立ちたい。これはそんな簡単に却下できる望みではないと思う。

んじゃ具体的にどうするか、っていうのはまあみんなで話あうのがよいのではないかと思うわけです。というわけで続きます。

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References

References
1ちなみに、怒られの対象になったのははっきりしないけどおそらくここらへん。最初はなんか怒られてるっぽいけど誰から何を怒られているのかよくわからなかった。まあ書きかたよくなかったような気もするし、特に簡単に笹倉先生を「信頼できる」とか書いたのはたしかによくなかった。
2もともとは笹倉秀夫先生という方が書いた苅部直先生の本の書評。現行のわれわれの世界での意味では苅部先生が剽窃だの盗用だの研究不正だのをしているとかは最初から思ってはいませんが、笹倉先生がこういうものを書いた「気持ち」みたいなのは、その書き方のよしあしとは別に、わかるような気がする、という立場です。笹倉先生の言い分にどのていど理があるのか、ということは私には判断できないし、判断するべきでもないと思います。それはこのシリーズが続けばなぜそうなのか書けるかもしれない。

学会司会学が必要だ

秋から年末は学会シーズンで、あんまりそういうの出席せずさぼってる私も行かざるをえないのですが、司会、特にシンポジウムなど大人数が参加するディスカッションの司会は難しいですね。私経験が浅いので、いまだにどうしたらいいのかわからない。 続きを読む

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世界は変えることができる

んで、まあ問題を発見しただけではやはりだめだし、学生様には世界は変えられると信じて欲しい。そのためには私自身が信じないとだめだ。かげで文句いったり、個人を攻撃するだけは世界はよくならん。問題を発見するだけでなく、どうすれば解決するか考えて、ある程度は手も動かさないとならん。知恵をしぼって改善するのだ。そういう態度を教えられないようでは、大学でえらそうなこと言ってらない。ってなわけで面倒でも改善案を書きました。通るといいなあ。 続きを読む

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ポストモダンの害悪

最近ちょっとtwitterでポストモダンに関する議論があって、まあいつもどおりのよくわからない話をする人がいるってくらいなんですが、そのなかで、「ポストモダン思想がなにか自然科学に実害を与えたのか」みたいな発言がありました。たしかに自然科学に対しては実害とかほとんどなかったっしょね。実害は、自然科学ではなく、政治的な議論、それに倫理的・社会的な学問や論議に対してあったと私は思ってます。デリダ先生が倫理学や社会科学にどのていど影響を与えたかはしりませんが、私が憎んでいるジュディス・バトラー先生は私が関心のあるジェンダー論やセックス論の国内の議論に大きな影響を与えているようで、あちこちで無益なものを読まされることになります。 続きを読む

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「性的モノ化再訪」レジュメ

そういや、この前研究会で発表したレジュメおいときます。まあこんなこと考えてる。いつものようにあわてて書いたからあちこちよれていて、余計なこと書いてたり、わかりにくかったりしてだめなんですが、今年中にまともな論文にできるようにしたいとは思ってます。すみません。 続きを読む

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12月22日に不倫(を哲学)しに福岡に行きます

12月22日に修羅の国福岡の福岡大学の宮野先生と九州産業大の藤田先生の合同ゼミに呼んでもらってますので、江口が袋叩きにあうのを見たい方はどうぞ。22日18時から、福岡大学A棟A803だそうです。なんか適当に話をしてということだと理解したので、時節柄「不倫を哲学する」にしてみました。時期的・客層的には「浮気の哲学」にするべきでしたね。ははは。よかったらどうぞ。自分のところの授業でいつもしゃべっているようなことをしゃべるつもりです。資料とかつくる暇があるかどうか。 続きを読む

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進捗どうですか (20)

久しぶりの進捗だめです。

12月なかばに書いてからそれっきりでしたね。それからどうしていたのかというと……まあ私冬は苦手っていうか冬眠しちゃうんで予想通りではあるんですが。

12月はとにかく某翻訳をいったんおわらせようってんでいろいろがんばってました。翻訳ほんとに下手ね。でもその内容はおもしろいので、そのうちまとめみたいなの書きたい。ていうかどうも書かないとならんようで、それの勉強もしたり。翻訳は実際には1月第1週までかかっちゃいました。

その後はこの研修の最大の課題を達成すべくがんばってはいるのです。勉強したのを色々忘れてて馬鹿ではないか。昔のメモを読みなおしたり、文献確認したりしているとどんどん時間が過ぎていく。

あと正月から荷風先生はまって余計なことをしてしまっている。断腸亭日乗をWikiにしようっていうプロジェクト。 https://yonosuke.net/kahu/ 。1、2年、へたすると3、4年かかるかもしれないけどそれだけの価値はあるんじゃないかと思う。荷風の伝記的研究はすごい人々がけっこういて、本読んでるとほんとにおもしろいです。これは私の人生とか、人生全体における勉強プランの見直しとかなんか関係がある感じがして、単なる遊びではない感じ。一人じゃできないので協力してくれる人を求めてます。まあ心の健康のためには、目先の勉強ばっかりしているわけにもいかない。

まあ毎年12月と1月はすごいつらくて生きてるだけでせいいっぱいなんで、今年はとにかく体を動かすっていうのをやってます。とにかくまあ少しずつ進んではいる。毎年立春のあたりから調子が上がるので一気にやりたい。

あとまあ本日ブログまわりを整理して、これもそれなりに思うところがあった。本格的に人生まとめに入らないと。

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進捗どうですか (19)

進捗だめです。

これの存在すっかり忘れてました。

なんと前回は11月だがね。こっそり更新しておこう。

えーと何してたのかというと、学会行ったり、某フォーラムの原稿書いたりしてたわけです。某フォーラムのは苦しんだ。まあ勉強にはなったのですが、できたものは非常に不満。でもまあしょうがない。これは継続的に勉強しないと。昨日になって新しいJournal of Practical Ethicsに2本論文が載ってるのを発見したり。もう論文多すぎてよくわからん。

あとISUSとスウェーデンで使ったやつを紀要に投げたり。いいかげん。

学会の事務仕事させられたり、来年度のゼミの面談したりっていうのも。

12月も初旬過ぎて、やっと我に帰ってきた感じ。いやはや。

とにかく一生に一度くらいは正月締切のことを考えずに過せるようにいろいろやってます。借金がいろいろあるのよねえ。がんばれば年内にかろうじて終るのではないか。

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進捗どうですか (18) 計画と進捗管理はもちろん重要なのに大学教員はわかってない

10月第3週、前半はわりと落ちついて勉強してました。毎年この季節はまあ落ちつきかげんで集中できることが多いので貴重です。いつもこういう気候ならいいんですけどね。

しかし後半は例の研究費獲得のための書類を書かねばならず、そういうの苦手で四苦八苦。以前は私立大学は教員にわりと「研究経費助成」などで研究費をくれる傾向があったようですが、いまは各大学とも「とりあえず申請しろ、科研費出さなきゃ研究経費助成も認めんぞ」と強く指導されます。まあ筋は通ってますわね。

データベースとか見ると、みんながんばって研究してるなー、中年すぎてもらってる人は一流の人ばっかりだなとか。でもそのわりには論文とか出てないような気がする、とか。人文系の研究成果っていうのはなかなか謎ですね。ははは。

まあとにかく出さねばならない。ってので土日徹夜になっちゃったりして。でもまあ書いてみるとやっぱり計画は大事ですよね。人文系の人間は「自由な発想が大事だ!」とかっていって計画通りに研究するという習慣がない人が多いような気がしますが、やっぱりどれくらいの労力と時間と予算を投下してどれくらいの成果が出るかを見つもる、実行してみて進捗を計測してうまくいかなかったら計画を見なおしたり、放棄したり、っていうのはあたりまえのことですわね。企業だったらごくごくあたりまえなのに、大学教員はそういう習慣がないのは驚くべきことです。反省しました。いやはや。

進捗管理こそすべて。こころがけます。「研究者のための進捗管理」とかビジネスにも詳しいコンサルの人とかが書いたら売れるんちゃうかな。

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進捗どうですか (17) 自発性がすべてだ

安彦先生の書評研究会終ってから、ちょっと間があいてしまいました。進捗だめです。

その後なにをしてたのかというと、9月から10月はじめにかけては、書けと言われていた某雑誌の原稿をやっていたのですが、途中で放り出してしまいました。いろいろ悩んだのですが、まあ今は書けない感じ。そういうのはだめなのはわかっているのですが、できないものはできない。

なんかやっぱり自発的じゃないとだめなんすよね。私はなんというかあるていど調査とかしてそこらへんの地理がわかってからじゃないと書けない。書けるときってのはなんか「こういうのを書くべきだ」っていう内発的な動機があり、「だいたいこの分野の議論はこうなっている」とかそういうある程度の自信があるときだけなんですわ。

付け焼刃で勉強したことは、こう浅くて、浅いものを書いてもかまわんとわかっていても浅くて書いてていやになる。浅くても書けるときはあるんですが、そのときはなんかある種の感動みたいなのがあってこれまた自発的に書ける。とにかく締切あるのはだめ。

まあしかしその落としたやつのために勉強したことは非常にためになったので、いずれ出します。でもいまは出せない。熟してくるのを待つ。

んで10月に入ってからは当初計画通りに研究を進めています。なんかいきなり楽になり、充実感を味わってます。これやるために研修させてもらってんだよな、みたいな。やっぱり成果出すために勉強したいと思ってたことは楽しいし、いろいろ発見がある。ノート作ったり、試作品書いたりしています。どういうこと勉強しているのかはそのうちブログ記事にしたい。

まあとにかく自発性とか内発的動機とかっていうのはほんとうに大事だ、ということを確認するための半年でした。自発的なことをやっているときは楽しいし、なんというか自分がやってることがright trackにある、みたいな感じがします。やりたいこととやるべきことが一致しているのが人間のあるべき姿ですわね。

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進捗どうですか (16) 含スウェーデン訪問記

スウェーデン行ってきました。

京大とスウェーデンの4大学の研究協力関係を築く、みたいな企画で、研修でお世話になっている先の研究室も参加するというのでついていく、という企画です。なんか京大から12分野60人ぐらいスウェーデンに行くとかって大掛かりな企画で、一流大学はやることがちがうなあとか、グローバル化とかで大学本部がこういうことをしなければならない時代なのだな、とかいろいろ考えちゃいました。

国際線の飛行機とか乗るのは10年ぶり。っていうか実は私私費で外国行ったことないのです。飛行機はつらいですなあ。あの食事がなければまだましな気がするんですけどね。

朝8時ぐらいにホテルからバスで出発。どうも事務系の人が企画すると、学者も9時から5時までみっちり勉強してもらわないとならん、みたいな日程になってつらい。

初日午前大学交流のための儀式、みたいな感じで各大学の紹介というか自慢話、午後はキーノート講演。質問時間とかなくていかにも儀礼的な感じ。スウェーデンの人口問題とか聞いてて、たしかにこの超福祉国家は日本のインテリから見て理想国家の一つなんだろうけど、なぜうまくいっているのかとか、なぜ日本がこういうふうにできないのかとか興味をもちました。いずれ勉強したい。

どういうわけかストックホルム市庁舎(ノーベル賞授賞式がおこなわれるところ)見学ツアーなんか組まれていて、これも観光というよりは業務ですね。楽しそうにしている人びともいたけど私はこういうの苦手。ふと、いまここにいる理系の人たちのなかにはノーベル賞もらうかもしれない人もいるし、若い人は「♪ノーベル賞でももらうつもりでがんばってるんじゃないのか」みたいな。

夜はスウェーデン大使公邸でパーティー。まさか人生においてそんなとこに行くことがあるとは思いませんでしたね。すごく場違いだし、やられてる偉い人びとの挨拶とかもなじめない。つらい。向こうの大学で教えている日本人の先生たちも来ていて、この人たちは優秀そうでした。なんか同世代かちょっと下だと思うけど、がんばってるなー。偉い。好感もてる人びとでした。

2日目は分野別にスウェーデンのカウンタパートの学者さまたちのアカデミックミーティングみたいなもの。我々はウプスラ大学へ移動。この大学はもう伝統の大学で、15世紀に設立されています。行ったことのあるコペンハーゲン大学より2年ぐらい早くできてる。もう伝統を感じますねえ。

しかし本当にカウンターパートだったのかは謎。ウプスラの人びとはすごく伝統的なスタイルで伝統的な哲学していて、こちら組はなんかわりとコンテンポラリーな感じ。彼らはやっぱり人文学・哲学の伝統みたいなのをすごく意識していて、トークのスタイルもそういう感じ。ソクラテスとかエウリピデスとか。かっこいい。1人だけアメリカのプラグマティズムの人がいて、この人のやってることはまあわかるというか、コンテンポラリーなのは世界中どこいっても同じようなものでレベルもそんな違わない。ネットが発達して読んでるものがまったくいっしょだからですね。もう日本の哲学系の若い人びとの力は世界レベルでも十分いけると思います。英語でどんどん書いてほしいです。

自分はISUSの原稿そのままもっていってもう1回反省しました。すみませんすみません。

この日も9時から5時までみっちり勉強させられました。でも昼に食べたブイヤベースうまかった。

会合はこれで終り。ストックホルムは美しい街なので、1日ぐらい自費で滞在して楽しむべきだったな、とか終ってから思いましたが、もう出発しなきゃならん。やっぱり外国行ったら博物館ぐらい見ないとならんですよね。でも出発前は旅行がいやだしそんなこと考えてる余裕がなくなるのがわたし。

次の日さっさと出発。ヨーロッパに行くのはわりと楽なんですが、帰りの飛行機はいつも苦しみます。人生は苦。

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これ終って、次は研究会で安彦一恵先生の『道徳的であるとはどのようなことか』の合評会のため、できるかぎり精読。20回ぐらいは読んだんじゃないかなあ。でも難しい。っていうか文章が悪いと思う。かなり苦しむ。まあ読書百遍、みたいなところはあってだんだんなにをしたいかわかってきて、勉強しているしオリジナルなことも考えているし偉いと思います。安彦先生は私の学者(もどき)生活のモデルの一人でもあるんですよね。不器用でもとにかく地味に勉強を続けているのはほんとうに偉い。

しかしレジュメにするのはなかなかたいへん。木曜にやっとメモ書きみたいなの作ってメールして。金曜は書類書いたりしてつぶれてしまい、土曜本番。

今回の研究会はけっこうおもしろかった。中絶と「われわれ」の形而上学、自由と責任2本。若い人びとは優秀だ。いろいろ勉強になりました。特に責任の話は私も昔ちょっとだけ手をつけて放っているので、もうちょっとやりたい。若い人びとにくらべると自分の発表はだめすぎて恥ずかしい。まああれじゃ失礼すぎるので、ちゃんとしたレビューにして某所に載せてもらいたい。それにしても、もう私はまともな発表はできないのではないかといろいろあれですが、それでも人生も勉強も続きます。無理はしないけどがんばります。

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進捗どうですか (15)


進捗だめです。

ISUSが終って、ちょっとだけお休みをいただこう、みたいな。ネットから離れましょう。

とにかく毎日自分をマネジメントしないと。現在、というより30年ぐらいずっとブラック経営者というかなんかそういう感じで自分を酷使していてだめですね。自分のご利用は計画的にとか。そういうのをこころがけるつもりで進めております。

しかし学会事務局の仕事とかもあるんですよね。それであれして某学会は不義理したりして。すみません。他にも事務的な仕事がいくつか。某書評のために難しい本読んだり。

学部が新入生用のテキストを作る年なのでそれの原稿適当に書いたり。ブログに書いてる勉強についてのお説教みたいなのをっていうリクエストで。でもそういうのでさえもああだこうだ考えて時間かかってしまう。そもそも私にそういうのを書く資格があるのかどうか。

ロジャー・クリスプ、ジュリアン・サバレスキュ、ロバート・スパローっていう豪華講演会にはさすがに聞きに行きました。サバレスキュ先生を見たのははじめてだったけど、まあ話うまいですわね。

んで明日から海外。

とにかくマネジメント1年生。しかし実際にマネージしようとすると、どうも私は自分がやるべきことの優先順位をちゃんとできない感じですわね。余計なことをいろいろしていて、本当に大事なことを見てない感じ。とりあえず今月下旬まで我慢です。


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進捗どうですか (14)

進捗だめです。

しばらくつらくて死にそうでした。国際功利主義学会というところで発表しなければならなかったわけです。ずっと気になってたんですが手をつけられない状態になっていてぜんぜんだめ。プログラムやアブストラクトを見ると海外の大物や、国内の大家か俊英で、私みたいな研究者モドキはいないじゃないの。うわー、怖いー。

最悪の場合は5月にやった発表のスライドをそのまま使おうと思っていたのですが、今開いてみると使いものにならない。そもそも私英語喋れないじゃん。前は少人数の研究会だったからブロークンな英語でも気合でなんとかなるだろう、みたいな感じで発表したのですが、さすがに国際功利主義学会ともなればそれじゃ危険すぎる。原稿書いて読みあげなきゃならん。でも気ばかりあせってなにも進まず。最悪。

発表1週間前のお盆前には完全に煮詰っていて、家から出られない状態に。エクササイズとかもできない。本気でキャンセル考えました。でもキャンセルしたら笑いものになるだろうしねえ。自己評価は最低レベル。っていうか絶望ってやつですなあ。これくらいひどい状態になったのは10年ぶりぐらい。その前となるとやっぱりその10年前。10年に1回のやばさ。

4日ぐらい前に大雨明けの深夜に散歩したらやっと正気に戻る。いや鴨川に飛び込むつもりではなかったですが、それまですごいやばい精神状態だったことに気づきました。やっぱりどんな煮え煮えになっても散歩とかしないとだめですよね。私はそういうのも忘れて部屋や台所は散らかりぱなし、飯はパンやコンビニ弁当、とかになっちゃう。それじゃだめなんですわ。皆さんも困ったら散歩やストレッチしましょう。

資料や昔の勉強メモみたいなのを見直して正気に戻ってくる。

まあ泣きながら書きつづけて、20分ぐらいのトークのため A4 8枚ぐらい書けたのが2日前。
こんなの
先に現地入りしている某偉い先生に送りつけて見てもらって、Google Handoutとかで電話。偉い先生は酔っぱらっていて「だめですね、でももうしょうがないからこれでやったら?」みたいな。泣きながら修正。明け方まで。そのまま移動するつもりだったけど寝てしまって起きたら昼前。やばい。とにかく移動。いくつか発表を聞いて心を落ちつける。みんな賢いなあ。某後輩の立派なキーノートスピーチを聞いて、偉くなったなあ、みたいな。宴会はパスして、チェアやってもらう別の某偉い先生に原稿送りつけてとりあえず仮眠。起きだしてさらに修正しているとその某偉い先生からの駄目出しが届いてうれしい。助かります。ってわけで朝まで。また寝てしまう。

本番。まあ内容はあれとして、発表時間はほぼぴったりだったけど質疑応答の英語ができない。もういい歳して恥ずかしいなあ。やっぱり英会話はいつも練習しておかないとね。若い人びとは本当に語学がんばってください。

夜は晴れて飲み会に軽く参加。若い人びとは勢いがあっていいですね。時代は変わった。


まあ今回は本気で反省しました。余計な学会発表とかするもんじゃないです。半年前の自分が何考えてたのかさっぱりわからない。どうもこの学会は覗いてみたかったんだけど、なにも発表しないのに行くのはいやだなあ、みたいなことを考えてたみたい。しかし自分の実力とかそういうのを把握しておくべきですよね。研修期間で時間があるからなんとかなるだろう、みたいなこと考えてたけど、時間あったって私のようなものはたいしたことはできない。新しいことをするのは無理なんだから、予定どおりこれまで勉強したことをなんとかまとめることを最優先で考えなきゃならない。英語で論文書いたり発表したり、みたいなのもこれまで頻繁にやってきたわけじゃないわけだし。この歳になって新しい技能を身につけるなんて無理。「汝自身を知れ」っていうのはやっぱり「身のほどを知れ」「分相応に生きろ」っていう意味だと思いますね。

まあ研修期間はまだ7ヶ月あります。いろいろやりなおし。人生は続くのです。









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進捗どうですか (12)

進捗だめです。

某あれをするためにサムナー先生読みなおしたりそのまわりの文献ちょっと漁ったり。

督促された某翻訳にすごい時間とられてしまって、これはもううまく訳せなくて自己評価下がるしなんとかんとも。もはや常時パニック起こしている状態。けっこう真面目にやっても進まない。時間はかってみると1ページ2〜3時間かかって、それでもまともな日本語にならない。言いたいことはわかる気はするけど、わかりやすく訳そうとるすると原文にない言葉をたくさん入れなきゃなんなくなって翻訳ではなくなってしまう。すごく苦しみました。なんか時間の無駄感がある。

あんまり自己評価下がってあれだからブログ書いて息抜きしたり。

とにかく先送りしていることを片づけて心の落ちつきをとりもどそうとしたり。

こういう自己評価下がってパニック的な状況というのは何度かあったなあ、とかって昔の秘密日記読みなおしたり。1994年、OD 1年目ぐらいが1回目のそういう時期だったようです。そこらへんで、きちんと自分のプロジェクト管理みたいなのするっていうことをおぼえるか、あるいはそういうのができないのであれば別の道を考えるべきだったな、みたいなことを考えたり。いつも後ろ向きでよくないですね。

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進捗どうですか (11)

進捗だめでした。

いろいろ反省しつつ、東京にいったついでに帰省したりして。ずいぶん長い間帰ってない親不孝を反省したり、街を歩いてあまりにも滅んだ昭和のままで暗い気分になったりいろいろ苦しみました。郷里は人口統計とか見ても超高齢社会になっていて、町内も更地や売り家ばっかり。新築の家なんてのもない。少子化とか過疎化とかってのの問題はやっぱり田舎でこそわかりますね。本当にやばい。

帰ってからは読まねばならないと思っている本を開いてもあんまり進まず。だめだめ。まあ土用の一番暑いときなのであんまり無理するのもいかんかな、みたいな。しょうがないので簡単なブログ書いたりamazonレビュー書いたり。そういうのしているとわりと楽しい。っていうか私余暇にそういうふうなことをして楽しむような人生設計するべきだったんですよね。ガチに研究するっていうのは向いてなかったかもしれない。今となっては遅いですけど。

やらねばならない翻訳の仕事の督促もあって、これがまたやっかいで時間かかるしなんかストレスたまります。うまく日本語にならずに自己評価も下る。ざっと訳すのでさえ、1ページ2時間以上かかる感じ。

っていうわけで、せっかく時間をもらっているのにひどく低調な1週間でしたが許してください。おそらく一番暑いところは抜けたんじゃないかと思うので、中盤戦です。これから9月なかばまで、夏は好きな季節ではあります。

とにかく作業にかかる時間を計測してだいたいの能力がわかった感じなので、ちゃんと生産計画立てていきたいと思います。同じ過ちをくりかえすのは避けたい。自信ないけど。まあ真面目に活動したことがなかったから自分の能力をちゃんと知ることができなかったわけです。そういうこと考えてるとだんだん暗くなってだめですね。それでも人生は進みます。ぴーす。

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進捗どうですか (10)

進捗すごくだめです。

若手フォーラムで発表だったんですが、いろんな意味でだめで深く反省しています。どう反省しているかというのはまあここにはあんまり書きたくないので秘密です。まあ当然のことがらできないことはやっちゃだめだし、やるにしてももっとちゃんとやらねばならない。今回は作業時間とかいろいろ気をつけようとしていたにもかかわらずだめだったのでけっこうショックですね。とにかく勝手に理想を高くするのもだめだし、かといって甘い気持ちでやるのもだめ。自分が嫌いなタイプの人間に自分がなろうとしているのに気づかされました。まあそれがおやじってことだけど。

若い人々は元気があっていいな、とか。オヤジ抜きで自由そうな感じ。世話人の人々もなんか献身的で、ああいうのを世話人とか代替りしながら長く続けているのというのはすばらしいことだと思いました。彼らには未来がある。そういう人々のできるかぎりジャマにならないように気をつけたいです。

まあいろいろ整理して出直し。いろんな意味で自分の限界を見るよい機会になりました、とポジティブに考えたいです。

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