他の研究者先生を信頼できないのはつらいことです

私、ツイッタでもこのブログでも、いろいろ人様の研究(論文・書籍)やブログ記事やSNS投稿に文句をつけることが多くて、ほんとうにもうしわけないと思っているのですが、でもそうしなきゃならないというのは本当につらいのです。おそらく多くの人が、江口はまともな業績もないのに、悪口ばっかり言ってると思っていて、私もそう思っていて恥ずかしいのですが、でもやっぱり書かないとならないことはあると思うのです。フェミニズムやジェンダー研究に関心があったので、そういう研究にコメントつけることが多くてアンチフェミニストだって思われてるかもしれないけど、そうではないのです。でもそうした研究のまわりには問題が多いと思う。これだけはわかってほしい。

この前もある先生が、『射精責任』の著者がモルモンであることを問題視していて、それに関して当の書籍を読んだりしてコメントしました。

なかでも苦しかったのが、『射精責任』の著者のブレア先生について、「養子制度が〔子供を〕「家系とDNAから引き剥がす行為」とする主張はモルモン教がベースであることはブレアが言っていますしね」というツイートで、 https://katiecouric.com/news/politics-and-policy/gabrielle-blair-mormon-mother-viral-abortion-rights-tweets/ このページを参照してたことです[1]https://twitter.com/_keroko/status/1682773927695892480?s=20

でもこのページを読んでも、そういう記述はないように私には読める。というか、そんな記述はないじゃないですか。養子の話なんて出てきてないですよね。DNAの話もない。私英語が苦手なのに、何回もこのページ読んでしまいました。

そういった参照の不十分、あるいはねじれた紹介はこのブログで何度も指摘してきました。いまとなっては、これはやはりジェンダーまわりの国内の研究者たちのシステミックな(つまり研究者たちに染み込んでいる)研究慣行、あるいはSNS/ネット活動での慣行ではないのかと思わざるをえないのです。(上野千鶴子先生の「ウソはつかないが都合の悪いことは隠す」という発言が一時期話題になってました。)

20年ぐらい、フェミニズムやジェンダー学を勉強してきたわけですが、文献の紹介や参照まわりではずっといやな思いをしてきました。いまとなってはジェンダーまわりの文献を見るときにはその典拠を確認せざるをえない。そのままでは信頼できないのです。そんなことは他の分野では考えられないと思う[2](生命倫理学まわりも問題が多いと思っていますが、だいたいは信頼できる。

私は業績もないのに運よくテニュアを獲得させてもらって、勝手なことをして生きているわけですが、多くの研究者の先生たちが真面目に勉強しているのを知っているし、それをリスペクトしています。でもなんでジェンダーまわりだけこうなの?他もそうなの? まちがいはあってもしょうがないけど、まちがいを指摘されたら、参照だけは修正してほしい。学者なんだから。おたがいに典拠をチェックしてほしい。学者なんだから。あなたたち、ほんとは他人の意見に興味ないんじゃないですか?もっと他人の意見に関心もちましょうよ。

他人の研究や主張に文句をつけることはつらいことです。自分にも自信がないし。でもおたがいに信頼できる研究世界になってほしい。おねがいですから参照と紹介だけはしっかりしましょうよ。意見はいろいろあってもそれはいろんな意見があるということだからまったく問題がない。そりゃ意見はいろいろある。それについてディスカッションするのは、我々の理想だ(そしておたがいに楽しいだろうと思う)。でも参照や紹介だけはキチンとしてもらわないと、おたがいに負担が増えるだけなのです。いつも無駄な時間を使ったって思って泣きたくなる。まちがうのはしょうがない。でも修正できるのが学者だと思うのです。そういうことを考えるとつらくてカビゴンとゆったり寝ることもできなくなるのです。


(おまけ)このブログでとりあげた参照に問題があるものの一部。

まだまだたくさんある……いったい私の人生ってなんだったんだろう。

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References

References
1 https://twitter.com/_keroko/status/1682773927695892480?s=20
2 (生命倫理学まわりも問題が多いと思っていますが、だいたいは信頼できる。

コメント

  1. kyunkyun より:

    ガブリエル・ブレアさんの『射精責任』の主張には、モルモン教はあまり関係していないように思えます。
    それよりも、直接的に強く影響しているのは、次のような事柄だと思います。

    (1)避妊は、ピル等により、女性が責任を持って行うもの…という、「欧米の避妊文化・避妊観」。
    ブレアさんもよく、「私たちの(アメリカの)文化では、避妊はすべて女性の役割・責任とされてきた」といった趣旨のことを言われていると思います。

    (2)ブレアさん自身には「望まない妊娠」の経験はなく、性的な経験は、お互いが初めての相手である夫のベン・ブレアさんとのみであり(ここには伝統的なキリスト教が影響しているのかも)、本に書かれてあるような「ビッチな女性」でもなく、過去に酷い男性との性体験がある訳でもない。ただ一つだけ、避妊に関してだけ、(1)の避妊観で自分の役目だと思い、ピルやIUD等で避妊してきた。自分も夫もそれが当たり前のことだと思っていた。
    でも、それらはすべて自分には合わず、副作用等でとても酷く辛い経験をしてきた。ブレアさんはインタビューで、「これらの避妊法が全部嫌いだった」と言われています。

    ブレアさんの夫、ベン・ブレアさんは現在はパイプカットしていますが、6人の子供を生むまでに経験してきた、このようなとても辛く苦しい避妊経験が、『射精責任』の最も中心的な原体験であり主張動機になっているように思えます。
    ブレアさんは、女性が主体的に実行でき、体への負担も少ない「女性用コンドーム」に対しても、「女性に負担を負わせる」として拒否されていることからも、そのように思います。

    ◆参考
    https://tinyurl.com/5n7xtxun
    “On the other hand, I hated the pill. I hated the shot. IUD? I bled for a year. Birth control’s really hard for a lot of people.”

    https://tinyurl.com/4mc9pcu4
    “I had used every kind of birth control, they worked, which is a wonderful thing. I got to choose when I have babies and I’ve had a lot of babies. So that was really wonderful for me to get to choose when that happened, but I really hated how my body felt and worked when I was on birth control.”

    ◆女性用コンドームについて、デビッドさんとの議論
    https://tinyurl.com/m7z5yukr
    https://tinyurl.com/3sycct9z
    https://tinyurl.com/495bczep

  2. kyunkyun より:

    現在、原因不明のTwitter規制を受けていて(閲覧は可能・異議申し立て中)、リプライ等できないのが非常にもどかしのですが、ブレアさんの主張にはかなり偏った思考や思い込みがあるように思えます。

    ・男は女の50倍生殖能力がある(毎日生殖できる)

    これは「相手がいれば」という話であって、「男性と女性とでは、どちらが実際に生殖出来る相手がいる割合が多いのか?」という視点から見ると、少し調べれば分かりますが、「恋人がいる率」は男性よりも女性の方が多く、「恋人いない率」や「恋愛未経験(交際未経験)率」は男性の方が多いです。
    つまり、実際に生殖出来る相手がいるのは女性の方が多く、実際に「生殖できる機会」を多く持っているのは、人数の視点から見れば女性の方が多い…ということも知っておくべきだと思います。

    https://news.yahoo.co.jp/byline/arakawakazuhisa/20220221-00283029

    ただ、これには、「一部のモテ男性に複数の女性が集まっている」というケースも含まれていて、「交際経験人数が多いモテ男性、女性から見て魅力的な男性とのSEXの場合に、コンドームを使用しないSEXをする(女性がコンドーム使用を強く要求しない)傾向がある」という研究調査もあります。

    https://tinyurl.com/zdw8n4sz
    https://tinyurl.com/4nx2eddy
    https://tinyurl.com/2nh9xmaa

  3. kyunkyun より:

    ブレアさんの主張・思考が偏っている、と思う理由は、例えば、

    ・ブレアさんは、精子が膣内で5~7日間も生き続ける…といった生殖能力の高さを、「望まない妊娠」にだけ結び付けているのではないか? しかし、妊娠を望む場合にはそれ位の能力がないと自然妊娠が困難で不妊になるのではないか?

    ・「精子は危険」という表現・思考は適切ではない。このような表現・思考は、特に若い思春期~高校生の男子に、不必要に、自分が男性であるというだけで『罪悪感』を持たせてしまう悪影響の可能性も。
     妊娠にはリスク・危険が伴うけれど、精子自体が危険なのではない。例えば精子バンクで提供を受けて妊娠した場合、その精子は危険なのか?
    精子が危険とする理屈は、卵子にも言えるのではないか?
    「妊娠を引き起こす卵子は女性にとって危険」

  4. fraborn より:

    kyunkyunさん、2つ目のポストについて指摘させてください。
    とはいえ私まだこの本を読んでいないので、論理的にこういうことでは?という提案みたいなものですが。

    >・男は女の50倍生殖能力がある(毎日生殖できる)
    これは実際にそうしているという話ではなく、潜在的な上限のこととして記述されていませんか?潜在的な繁殖可能性の上限が男性の方が大きいため、男性はより性的に積極的で奔放な心理や行動が発達しやすく、女性はそれと比べるとより慎重な心理が発達しやすい、ということではないでしょうか。

    現実ではどうかというと、男性は容姿や能力に恵まれた人がより多くの性交(繁殖)機会を得られ、そのぶん非モテの割合は女性より多いですね。経験人数ゼロ人の割合は男性の方が多く、いっぽう経験人数が数十人という人もいてばらつきが大きい。
    女性はそれに比べるとそんなに極端な差はなくて、平均の周りに集まりがちです。男女の潜在的繁殖力の差が、(心理の発達を通して)この性交機会の分散(ばらつき)の差をうみだすのだろう、というのは、繁殖機会性比や実効性比の問題として50年くらい前から生態学などで理論的に分析されてきました。

    >実際に生殖出来る相手がいるのは女性の方が多く…
    生殖できる相手というのが恋人や結婚相手だとして、一組の配偶関係にはかならず一人の男性と一人の女性が関与するわけですよね。ヤフーニュースの記事にあるように全体の20%の男性と30%の女性が「いま恋人がいる」と答えているなら、つまり男性1人は平均1.5人の女性と付き合っていないと計算が合わないわけです(たとえば半数の男性が二股をかけているとか)。

    実際はその数字は極端すぎると思いますし、女性で二股をかける人もいるでしょう。ですが要点は同じです。また配偶関係でも、性交の回数で数えても、妊娠の回数で数えても同じです。ある期間の間に100人の女性が母となり、80人の男性が父となったなら、大ざっぱに言ってそのうち20人の男性は2人の女性との間に子供をもうけているわけです。
    性交も妊娠も1:1の関係のあいだでおこなわれるので、実数で女性>男性ならば、機会(回数)では常に逆の女性<男性となるということです。

    このような繁殖機会の性差が(おそらく時代や文化を超えて)なぜあるかの原因を突き詰めると、一番最初の「潜在的な繁殖可能性の性差」だろう、という説明なのではないでしょうか。

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