進捗だめです。
びゅんびゅん時間が過ぎてました。
某発表のためにフェルドマンの議論をちゃんとおさえる、という短期的目標をたててWhat is this thing called happiness読んで、2週間以上かかってしまいました。やっぱりこの本おもしろいなあ。時間測ってたんですが、40〜50時間ぐらいかかってる感じですね。14章と付録があって、まあ1章2時間弱みたいな感じ。ちょっとかかりすぎな気もします。もっとさくっと読める人は多いと思います。論述とかは難しくないけど、いろいろ考えさせられて私はそんな速く読むことはできませんでした。
それにしても本を読むのにどれくらいかかるか計測してみるというのはおもしろい経験でした。ぼんやり思ってるより時間がかかるし、1日にそんなに集中できる時間もそんなにはない。それにどんながんばったって飯食ったり寝たりしなきゃならんわけで、人間ができる活動というのは本当に限られていると思います。エクササイズとかもしないと調子悪くなるし。酒飲む時間やネットする時間だって大事だ。本とか、そんなたくさん読めないですよね。なんか時々膨大な「必読書リスト」みたいなのを提出してくる人がいますが、そういうのってどうなんかな。
もう一つ思ったのは、今回はずっと一人で読んでたけど、本当は読書会とかするべきですよね。読みまちがいとかにも気づくし、おかしいと思ったことを相談したり議論したりもできる。大学院とか進学を考えてる人は、そういう読書会や研究会が盛んなところを目指すのがよいと思います。私も大学院生のころはいろいろ読書会に参加して勉強になりました。オヤジになると、研究者志望の大学院生かかえているような大学の教員にでもならなければそういうのに参加しにくくなってどんどん知識も読解力も劣化してしまう。まあこれはしょうがないです。勉強は一人ではできないな、と思いましたし、そういう意味で私の勉強人生は終りに近づいている気がします。まだ終らんけど。ははは。
あとは国内の文献見直したりして。実はこの分野はあんまり文献ないんですよね。このフェルドマン先生とか、ヘイブロン先生とか、大学院生レベルではけっこう読んでいる人がいると思うんですが、みんなここらへんに言及して論文書けるようになるまでにはもうちょっとかかりますかね。パーフィットの名前を見かけるようになったのも90年代後半ぐらいだったし。サムナー先生の名前を見かけるようになった、ぐらいですか。
倫理学の根本問題の一つなんだけど、倫理学者が直接あつかっている文献は少ない。法哲学の人とかの方が盛んで、これは法哲の人はいきなりコンテンポラリーな文献見るけど倫理学専攻だと古典読まなきゃなんないっていうジレンマがあるからだと思いますね。大学院生からODの間に古典と格闘して、運よく大学教員とかになれたら今度は授業や業務が忙しくて勉強できないままに時間が過ぎて、たちまち白髪のおじいさん、みたいな感じ。私みたいに五十近くになるともう理解力が落ちてて新しいことは学ぶのに苦労する。多くの倫理学研究者がそういう経験をしてきたんだと思います。若い人びとは好きなことやってほしいですね。たいていの人は、いきなりカントやキェルケゴール勉強したい、って思って倫理学はじめたんじゃなくて、道徳なり幸福なりについて考えたいと思ってはじめて、カントやキェルケゴールはそのなかで出会った哲学者の一人に過ぎないだろうから。
それにしてもフェルドマン先生、一つの問題について本当によく考えているな、とか思います。スペシャリストは違うわ。途中でいろいろ幸福な人や不幸な人びとの仮想事例みたいなの出てくるんですが、私「論文書けない大学院生」みたいなのの典型例だなあとか思って読んだり。フェルドマン先生のまわりにもそういう人はたくさんいると思うんですが、どういう目で見てるんだろうなあとか。ははは。
What Is This Thing Called Happiness?
The Pursuit of Unhappiness: The Elusive Psychology of Well-Being
Welfare, Happiness, and Ethics
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