学術論文における言及とクレジット (1) 迷ったら参照せよ

ちょっとだけクレジットの問題ついて書いておきたいことがあるのです。最近ツイッタでちょっと怒られが発生したようようなんで1)ちなみに、怒られの対象になったのははっきりしないけどおそらくここらへん。最初はなんか怒られてるっぽいけど誰から何を怒られているのかよくわからなかった。まあ書きかたよくなかったような気もするし、特に簡単に笹倉先生を「信頼できる」とか書いたのはたしかによくなかった。、その件と関係してはいるけど、その件自体には直接は関係しない2)もともとは笹倉秀夫先生という方が書いた苅部直先生の本の書評。現行のわれわれの世界での意味では苅部先生が剽窃だの盗用だの研究不正だのをしているとかは最初から思ってはいませんが、笹倉先生がこういうものを書いた「気持ち」みたいなのは、その書き方のよしあしとは別に、わかるような気がする、という立場です。笹倉先生の言い分にどのていど理があるのか、ということは私には判断できないし、判断するべきでもないと思います。それはこのシリーズが続けばなぜそうなのか書けるかもしれない。。学問の世界での引用や参照、クレジットや「剽窃」の問題には前から興味があるので、ちょっと思うところだらだら書いてみたいと思っています。

学生様にレポートや卒論を書いてもらうとき、やっぱりコピペや剽窃といったクレジットの問題については頭を悩まさざるをえない。自分で論文やブログ記事を書くときはさすがにコピペはしないものの、やっぱりクレジットについてはずいぶん悩むものです。そういうのは大学で授業してレポート書いてもらいはじめてすぐに悩みはじめたことだし、20年以上ずーっと悩んでることですわね。これは大学教員はみんな同じだと思う。

10年以上前に昔なつかしの「ホームページ」に「レポートの書き方」とか「剽窃を避ける」みたいな文章書いて、ずいぶんリンクしてもらったりして、まあ最初はネットもそういう話を直接にあつかったページは少なかったように思う。いまではたくさんあるのでよい時代になった。私のページとかもう価値なくなってる。「レポートの書き方」系のよい本もたくさんあるし。

私自身は「コピペ問題」とかはもうあんまり悩んでないわけですが、難しいと思ってるのは学生様にクレジットのつけかたをどう教えるか、みたいなことで、基本的には「迷ったときはなんでもクレジットつけろ、ページまで」みたいな指導になってるのです。それだといわゆるコモンノレッジ、共有知、あたりまえのものまでクレジットつけるようになって、まあ安全ではあるけどうざいというか。

「剽窃を避ける」https://yonosuke.net/eguchi/archives/2878 を書いたときも、「多くの人が共通に知ってること」を説明するのにずいぶん苦労して、まあ「5冊以上の本で出典なしに挙げられてるのは共有知」みたいな説明になってるけど、これでいいのかどうかわかららない。

マクミランの学生向けのページだとこんなになってる 。https://www.macmillanihe.com/studentstudyskills/page/Referencing-and-Avoiding-Plagiarism/

「特定の分野の人が(当然)知ってることが期待されるような知識」みたいな感じっすか。でもこれじゃ学生はわからんわけですわね。

このマクミランのページでは「授業に参加する前にその情報知ってましたか」「自分の脳味噌から出てきましたか」とかたずねてみて、どちらも「ノー」なら、少なくともあなたにとっては共有知ではない、だったらリファレンスつけましょう、みたいな感じになってますね。

ちなみに引用・参照しなければならないのは、(1) 独特distinctiveなアイディア。これはまあ当然か。これおそらく、他のソースと違う、ってことよね。国内ではわりと軽視されているのが、(2) 特徴的な構成あるいは構成手法。ある問題にとりくむにあたっての問いの立てかた、問題を検討するにあたっての文献や論者の選択、こうしたものも広い意味でアイディアなので、これにもクレジットつけないとならんと考えるのだと思います。(3) 特定のソースからの情報、データ、(4) 逐語的フレーズ、パッセージ、(5) 共有知でない情報とか。

(3)や(4)は当然で、特に(4)の逐語的フレーズ/パッセージはクレジットなしに他人の文章を使ったら著作権法違反ってことになる。ただし著作権で保護されているのはアイディア(思想・発想)ではなく「表現」でしかないので、特定のアイディアを他人から借りてもなにも著作権法に反することはない、と私は理解しています。(5)はさっきの「共有知」問題にかかわるやつ。

まあどれもいろいろ面倒で、だからこのページでは、実践的な指針として、(6)「 迷ったら、言及せよ!」というのが主張されている。このページでは、そうしていちいち引用・参照して言及する一番の利点はトラブルを避けることだとはっきり言われていると思う。 “good referencing is essential to avoid any possible accusation of plagiarism.” ちゃんとした参照は、剽窃の疑いをかけられるのを避けるために重要です、とのこと。おそらく、あるアイディアの使用が盗用だとか剽窃だとかという疑いはあまりにも簡単にかけられてしまうので、疑いをかけたりかけられたり、弁明したり、証明したり、他の人々が検討したりしなければなかったりするトラブルとコストを避けるためにはやはり参考にしたものはいちいち言及しておきましょう、という話だと思います。これはたしかにうざい。

まあそういうのは、場合によっては、あるいは手法によっては書くのも読むのも非常に煩雑になるので時に有害でもあるかもしれないけど、でもトラブル避けるためには多めに言及しとくっていうのは英語圏の流れだと思う。だから自己啓発本みたいなのもリファレンスだらけになる。

ワシントン大のだとこんな感じ。 https://depts.washington.edu/psych/files/writing_center/howtocite.pdf

Even if you arrived at the same judgment on your own, you need to acknowledge that the writer you consulted also came up the idea.

先行研究と同じようなやりかたや結論になったとしても、他の人の研究にコンサルトしたら、つまり論文読んで参考にしたのなら、ちゃんと名前あげなさいよ、みたいな指導がされている。

しかしこのレベルを実践しようとすると、新書のような日本の主流の出版形態が維持できない、っていう問題があるのだと思う。そういうのをどう考えるか、っていうのが私が関心があることなのです。

どういうわけか私年配の先生はわりと苦手なのに、なぜか話あいてになることは多くて(なぜだろう?)、名なり功を遂げた先生たちでもそうしたこまかいことを気にしているのはよく耳にしている。「偉くなったんだからそれくらいいのではないか」とか言いたくなったりもするんだけど、そうして偉くなる先生はむしろそうした功名心が背景にあってこそ偉くなれたのだ、みたいなのを感じることもある。

我々が勉強したり研究したり論文書いたりする一番大きな動機はおそらく功名心あるいはクレジットなので、「たった一行でも私の名前を入れてくれ」みたいなのは非常によくわかる欲求だからわたしはそっちがわに立ちたい。これはそんな簡単に却下できる望みではないと思う。

んじゃ具体的にどうするか、っていうのはまあみんなで話あうのがよいのではないかと思うわけです。というわけで続きます。

 

 


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1. ちなみに、怒られの対象になったのははっきりしないけどおそらくここらへん。最初はなんか怒られてるっぽいけど誰から何を怒られているのかよくわからなかった。まあ書きかたよくなかったような気もするし、特に簡単に笹倉先生を「信頼できる」とか書いたのはたしかによくなかった。
2. もともとは笹倉秀夫先生という方が書いた苅部直先生の本の書評。現行のわれわれの世界での意味では苅部先生が剽窃だの盗用だの研究不正だのをしているとかは最初から思ってはいませんが、笹倉先生がこういうものを書いた「気持ち」みたいなのは、その書き方のよしあしとは別に、わかるような気がする、という立場です。笹倉先生の言い分にどのていど理があるのか、ということは私には判断できないし、判断するべきでもないと思います。それはこのシリーズが続けばなぜそうなのか書けるかもしれない。

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